起床

 午前九時四五分。

 第一闘技場には選ばれた全一七チーム、五一組の大半が集まっていた。それぞれ士気を高め、緊張感を高め、霊力を高めている。

 だが最後にやって来たこの男は、そんなことには無縁だった。

「ミーリ! 早く早く! もうみんな来てるの! 急いで!」

「マス、ター……!」

 ロンゴミアントに手を引かれ、レーギャルンに背を押され、ウィンフィル・ウィンに呆れられ、学園最強ミーリ・ウートガルドが眠気を持ったまま登場する。

 その登場に同級生達は待ってましたと声を掛け、下級生は黄色い声を掛け、上級生達は優しく迎えた。ミーリの人気度がうかがえる。

 同じチームの空虚うつろとオルアは、その様を見せられて吐息した。

「彼、学内だとこういう感じなんだ」

「嫉妬できるところはあっても、憎めるところがないからな。人気はある。本人は自覚していないが、相当にモテる男だ」

「ふぅん。でもウツロは、べつのところで好きなんでしょ?」

「か、からかうな! オルア」

 大きく手が叩かれ、音が響く。その方を向くと、帝鳳龍みかどほうりゅうとパートナーの少女が見下ろしていて、それぞれ拡声器を持っていた。

 もっとも少女が喋っているところなど、誰も見たことがないのだが。

「みんなおはよう! みんなの顔がここから見えるんだけど、昨日はよく眠れたようで何よりだ。ではこれから、吸血伯爵イアル・ザ・ドラクル討伐に関する説明をさせてもらう」

 闘技場に立体映像が映し出され、森と渓谷と赤い球の三つが表示される。闘技場にそんな機器があるとは、生徒全員が知らないことだった。

「現在、先遣隊せんけんたいが待機してるのが、この森だ。まずはここで、彼らと合流してもらう。合流したら先遣隊と一緒に渓谷まで移動して、標的ターゲットを捕捉。目覚めぬ場合は一斉射撃で殲滅。目覚めた場合は先遣隊による束縛後、君達討伐隊で仕留めてもらう」

 説明と共に、赤い球が弾けて消える。だがそう簡単にいかないだろうことは、その場の全員が思っていた。

「シンプルな作戦だが、基本はこれをベースに動いてもらう。そして、この作戦の要と言えるチーム、ロンギヌスの三組のことを皆に伝えておこう」

 ミーリと空虚、オルアの三人がライトで照らされる。

「彼らが本作戦における最終兵器と言える。何が何でも彼らを死守し、そして勝ち抜いてもらいたい」

 今さっきミーリを迎えていた全員の顔が、真剣そのものになる。

 その変化が、ミーリはいやだった。それを促した学園長のことも、このときだけ嫌いになる。

「だが忘れないでくれ。たとえ彼らを守っても、君達が死んだら意味がないんだ。そんなことをされても、僕は悲しいだけだ。戦場に送り出すと言うのに矛盾なことを言う。だけど聞いてくれ、そして叶えてくれ。君達全員、無事に帰って来てくれ!」

 全員それぞれ返事したり頷いたり、拳を握りしめたりチームメイトとアイコンタクトを取ったり。それぞれの形で応える。

 ミーリもロンゴミアントが伸ばしてきた手を握りしめ、士気を高めた。

「では行こう、戦いの場へ!」

 と言われたものの、学園長から移動の指示がない。時間はまもなく一〇時になる。

 生徒達が内心で急かす中、鳳龍はその生徒達を囲うように、何かボソボソ呟きながら刀でフィールドに円を描いていた。

「絶えず流れる忘却の彼方……千里、万里、隔てる距離を声が紡ぐ……それは憎しみか、それは憤怒か、それは愛しさか、それは悲哀か。我は声を上げ、そなたの名を呼ぶ今叫ぶ……」

