vs ウリエル

 砕けた地面を捲り上げ、瓦礫や土、岩を拳にまとう。六枚の翼を大きく広げ、ウリエルはアリスに肉薄した。

「“エンジェルバスター・ブレイク”!!!」

 岩をまとった拳を避け、ウリエルの背中を蹴り上げる。そうして高く跳躍すると、アリスは剣を振るって斬りかかった。だがその一撃は、先に一撃を振るった拳に止められる。

「ウィー! ハー!」

 もう一方の何もまとっていない拳に殴り飛ばされる。剣を手放したアリスは向かいの内壁まで飛ばされて、叩きつけられた。

 吐血するアリスに、ウリエルはさらに追撃をかける。拳だけにまとっていた土や岩を肘まで伸ばす。そうして肘を覆うと、鋭利に尖ったその先をアリスに向けたまま突進した。

「“エンジェルバスター・エルボー”!!!」

 喰らえば、串刺しは免れない。死にはしないが、それはマズい。アリスは体を転がして避け、地面を蹴って跳び、ウリエルの頭上を取った。そして手にしたナイフで、後ろから首を掻っ切る。

 だがその一撃もまた、腕から首、胴にまで土がまとわりつき、固くなって防いでしまった。ナイフが弾け、ずっと後方に吹き飛ばされる。

 そんなアリスの小さな顔を握り取ると、ウリエルは片手で軽く持ち上げた。ミシミシと、頭蓋骨が軋む。

「死ねヨ、ドーワの魔神。おまえなんかじゃ、到底勝てねぇんだからヨ」

 頭が潰れそうになりながら、アリスは笑みを浮かべる。不適なそれはウリエルの気を逆撫で、握る力を強くした。

「このまま、握り潰してやる……!」

「ハハ、ハハ……」

 不適に、本当に不適に笑う。その笑いはどんどんと大きく響き始め、直に霊力のこもった風圧となって吹き荒んだ。笑う度、笑い声が響く度、風が吹き付ける。

 これを何かの霊術の発動かと読んだウリエルは、すぐさま手に力を入れた。骨を軋ませ、笑い続ける少女の頭を握り潰す。血の塊と脳漿のうしょうを浴びて、ウリエルは濡れる。これで完全に、勝利したつもりだった。

 笑い声が聞こえる。まだ、握り潰したというのに。頭がなくなっているというのに、笑い声がまだ聞こえていた。しかもその握り潰した頭からではない。天上から、空から、周囲から聞こえてくる。

 それはもう、怪奇現象に近い。今まで自分の身に起こらなかった現象を理解する頭を、ウリエルは持ち合わせていなかった。

 残った体をひたすら潰す。血を浴びながら、骨と臓器を砕きながら、土と岩と瓦礫をまとった拳に血を浴びながら叩き潰す。

 何度も。何度も。何度も何度も何度も、叩き潰す。

 その血で真っ赤になりながらも、何度も拳を振り下ろす。だが笑い声は消えない。絶えず聞こえてくる。それはやがて声を大きくして、どこからか接近しているようだった。そして言う。

 おまえは人生楽しめてないよ。

 霊力をフルにブーストさせて、ウリエルは暴れる。何度も拳を振り下ろし、霊力を叩き込み、怒れる拳でその場一帯を粉砕した。

 骨も砕け、臓器も潰れる。動いているものは何もない。ただ笑い声だけが、その声だけが生きていた。

「うるせぇ! うるせぇ! うるせぇ、うるせぇ、うるせぇ、うるせぇ、うるせぇ、うるせぇ、うるせぇ、うるせぇ、うるせぇ!!」

 フィールドに空いた穴が広がり、一部分が崩れ落ちる。ウリエルはすぐさま飛び上がったが、声もまた落ちていかなかった。

 まだ聞こえる。まだ笑っている。声はまだ微笑と含み笑いと大笑いを混ぜ込んで、ウリエルに襲い掛かっていた。拳を無茶苦茶に振るうが、無論そんなことでは止まらない。声はまだ続く。

