絶体命令
神から天使への言葉は常に命令である。それに背くことはない。何故なら天使は神に忠実で、絶対の従属官。逆らうだけの力もなければ知性もない。そう、最初は。
天使には階級がある。
名前のない
そしてこの階級が高ければ高いほどより高貴で神々しい存在となり、神よりそれに値する力と知識が与えられる。
つまりは、少しの自由が与えられる。戦う自由、考える自由。その自由度は、もはや人間のそれに近い。だから遥か昔、天使は人間と共に生きていた。
だがその自由がいけなかった。考える自由を得た天使達は、神とはまた違った思想を持つようになった。そしてあろうことか、絶対であるはずの神に意見するものまで現れるようになった。
それは決して許されないこと。絶対であるはずの主に抗うことは、決して許されない。故に神は、意見した天使達を次々に地獄に落とした。天界から追い出し、二度と天に帰ることを許さなかった。
それが俗にいう、堕天使誕生のきっかけである。
だがそれは、神が最も恐れたことを引き起こすきっかけともなってしまった。最高位天使、熾天使の堕天である。それがルシフェルだった。
地獄を見ていたルシフェルは意見したのだ。
――神よ、何故我らの同胞を堕とすのです。あなたの素晴らしさをまた彼らに見せつければよろしいではありませんか
神は言う。
――それは叶わない願いだ。私に抗う思想を抱いた時点で、もう彼らは私のものではない。故に堕とす。天界に、我の意思に背く者は必要ない
――ですが……!
――くどいぞルシフェル、貴様も堕天したいのか
それ以降、ルシフェルは神に反旗を翻し、堕天使や悪魔を連れて天界に抗った。戦いの結果は、ルシフェルの敗北。だが神に致命傷を与えた彼女は神によって危険視され、悪魔や堕天使と共に地獄に封印された。
そして神は、二度と熾天使の堕天使を生まないよう、当時熾天使の中でも最強だったミカエルを機械の天使に変え、天使達にもより命令に忠実となるように術を施した。
それが現在の天使達。
だが神も知らなかった。ルシフェルが地獄で、堕天使どころか天使すら超えた存在になっていることを。その力はもはや、当時の神と同義。
そう、彼女は神様になっていた。熾天使でも六枚しか与えられない翼を、自ら一二枚にまで増やして。神として、第二の生を受けていた。
まぁもっとも、生を受けた最初は何かしらの作用で、最下位天使レベルまで力も知能も共に落ちていたが。
とにかく、今の彼女はもはや神。天使と言う階級を抜け出し、進化した存在。彼女の出す命令に、天使は誰も逆らえない。
「
一二枚の翼を広げ、そして霊力を溜め込む。すると半数の翼が変色し、シルクのような純白から漆黒の夜のような黒になった。
そして歌う。
万雷の喝采を浴びるほどの美声を震わせ、地上のすべての天使に聞かせる。その歌こそ、命令そのもの。歌詞そのものに言葉が入っているわけではないが、その歌声こそ命令だった。
命令する。この霊術を、術者たる主を守れ。
その命令が、七大天使を除くすべての天使に伝えられる。天使達は人々と戦うのを突然やめると、闘技場の上空を目指して飛び始めた。
その数、約三億。
そんな数の天使が一つの場所に集まるため、それはもう空に穴が開いて、そこから何か得体の知れないものが流れ出たかのよう。
闘技場の空は天使で満たされ、霊術のラッパの存在もあって一部真っ白に染まる。夕暮れの赤も霞むほど、そこだけが白く光っていた。
それを遠くから見たオルアは立ち上がろうとするが、脚に力が入らない。そんな弱り切った――しかもガブリエルを倒したオルアに向かって、数体の天使が襲い掛かる。
もうどうしようもないと諦めかけた。だが、オルアが生前から願いを告げていた神様は見捨てなかった。
「“
「“
獅子の頭をした光の盾と、八方向すべてに一斉に射出される銃弾とが天使達を阻む。弾き飛ばされた天使達の急所にことごとく銃弾が当たり、一撃で絶命させた。
「ミーリくん……」
「オルさんお疲れぇ。天使倒したんだね、すごいね」
「ミーリくんだって、倒したじゃん」
「まぁ……でもホラ、まだ倒さないといけないのがいっぱいいるからさ」
