vs ナルラートホテプ Ⅲ

 ミーリはジェットコースターに乗ったことがない。

 学園に入って修学旅行に行くまで、テーマパークの類に行ったことすらなかったからである。

 修学旅行に参加するのはこれで二度目なのだが、初めてのときはメリーゴーランドなどの他のアトラクションばかりを楽しんだ。そして今回も、いわゆる絶叫系に乗ることはないだろうと思っていた。

 大体何故、わざわざ恐怖で絶叫するために、何十キロという時速の乗り物に乗らなくてはならないのか。それが理解不能である。

 絶叫するほど恐怖したいのなら、神様と戦えばいいのだ。それが一番手っ取り早い。まぁ一般人としては、絶対に死なないという保証が欲しいのだろうが、それでもわからない。何故わざわざ、絶叫するための乗り物を作る。

 そんな考えを持っているミーリは、絶叫系が苦手であった。剣と違って自分で操っていないため、制御が効かない。そういう怖さがある。

 故に急降下に急上昇、急カーブと、すべてが急に動くジェットコースターの背もたれに、ミーリは必死にしがみついていた。お望み通り、絶叫中である。

 ロンゴミアントの声も、レーギャルンの声も届かない。ひたすら安全バーを下げようと、霊力と握力を振り絞っていた。だが途中、嫌な音が響く。見ると強すぎる力で、安全バーを折っていた。

 さらに声高らかに叫ぶ。

 結局最後まで絶叫しっぱなしで、心臓はバクバクだった。

「あぁ……あぁ……怖かった、怖かっ――?」

 止まらない。止まる気配がない。コースターは速度を保ち、二週目に入ろうとしている。ジェットコースターの停止装置が壊れているらしい。最悪だ。

 結局ミーリは抜け出せず、二週目も絶叫のままスタートしてしまった。

 その様を、初めてユキナは空から見下ろす。

「ミーリ……ジェットコースター、苦手だったのね……」

 ユキナも初めて知ることだった。

 ミーリの絶叫が響く中、その絶叫に引かれるように飛び立つナルラートホテプ。大量の腕が絡まってできた片翼を広げ、ミーリの乗るジェットコースターに突進した。

 ミーリのいる先頭列車が、ナルラートホテプの突撃を受けて少し浮く。脱線しなかったものの、心臓がフワッと浮かぶ感覚に襲われ、ミーリは気絶寸前まで追いやられた。

 もう急降下中にも関わらず立ち上がり、槍を振り回す。だが急カーブにバランスを崩され、とっさに座席シートに槍を突き刺した。

 大口を開けて光線を溜め込んでいるナルラートホテプに向けて、複製した剣を射出する。翼の出ていない右肩に刺さった剣は、そのまま向こうのレールに押し付け叩きつけた。

 光線は空へ吐き出され、雲を焼き切る。

 そして次の瞬間にミーリは踏ん張り、三六〇度の回転に耐える。再び小休止の直線が来ると座り、槍を握りしめてまた踏ん張った。

 その様を見ていられないと、ユキナは飛ぶ。そして座っているミーリの顔面目掛けて脚を振り、思い切り蹴り飛ばした。

 ギリギリ手で受け止めたミーリだが、脚の勢いとジェットコースターの勢いとが交差して、吹き飛ばされる。二台先の列車まで飛ばされたミーリは四台目の安全バーを掴み、なんとかしがみついた。

「もう離したら? ミーリ、ジェットコースターダメなんでしょ?」

「パートナー、置いていけるわけ、ないでしょ……!」

 先頭の列車に突き刺さったままの聖槍を見下ろし、吐息する。そしてそれを引き抜き、ユキナは投擲の構えを見せた。

「ちゃんとキャッチしてよ?」

「待って! 待って! 投げないで! 今取れる自信ない!」

「何言ってるの、パートナーなんでしょ?」

『お生憎、あなたの手を借りるような関係ではないわ』

 槍化を解き、ユキナの手を握りしめたまま回る。踊る槍脚でユキナに斬りつけ、列車から足を踏み外させて宙に置いていった。

「お節介な人ね」

 ジェットコースターが揺れる。その揺れでバランスを崩したロンゴミアントは槍脚を滑らせ、列車から半身が出てしまった。必死に座席にしがみつく。だが度重なる重圧と風圧に腕の力が奪われて、急カーブで手を離してしまった。