 人の笑い声が雑音に聞こえる人はね、生きるということを楽しめてない奴よ。

 自分は今何を糧に生きているのか、わかっていない奴だ。

 自分には生きる目的がない、そう悲観視する奴だね。

 生きるということを理解せず、楽しむと言うことを理解できてない、馬鹿の上の無能の生き方さ。

 そう君は、生きるということを楽しめていない。

「なんだ、おまえの霊術カ? 幻覚……?」

 楽しみなさい、喜びなさい、生きているということを。

 悲しみなさい、怒りなさい、やがて死するということを。

 創造と破壊。この二つが必ずも両立するということを恐れなさい。

 その翼もやがて堕ちる。天使も人も神も悪魔も、すべては運命のダイスに生かされるか殺されるか、この二択しかない。

 さぁ振りなさい、あなたの番よ。あなたのダイスを、ここで振りなさい。

「やっぱり霊術カ! どこダ! どこにいる!」

 振らないのなら私が振るう。あなたの代わりに私が振るう。

 でも憶えておきなさい。自分のダイスを他人に任せるということは、そのときその人がイカサマをしたって、文句も礼も言えないのだと。

 笑い声が止まる。

 すると落ちていった瓦礫にこびりついていた血が舞い上がり、無数のトランプとなって飛び上がった。

 空中で――ウリエルの目の前でトランプが集結する。するとそこから手袋をした右手が出て来て、ウリエルに手を振った。そして数える。三、二、一……!

 右手が指を鳴らす。するとトランプを撒き散らしてアリスが現れた。ドレスは少し暗めの緑色。頭に巻いたスカーフが、代わりにトランプの数字とマークを刻んでいた。

「レディースエーン、ジェントルメーン!!!」

 本当に、まるで大物奇術師のような登場の仕方。やられたことも何もかも夢だったかのように、アリスは何事もなく健全だった。

 待っているのは、万雷の拍手喝采。だがするものは誰もいない。それでもアリスは満足そうで、士気高揚させてまた笑った。

「生涯楽しんだもん勝ち! このアリスがそれを、教えてあげる!」

 無数のトランプを周囲に舞わせ、竜巻のように風に吹かせる。アリスの手の動きと合わせて動くそれは、やがてその数を増やして、ウリエルをも取り囲んだ。

「野郎……不死身の魔神だったのカ」

「気付くのが遅すぎだねぇ。トロい天使だ。そんな調子じゃ、すぐ蛇に呑み込まれるよ? なぁんて!」

 ウリエルが拳を振るう。だがそこにはすでにアリスの姿はなく、トランプだけが散っていた。そしてまたしても、笑い声だけがその場に残る。

 私はアリス。不思議の国のアリス。それは夢。

 私は人間から魔神になったのではなく、夢の住人から魔神になった。だから不死身。不老不死。夢の住人は老いることもなく、死にもしない。

 だけど死は存在する。夢の住人の死とはつまり……――

「その夢が醒めるとき」

 ウリエルの耳に唇を這わせ、囁く。とっさに身を引いて拳を振るったウリエルの一撃を軽く躱し、アリスはまた頭上を取った。そしてその脚で、ウリエルの頭を踏み台にして跳ぶ。

「だからさっきのアリスは死んだ。あの夢はもう醒めた。剣を振り、剣士の真似をして遊ぶ僕はもう死んだ! だけど夢はまた見られる。次はどんな夢が見られて、どんなことができるのか、それは私にもわからないけれど……でも、どうせあなたに勝てるもの。だって夢よ? 夢なら誰もが、自分が無敵!」