ミーリの言う、いっぱいは今空にいた。約三億の天使が、危険な奴が来たという目をして警戒している。そしてそんな彼らを、ヘレンの単眼は不思議な目で見つめていた。
「……ねぇ」
「うん?」
「あれ一掃したい?」
「そりゃあね」
「できるって言ったらやる?」
「もちろん」
「そう。じゃあやっていいわ」
「でもどうやって――」
ミーリの上着を頭にかけて、手の甲に口づけする。ヘレンは下位契約でその姿を消し、そして顕現した。
上着を改めて肩にかけ直したミーリは、そのオーロラを掴もうとする。だが光の幕はすり抜けるだけで、まったく掴めなかった。
『これは掴む盾じゃない。女神アテナが肩にかけたオーロラのケイプ。あなたを守る、星の外膜』
「これ、どうやって使うの……?」
『あなたなら使えるわ。あなたはきっと、アテナと同じだから』
と、言われてもなぁ……。
襲い掛かってくることもない相手に、そもそも盾でどうすればいいのだろうか。いや、もはや盾ですらないのだが。これはただの肩掛けだ。しかも肩掛けなら間に合っている。
まぁ今まで決勝戦で吹き飛ばされて以来、忘れていたのだが。だがこうして戻ってくると、やはりしっくりくるものである。大嫌いな親の形見だが。
とか言っている場合ではなかった。天使達が襲い掛かってきている。ミーリを危険視した天使の一部が、一斉にかかれば倒せると思ったのだろう。ミーリは銃で応戦するが、数が違う。
「ミーリくん……!」
オルアを担いで逃げようにも、間に合わない。霊術を使っても、
「“黄昏る獅子の金盾”」
オーロラの肩掛けが形を変え、ミーリの前に出る。大きく広がって獅子の頭に変わると、天使の攻撃をすべて受けた。
剣を曲げ、腕や脚を曲げ、炎を返す。襲い掛かって来たすべての天使は焼き尽くされ、白い灰へと姿を変えた。
一瞬で百を超える数がやられ、天使達はまたも警戒する。数では勝てないと知って、彼らはラッパを守ろうと身を寄せ合った。
「おぉぉ……」
『ホラ、使えたでしょう?』
「うん、すごい。さすが最強の盾……っていうか肩掛け? あぁ、でも……」
だがこの三億を一斉に消し去れるだけの力はない。まずこの力は、攻撃されなければ意味がない。攻撃されなければ、カウンターのしようがないのだ。ならばどうするかである。
「私がやる」
「……リエン」
聖剣と魔剣を携えて、リエン・クーヴォがフラフラな状態で歩いてきた。まだ決勝戦で削れた体力と霊力が戻っていないのは、見てわかる。
「リエン、無理しちゃだめだよ」
「オルア……今のおまえがそれを言うか。ハハ、私もまだまだだ……最強の座を、ミーリに渡してしまってよかった。肩の荷が下りるよ、まったく」
魔剣の霧を聖剣にまとわせ、光を灯す。なけなしの霊力を使っているのは明白で、灯している光を見る目が、まるで虚ろだった。
だが彼女は踏ん張り、剣を掲げる。構えるのは最強の一撃。今の霊力でどれだけできるのかはわからないが、やるしかない。だがその肩を、ミーリは叩いた。
「待った、リエン」
「止めるな……今の私には、これくらいしか……」
「そうじゃなくってさ。二人でやろうよ」
「二人……」
「リエン。俺に技打って。俺は女神の聖盾で、威力を倍にしてあっちに返す」
「攻撃を跳ね返す軌道を、変えられるのか? だが私が言うのもなんだが、私の全力を跳ね返せるのか。まともに喰らえばおまえだって……」
「ダイジョブダイジョブ。ヨユー、ヨユー。リエンのフルパワーでも跳ね返してみせるよ」
なんだかムカついた。
いやたしかに、ミーリならフルパワーの聖剣の一撃すら跳ね返してみせそうなのだが、それをはっきり言われたことに腹が立った。自信を持っておくにも持ちすぎな気がする。
それ故に負けてたまるかという気になって、その気力だけで霊力を補い、リエンは聖剣と虹彩の中に光を取り戻した。
「いいだろう……ならば今の私の全力で打ってやる。ちゃんと跳ね返せよ」
「オーライ、わかった。いいよぉ」
リエンから距離を取り、肩掛けを翻す。リエンは上位契約で聖剣から鎧を出し、腰には銀筒をぶら下げた。
「行くぞ、カラルド!」