 吹き飛ぶロンゴミアントを追って、ミーリも手を離す。代わりに複製した剣を握り締め、ロンゴミアントに向かって飛んだ。

 ロンゴミアントの後ろに回り、抱き締める。背中から地面に着地して、背骨に深いヒビを入れた。全身が電流を流されたようにしびれる。

「ミーリ!」

 全身の痺れが取れない。背骨を傷め、脊髄せきずいをやってしまったらしい。指一本動かせない。

 そんな状態のミーリに口づけし、ロンゴミアントは契約によるパスで霊力を流し込んだ。応急処置だ。これで確実に、どうにかなるわけではない。

 だが与えられた霊力に呼応して、吸血鬼の血が発動した。秒速で脊髄を完治させ、伝達信号を通わせる。その信号を受けて動き出した手がまずしたことは、ロンゴミアントの頭を撫でることだった。

 その手に握られる槍となって、ロンゴミアントは紅色に輝く。さらにミーリはその槍に口づけし、立ち上がると同時に天地を掻く勢いで振り回した。

死後流血ロンギヌスの槍。行くよ、ロン」

『えぇ。私はあなたの槍、必ずあなたを勝たせてみせる!』

 紅色の聖槍を握り締め、一気に加速する。人の腕が絡まってできた巨翼を羽ばたかせて突進してくるナルラートホテプに肉薄し、剣を複製した。

 射出される剣の群れを、翼に生えている無数の目から放つ光線で撃ち落とす。爆炎と煌炎に目の前が包まれて視界を奪われたナルラートホテプに、紅の槍が突き刺さった。

 巨翼の根元に突き刺さった槍から、霊力が溢れ出す。紅色の閃光を弾かせ、槍はナルラートホテプの巨翼を抉り切った。

 絶叫するナルラートホテプに、思い切り頭突きする。彼女は黙り、フラフラと頭を揺らし始めた。

 まだ回している目で、ミーリを見つめる。するとその視点がミーリ一点に絞られたとき、初めてミーリを見たかのように目を見開いた。そして徐々に、その頬を赤くする。

 そして絶叫していた口はまた開き、小さな声帯を震えさせた。

「は、はは、はぅぅ……ふぅぅん……」

 カワイッ!

 どもってしまってはいるが、鈴のような小さく可愛らしい声だった。敵の殺意すら消し去ってしまいそうな、か細い声。その声に、ミーリは正直やられてしまった。

 思わず距離を取り、槍を再度構える。

「あ、あああ、あの……そ、の……」

 肩の傷が塞がり、少女はどもりながら、戸惑うように恥じらって、余った袖で自分の顔を隠す。だがそれも呪いの発動条件なのか、彼女の目の前に光が収束し、勢いよく放たれた。