「霊術詠唱……?」

「ん? どしたのオルさん」

「あ、あぁいや……なんでもないよ」

 円を描き終えた鳳龍が刀を治める。

 刀から少女に姿を戻ると、少女は円の端を蹴飛ばした。

 すると円が光りだし、独りでに浮かんで生徒達を囲み回り始めた。光の円から放たれるベールに、中が包まれていく。

「ではみんな、健闘を祈る。“拠点移動ユニット・テレポート”」

 鳳龍が円を指で弾いた瞬間、景色が変わる。ドームの天井に覆われていた闘技場から、深い森の中へと一変した。

 自分達が転移したのだと、まず誰も気付かない。一番に気付いたのは、オルアだった。

「みんな! よくわかんないけど、どうやら着いたみたいだ! とりあえず先遣隊と合流しよう!」

 全員周囲を見渡して、非現実でないことを確かめる。そうしてからオルアの言葉を信じ、それぞれチームごとに動き始めた。

「ミーリ、私達も行くぞ」

「はいはぁい。オルさん、行くよ」

「あぁ、うん」

 でも、霊術は僕達神様の術なのに……何者なんだ? 鳳龍くんて。

 そんなオルアの疑問を、解消できる者は誰もいないし術もない。とにかく今は先遣隊と合流するほかなくて、オルアは神霊武装ティア・フォリマを持ったミーリ達と共に移動した。 