『了解。マスターの全力に、応えましょう』
「“
「ヘレン。あの聖剣を返せる盾が欲しいな」
『できるわ。あなたが望めば』
ミーリもまた、肩掛けをまえに広げる。そして形作る。聖剣をも跳ね返す盾を。
「“
「“
光の幕が女神の上半身に姿を変え、猛進してくる聖剣の光を包み込む。そして抱き締めたその光を膨らませ、抱えきれないくらいになると、それを上空に向けて解き放った。
十数倍になった光が、天使の群れを包み込む。そうしてすべてを塵に変える勢いで柱となって
上位契約が解け、力尽きたリエンは気を失う。彼女を受け止めたミーリはオルアの隣に寝かせ、自分は光の塔に見入っていた。オルアもまた、上空の天使達の霊力反応を探知する。
「やった?」
「これでやれればいいけどねぇ」
ミーリの不安は的中する。
光の塔が消えると、そこにはルシフェルと七つのラッパが健在していて、彼女は真顔と言うかポカンとした顔でこちらを見下ろしていた。天使の群れを一撃で滅ぼした今の一撃に、驚いたようにも見えるが。
「霊力量、質、そして残留霊子から今の攻撃の二発目を計算……完了。今の一撃が相手の限界だった様子。二撃目の警戒、必要なし。了解」
自ら計算し、その回答に返答する。自問自答。そうして情報を整理したルシフェルは翼を広げ、舞うように飛ぶ。そうしてミーリ達の声が聞こえるところまで来ると、ゆっくりと首を傾げた。
「まだ、抗いますか」
「当然でしょ。あのラッパが、世界を滅ぼす霊術? 七つのラッパが同時に吹かれるときが、世界終焉のときって伝説かな」
「そう、これが命令された世界を滅ぼす霊術です。ミーリ・ウートガルド。もうすぐ世界は滅びます。あなた達が抗うことは、意味がないのです」
「そんなことないでしょ。だってそのラッパが吹かれるまえに全部壊しちゃえば、止められる。俺達はまだ諦めないよ」
「不適。不適です。あなたのその余裕そのものである態度が。この状況に対してまるで危機感なく、しかも止める気でいる。そのことが解せません。いくら計算しても、わかりません」
「まぁ諦められないってだけだよ。ここで世界が滅ぼされたら、あいつと決着つけられないからね」
「あいつ、決着……私には情報不足で、なんのことだかわかりません。それは、この事態を止めようとするほどのことなのですか」
「そうだよ。これは誰にも譲れない。たとえ世界が滅びたって、あいつと決着をつける覚悟だけど、本当に滅びちゃあできないからね。だから頑張るんだよ。目的のために、目標のために」
「……私も命令のためなら手段を選びません。それと同じですか? 生憎と、私にはあなたの言う目標というものがありません。天使には、あってはならないのです」
「今君は自由でしょ? 神様にすら近付いた――いや、なった。君は選ぶことができるんだよ。目標を持つこともできる。君は選択することができた。なのに君はまだ、命令に従うだけ? せっかく、選べるようになったのに」
「選べる……? 一体何を選択できるというのですか。この身は天界にいようと地獄にいようと、神様のもの。他の誰でもない、主のものなのです」
主のもの。
そう聞いたミーリは口角を上げる。その顔は俗に言う企み笑顔という奴で、その笑みを見たウィンはゾッとした。
といっても、恐ろしいという意味ではない。まさかそうするのかという変な予想がついてしまったということだ。
ミーリは一歩踏み出して、その企み笑顔を見せびらかす。
「君は言ってたね、強制的に命令されるのが当然。それが天使だって。今までがそうだったなら、すっごい不満があったと思うんだよね」
「何が、言いたいのですか?」
「その不満、俺なら解消してあげるよ。君に選択の自由をあげる。命令もそりゃするけど、そこにも反対する自由をあげる。俺は君に、自由をあげる」
「言っている意味が分かりません」
ミーリの手が伸びる。その手は何を掴むでもなく、ただ優しく差し伸べられた。
「次の主人は俺にしてみない? ルシフェル――いや、ルーシー」
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