ミーリの子

 遥か昔、まだ大陸は一つだった。しかし神々の戦いによって大陸は四つに分かれ、段々と今の形になった。

 その中でも、離れ小島が多い南の大陸。島の数はおよそ五〇と言われているが、未だ見つかってないものもあると言われている。

 スサノオは、そのうち一つの島に向かって歩いていた。霊力で足場を作り、海面を歩く。

 何十キロという距離を歩いた彼女は疲れ切っていたが、視界に島が見えている今、立ち止まって休憩する気はしなかった。

 島に上陸すると、今度は熱帯雨林が待っている。人の手などまるで加えられていないこの自然の中を、スサノオは迷わず進み続ける。

 そうして辿り着いたのは、その島唯一の人工物。それはかつて、どこぞの王国の軍が兵器を開発するために作った工場だった。今はもう廃棄された、緑まみれの工場である。

 すっかり錆び付いて重くなった扉を押し開け、中へと入る。蜘蛛の巣だらけの天井はところどころ穴が開いていて日差しが入り込んでくるが、雨風を凌ぐには充分なので一時的に住処として使っていた。

 元は工場なので、テーブルや椅子などといったいわゆる家具はほとんどない。さらに言えばベッドもないため、ベルゼビートはベルトコンベヤーをベッド代わりにしていびきを立てていた。

「戻ってきたか」

 スサノオを、ギルガメスが迎える。だがわざわざ迎えに来たという感じではなくて、たまたま来たら帰っていたという感じだった。

「ギルガメス。ユキナはどうした?」

「奥の部屋でうずくまっているが…理由は知らん」

「そうか……」

 ユキナが寝床にしているのは、元はこの工場の長が使っていたのだろう部屋だ。唯一机や椅子などの家具があり、ベッドもある。

 軍の大将であるユキナがその部屋を使うことは当然なのだが、彼女はここを見つけてから一か月以上、こもっていた。

 部屋に他人を入れるし心配はしていないのだが、仲間の勧誘を自分でするユキナにしては珍しく、仲間の勧誘もスサノオに任せている次第だ。どこか具合が悪いのだろうか。

 元々ユキナに報告があるので部屋に行かなければならないのだが、それよりも容態が気になって、スサノオは扉をノックした。

 返事が返って来て、扉を開ける。部屋にはベッドに横になっているユキナと、それを看る青紫髪の少女――ナルラートがいた。返事をしたのは彼女だ。

「す、スサノオ……」

「すまんな、ナルラート。ユキナの具合はどうだ」

「か、か、体……体が熱い、の繰り返し。でも、熱はない……何か、な、何かがユキナの体を、め、めめ、巡ってる……」

 何か? ……霊力か? まぁいい。

 スサノオはユキナを揺り起こす。目を覚ましたユキナはたしかに苦しそうで、熱のある白い息を切らしていた。だるそうに、腕で顔を覆う。

「スサノオ……」

「ユキナ、朗報だ。おまえが目を付けた神々が、誘いに乗ってくれた。時期にこちらに来るだろう」

「そう……ありがとう……スサノオは私と違って、勧誘が上手ね」

「まさか。おまえを引き合いに出しただけだ。皆、人類にも神々にも反抗的な奴だからな。おまえというルーキーに、賭けたいんだろう」

 まるで自分の体が数段重くなっているかのように、ユキナは辛そうに上半身を起こす。その様は本当に熱があるようで、額にうっすら汗を掻いていた。

「スサノオ、ナルラート。あなた達にだけ話しておくわ……私のお腹の中には今、子供がいる」

「何?」

「こ、ここ、こど、も……?!」

「ミーリとの子よ……まさか、この歳で妊娠することになるだなんてね」

「ユキナ! 何をしている! これから仲間を増やそうと言うときに……!」

「えぇ、たしかに。でも、愛し合う恋人同士が久し振りにあったのよ。愛し合っても不思議じゃないでしょう?」

「だから……あぁ、もう……! ……わかった。私達だけに話すと言うことは、産むつもりなんだな」

「えぇ。でも敵となる相手の子供を産むなんて、事情を知らない――とくにギル辺りが許さないでしょう。だからしばらく、私は霊力を温存するという名目で身を隠すわ。場所はあなた達だけに伝える。だから、ときどき顔を見せて頂戴」

