夢遊病

 人格の名を、ヘレン・ウィクトーナ・リルシャナ。武器の名を、女神の聖盾アイギス

 彼女は夢遊病者である。だから寝るときは必ず靴を履いている。そして眠るのはベッドではなく、蓋のついた棺桶の中だ。たくさんの花に囲まれて、寝息を立てる。

 だがそれでも、彼女はフラフラと歩いていってしまう。箱を開けて、花々をどかして、おぼつかない足取りで行ってしまうのだ。

 行く場所は、べつにどこと決まっていない。あるときは公園のベンチだったり、とある料理店の厨房だったり、ときには魔物を飼う牧場の柵の中だったりした。

 とにかくどこへでも行ってしまうので、彼女を召喚した王宮はより一層城の警備を強化したという。

 そんな彼女が今いるのは、黄金劇場ドムス・アウレア近くのとあるホテル。王宮よりもガードはかなり緩い。なので抜け出すことは大したことではなく、ヘレンはこの日も寝ながら街を歩いていた。

 今日はケイオス開催九日目。

 試合はないが、明日が準決勝とあって盛り上がりはすごい。実際、準決勝と決勝だけでも生で見たいという人が多くて、シティはますます人が増えていた。物価も、このときだけかなり上がっている。

 そんななかでヘレンは、フラフラと歩き続けていた。歩いてくる人をのらりくらりと躱し、歩き続ける。しかしそれでも、肩の広い男の人とぶつかってしまった。対神学園・ガルドのエース、七枝伴次ななえだばんじだ。数人の後輩を連れている。

「んだてめぇ、俺にぶつかってくるたぁいい度胸じゃあ――」

 寝ているため、話も聞かず行こうとする。だがその周囲に後輩達が群がって壁になり、ヘレンの動きを止めた。

「おいおいおいおい、無視すんなや。てめぇどこの生徒だ? 見慣れねぇ制服だが――」

 ヘレンが伴次の胸に顔をうずめるように寄り掛かる。こういったときの女子に対する伴次の耐性は脆いもので、未だに女子と手も握ったことがないくらい心は初心うぶだった。

 どうしていいかわからず、ガチガチに固まる。

「んの野郎! 伴次さんに何因縁つけてんだコラぁ!」

「てめぇちょっと顔貸してもらおうじゃねぇかよぉ? おん?」

「ま、待ててめぇら……!」

 後輩達と裏腹に、緊張して固まる。肩を掴んでどかそうにも、肩が掴めない。指先が震え、息が乱れる。

 そんな伴次に助け舟を出したのは、グングニルの霜月子猫しもつきこねこだった。助け舟を出したというよりかは、単に後ろからものすごい勢いでぶつかっただけなのだが。

「おぉ! 誰かと言えば七枝先輩ではありませんか! こんなところで一体何をしているのですか?!」

「それはこっちの台詞だ、てめぇ! なんの用件があってこの俺にぶつかりやがった!」

「私は走っているのです! フルマラソンなのです! 四二.一九五キロなのです!」

「なんでそんな距離、んな街中で走ってんだよ! 迷惑だろうが!」

「シティは広いですから、調度いいのです! ところで、ナンパ中だったですか? 女の子と話してましたが!」

「んなわけあるか! シバくぞてめぇ!」

「兄貴! そういやさっきの女、いなくなってます!」

「あぁん?!」

 ヘレンはまたフラフラと歩きだす。人波をゆらりゆらりと潜り抜けて、少しずつ少しずつ歩いていく。そうして着いたのは道の真ん中にある噴水で、普段待ち合わせの場所などに使われる場所だった。

 ヘレンは噴水の縁に座り、そこで落ち着き始める。その隣にいるのは、対神学園・エデンの雪白白夜ゆきしろびゃくやだった。読書をしているため、隣に人が来たことに気付いていない。気付いたのは、ヘレンの頭が白夜の肩に乗っかってからだった。

 どうしよう……この人、寝てるよぉ……。

 白夜は内気な性格で、人に強く言うことができない。だから電車やバスの中でこうして寄り掛かって寝られればずっと黙って我慢しているし、レストランでは店員が側を通ってくれるまでずっと待っている。そんな男だ。

