不思議の国のアリス
そこは戦場。
遠い遠い異国の地。周囲を海に囲まれた、絶海の孤島。その小さな島の覇権をかけての争いが、行われていた。
だが二つの勢力は、どちらも負けそうになっていた。新しくやってきた、三つ目の勢力に。
戦場は一面焼け野原。だがそこを埋め尽くさんばかりの血の海が広がろうとしていた。人間にはこんなに血が流れていたんだと、思わざるをえない。そんな血の海を広げた軍団を仕切っていたのは、一人の少女だった。
トランプの数字とマークが刻まれたドレスを着た、ウサギの耳のように頭にスカーフを巻いた少女。彼女と彼女が率いる軍勢は武装しておらず、だが人間相手に無敵を誇っていた。
そんな彼女達が砦にしたのは、人間達が使っていた要塞。その上階から、彼女は戦場だった場所を見下ろしていた。
「つまらない……つまらなぁぁいっ!!」
「ニャア、そんなことを言われてもニャア……ここに進軍しようって言ったのは姫だニャア。僕はついてきただけ、斬ってるだけ。ま、それが楽しいんだけど?」
「オホホ! チェシャ猫さんたら随分たくさん倒してましたからねぇ! これはもう、楽しいったら楽しいったら!」
猫の耳に肉球までついた女性チェシャが、彼女の周りで消えたり出たり、帽子を三つ重ねて被ったピエロが彼女の周囲で杖を振り回して踊る。
だが彼女はこのつまらない状況に不機嫌で、今にも目の前のピエロを斬りつけそうになっていた。
「うぅ……もう。人間はもうどっちも、戦争止めたのかな」
「やめたっぽいよ? もうどっちの軍も引いちゃったニャア。姫が両方の大将の首、
「まったく、人間とは脆いものですねぇ! 首を失えば動かなくなる! 心臓があるというのに死んでしまう! まったくなんと、なんと脆いのか! オホホ! オホホホホホ!!」
そんな三人の元に、どこからともなくティーポッドが飛んでくる。蓋を開けて現れたのはネズミサイズの小さな女の子で、眠たくて重くなっている
「姫、この島に人間が上陸してきたよ」
「何? 人間達が新しい戦力でも迎えたの?」
「それがそうでもないみたいなんだけどねぇ……向かったトランプ兵達が一掃されちゃった」
三人の目つきが変わる。
とくに姫と呼ばれていた彼女の変わりようったらなくて、強いのが来たと口角を持ち上げた。ずっと座りっぱなしだった腰を持ち上げ、その場から飛び降りた。
ビルにすれば五階に相当する高さから飛び降り、着地する。そうしてナイフの刃の方を握り締め、自分の掌を切って血を流し、空から巨大な剣を振らせる。それを自分に合う大きさにすると握り締め、大きく大気を斬って振るった。
ドレスの裾を持ち上げる勢いで回り、剣で宙を
そしてその頃、上陸した人間もまた歩き出していた。人数は五人。だがその背に背負われている箱も合わせれば、数は六人であった。
周囲では、トランプの数字とマークが刻まれた鎧を身にまとった戦士達が倒れている。全員熱を持つ剣に貫かれ、地面に串刺しになっていた。熱で鎧は溶け、中から出てきている赤い体液が蒸発している。
「ここが師匠の言ってた島……来たはいいけど、戦争やってないじゃん。せっかくやる気満々で来たのに」
「戦争やる気満々ってどういう心境なの? ミーリ、あなたスカーレットの好戦的なところがうつったんじゃない?」
「やめてよ、ロン。俺は修行をするためにここに来ただけだよ。やる気満々なのは、修行の方」
そうかしら、とロンゴミアントは槍脚で進む。まだ息があった兵士がその脚を掴もうとしたが躱され、その腕を貫かれた。血を流して、力尽きる。
その様を見たウィンは帽子のツバを深く被り、噛んでいたガムを膨らませた。
「トランプの数字にマーク……まるでおとぎ話の世界だぜ。最近そんな奴らが来たから、なんか頭がそっちになってるな」
「もしかしたら、そのまさかかもしれませんよ。この兵士達、霊術の類に似た霊力を感じます」