 槍に貫かれ、二つに分かれた光線は左右のアトラクションを炎上させる。

 その後も彼女が頑張って喋ろうとすればするほど、光線が強く速く放たれた。そのことごとくをミーリは避け、切り裂き、貫き穿つ。

 だがさすがにキリがないと感じたミーリは思い切り地面を蹴り上げ、収束しつつある光線を切り裂いてナルラートホテプの肩を鷲掴んだ。

 少女はより赤面し、硬直する。すると光線まで硬直し、発射までの収束が停止した。

「はい、落ち着いて。息を吸って……吐いて……吸って、吐いて」

 ミーリの言葉に合わせて呼吸する。すると彼女はほんの少しだけ落ち着いたようで、ミーリの顔をジッと見上げた。そしてまた、頬を紅潮させる。

「ちょっとは落ち着いたかな」

「あ、あぁ……あ、なたは、わ、わわ……だ、誰で、すか」

「俺? 俺はミーリ・ウートガルド。君はナルラートホテプ、でしょ?」

「あ、あ、ああ、あぅぅぅ……」

 再び光が収束し、放たれる。それを背を逸らして躱し、ミーリは危なっ、と息を切らした。

「あ、あ、あ……は、離、離れ、てくだ、さ、さい……わ、わた、たたし……こ、攻撃、し、しししし、しちゃ……!」

「大丈夫、落ち着いて、落ち着いて。俺は、まぁ敵じゃないって言ったら微妙だけど、一応悪者じゃあないから。ね?」

「あ、あ、うぅ……」

 モジモジと手を動かし、俯いている顔を隠そうとする。長い袖もカーテンのようになって、より顔を隠した。

 だがそれを、ミーリは優しく払いのける。そして袖の向こうに隠れようとしている彼女の頭を、そっと撫で回した。

 ナルラートホテプの周囲で収束していた光が、再び停止する。それどころか拡散すらして、溜め込んでいた光をすべて消してしまった。

 ナルラートホテプの顔が真っ赤に茹で上がり、本当に湯気が出た。そんな彼女と視線を合わせるため、ミーリは片膝をついた。

「君に訊きたいんだ。君に君が興味を持ったものを破壊するという呪いがあるのなら、それを解いてあげたい。その術を教えて欲しい。俺に、教えて欲しい」

「……も、もし、そ、そそ、それが、な、かった、ら……?」

「そのときは、君を殺す。俺のために、人類のために、世界のために、君のために、君を殺す。確実に、貫き穿うがつ」

 一体どこの誰だろうか。

 君を救うと言いながら、救う術がないのなら君を殺すと、断言できてしまうこの人は。この温かくも冷たい人は、一体どこの誰なのだろうか。

 その温かさと冷たさの双方を持つこの人間を知る、とある女性はこう言った。

――あいつはバカだ。バカ正直すぎる。世の中には優しさから出る嘘もあるというのを知っているのに、いざ自分がその場に立つと嘘をつけない。まぁ私個人としては、嫌いではないがな。そのあまりにも正直すぎるバカさ加減に、惚れる奴もいるだろうし……この場合に言うは、言葉の通りバカにしているという意味ではなく、それしかできない単純という解釈で取られるべきなのだろうな。

 嘘をつかない。それは一見、絶望を直接的に見せつける残虐な行為として、成り立つこともあるかもしれない。

 ただし、逆に言えば嘘をつくという行為が、確実に来る絶望の実感する機会を、先延ばしにしているということになる。

 そう考えたとき、果たしてどちらが残虐な行為なのか。

 絶望を知らせるのが吉か、絶望を知らせぬのが吉か。それは人によって違えど、どちらかが残酷的に映るのは確実である。

 そしてこの場合、この状況下においていえば、ミーリの嘘をつかないというこの行為は、ナルラートホテプには優しく映った。

 術がないのなら、自分のために殺す。そう断言できる心の面が、術があるのなら絶対に助けるという自信の現れのような気がして、大きな信頼を築くのには、充分すぎる材料となった。

 嘘をつかず、断言する。ときによっては残酷な選択となるそれが、今の彼女にとっての希望となったのだった。

「め……め、目を、目を、破壊、する。呪いの、混沌の、目……混沌の目、を、破壊、する……すれ、れれ、ば……」

「よし来た」

 ナルラートホテプが絶叫する。その膨大で甚大な霊力に吹き飛ばされて、ミーリは脚が止められているベンチにぶつかって踏ん張った。

 ナルラートホテプの背中から、無数の人の腕が伸びる。それは絡まって伸び続け、やがて大きな二股の尻尾になった。さらに両肩から左右それぞれ人面が出てくる。怒りと悲しみの表情を浮かべたそれは、ナルラートホテプの周囲を散開した。

 額に血眼を浮かび上がらせて、ナルラートホテプは続き、絶叫する。その絶叫と共に背中からさらに腕の集合体である翼が生えて、大きく羽ばたいた。

 際限のない進化と、それによって変わる姿形。混沌魔獣ケイオス・ビーストと呼ばれる所以であろうその能力で変わった姿は、また異形のものであった。

 まさに混沌、である。

 呪いは目の前の敵を迎撃すべく、ナルラートホテプに踏ん張らせる。そして二股の尾の間に光を溜め込み、咆哮と共に発射した。

 ミーリのいたベンチが、粉々に粉砕される。だがそこにミーリの姿はなく、ミーリはいつの間にか、燃えるメリーゴーランドの上に飛び乗っていた。

「危なかったよ、フィーさん」

 風に乗って、シルフィードとウィンが飛んでくる。

「間に合ってよかったです」

「ミーリ、奴が話してた混沌の魔獣か? 随分とおっかねぇな」

「ちょっと色々あるみたい。今からあの子助けるんだ。ボーイッシュ、力貸してくれない?」

「おぉ? それは何か。まさか俺と、上位契約しろって話か?」

「うん」

「……おい、シルフィード。ちょっと目ぇ逸らしてろ」

「?」

「いいから逸らせ! ぶち抜くぞ、頭!」

「は、はい」

 シルフィードが目を逸らすと、ミーリの手と背に武器としている二人にも威圧的視線を送る。そして二人も目を瞑り、誰も見ていない状態にしてから、ウィンは帽子を脱いだ。

 そしてその帽子で口元を隠し、傍から見えないようミーリと口づけする。新たに繋がったパスはミーリに霊力を与え、ロンゴミアントとレーギャルンの武装を解き、ウィンの姿を消した。

 ミーリの手に、銀色の細長い銃が握られる。さらにその周囲にも計八丁の銃が並び、円を作るようにして回転した。

「上位契約・魔弾の射手デア・フライシュッツ……さて行こうか、ボーイッシュ」


 


 

 

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