「わかった。だが私が言うのもなんだが、出産はキツいぞ。一人でやるつもりなのか」

「仕方ないわ。ギルもあなたも、元は男神。ベルとナルラートに関しては出産とは程遠いし、これから来る神もまた、私のこれを許さないでしょう」

「……そうか。仕方ない、私の連れを探してこよう。転生しているかわからないが、いればだいぶ助かるはずだ」

「でもそれだと、勧誘役がいないわ……ナルラートはまだどもりが治ってないし……ギルやベルに頼むのも……」

「ならば私が、その役目引き受けよう」

 気配なく現れたのは、全身を赤い布で覆った男。顔もまた陰陽の印が刻まれた布で隠れていて、よくは見えない。

 だがそのがたいのいい体格と低い声が、間違いなく男だった。

 男の名を太公望たいこうぼう。真の名を呂尚りょしょうと言う軍師の魔神である。今回ユキナが声を掛け、軍師として雇うことを条件に参加したのだが――

「随分早い到着ね、太公望」

「今や台風の目となりつつあるユキナ・イス・リースフィルト様のお顔を一足早く拝見したく、参上した次第。突然の来訪お許しくださいませ」

「で、あなた話をどこからどこまで聞いていたの?」

「ユキナ様が妊娠なさっている、という辺りからここまで。ですがご安心を、この太公望口は堅い故。ですからどうかお任せあれ……ユキナ様の戦力集め、この太公望が務めてみせましょう」

「頼んでいいの?」

「無論にございます。どうか安心してお任せくださいませ……」

「わかった。あなたに任せましょう、太公望。でも先に、私が目星を付けたところに行ってほしいの。ベルゼビートを連れて、向かって頂戴」

ハエの王ですか……それで、彼を連れてどこに向かえばよろしいのでしょう」

「東北の王国、グスリカ領内。名前はジェイル。私の実家であるリースフィルト家がある。そこにいるだろう狂気の魔神を連れて来てほしいの」

「狂気の魔神……というと?」

「名前はないわ。でも呼ぶならそうね……ベルセルク」

「承知しました」

「じゃ、私は行くわ。スサノオ、ナルラート、こっちへ」

 スサノオとナルラートの手を握り、オリンポス神であるヘルメスの力で気配なくその場から消える。それを見届けた太公望は部屋を出ると、ギルガメスと鉢合わせた。

「なんだ貴様」

「この度、ユキナ様の軍の指揮官に命じられた、太公望と言うものだ」

「あぁ……軍師の魔神か」

「それよりも、ギルガメス殿に使いを頼みたい」

「この我に使いだと? 貴様……立場をわきまえろ。我に命じていいのはせいぜい我とあの女だけだ。貴様程度が我に命じるなど……?!」

 ギルガメスが硬直する。それは他の誰でもなく、太公望によって黙らされたからだった。

 方法としては、すさまじい霊力をぶつけられ、怯まされた。最古にして最強を誇った王である、ギルガメスという魔神が。

 太公望の霊力は、ギルガメスを縄のように締め上げる。全身を絞められたギルガメスはなんとか逃れようとするが、まるで解ける気がしない。

 ついに首を絞められ、命の危機を察したギルガメスは、プライドも何も無視して足場の鉄を武器に変えて放った。鉄のメイスが、太公望にぶつかって炸裂する。それと同時に拘束が解け、ギルガメスはすぐさま距離を取った。

 爆煙の中から、平然とした様子で太公望が出てくる。

「実力はおわかりかな、ギルガメス殿。私は其方と対等な立場として話している。見下す気などない。だからこれは頼みだ、ギルガメス殿。あなたと同じで、この世界に酷く退屈する魔神がおられる。それを迎えに行ってほしい」

