未来の魔神
彼の伝説は、何もない。
神話もなければ逸話もなくて、歴史に名を残すような何か特別をしたわけでもない。
彼は英雄でもないし、反英雄でもなかった。ただ一般と比べると頭一つ分だけ飛び出て強くて、他はただ神様に愛されたということしかなかった。
それでも一人残ってしまった彼が最期に見た景色は、戦場だった。敵はいない。味方もいない。友もいない。そして、パートナーすらいない。
有数の槍や剣のみが刺さる荒野に一人、槍を持って立ち尽くす。
目の前に広がる光景に光を差す上ったばかりの太陽を浴びて、彼はおもむろに、進むための一歩を踏み出した。
乾いた土の表面が、風が吹くたびに浮かび上がって土煙を起こす。強風が戦場を土煙で満たし、そしてすべてが吹き去ったころ、ようやく景色の中に彼以外の影が現れた。
懐かしいものを持った、人間達。彼らはそれぞれ切っ先と銃口を彼に向け、停止するよう警告した。
自分はもうそちら側ではないのだと、痛感させられる。故に止まる気は起きなくて、構わず歩き続けた。
止まれと、撃つぞと、彼らは叫ぶ。その目は酷く怯えきっていて、この戦いでは運よく生き延びたに過ぎないことが、明白に現れていた。
止まらない彼に、一人が剣を持って斬りかかる。
動きは固いしスキだらけ。剣は恐怖で鈍っていて、全力で振っているように見えて全力で剣に振られていた。
そんな剣を躱すことは造作もないことで、それを受け止めることはなお簡単なことであった。
よしなよ。死にたくはないでしょ?
忠告すると、剣を持った彼は言った。
神は全員、皆殺しだ。
その言葉に、救いようのなさを感じた。その言葉を聞いた瞬間に、手加減をするという考えはなくなった。
剣士の腕をへし折ると、現出させた槍で両腕を斬り落とした。痛みでのたうち回る顔面を踏みしめて、何度も踏みしめて、地面に頭部を埋める。すると彼は動かなくなって、息もしなくなった。
仲間の死を見て、残り二人も震えている脚で地面を蹴って、立ち向かう。
銃を持った彼女は一気に三度引き金を引いたが、銃弾はすべて躱され目の前に肉薄された。
そんな彼女の両手首から先を、彼は残酷にも斬り落とす。そして彼女の胸座に膝を当てて悶絶させると、吐血する彼女を力なく倒した。
最後の一人は槍使い。
それが奇しくも紫の槍で、思わず歯を食いしばって軋ませた。
彼の槍の攻撃はそれはもう脆くて、弱くて、見ていられなかった。故にイラだった。
その槍で、そんな攻撃をしないでよ!
咆哮と共に槍がぶつかり、槍使いは彼の重い攻撃に吹き飛ばされる。そして彼が放った投擲の一撃に貫かれ、地面に串刺しにされた。
主を失った三人の神霊武装が人の姿を取り、それぞれの主人を呼びかける。だが銃使いの彼女はともかく、剣と槍はもう息絶えていた。
剣と槍、二人の神霊武装が襲い掛かる。確実な自殺行為。主人の仇など、取れはしない。だが気持ちは充分に理解できるもので、それに応じる術を、彼は一つしか持っていなかった。
一方は胸倉を貫き、一方は首を斬り落とす。生物としての死を遂げた彼らは、霊子となって消えていった。
君はやる?
