混沌の魔獣

 孤神島こがみじまから北に六〇キロ。

 同じく絶海の孤島である小さな島を目指して、一つの影が海の上を歩いていた。

 水面に波紋を打ち付けながら、ゆっくりとした足取りで海上を進む。黒の長髪と腰に差した四本の刀を波に揺らされながら、彼女は潮風を浴びていた。

「あれか……」

 ようやく島の姿を見つけ、ふと吐息する。海上を歩くことにはとくに何の苦労もいらなかったが、単純に長い距離を歩いた疲労が溜まっていた。

 だがそんなことには構うことなく、海中から一匹の大型のサメが突進してくる。普通なら疲労状態の獲物に襲い掛かるは得策であったが、彼女は例外に位置していた。

 疲労しているところに邪魔が来て、彼女の機嫌は一気に悪くなる。海面を蹴って高く跳ぶと、追って跳ねてきたサメの大口目掛けて、刀を抜いた。

 巨大なサメの胴体が縦に割れ、海が斬れる。大昔神の声を聞いた賢者が起こした奇跡がごとく、左右に割れた海は海底を日の下に初めて晒した。

 その海底に着地して、死に物狂いで跳ねる深海生物を避けながら再び歩く。左右に分かれたサメの胴体が落ちてきたのはそれからしばらくあとで、彼女は興味も示さなかった。

 しばらく左右滝状態の海を歩いた彼女は、飛沫で濡れた髪を拭いてから上陸した。

 無人島であるその島に、足跡などあるはずもない。が、浜辺にはたしかに人の足跡があった。しかもまだ、そんなに経っていないようだ。

 だからというわけではないが、彼女は特に急がなかった。ゆっくり森の中を歩き、腹をすかせた猛獣たちを直視することもなく斬り伏せていった。

 適当に曲がることもせず、ただただ真っすぐ歩いていく。生い茂る熱帯雨林も獣も斬り捨てて、目的地である洞窟へと辿り着いた。

 洞窟の中は深くて、入り口辺りは湿っぽい風が吹き抜けている。だが中に入っていくほど寒くなっていって、袖のない服を着ている彼女は度々腕をさすった。

 上から垂れている鍾乳石を避けながら、段々と狭くなっていく洞窟を進んでいく。次第に外の光も届かなくなっていったが、彼女は臆することもなく進んだ。

 彼女の目には映っていた。

 天井から下がる鍾乳石。足元の白石。洞窟に住まう動物の位置まで、暗闇の中がすべて見えていた。

 だからこそ逆に、最深部まで来た彼女は一度目を眩ませた。

 一体何が光源で、どこで何を元に光っているのかわからない空間。その中央にそびえたつ大きな螺旋状の柱が、一番に視界に入ってきた。

 螺旋の中に生えている、無数の白い物体。一見その形は人の顔のようであるが、目や鼻などのパーツが存在しなかった。それでも顔かなと思ったのは、単にその形が顔以外の何にも見えなかったからである。

「こいつか……混沌の魔獣……」

「へぇ、これの正体を知ってるの」

 柱の向こう側――彼女の反対側にいるのは、シルクハット型でジャラジャラとアクセサリーをつけた帽子を被った桃色の短髪少女。

 両の太ももには短剣を鞘ごと巻いていて、体全体を覆い隠せる青と黒のロングコートの裏ポケットには、左右それぞれ三つの試験官が下がっている。

 両のポケットに手を入れていた少女は、おもむろに右手の親指を噛み始めた。

「ってことは、これが狙いなのかな?」

「誰だ貴様。その言い方からして、おまえもこれが狙いらしいが」

錬金術師さ。歴史に名を残し、魔神として転生した、天才だよ。名を、パラケルスス」

「パラケルスス? 四大の錬金術師が、これに何の用だ」

「べつに、ただこれに興味があるだけだよ。それ以外でこれを起こそうなんて考えるバカはいないだろう? 君は、どうなのかな?」

「さぁ。ただこちらも、言われて来ただけなのでね。これを起こせば、あとは手駒にできる自信があるそうだよ、彼女は」

「混沌の具現たるこれを手なずけるか。それは興味深い。が、私としても引けない。この魔獣を素材に、新たな錬金をやってみたい……そんな欲が引けない。故に、君の邪魔をさせてもらおう」

「舐めないでもらおうか。錬金術師ふぜいが……!」

 柱の周囲を回るように駆け抜け、刀を半身抜く。そしてパラケルススの首筋目掛けて大きく振ると、その目の前で刀を受け止められた。

 だが受け止めたのはパラケルススではない。

 全身を黒と赤の鎧で包んだような大きな人型で、炎をまとう長い尾を揺らしながら、口から火を噴いていた。

「やれ、サラマンダー」

 主であるパラケルススの命を受けて、サラマンダーの両肩から炎が噴き出す。そのまま彼女を刀ごと持ち上げると、柱目掛けて投げ飛ばした。

 対する彼女は柱に着地すると即蹴り飛ばし、サラマンダーに斬りかかった。

 紫の刀身を拳で受けて、そのまま跳ね返す。着地した彼女に即座殴りかかり、白石を粉砕した。

 回避した彼女は、もう一本刀を抜く。すると手から溢れる霊力が刀身に流れ、紫の刀身は黒く変色した。

「“草薙剣くさなぎのつるぎ”……!」

 再び、刀と拳がぶつかる。

 すると今度は刀が鎧を粉砕し、拳を斬り刻んだ。血と共に炎が噴き出す。

「なんだ、この程度――?」

 サラマンダーの斬り刻まれた手の傷が、塞がっていく。

 見るとパラケルススが剣を持って何か呟いていて、それが霊術の類であることは、すぐに察することができた。

 回復したサラマンダーは手をより強く握りしめて、火を噴き出す。そして拳に火炎を宿し、勢いを増して突進してきた。

 拳を受け流し、回避し続ける。巨漢の力と女性の力では明らかな差があって、受け止めることができなかった。

 だがそれでも、炎をまとった拳は当たらない。イラだったサラマンダーは量の拳を地面に突き立てて前のめりになると、炎の塊を噴き出した。

 躱し続ける彼女に、火の塊が次々に襲い掛かる。地面や壁にぶつかった炎は弾け、数秒間燃え続けた。

 その勢いに、パラケルススも数歩下がる。ただ戦いにはまったく興味が無いようで、サラマンダーに任せて自分は柱のところどころを観察していた。炎も、ただ明り代わりとしか捉えていない。