「……名をなんという」

「ネロ・クラウディウス。かの黄金劇場ドムス・アウレアを作り上げた、今シティと呼ばれる大都市の五代目支配者だ」

 ユキナが飛んだのは、住処としている島からまた数キロ離れた無人島。そこにある水晶の洞窟の中にある湖に、ユキナは浸かっていた。

 そうしている方が楽なようだが、体の熱はまだ引かないようだ。しんどそうな表情は、未だ変わらない。

「ユキナ、待っていろ。すぐにクシナダを連れてくる」

「えぇ……待ってるわ」

 スサノオは一人、洞窟を駆け抜け出て行く。ユキナは自分の身長では脚が届かないところまで泳ぎ、全身の力を抜いて浮かび上がった。

「……ナルラート。ナルラート」

「う、うぅ……?」

「洞窟の外……川の側に、水分の多い木の実があったはずだから……取って来てくれないかしら」

「ゆ、ゆゆ、ユキナ、一人で大丈夫、か……?」

「大丈夫よ……さぁ、早く」

 ナルラートも急いで洞窟を飛び出していく。

 他の誰もいなくなった湖の中で、ユキナは息を切らす。全身を駆け巡る熱に体を焼かれる痛みに苦しみ、もがき、沈んでいく。

 次第に力は奪われ、意識がもっていかれる。吐き気と熱と痛みが回流し、また目が覚める。意識の喪失と再燃を繰り返し、体が細胞から崩壊していく。

 全身が斬り刻まれるより、全身を焼かれるより、全身を粉砕されるよりも辛いこの苦しみを止めようと、必死に手足をバタつかせる。

 だがもがけばもがくほどに、体は深く沈んでいくばかり。それでももがかずにはいられない。呼吸が苦しくなっていく。全身が痺れていく。それでももがかずにはいられない。

 小さな体が、とても軽い体が、沈んでいく。冷たく暗い青の中に、気泡を立てて沈んでいく。

 あぁもうダメだ。ここでもう死ぬのだと、人生で初めて思う。このまま沈んで、二人が来るまえに死んでしまうのだと、心の底から思う。

 あぁ、こんなところで――

 青い湖の底に着く。すると目を開けたユキナの視界に飛び込んできたのは、全面真っ青の世界だった。この星そのものを凝縮したような、水晶石と水の世界。

 内包する熱が、溶けるようにこの小さな世界に染み出していく。体の感覚が、世界に奪われていく。光と音が、この世界で広がっている。

 この世界の中では自分は無力で、ひたすらにこの外へと出ようとしている。誰よりも強く、天を統べる女王となった自分が、この小さな世界に負けている。

 それがたまらなく悔しかった。とてつもなく悔しかった。世界の広さを、この小さな世界で知った気になった。

 だからこそユキナは――母は思う。この子には、そんな世界にすら負けない子になってほしいと。だってこの子はミーリの子。いずれ神をも超える、そんな人の子なのだから。

 湖の底を蹴り上げる。勢いよく水を掻き、その一蹴りで水面へと飛び出す。そのまま水面に立ち上がると自身の霊力を膨らませて、突風に変えて弾き飛ばした。

 水面が荒れ、洞窟内は轟音が反響する。その中で、ユキナは回る。一回、二回、三回と、片脚を軸に回る。回る度に空間が歪み、残響がさらに大きな音となって響く。

 だがその大きな歪みはユキナが大きく一拍手するとすぐさま治り、その余波だけが洞窟内に残って響き渡った。

 そうだ。この子は絶対に産まなければならない。この子は神をも超える新たな人類。この世界にも負けない子にきっと育つ。

 だから産まなくては。この子は何せあの人の子。自身もまた、その子供の母親なのだから。この苦痛に、負けることなど許されない。

「待っててミーリ……絶対に、絶対に産むから……!」


 

 

 


 

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