「ネッキーが言うなら、そうなんだろうね。ここに神様がいるってことなのかな」
隠れていた兵士達が、ミーリ目掛けて襲い掛かる。だがすぐさまネキのツルに絡め取られ、ウィンの銃弾に頭を吹き飛ばされた。
落ちた兵士の亡骸を見下ろして、同行していたドゥルガーがここでようやく口を開く。彼女が
「ミスターミーリ。もしこれが神の霊術だとすれば、これはその神の逸話が元になっているはず。なにかこのマークに心当たりはありませんか?」
マーク自体に見覚えはもちろんある。かの有名なカードゲームのマークだ。それをドゥルガーが知らないのは、彼女がそのカードゲームが生まれた年代に眠っていたからである。
そしてトランプの兵士となれば、それはもうあの童話のあのキャラクターしかいないわけなのだが、果たしてあのキャラクターが神になるだろうか。それは考えにくい。
だがこれまで会った童話の魔神ともなれば、指輪をなくした一二人の狩人に魔法が使えるシンデレラ。そして何より、戦えてしまう全身真っ白の白雪姫。どれもこれも歪んだ形での転生だ。今回も歪んでいるのかもしれない。
その憶測が当たりだと、ミーリはすぐ知ることとなった。
「君達かい? この島に上陸したよそ者っていうのは」
見上げた方向にいたのは、一人の少女。その側にはピエロと猫のような女性。そして浮かぶティーポッド。そのほか数十体の兵士だった。
そして呼んだのは、真ん中の少女だった。見ただけではわからない。感じることでわかる霊力の量、そして質。それは名のある神――ドゥルガークラスと同等かも知れないと思わされた。
「おぉ、おぉ、おぉ、おぉ! てめぇら随分とバカみたいな霊力を出してるじゃないか! でぇもぉ、しょせんはただの人間……私を楽しませられるかしら」
「あの子、キャラまとまってないんだけど」
「まったくね。でも強いわ、油断しないでミーリ」
「へぇミーリって言うんだぁ……ふぅん、へぇ……」
「そうだよ、俺はミーリ・ウートガルド。君は誰?」
よくぞ聞いてくれましたと、少女は飛び降りる。そして手にしている剣でその場の空気を薙ぎ払い、斬り裂き、吹き飛ばした。
軽くやってみせてはいるが、相当なことだ。ミーリもできるが、それにはそれなりの霊力がいる。
「聞けぇい! 我はアリス! イカれた人間と動物とトランプの国、
何故か和テイストな自己紹介。だがなんとなく、この少女のことは嫌いになりそうになかった。そんな印象を受ける。
だがやはり歪んでいた。トランプの兵隊となれば不思議の国のアリスでも狂った女王が従えているものだったが、まさか敵でもあるアリスが従えているとは。しかも姫になっているしで、もうツッコミどころ満載である。
このまま跳び六法とかしてきそうな勢いのお姫様に、ミーリは頭を掻きながら訊いた。
「この島で内乱やってるって噂聞いてきたんだけど、もしかして終わっちゃった?」
「内乱? あぁ戦争なら、俺が両方の大将の首取って、大人しくなっちまいやがったぜ! 私はここには道楽のために来た……戦争をしていると知って、何かおもしろいことないかなぁテイストでここに来て、でも期待を裏切られた。だから退屈なんだよぉ! 僕を楽しませてくれ! ミーリ・ウートガルド!!」
剣でもって襲い掛かる。だがミーリに届くまえに間にロンゴミアントとネキが入り、槍脚とツルで剣を止める。さらにウィンが横からこめかみに拳銃を突き付け、発砲した。
銃弾は非情にも、少女の頭を撃ち抜く。空いた穴から
あっけなく、決着が着く。
「その程度でうちの主人に向かってこうなんて、笑い話にもならねぇよ」
銃口から上る煙を吹き消す。だがそんなウィンの後ろで、ミーリは霊力を巡らせていた。そしてとっさにロンゴミアントとネキの肩を掴んで後退した。ウィンもそれを見て、反射的に身を引く。
だがそれと同時に剣撃が一閃し、ウィンの服を撫でるように斬り裂いた。後退したウィンは背後に数十の銃口を出し、一斉に射出する。だがそれは跳んで躱され、距離を取られてしまった。