 そんなパラケルススはスキだらけで、彼女は壁を駆け抜けながら刀を向けた。柱を盾にして、見入っているパラケルススを狙う。壁を蹴って跳んだ彼女は、パラケルススに刃を向けた。

 だがその一撃もまた、届かない。

 突如生えてきた洞窟の鉱物やら宝石を含んだ石の塊が、刀に少し斬られながらも受け止めた。

 だが後ろにそんな塊ができても、パラケルススは反応しない。まだ柱を観察して、あれこれ妄想を膨らませている。

 そんな主の邪魔をしないためか、石を生やして守ったそいつは、その石の隣からゆっくり生えてきた。

 白の白衣に身を包んだ栗毛の紳士――ノームだ。

「貴様……マスターに何をするかぁっ!!」

 岩から刀を抜いた彼女は、ノームが生やす石を躱していく。岩という固い物質にも関わらず、動物の触手のように柔らかく動くその岩を躱し、スキを見て両断した。

 だが、岩の触手は次から次へと生えてくる。さらにサラマンダーの火の塊まで飛んできて、彼女は歯を軋ませた。

 仕方ない……。

 刀を収め、彼女は跳ぶ。四方八方から炎と岩が迫りながら、刀を抜こうとはしなかった。極限まで自らの感覚を研ぎ澄ませ、体感時間を圧縮する。すべての攻撃が自分に触れるか触れないかの一線に至った瞬間に、彼女は刀を抜いた。

「“天叢雲あまのむらくも”」

 紫の電光石火が、すべての攻撃を両断、一掃する。そして次の瞬間には、ノームとサラマンダーの二体を切り裂いて、パラケルススに肉薄していた。

「惜しいねぇ、君」

 短剣の刃先が向けられる。その刀身を回る四つの小さな滴が膨らみ、回転を加速し、彼女にぶつかって弾けた。

 すると彼女の体はパラケルススに刃を向けたまま停止して、全身を鎖で繋がれたかのように動かなくなった。

「錬金術師を相手にするんだ。あの手この手を予期しておくもんだよ? 戦うだけが能の奴は、本当に学習をしないね」

 パラケルススの短剣が、彼女の首筋に突きつけられる。だが彼女は臆することも動じることもなく、ただ真っすぐに見つめ続けた。

 怒りもない。憎しみもない。殺意もない。ただの相手を見る目だ。

「さて、どうしてほしい? 生憎戦闘だけの脳筋は、サラマンダーで足りてるんだ。錬金術の材料ってのもあるけど――」

「錬金術師だな、やはりおまえは。敵を捕らえたら、迷わず首をねるべきだ。そうでないと、反撃の機会を与えてしまう……!」

 全身から、紫の電光がほとばしる。刀身が震えたかと思えば彼女の拘束は解け、パラケルススを斬っていた。

 肩を斬られたパラケルススは数歩後退し、片膝をつく。彼女は刀に付いた血を払うと、改めて刀を握りしめた。

「終わりだ、魔神」

 刀がパラケルススを両断する――と思った直後、指の鳴る音がして、同時、彼女が消えた。

 転移霊術で転移させられた彼女が着いたのはまったくべつの街中で、適当に移動させられたことは確実だった。

 刀を収めると同時、通信機が鳴る。

『もしもしスサノオ? どう? 魔獣はいた?』

「あぁ、それなんだが……すまん。見つけたのだが、邪魔が入って転移させられてしまった。今自分がどこにいるのかもわからん」

『それは大変ね。まぁいいわ、一端こっちに帰ってきて頂戴。合流して、一緒にまた行きましょ』

「わかった。すぐに戻れるよう、努力しよう」

 一方で、スサノオを転移させたパラケルススは肩を走る痛みに悶えていた。

 それは当然といえば当然で、彼女は生前から錬金術師であって、戦士ではない。それは神になった今でも同じであり、肉体的痛みというのは、耐え難いものであった。

 傷口が熱を持ち始め、全身から汗を噴き出す。そんなマスターの状態を見た復活したてのノームとサラマンダーは、息を呑んだ。

「マスター! マスターご無事ですか?! なんてことだ! サラマンダー! 今すぐウンディーネをここに!」

 サラマンダーは咆哮し、岩壁を砕いて最短ルートを自ら作り、洞窟を出て行く。

 ノームは岩で作った高反発の即席ベッドを用意すると、おもむろにパラケルススをそこに寝かせた。

「ノーム……」

「は、はい! マスター!」

「人間の方は、どうなってる?」

「は! すでに五〇を超える人間を用意しております。隠れ家とする場所もサラマンダーが見つけ、そこに運びました」

「そっか……ノーム、みんなに伝えて。計画を一週間ばかり遅らせる。それぞれ支持を出すまで待機しなさい、と。私の怪我が治り次第、計画は実行。混沌の魔獣を――ナルラートホテプを復活させる」




 

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