エリア・クーヴォ

 ミーリの首に、刃が向けられる。

 鋭利に研がれた刃先がその首筋を切り裂くか否かというところで、ミーリはその刃物を握る腕を止めた。

 全身を黒い布で覆い隠した謎の暗殺者はその小柄を持ち上げられ、脚をバタつかせた。

 が、ミーリは離さない。その腕の先がうっ血して痺れるまで握りしめ、刃を落とす。そして剣を複製し、熱を抱くその刃でフードを焦がした。

 慌ててフードを脱いだ暗殺者の顔が、さらけ出る。

 銀色の短髪に薄緑の瞳。剣を模した銀の髪飾りを二つ揺らした、小柄な少女。その眼光は鋭利で、殺気が隠れることなく漏れ出していた。

「君、誰?」

 もう片方の腕でナイフを振るい、言葉なく返答する。

 その斬撃を躱したミーリは手を離してしまい、逃がしてしまった。

 が、少女は逃げない。剣の林を駆け巡りながら、剣の上に立つミーリを狙う。刃と刃の隙間から命を狙う刃が見え隠れし、襲撃のときをうかがっていた。

 対するミーリは腕を組んだまま、考える。

 学園長が止めないあたり、おそらく侵入してきた暗殺者ではない。普通に自分に恨みを持つ、学園の生徒だろう。

 まぁこの状況を鳳龍ほうりゅうが楽しんでいるのは、顔を見る限り明らかだ。止める気はないと見える。

 さて、どうしたものか。

 ミーリは刺さっている剣を二本浮かせると、自分の周りで回転させた。そして襲い掛かってくる斬撃を、ことごとく受ける。

 複製された模造品とはいえ、刃に熱を持つ剣に触れ、ナイフは次第に溶けていく。結果刃が使えなくなった少女はナイフを投げつけ、両手に霊力を込めて突進してきた。

 ナイフを剣で弾き飛ばし、拳を素手で受ける。繰り出される一撃一撃はかなりのものだったが、ブラドと比べてしまえばどうということはない。

 連続で繰り出される拳と蹴りをすべて受けきって、少女の両腕を捕まえた。

 そして次の瞬間に、浮かせていた二本の剣を首筋にかけた。鉄をも溶かす高熱が、少女の首筋を夏の日差しのように焼いていく。

「くっ……くそっ……」

「まだやる? ってか君、誰?」

 少女の腕から力が抜ける。霊力も大人しくなり、彼女は悔し気にうつむいた。

 ミーリが手を離すと脚からも力を抜き、腰を落とす。二本の剣もそれに合わせて低くなり、少女の首にまだ刃を当てていた。

 目がまだ、憎しみやら殺気で満ちていたからだ。

「真っ向勝負なんていつぶりだろ……二年の頃はよくあったけどなぁ……で、本当に誰?」

 繰り返し訊くが、少女は答えない。そろそろ剣をどかさないと、本当に熱で危ない。それもあって、早いところこの少女に言うことを聞かせたかった。

 そんなミーリと少女に助け舟を出したのは、その剣の柄を握った鎧をまとった腕だった。

「エリア・クーヴォ、今年入った私の妹だ。ミーリ・ウートガルド」

 対神学園・ラグナロク四年、リエン・クーヴォ。

 ミーリと同級生で、ラグナロクの女性最強を誇る通称“戦姫いくさひめ”。風紀委員長まで務める、両腕と両脚、胸部を鎧で包んだ聖女だ。頭にしているティアラのような髪飾りが、光を受けて反射する。