「どうなってやがる。確実に脳みそぶっ飛ばしただろうがよ」
「不死身の神様なのかもね。だったら……ロン!」
「えぇ!」
レーギャルンの武装を解き、ロンゴミアントの手を握る。自分の上で逆立ちしている彼女と口づけを交わし、紫色の槍を握り締めた。
対してアリスは首を鳴らす。頭に風穴が開いたまま、血を垂らしたまま、ウィンの服を掻き切った剣の刀身を舐め、次の一撃を狙っていた。
「レーちゃん、ボーイッシュ、この子の動きを止めてくれる? ネッキーとドゥルさんは他をお願い。俺がこの子を仕留めるから」
ネキが大地からツルを伸ばし、ドゥルガーが突進する。アリスに加勢しようとする兵士達を蹴散らし、ピエロや猫をも足止めした。
レーギャルンは剣を複製して並べ、ウィンは銃口を現出する。そうしてアリスとミーリを取り囲み、いつでも発射できる態勢を整えた。
だがアリスは口角を持ち上げる。そうして剣を振り回し、霊術を詠唱した。
「遠くに見える私の未来。それは赤? 白? 青? それとも黄色? もしもその未来が僕の知らない色だったら、僕は私の色で染め上げよう。我の仕立てた服を着せて、帽子を被せて、ネクタイで首を絞めてあげよう。それがアリスの未来のあり方。おまえの未来のあり方は? 一体どんな形かしら! “
詠唱が終わっても、霊術が発動した感じはない。何か炎や氷がでるわけでもないし、特別霊力が上がるわけでもない。ただ詠唱が、終わっただけだった。
だがそれでも、アリスは斬りかかってくる。大きく剣を振って斬りかかり、襲い掛かってくる。
だがそんな大振りの攻撃を躱すなど、ミーリからしてみれば容易いこと。少ない動きで躱すと槍で受け、そのまま槍を振り回す勢いで
肩から脚にかけて、縦一直線に斬り裂く。斬り裂いた――はずだった。
だがアリスの体に傷はない。血は一滴も出ておらず、気絶も何もしていなかった。平然と、槍の切っ先を握り締める。怪しく口角を持ち上げて、そして斬り裂いた。
『ミーリ!』
とっさに後ろに引いたため、致命傷は避けた。だが肩から脚にかけて斬り裂かれ、血が流れる。浅い傷口とはいえ、出血が酷かった。すぐさま、吸血鬼の血が発動して傷を塞ぐ。
「今、斬れなかった」
『無敵化の霊術? なら時間制限があるはずよ。それまで回避に専念なさい』
「でも……」
アリスは指を数度曲げて挑発してくる。おまえも一撃当ててみろ、そう言いたげだ。
「ロン、次の一撃全力で行くよ、いいね」
『えぇ。私はあなたの槍、必ずあなたを勝たせてみせる!』
紫の槍が緋色に変わる。空を裂き、真を貫く。霊力を全身に回して強化し、大きく後ろに跳躍した。体勢を低くし、突撃の構え。そしてアリスの目が追いつかない速度で肉薄し、その肩を貫いた。
そのままレーギャルンとウィンの包囲網を破壊して突進し、大岩に叩きつけた。貫かれた肩から血を流し、アリスは笑う。
「すごい一撃。でもね、私は――」
槍を掴んで、硬直する。そこから流れ出る霊力が、傷を抉る霊力が、アリスの背筋を逆撫でた。ゾッと悪寒が走る。
アリスは察したのだ。この霊力は、自分の不死身の能力を掻き消してくると。確実に、殺されると。
「あなた、この槍……まさか……」
「不死身殺し、この槍の能力だよ。まえに不死身の吸血鬼だって殺したことがある、不死身の神様を殺す力。君の不死身も、殺してみせるよ」
「この力で、あなたは誰を殺す気なの? こんな力、普通必要ない。過剰な力よ」
「殺したい奴なら、いるけどね。俺は、あいつを殺す。絶対に殺す。そのためだったら、俺はどんな力でも手に入れるよ」
しばらくの沈黙。姫が串刺しになっているとあって、猫やピエロもドゥルガー達が攻めずにいると静かに見守った。
その空気を壊したのは、姫アリスの笑い声。何がツボだったのか大笑いで、恐れを抱いていたはずの槍も握り締めて笑い出した。