 跳びかかり、襲い掛かる。ウリエルもまた拳を振るい、翼を羽ばたかせて飛び掛かった。

「“エンジェルバスター・ラリアット”!!!」

「“スペード・ノ・Aエース”」

 一瞬で加速し、ウリエルのラリアットを躱す。そしてその頭を取ると、思い切り膝蹴りを喰らわせた。ウリエルの鼻が潰れ、かけていたサングラスが割れる。

「このっ! “エンジェルバスター・ラァァッシュッッ”!!!」

「“ハート・ノ・”」

 襲い掛かる、拳の連打。喰らえば骨は無事では済まない。

 だがアリスは喰らっても平然として、しかも二つに分裂した。その後何度連打を受けても、分裂して数を増やしていくだけ。ダメージはない。

 ウリエルが連打をやめなかった結果、アリスはなんと百を超える数になってウリエルの周囲でフワフワと浮いていた。

「これもまた夢」

「夢の中では、自分は無敵」

「だって夢は、人の欲望を叶えてくれる場所だから」

 ここまでの攻防で、ウリエルは理解をした。

 これは幻覚。今自分は、彼女が発動した霊術の幻覚空間にいる。となれば、解除するまでのことだ。

 幻覚系の霊術を解く方法は二つ。術者を幻覚にかかっていない仲間に倒してもらうか、この幻覚自体を自身の霊力で吹き飛ばすかだ。この二択で、ウリエルが取る手段はもう決まっていた。

「ウィー!! エンジェルバスター!! イェー!!!」

 翼を大きく広げて霊力を放出し、ブンブン腕を振り回す。そして霊力が最高値まで高まると、自分の足元にその霊力を叩きつけ、広く拡散させた。

 地震のような怒号が響き、空間を歪ませる。霊力の突風でアリスは全員吹き飛ばされ、次々トランプの束に変わっていった。そしてアリスがいなくなる。

 幻覚が解けたと、ウリエルは豪快に雄たけびを上げる。だがこのとき、彼は気付いていなかった。トランプがまだ、舞い散っているということに。

「“神経衰弱リバース・カード”」

 ウリエルの足元から、アリスが飛び出す。目の前で思い切り猫だましを喰らわせて怯ませるとその姿を消し、背後に現れて回し蹴りを喰らわせた。

「“スペード・ノ・A”」

 縦横無尽に駆け巡り、ウリエルに足技を連打する。あらゆる方向から襲い掛かり、神出鬼没に出たり消えたりして、ウリエルを翻弄する。

 ウリエルはそれに対して無茶苦茶に腕を振り回してアリスを叩き落そうとするがどれも当たらず、アリスはウリエルの周りをピョンピョンと跳ね回った。

 袖からナイフを出し、逆手で握る。再び神出鬼没に出たり消えたりして翻弄し、ウリエルを斬りつけた。

 刃渡りの短いナイフで、小さな傷をチクチクチクチクつけていく。ウリエルはその攻撃を離そうとするが、やはり力任せに腕を振り回すだけで、結局アリスを離せなかった。

 攻撃をしながら、翻弄しながら、アリスは周囲の霊力を探る。調度ドゥルガーがラファエルを倒していて、ミーリも何やら手を差し伸べて、金銀髪の天使に迫っているときだった。

 何やら誘っている雰囲気のミーリに、アリスは少々妬く。未だ彼女を倒すことに執着している様子に呆れているのもあるが、自分ではまだ足りないと言われているようで、それが少し悔しかった。

 不死身の魔神を仲間にしても足りないなんて、かなりの貪欲である。貪欲な相手は嫌いではなかったが、それが誰かを殺すことに向いていることが気に入らなかった。

 まったく! あとで説教してあげなきゃならないな!