 でも白夜はなんとかしようと、肩をとりあえず揺すってみる。だがそれでも、ヘレンは起きない。でも起きてもらわなければ困る。これから人と会う約束をしているのだ。こんなところを見られたら恥ずかしくて仕方ない。

 白夜は今度は立ち上がろうとしたが、たったそれだけのことをする勇気が出なくて、結局立てなかった。とりあえず、本をしまう。

 でもどうしよう……どうすればいいんだろう。

 途方に暮れる。だがそんな白夜に、どこかの神様が一つの策を与えてくれた。

 それは思い切って、咳払いをしてみることだった。立つこともできない白夜としては、かなりハードルが高い。

 だがやるしかない。白夜の手が、震える。乱れる呼吸を必死に整え、そして大きく息を吸って、背中を丸めてした。渾身の咳払いを。

 だがダメだった。まるで起きる気配がない。かなり大きな咳払いをしてしまったことと、それでも起きなかったこととが交差して、白夜はこれ以上ない恥ずかしさに打ちのめされた。

 どうしよう……どうしよう、どうしよう、どうしよう?!

 頭を必死に悩ませるが、いい案は浮かばない。神様ももう策を出してくれる様子はない。困った、本当に困った。

「びゃぁくや!」

 来た、来てしまった。来たのは対神学園・グリムの風音凛々ふぉんりんりん

 実は白夜とは幼馴染の仲で、凛々も元はエデン志望だった。しかし残念ながら受からず、代わりにグリムで受かったのだった。ちなみに歳は白夜の方が二つ上だが、彼女はため口である。

「どうしたの? そんな暗い顔して」

「凛々、いや、あのこれは……!」

「これ? ……これって、どれ?」

 白夜はふと気付く。自分は今立っているということに。あの肩に頭を置いていた彼女は、いつの間にかいなくなっていたということに。白夜は今になって気付いた。

 ヘレンはまたフラフラと歩く。今にも倒れそうなくらいに体を揺らし、トボトボと小さな歩幅で進んでいく。

 そうして次に辿り着いたのは、とあるテラスのある喫茶店。そこの空いている席に座り、何故か置かれている紅茶を飲む。そしてしばらくぼんやりすると、また立ち上がって行ってしまった。

 それは、対神学園・アンデルスのアスタ・リスガルズの席で、手洗いから戻ってきた彼はお茶がなくなっていることに驚いた。同じ席でお茶を飲んでいて、今同時に戻ってきたフロウラ・ミッシェルを少し疑う。

「どうしました? アスタ」

「いえ、何も……」

 フラフラと、まだ歩く。もうホテルからかなり歩いた。だが歩く。そうして辿り着いたのは、というよりぶつかったのは、一人の少し広めの背中だった。ミーリだ。

「?」

 ヘレンが寄り掛かっているため、振り返ることができない。振り返ろうとすればヘレンが倒れてしまいそうなのを感じて、振り向けなかった。無論、寄り掛かっているのがヘレンだとはわかっていないが。

