架空支配者の一柱

vs ナルラートホテプ 

 お兄さん……。

 誰かに呼ばれ、誰かに口づけされて目が覚めた。

 光線によって貫かれた胸部の傷は塞がっていて、意識もはっきりとしていた。不死身である吸血鬼、ブラドから与えられた血の効力が発動したのである。

 即死級の致命傷ですら回復する代わりに大幅の体力を消耗するが、死ぬよりはマシだ。

「マスター!」

 起き上がったミーリに、レーギャルンが跳びつく。ロンゴミアントも目の奥に溜めていた涙を拭い、そっとミーリの胸元に額を押し当てた。

 小さい頭と紫の頭を、同時に撫でる。そうして二人が落ち着くと、自分が倒れている間のことを訊いた。

 ミーリを倒したことにもなんの関心も示さなかったナルラートホテプは、その後しばらくしてからこの洞窟を出て行ったそうだ。その後のことは二人共、ミーリのことをずっと看ていたのでわからない。

 それを聞いて、ミーリは即座立ち上がった。

 ロンゴミアントを抱き寄せて、横髪を掻き上げ、顎を持ち上げ、口づけする。槍脚を揃えて消えていく彼女の中から一本の槍を掴み取り、天地を掻く勢いで振り回した。

「上位契約・槍を持つ者ロンギヌス。急がなきゃ。あの子、一体何するのか見当がつかない」

「はい」

『! ミーリ!』

 槍を突き立て、剣撃を受ける。その剣を握る女性の頬を裏拳で弾き、槍を引き抜いて斬りつけた。

 斬撃を剣と籠手で受けきった彼女は、裏拳を喰らった頬を拭い、血の塊を吐き出す。そして改めて剣を握りしめ、ミーリに切っ先を向けた。

「誰、君」

 答える様子はない。

 ただ彼女から放たれている霊力と殺気が、ただ者ではないということを教えてくる。そして同時、彼女が人間ですらないことを感じ取った。

「邪魔しないでくれるかな。俺、ちょっと神様止めないといけないんだ」

「その必要はない。あの神は、ナルラートホテプは私達が止める。この島は、まだ沈まないだろう」

……? それに、私? 色々訊きたいんだけど。あの子を止めてどうする気なの? 神様」

「さぁな。だが彼女は、あの神を仲間に引き入れたいようだ。それでやりたいことがあるそうだが……それでこの島が沈むことになるのかどうかは知らん」

「彼女って?」

天の女王イナンナ。そう言っても、わからないだろう」

 いや、それはそれはどうもご苦労様です。

 そんな言葉が最初頭に出てくるくらいに、そいつのことは知っていた。いや、そいつ自体のことは、正直そんなに知らないかもしれない。知っているのは、そいつに成り代わっている、黒髪白肌の少女のことだった。

 あいつが何を目的にして、あの混沌の魔獣を仲間に引き入れたいのかは知らないが――いや、大体の想像はつくのだが、正直想像したくない。

 いつか強くなったミーリと戦う、最高の舞台を創ってあげるの! 

 とかなんとか考えてるに違いない。あぁもう、こうして想像できてしまうのが悔しいところである。

 だが、それくらいのことだけを考えてる奴なのだ。一つのことで頭をいっぱいにできる、幸せな奴なのだ。そんな奴だということを知っている。

 あいつは――ユキナ・イス・リースフィルトは、そういう奴なのだ。

「君、大変だね」

「もしかして知り合いか?」

「まぁね。俺の名前言ったら、確実に何かしらの反応をすると思うよ」

「……名を聞こう」

「対神学園・ラグナロク四年、ミーリ・ウートガルド。ユキナの彼氏だよ。君の名前も聞きたいな」

「スサノオだ」

「……ユキナのこと、よろしく頼むよ」

「敵に頼むとは、おかしな男だ」

 スサノオは剣を引く。

 その刀身がすべて鞘に収められると、ミーリも槍を引いた。お互い、ふと溜め息が漏れる。

「そうか。おまえがミーリか」

「俺のこと知ってんの」

「ユキナといれば誰でも知ることになる。彼女の話の大半は、おまえでできているからな」

 恥ずかしい……きっとあることないこと吹き込まれてるよ。だってユキナだもん、あの。

「で、ユキナは来てるの?」

「無論。今回の奴の目的は、ナルラートホテプの勧誘だからな。今頃言語が通じるかわからない相手に、おまえの話でもしてるんじゃないか?」

 すべての一般人が船に乗り込んで出港し、島にはもうラグナロクの生徒しかいない。それでもなお張り続け、さらに大きくなったオルアの結界は、ついに島全土を包み込んだ。

 そのオルアの後ろで、数十人の生徒達がオルアに霊力を送り込んでいる。そうすることでオルアの結界は持続し、規模を大きくすることができた。

 これで島で何かあっても、その影響が外へ及ぶことはない。

 そしてその何かが、島の上空にいる二人によって起ころうとしていた。そのうち一人が、その場でクルリと回る。

「ミーリは本当に最高なの! だからお願い、ナルラート。私と一緒に来て、一緒に彼を殺してあげよう?」

 ユキナの惚気のろけ話を聞かされ続けたナルラートホテプだったが、実際話を理解できていないのか元々聞いてすらいないのか、まったくの無反応。というか、もはやユキナの方を向いてすらいなかった。