銃の神霊武装は首を振った。
そうしてくれるのはありがたくて、槍を下げることができることに安堵を覚えた。
長槍と短槍、二つの槍を手に、彼はまた戦場を歩く。味方はいない。友もいない。パートナーもいない。
ただ一人で、まずこの戦場を抜け出すことを夢見て、ただ真っすぐ歩き続けた。
また、土煙が起こる。
「!」
夢から覚めたと思ったが、そこもまた夢だった――いや、夢ではないのかもしれないが、とりあえず現実の世界ではない。
天地のすべてが回る歯車で満たされた、時空神の世界だった。
「お目覚め?」
歯車が縦に重なった、一種の椅子に座る一人の女性――未来の力を司る神デウスが、青年ミーリのことを見下ろしていた。
「今のは?」
「あなたの未来よ。いずれ訪れる、あなたの進む道の果て。英雄にはなれない。かといって悪役にもなれない。あなたがなれるのは、神様という善悪で隔てることのできない存在」
「邪神とか守護神とか、いっぱいいるじゃん。それでも隔てない?」
「人を殺す邪神も動物を守るためだったなら善だし、人を守る守護神も、それ以外の全てを破壊するのなら悪でしょ? そういうことよ。邪神も守護神も魔神も、全部名前でしかないわ」
そういうデウスは、どこか遠くを見ていた。遠くを見たところで、あるのは歯車が敷き詰められてできた地平線だけだというのに、それでもずっと遠くを見ていた。
その意図はわからないし、意味があるのかもわからない。
だけどおそらく意味なんてなくて、ただ遠くを見つめることで、より鮮明に何か考えることができるだけなのだろう。きっと、その程度のことだ。
それを証拠に、遠くを見つめるのをやめたデウスは歯車から降りると、まだ横になっているミーリの側でしゃがみこんで首を傾げた。
「あなたは将来、魔神になる。神様として、あなたがどう人間に干渉するか。それで善悪は決まるでしょうね。でもどんなことをしようと、私は――デウスは信じてる」
自分の額とミーリのとをくっ付けて、甘える。
外見が一回り大人であるが故に少し照れくさかったが、まだ幼さの残るマキナと同一視すれば、恥ずかしさはなかった。
むしろ彼女の後頭部に手を回して、そっと撫でてやる。するとデウスは頬を紅潮させて、より強く擦りつけた。
「大好き、お兄さん」
「ミーリ……」
起きると、ロンゴミアントがそこにいた。ただその表情は何やら険しく、鬼気迫るものがあった。久しぶりに、恐怖にも似た危機感を感じ始める。
「ど、どうしたの――」
ロンゴミアントの槍脚が、首をわずかに擦ってベッドに刺さる。ロンゴミアントがベッドの上に立つことは暗黙の了解で禁止になっていて、それを彼女が破る事態に陥っている理由が、ミーリにはわからなかった。
「デウスって……誰」
「え?」
「マキナって誰? その子達の名前が最近寝てるあなたの口から出てくるんだけど……」
「そ、そうなの?」
「ユキナって女の子が好きだって言っておきながら、他の子ともイチャついて……!」
「落ち着いてよ、ロン。デウスもマキナも可愛い神様で――」
「可愛い……?」
いけない、地雷を踏んだ。そう後悔したのは、遅かった。
「あなたがどこの誰と仲良くしようといいけどねぇ……私の知らないところで私に隠れるみたいにコソコソ付き合ってるのなら、これ以上の裏切りはないわ。私がその程度のことも許容できない
「いや、あの、ロン……」
「残念だわミーリ。あなたがそんな卑怯な人だとは思わなかった。あのユキナって子も、落胆するでしょう」
いや、絶対にあいつはしない。
するはずがない。
何せあいつは理由もなくわけもなく、ただ単にミーリという異性が好きなのだ。
初見の生物を親だと認識してしまう何とかという種類の鳥のように、彼女は自身がミーリという男が好きだと、すり込んでいるに過ぎない。
そう、昔彼女自身が言っていた。もっと言えば、私はあなたを愛するためだけに生まれてきた、のだそうだ。
「ロン、俺は……」
「言い訳? ミーリ、まさか言い訳をするわけじゃないでしょうね? 言い訳だったらやめて、私をこれ以上ガッカリさせないで。私はそんなあなたを好きになったんじゃない――」
起き上がり、抱き締め、口づけする。
それらすべてを一瞬の間にされたロンゴミアントは一度それらを受け入れたが、すぐに手をバタつかせてもがき、ミーリから離れてベッドから落ちた。
「み、ミーリ……!」
「ロン、前に話したでしょ。デウスもマキナも、俺に力を貸してくれる神様――
ロンゴミアントは脱力する。たしかにまえに、そんな話をされたのを思い出したからだ。非があるのが自分だとわかって、罪悪感に襲われる。
そんなロンゴミアントを、ミーリは撫でる。初めてやきもちを妬いたところを見て、さらなる愛着が湧いた。
だが本当に、こんなロンゴミアントは初めてだ。
本人の言う通り、今まで他の女子と仲良くしてても何も言わなかったというのに、突然だ。
思えばブラドとの戦いが終わってから、ロンゴミアントは少し変わったようだ。少し甘えるようになったのかもしれない。
それは主人としては嬉しいことだが、同時、困ったことにはなった。
今見たばかりの夢の話を、することができなくなった。自分が一人で、戦場にいるという夢を。
「デート、楽しもうね」
「えぇ」
もしこの現実の先が、あの夢の通りなら、最後には――だがそれでも、まだずっとこの槍脚の彼女といられるなら、それでいい。
彼女との思い出を、作っていけばいいのだから。
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