 ナイフを両の肩に突き刺し、アリスは飛ぶ。周囲で舞っているトランプが一か所に固まるとそれを蹴り飛ばし、勢いよくウリエルに肉薄した。

 襲い掛かってくる腕を躱して、懐に蹴りを叩き込む。そうしてウリエルのすぐ側を通過すると、その先で固まっていたトランプをまた蹴ってウリエル目掛けて跳んだ。

 そうして急接近をしては蹴りを浴びせて跳び、再びトランプの束を蹴って標的に目掛けて跳んでいくを繰り返すこと二一撃。この技の名を――

「“合計二一ブラック・ジャック”!!!」

 ありとあらゆる角度からの攻撃を喰らい、ウリエルも耐える。だが本当に耐えられるレベルで、ウリエルの筋肉隆々の体に決定的なダメージを負わせるには、アリスの膂力りょりょくでは力不足だった。

「“エンジェルバスター・ストレート”!!!」

 空を裂く正拳突きが繰り出される。アリスはそれを体を丸めて後方に跳んで躱すと、再びトランプの束に乗っかった。

 片足で乗り、腕を横に広げてバランスを取る。本当はそんなことをしなくてもいいのだが、ここにも遊びが入っていた。

 この戦いの中で、アリスは自分だけがプレイヤーのゲームで遊んでいる。それを破ればペナルティーがあって、守り切れば自分に報酬を与える。ルールはとても簡単ながら難しく、ウリエルの攻撃でダメージを負ったらアウト、とそんなところだ。

 これくらいのルール縛りくらいなきゃねぇ……。

「クソッ! クソッ! 何故捉えきれナイ! こんなに弱い奴! ドーシテ! ドーシテ!」

「あなたは楽しまないの? この現状を。今を。トランプに囲まれて、不思議の国の住人が戦っているのよ。もっと楽しみなさい。この逆境を」

「黙れ! 純粋な神でもねぇてめぇが、神を名乗ることがおこがましい! 神は唯一無二、我らが神そのひとだけだ!」

「おぉぉ、怖っ。さてはキャラ作ってたなぁ? もう、そういうのはアリスだけで充分だぞっ、と」

 翼を広げてウリエルが肉薄する。そして後ろに回ってアリスのことを抱き締めると、勢いよく飛び上がった。トランプの壁も蹴散らして、ずっと高く飛び上がる。

「てめぇのその頭、またぶっ潰す!」

「何、何? 何する気?!」

「“エンジェルバスター・スープレックス・ヘヴゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥンズ、バスタァァァァァァァァ”!!!」

 上空から折り返し、急降下。地面に向かって一直線に飛ぶ。そして地面に激突するかしないかのところでアリスを離し、地面に叩きつけた。アリスの首が、地面に埋まる。

 勝利の雄たけびを上げたウリエルは、首がすっぽり埋まってしまったアリスを見て笑う。だがそれはすぐに凍結され、酷く歪んで固まってしまった。

 アリスの体が、ハトの群れになって飛んでいく。ハトはウリエルなど無視してよその方に飛んでいってしまい、ウリエルはアリスを探す。だがアリスはすぐ側にいた。大きく広げた、翼の後ろだ。

 アリスの手刀が、ウリエルの翼を両断する。結界も何もなく刃なき手に両断された翼は落ちて、ウリエルもまた地上に落ちた。

「バカな……一体、どうやってあの技から抜け出して……」

「最初から君が絞めていたのが私じゃなかった。そういうことだろう。さて、落ちた天使など目でもないが、どうしようかなぁ……」

 ミーリの方を一瞥する。天使の方が答えが出ていないようで、まだ手は差し伸べられていた。

 そのスキに、ウリエルは逃げようと脚を動かす。だがその瞬間、アリスの踵落としが炸裂してウリエルの頭を粉砕した。一撃で、果てる。

「ごめんなさい。あなたを逃がすと、今の私のご主人様の邪魔になるの。だから死んで。それに、もう充分楽しかったでしょ?」

 その場で脚を絡ませて、ドレスの裾を持ち上げる。そして可憐に、そして美しく、頭を下げた。

「またのご来場、お待ち申し上げております」

 

 

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