「いいわ! いい! あたしの負け! もう、あなたおかしいわ! 誰かを殺すと誓うとか、もう子供みたい!」
「ちょっ……子供って」
「子供よ。何かあったか知らないけど、人を殺すと誓うほど馬鹿なことはないわ。生涯、楽しんだ人の勝ちなのよ? いいわ、私あなたについて行くって決めた! あなたに生きるってことがなんなのか、教えてあげる!」
「ニャ、ニャア? ちょっと姫ぇ……」
「オホホ、これはこれは……」
「うぅ……姫のわがままが始まりそうだ」
槍を引き抜き、剣を捨て、片膝をつく。そうして忠誠を表すと、ミーリの手を取ってその甲に口づけした。
「ミーリ・ウートガルド。アリスはアリス。不思議の国のアリス。あなたに人生の悦と楽を教えるため、あなたの傘下になる童話の魔神。この剣は、あなたに預けるわ。上手に、うまく扱って頂戴」
「ちょ、ちょっとタンマ、俺は……」
「考えて。ここで私を仲間にしておけば、あなたの言うその人をより確実に殺せるのではなくて? そうなれば、あなたは万々歳。なんの文句もないでしょう? ね、ミーリ」
言い返せなかった。
事実、もし不死身の神様が味方にいればなんて考えていた時期で、アリスはとても欲しい戦力だった。実力は未知数だが、この島の人間相手に圧倒できるなら文句はない。何せこの島は古来より、多くの神殺しの血族が住まう島だ。実力は折り紙つきである。
それにここで仲間にできれば、面倒なことなくこの島からこの不思議の国の住人を移動させることができる。一石二鳥ともなれば、もう文句はなかった。
「わかった、いいよ。アリス、君を俺の軍に加える」
「軍?」
「神を討つ軍。俺があいつを倒すために作った、小さな軍隊だよ。アリス、君をそこに迎え入れる。俺のために戦って」
「……おぉ!」
こうして、アリスは神を討つ軍に入った。チェシャ猫やマッドハッターらを説得し、いつか帰って来るからと約束して。まぁ元々狂っている彼らの説得は、大して力のいるものではなかったが。
そしてその日以降、アリスはミーリに色んなことを教えた。ゲーム、軍略、セックス。この世の悦楽の中で、アリスの思いつくものすべてを教え込んだ。
元々遊び人のような性格のミーリと彼女は気が合って、話も段々と合うようになっていった。相変わらずキャラは定まらなかったが、ミーリとの付き合い方は定まっていった。
故にアリスは思った。今の使命は、この青年が人生を楽しんでいきていけるようにすること。他人を殺すなどと下らない使命を帯びてしまったこの悲しい青年に、悦楽を叩き込むことだ。
だから死ねない。不死身の力を持っている魔神だけど、決して死ぬことは許されない。この人が、この青年が、人生を楽しめるようになるまで、決して。
目を覚ましたアリスの視界に入ってきたのは、光り輝く七つのラッパ。そして数が少なくなった天使達。もう日が沈みかけている空は青く、黒い。
それを見ている自分の姿といえば、全身の骨が折れて砕け、右脚と左腕からは骨が透けて見えていた。肋骨も二本、腹部から突き出ている。その姿は見るも無残。だがそれでも死ねないのが、持ち合わせている不死身の能力だった。
少し頭を持ち上げれば、一体の天使が見える。自分をここまで追い詰めた、大地の熾天使ウリエルだ。勝利したつもりなのか、大声で雄たけびを上げている。まったく、気の早い天使だ。まだ敵は、死んでいないというのに。
よろめきながら立ち上がり、突き出した肋骨を無理矢理腹に押し込む。大量に吐血しながらその血を手に被せ、その血を元に剣を呼び出した。
「おまえ、まだ生きてたのカ。仕方ナイ。次こそキッチリ殺してやるヨ」
「ねぇ、あなたは生きることを楽しんでる? 楽しめてないのなら、私と一緒に楽しみましょう? 開いてあげる。最高のゲームを」
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