「ふぅん、妹なんていたんだ」

 たしかにちょっと似てるかも……髪の色も同じだし、顔の形も似てる。

「まぁな。しかし……」

 リエンの見る目が、エリアに顔を下げさせる。目を合わせない理由としてはいくつかの検討がついたが、そこを絞り込むことは今はしなかった。

「とにかく妹が無礼をした。すまない、ミーリ・ウートガルド」

 そう言って、頭を下げる。あまり見慣れない光景だが、律儀なリエンのする行動としては珍しくはなく、意外性はなかった。

 だがその瞬間に妹の歯が軋む音を立てたのを、ミーリもリエンも聞いていた。

「それで、妹はどうだった。現状実力としては、今の一年の中では首位に立っているそうなのだが」

 ミーリは首を傾げて唸る。ミーリが他人の実力を評価するというのはあまり聞いたことがなく、かなりレアな光景だった。

 たとえ評価を求めても適当に流すか、お世辞を並べるイメージしかないからである。

「体術と霊力操作の基礎は充分できてると思うよ。でも武器の使い方が荒いね。このまま神霊武装ティア・フォリマを持っても、弱体化するだけなんじゃない?」

 意外と辛口だった。

「そうか。おまえがそう言うなら、そうなんだろう」

「姉様!」

 反論しかけた妹に、リエンの霊力がのしかかる。

 喉を絞められたような息苦しさに正常な呼吸を奪われて、酸欠になった脳はエリアの気を失わせた。

 リエンのパートナーである青髪の聖女が、抱え上げる。

「あとで食堂に来てくれるか? お詫びとしてごちそうしたい」

「そう? じゃあ遠慮なく」

 リエンがうなずくと、それを合図に学園長が手を叩いて響かせた。フィールドに立つ全員が、一斉に注目する。

「では、今立っている全三一組を、今年の修学旅行生としよう。残り一九組に関しては、後日また選考を行う。あぁ、今倒れてしまった妹に関しては心配しないでくれ、リエンくん。彼女にも是非、修学旅行を楽しんでもらおう」

「ありがとうございます、学園長」

「うんうん。ではみんな、修学旅行は二週間後だ。楽しみにしていてくれ。では、解散!」

 無事に修学旅行生になれたミーリは、競技場を出てロンゴミアントと合流した。ウィンはまだゲームセンターらしく、今日は遊ぶと連絡があった。

 結果二人だけを連れて、日が沈んだ頃に食堂に向かった。

 夜になると学校から生徒は基本いなくなるので、利用者数は昼と比べると圧倒的に少なくなる。夜の食堂を使うのは、自炊できない寮の学生くらいだ。

 故に昼間と違って、人の目を気にする必要性はない。学園の二枚看板である二人の食事は、学園でもレアイベントに類していた。

 まぁもっとも、二人共そんな視線を気にしたことはないのだが。

「今日はすまなかったな、ミーリ・ウートガルド」

「いやぁ、いいのいいの。久しぶりに真っ向勝負できて、楽しかったし。でもなんで俺、あの子に憎まれてんの?」 

「ミーリのことだもの、どうせ気付かないうちに酷いことでも言ったんでしょ? 怒っていいわよ、リエン」

「えぇぇ……なんで?」

 ミーリは女心と言うものを知らない。

 そう思うのは、好意を持たれていることにはまず気付けないし、アプローチも余程直接的でないと気付かない。

 だからこそ、あそこまで狂気的であれ直接愛を語るユキナという女性の好意に、正面から答えているのだ。

 故にあのユキナを評価できるポイントといえば、自分の意思をはっきりと伝える点と、それを可能にする自信だろう。心底嫌いだが。

「いや。おまえが狙われたのは、私が原因なのだ」

「? どゆこと?」

「……言ってしまうと、私はおまえに好意を抱いている。それを妹に見抜かれてしまい、妹は独自におまえを調べた。そしたら妹には、おまえが誰とでもイチャイチャしている軽い男と映ったらしく、私に悪影響だと考えたらしい」