 どうしよ、この状況……。

 実は今、リエンと待ち合わせ中。こんな姿をリエンに見られては、少しややこしくなりそう。まぁそこまで気にはしないが、ちょっと面倒なのは回避したかった。

 そこでミーリは、仕方なく体力を使う。一瞬だけ前傾姿勢を取ってヘレンの姿勢を崩すと、勢いよく振り返ってその肩を捕まえた。

「あ、なんだ……ヘレンか」

 寝てる? 寝てるの? 夢遊病とか言ってたけど……。

 頬を軽く数度小突くが、起きる様子はない。ミーリは仕方なく、ヘレンを背負ってリエンを待った。

 そんな状態のミーリに会ったのだから、リエンとしては困惑である。遠目でミーリを見つけたその瞬間に、想像していなかった体勢だったため目を一度疑った。

「ミーリ・ウートガルド……」

「おぉ、リエン。来たね」

「なんだ、その背中の子は」

「まぁ、話せば少しだけ時間がいるんだけどね?」

 夢遊病の神霊武装ティア・フォリマ、ヘレンのことを話しながら目的地に向かう。そこはとあるホテルのレストランで、ミーリはヘレンを自分に寄り掛からせた。

「そうか……彼女が進呈される神霊武装なのか……だがすでに、ミーリ・ウートガルド、おまえにベッタリだな」

「今はただ肩を貸してるだけだよ。まだ優勝は、わからないでしょ?」

 勝つのは俺だと言っていたではないか……。

 そんなとき、ヘレンがようやく起きる。両腕を高く上げて背筋を伸ばすと、周囲を見渡してミーリと目を合わせた。

「おっはぁ、ヘレン」

「……あなたが連れて来たの?」

「このレストランにはね。でも俺にぶつかってきたんだよ? よくここまで歩いてきたね」

「今日は南風が吹いていたの。だから北の方に歩いてきたの。だって彼、少し耳元で騒がしいんだもの」

 まったくもって言っている意味がわからない。なんだか不思議度が増している気がする。もしくはまえ会ったとき、まだ不思議度を抑えてくれていたのかもしれない。そんな気がした。

「今日はなんの集まりなの?」

「リエンの祝勝会。一緒に準決勝に出ることになったから、頑張ろうって意味も含めてね」

「ふぅん……そう。じゃあ私は帰るわ」

「一人で帰れる? なんだったら、一緒に食べない? 送るよ?」

「いいの。今日は靴の機嫌がいいから、散歩も兼ねてホテルを探しながら行くわ。そろそろ南風も静かになっただろうし」

「そっか、わかった。気を付けてね」

「えぇ、あなたもね。暁の空を飛ぶカラスには、気を付けた方がいいわ。起きたばかりで、機嫌が悪いから」

 そんな不思議な忠告をして、ヘレンはスタスタと行ってしまった。リエンは運ばれて来たコーヒーに手を伸ばし、すする。

「本当に不思議な少女だったな……」

「本当、占い師か何かかと思うよね」

 いなくなったヘレンの話はそれまでで、二人の話は昨日までのリエンの動向に移る。

 まとめると、リエンは一回戦を終えてからこっそり抜け出し、師匠のスラッシュの元へ。そこで湖の乙女の剣アロンダイトの力を使いこなせるよう特訓したがうまくいかず、そのまま二回戦に行ったらしい。そして、結果は知っての通り。

 どおりで部屋に行っても出ないはずである。だってリエンはずっと/の元にいて、部屋にいなかったのだから。メディアも張り損である。

 だからこうして表に出てきている今、メディアの目はすごい。今もこのホテルの周りには、多くのメディアがいる。出てくるのは今か今かと、カメラレンズを構えているだろう。

 まぁもっとも、対策はすでに打ってあるのだが。

「ミーリ・ウートガルド。私はおまえに礼が言いたい。闘技場で声援を送ってくれて、ありがとう」

「声援?」

 たださっさと勝ってとしか言ってない気がするので、ミーリはいいよと返した。何せまったく応援した気はないのだから、本当にいいのだ。運ばれてきたカルピスに口を付ける。

「準決勝、お互い大変な相手になっちゃったね」

「東の四人が残るとは、誰も思っていなかっただろうな。だが勝とう。私達なら、エデンの強敵だって超えられるはずだ」

「そだね」

「……ミーリ・ウートガルド。一つ約束をしてくれないか」

「何、決勝降りてってのはヤだよ?」

「無論、それはない。それよりも簡単な頼みだ。決勝戦、私と戦ってほしい。ラグナロクをどちらの手で最強にするか、その座を賭けて勝負してほしいんだ」

――今年の全学園対抗戦・ケイオスの出場、降りてくれないか

 そんなことを言っていた彼女が、優勝を決める戦いに出て欲しいと言っている。自分が勝つことも前提で、むしろミーリが勝つかどうかを不安視している。

 まったく大した成長である。一体夏休みの間、彼女はどう過ごしていたのだろうか。そんなことすら思う。

 上等ではないか。

「いいよ? まぁ結局勝つのは俺だけど」

「言ってくれる。大口を叩いて、ディアナ・クロスなどに負けるなよ」

「そっちこそ。決勝戦、彼が相手じゃ物足りないからね」

 ミーリとリエン、二人の拳をぶつける。二人で決勝を戦おう、そう固く誓い、約束したのだった。


  

 

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