ミーリは害なす魔剣レーヴァテインに乗って飛び、空虚とオルアは木の上から木の上へと跳んでいく。結果後の方に出発したのに、全チームの先頭で向かっていた。

『ミーリ、おまえ平気か』

「うん、すっごい霊力と殺気。こんなところに何日もいたら、変になりそう。暁人あきとが言ってた、半日押し入れに閉じ込められた風な感じかな」

『実際何日もいる先遣隊の奴らが、狂ってないことを祈るんだな。最悪神と戦うまえに、同士討ちなんてことだってありえる』

「気を付けなきゃね」

 実際、今来たばかりの生徒でも参ってしまっている子がいる。

 元々体に持っている霊力の量が少ないのだろうが、たとえミーリのように多く持っていても、それは時間の問題であった。

 よって移動だけで討伐隊の四分の一が遅れだす。とくに実戦経験も少なく霊力の量もあまりない下級生が、次々に足を止めた。

『空虚よ、ちょっと待て』

 武器化した空虚のパートナー、いくさが声を掛ける。だが彼女の武器としての姿はどこにもなく、頭に直接声だけを響かせていた。

『先遣隊が動き始めたぞ。このままではわしらが合流するまえに、標的と衝突する』

「吸血伯爵に何か動きがあったのか。戦、そこまで視野を広げられるか」

『正直なところ無理じゃ。ジャミング、というのか? 奴の霊力が邪魔して、奴に近付けば近付くほど視界が歪む』

「わかった。ミーリ! オルア! 先遣隊が動き始めた! 私達も吸血伯爵の元へ向かった方がよさそうだ!」

「了解!」

「はぁ……なんか面倒なことになりそうだなぁ……」

『その言葉は余裕?』

「違うよロン、いやな予感がしてるだけ。ここまで俺らが騒いでるのに、全然起きない神様の方が余裕あるでしょ。正直、余裕なんてない」

『大丈夫よ、ミーリ。だってあなたは最強だもの』

「ロンの方が余裕っぽいな」

 下を移動する空虚達の様子も見ながら加速して、ミーリは一人先を飛ぶ。故に見てはいけないものを見たのも、一番先だった。

 深い深い渓谷の下で、赤く光っている繭のような物体。心臓のように鼓動を打って震え、その度に大量の霊力と殺気を放つ。

 それを直視した瞬間、頭の中は真っ赤に染まる。炎や花なんて煌びやかなものではない。血、大量の血だ。それもすべて人間の血。

 そして続く、悲鳴と絶叫。

 助けて、やめて、殺さないで。次々に聞こえてくる声を消し去るがごとく、血は噴き出し影は倒れる。だが悲鳴も絶叫も、留まるところを知らない。

 そして今さっきまで絶叫し、悲鳴を上げていた影達の涙と血塗れの眼球が自分を見つめた瞬間、ミーリは自信の耳元で、銃口を上に向けて連射した。

 何発もの銃声が、ミーリの見る景色を元に戻す。一気に呼吸が乱れたミーリは息を切らし、即座複製した剣の上に手と膝をついて、湧き出る汗を垂れ流した。

『ミーリ! ミーリ! 大丈夫なの?! ねぇ、ミーリ!』

『マスター!』

『おいミーリ! しっかりしやがれ!』

 今まで怖いものは見てきたし、体験だってしてきた。

 だがそれらの比ではない。今までが序の口だったがごとく、あの赤い球は一瞬で、ミーリの精神の大半を侵食した。

 そんなことは、初めてだった。

 そんなミーリの変化に、下の生徒達も気付く。

「ミーリどうした! おい、ミーリ!」

「銃声で無理矢理意識を戻した……? じゃあ今、ミーリくんの右耳って――」

 無論、聞こえていない。

 度重なる銃声に負荷を与えられ、右耳はしばらく使いものにならなかった。だがそうしなければ、幻覚に頭がやられていた。それを思えば、一時的使用不可など、代償としては安い。

 だが安すぎるが故に致命的だった。下の空虚達の声が、半分以上聞こえない。故にミーリは危機感と勝手な使命感に急かされて、独断で先行した。

 このまま空虚達があの赤い球を見れば、同じ幻覚症状に襲われかねない。現に降下してようやく視界に入ったが、渓谷付近で多くの先遣隊が倒れている。

 もはや彼らによる拘束など期待できない。

 一直線に渓谷を降りると銃口を向け、無数の剣を背後に複製した。

「“空貫魔弾ガ・ボルグ”!!! “裏切りの厄災レイヴォルト”!!!」

 霊力を込めて作り上げた魔弾で、赤い球が放つ霊力の波を撃ち貫く。障壁がなくなったところを数十の剣を降らせて激襲し、赤い球を木っ端みじんに破壊した。

 繭だけを。

「ほぉ、我が血眉コクーンを破壊するか。天の女王イナンナの言う通り、やり手らしい」 

 谷底を滑るように、ミーリは止まることなく槍を振る。そして乗っている剣を加速させ、脳天を貫かんと突進した。

「これで……!!」

 ミーリの体が浮く。槍を片手で受け止められ、ゆっくり槍ごと持ち上げられていた。

 乗っていた剣を滑らせて折り返し、背後から狙う。だがそれは放たれた霊力に押し潰され、叩きつけられた。

 だが諦めず、拳銃を連射する。すべての弾が当たり貫いたが、それはまったく応えなかった。相手は不死身、効くはずもない。

「考えなしに突っ込んでくるとは、あまりにも無謀。彼女の宣伝文句は、最強にして最高とのことだったが……これでは足りんな」

「はぁ……ユキナに何聞いたか知らないけど、あまり期待されても困るな。俺今、君が怖いんだ。君を他の人達にぶつけちゃ、いけない気がして仕方ない。そのための特攻だったけど、今となっては失敗だね。やっちゃったな」

「……貴様、もしかしてバカか」

「天才と比べたらね」

 低く、小さな声が笑う。だがそれは徐々に大きくなって、高笑いとなって渓谷に響いた。声と共に放たれる霊力が反響し、渓谷から漏れ出る。

 遅れて到着した空虚達はその霊力に襲われ、ミーリが見たものと同じ幻覚に捕らわれて全員膝をついた。

 そして一番近くで霊力を浴び、声を聞かされていたミーリもまた、再度幻覚に襲われる。血と悲鳴と絶叫と絶望だけで構成されたその光景に、ミーリは槍を手放して膝をつき、そのまま倒れてしまった。

 紫の槍を捨て、吸血伯爵は飛びあがる。渓谷を抜けて天高く上昇し、空を覆おうとしていた雲の群れを蹴散らした。

「そう、これが人間……このおもしろさ、バカバカしさこそ人間だ……我は、人間の世に転生した!」

 吸血伯爵の姿が、太陽の下にさらされる。赤く神々しいそのさまは、神そのものであった。


 

 

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