 で、殺してしまえって……危ない妹ね。

 正直ユキナと同じくらい危ないかもしれない。なんでこう危ない考えの人に、目を付けられるのだろう。

 ロンゴミアントの疑問は、ポカンとして聞いているミーリの横顔に投げかけられた。本人だって、知らないことであろうが。

「とにかく、妹にはよく言っておく。本当にすまなかった」

「もう、いいってば。それより食べよ? 冷めちゃうよ」

「ありがとう、ミーリ・ウートガルド」

 いやいや、それより気付きなさいよ。

 そう、ロンゴミアントは心の中で急かす。

 ミーリは気付いていないのか、ツッコもうとしなかった。話の中で今、リエンが好きだと言ったことを。

 ツッコみずらいにしたって、ミーリはそれなりに反応するハズだ。

 だがミーリは何も言わず、食べ続けた。肉も野菜も白米もケーキも、気まずさでまずくなった様子は微塵もない。ごく普通に、喉に通した。

 結局そのまま食事は終わって、三人はリエンと別れた。最後までお互い何も言わず、何も言わなかったし聞かなかったように、手を振って別れた。

「ねぇロン……疑問なんだけどさ」

 私からしてみれば、あなたのその鈍感さが疑問なんだけど。

「何?」

「俺、もしかして告られた?」

 本当、なんでこんなに鈍感なんだろう。

「お帰りなさいませ」

「あぁ」

 リエンが帰ると、パートナーである青髪の聖女が待っていた。机に置いていた手紙を渡し、お茶を入れるためキッチンに向かう。

 一方リエンは手紙の差出人を確認すると中身を開き、そこに並んでいた幼稚な字の列に目を通し始めた。口元にうすら笑みが浮かぶ。

「いかがでした?」

「手紙か? うん、いつも通り。問題はないそうだ」

「そうですか……妹様ですが――」

「わかってる。ちゃんと言っておかないとな」

 もらったお茶を飲み終えて、クローゼットを開ける。そこでエリアは体育座りで座っていて、かなり滅入った様子でうつむいていた。

 まえに空虚うつろに、いたずらをしたら押し入れに閉じ込められたことがあると聞いたのを思い出してやってみたが、かなり効果があったようだ。

「反省してくれたか、エリア」

「……姉様はどうして、あんな男に好意を寄せているのですか。チャラチャラしてヘラヘラして、女子なら誰だろうと構わない。そんな男!」

「エリア、落ち着け。ミーリはただ分け隔てなく優しいだけだ。同性より異性に優しいのは、人間のさがだろう」

「そんなの言い訳です! 昔の姉様なら、あんな男見向きもしなかった! なのに何故! クーヴォ家の誇りと子供達の笑顔を大事にしていた姉様は、どこに行ってしまわれたのですか!」

「……エリア。私はここにいるじゃないか。クーヴォ家の誇りも教会の子供達のことも、今でも大事だ。だが今の私はそれの次に、あいつのことが大事なだけだ」

 許せない一言が次々出てくることに、エリアは耐え切れなかった。愛する姉が、自慢だった姉が劣化しているのを見ていられなかった。

 故に許せなかった。ミーリ・ウートガルドという男が。殺してしまいたいくらいに。

 その殺気と怒りに満ちた感情は隠れることを知らず、薄緑の虹彩に現れた。

 それを見たリエンは、困り顔を抱えて吐息した。

「エリア。おまえはミーリ・ウートガルドを遠くからしか見ていないし、実際接してもいない。その段階で奴を軽蔑するのは、少し違うんじゃないか? なんなら私が紹介しよう。それで奴がどんな男か、感じてみるといい」

「……姉様は何故、あの男を庇うのです。あの男の、何に惚れたというのですか」

 そうだな、と吐息交じりに呟いて、リエンは腕を組む。

 そのまま煙を吹かしそうな雰囲気をさせてしばらく考えると、今度は大きく息を吸った。

「それすらも、おまえが感じてくれるといいのだがな」

 結局、リエンはその後も答えなかった。

 ただ明日ミーリに会わせると言って、風呂に入ってしまった。そうなれば彼女があと寝るだけなのは、妹なので知っている。

 エリアはリエンのパートナーが用意してくれた布団も敷かず、部屋の片隅で体育座りをしてその日は寝た。

 自分を眠りに誘おうとする中で、反対に、自分の目が覚めるほど自分の腕を握りしめた。

 うっ血するまで握られ、ナイフを落とされた戦いの一瞬を思い出す。そうなるともう悔しくて、憎くて、殺したいという欲求が前面に出てきた。

 明日こそ殺す。すべては姉様のために。

 そう決心してからようやく、エリアは目をつむった。 


 

 

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