 ただひたすらに、雲をつかもうと手を伸ばしている。

 そんなナルラートホテプに首を傾げ、ユキナはわざわざその視界に入った。

「ねぇ? 聞いてるの?」

 一瞬、ナルラートホテプの視線がユキナを一瞥する。だがそれと同時、彼女の周囲で浮かぶ四つの人面が回転し、うち一つが口元に光を蓄えて、それをユキナ目掛けて発射した。

 一筋の光線が、明りの少ない夜を一時照らす。その光線はオルアの張った結界にぶつかると消えたが、それを受けた結界はその一撃でヒビを入れた。

 だがそれを受けたユキナは、平然としていた。服のどこにも焦げた箇所はなく、受け止めた掌は綺麗な白肌だった。

「もう、いきなり撃たないでよね」

 その言葉も、ナルラートホテプには届いていないよう。というよりか、彼女はひたすらに聞かないようにしてるようにも見えてきた。

 そこで試しに、ユキナはまたナルラートホテプの視界に侵入し、手を振ってみた。

 するとまた、ナルラートホテプは一瞬だけ瞳孔を動かして一瞥する。するとまた四つの人面が動き出し、今度は一列に重なって光線を放ってきた。

 その光線を一蹴し、ユキナはわざとフムフムと頷いてみせる。完璧に理解したとは言い難いが、一つの仮説は立てられた。

 次は、その仮説の立証に移る。素早くナルラートホテプに肉薄したユキナは、彼女の目の前でしゃがみ込み、ジッと蒼い瞳孔を見つめ続けた。

 すると、ナルラートホテプはわざわざ視線を逸らす。人面もまったく動く気配はなく、ただフワフワと彼女の周りで浮いていた。

「ねぇ」

 大きく、響くように手を叩く。ねこだまし。

 それに驚いて体をピクつかせたナルラートホテプは一瞬の内に距離を離し、ユキナのことを見開いた目で見つめる。すると人面が動き出し、輪になって光線を連射した。

 その連射を、ユキナはことごとく躱す。最後の避けきれない一撃をも、その場で回って一蹴した。

 さて、これで仮説はユキナの中で立証された。となれば、取るべき態勢も決まってくる。ユキナは一歩踏み出すと、その一歩からの一蹴りで距離を縮め、ナルラートホテプの小顔を両手で包んだ。

 その視線が、決してユキナ以外の何も見ないようにする。

「あなた、自分が興味を持ったものを破壊してしまう呪いか何かをもらってるのね。可愛そう」

 それが今回、ユキナが立てた仮設。

 ナルラートホテプは自身が興味を持ったものをただ視線を向けただけで破壊してしまう、呪いのようなものがある。そう考えた。視線を向けないのも言葉を話さないのも距離を置くのも、すべてはその対抗措置ということだ。

 おそらくこれまで伝えられてきた彼女に関する伝説も、この呪いのせいだろう。

 しかし困った。もしそうなら、彼女はその呪いのせいで島を沈め、関わってきた人間すべてに破滅をもたらしている。そんな彼女を仲間にしても、自分はともかくこれから加えようと思っている仲間が危ない。

 さて、どうするべきか。

 そんなことを考えている間にも、人面が光線を準備している。そしてユキナが離れると同時、大小異なる光線を連射した。

 光線を躱しながら後退し、距離を取る。人面が攻撃をやめるまで、十数メートルの距離を離れた。

 ここまでくると、もはや興味があるなしに関係なく、認識したら壊してしまうという呪いのような気もしてきた。そうなれば、ますます厄介である。

「ユキナ!」

 火山の方から剣に乗って飛んでくる、青い影。その姿と前会ったときよりも研ぎ澄まされ、量も増えた霊力を感じ取り、恍惚として頬を赤らめる。そしてやってきたその人に、思い切り勢いよく抱き着いた。

「ミーリ!」

「危なっ! 落ちる落ちる落ちる! ってかユキナ、どうやって飛んでんの!」

「ミーリィ」

 再会は比較的喜ばしいことだったが、飛べない自分に抱き着かないでほしかった。この高さから落ちては、ひとたまりもない。

 だがユキナはそんなことは構わず頬を擦りつけ、何度も頬に口づけしてきた。しかもミーリとしてはそんなでもなくて、槍であるロンゴミアントとしてはイラッとするところであった。

『ミーリ……何イチャイチャしてるの。目の前に集中なさい。今はナルラートホテプでしょ』

「あら、いたの? 槍脚の神霊武装ティア・フォリマ。またミーリと上位契約なんてして、いけない子ね」

『私のパートナーだもの。あなたには関係ないでしょ?』

「私だって、ミーリのパートナーだもの。抜け駆けなんて許さないからね」

 二人の間で火花が散る。そのあまりにもドロドロとした戦いの雰囲気に、ミーリとレーギャルンは何も言えなかった。

「ってか、本当にどうやって飛んでるの? ユキナ」

「あら、今の私は天の女王よ。天を統べる女王が、飛べないということはないわ。それよりも、ミーリ」

 彼女の視線の先、ナルラートホテプが二人を見ている。それによって人面が動き、二筋の光線を発射した。

 ユキナは手で、ミーリは槍を回して受ける。

「あの子、自分が興味を持ったものを破壊する、呪いか何かがついてるみたいよ」

「……そっか。なら呪いを解くか、殺してあげるのが妥当だね」

「呪いを解く術は、今のところないわ」

「なら、方法は一つだ」

「殺さないでね。あの子仲間に欲しいのよ。いずれ来るあなたとの戦いのために」

「だったら尚更でしょ。君にこれ以上の戦力はあげないよ、ユキナ」

 お互い、威圧を込めた眼差しで見つめる。だが結界の外に行こうとしているナルラートホテプが視界に入り、二人は同時に飛んだ。

「じゃあ早い者勝ちね」

「そだね。絶対負けないから」

 ユキナの脚とミーリの槍が、ぶつかる。



 

 


 

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