人から神へ

 最期に見た光景は、数百の人間が火あぶりを受ける自分を見上げて、非難を浴びせる断罪の瞬間。

 何度も気を失っては息を吹き返し、また焼かれる痛みに気を失って起きる。そんな地獄のような痛みを受けて、自分は死んだ。

 だがあるとき気付いた。何故死んだ自分が、過去を思い返せているのだろうかと。だが同時に気付いた。それは今、自分が生きているからだ。

 最初に見た光景は、光で満ちた木漏れ日。数十の動物達が寝息を立てていた自分を興味津々といった様子で見下ろして、臭いを嗅いだり舐めてみたりしていた。

 動物の臭いと体温が自分を包んで、あまりにもくすぐったくてすぐに跳ね起きた。そして気付く、生きていることに。

 とりあえず立ち上がってみる。体はそれなりに重く、頭に少し痛みを感じる。小さな歩幅でとりあえず歩くと、小さな池を見つけた。顔を洗って、水面に映る自分の姿を見て驚いた。

 髪が赤い。まるで死に際の炎がまとわりついたかのような、真っ赤な髪。まえはどんな色だったか思い出せないが、それでも赤でなかったことだけは覚えている。だがべつに、嫌いにはならなかった。

 ついて来た動物達も、この赤は嫌いではないらしい。だからよしとした。

 自分がいた森はとても広くて深くて、歩いても歩いても果てに着いたことはなかった。人の気配などまるでない。数千にのぼる種類の動物達が、それぞれの生態系を守って生きていた。

 食物連鎖もあれば、助け合いもある。お互いの習性を利用し合った生活がある。そんな野生と、自分はしばらく過ごしていた。

 神に会うまでは。

 その日は酷い台風で、自分は動物達と一緒に木の根の下にある穴へと隠れていた。強い雨風でとても冷えたが、みんなで身を寄せ合っていたから寒くはなかった。

 そんなときだった。落ちた落雷が、穴の目の前を粉砕したのは。土煙をあげて転がってきた小石から、動物達のまえに立って守る。結果うち一つが頭に当たり、切ってしまった。

 血が垂れて、片目を塞がざるをえない。

 だがすぐに、その傷口は塞がった。何故ならその傷口を、一頭のシカが舐めたからだった。

 無論ただのシカに、そんな治癒能力はない。そのシカは穴を出ると、トコトコと歩いていってしまった。

 ついて来い、そう言われた気がした。だから動物達を置いて、自分は台風の中を歩いていった。

 シカは何かに守られているように、雨風が弾かれて反れていく。自分は雨に濡れ、風に押されながら、必死についていった。

 そうして苦労していくこと数分、シカが振り向いた。そしてその場にひづめを下ろすと、そこから芽が出て成長し、ものの数秒で大きな木となって二人の傘になった。

なんじ、名は」

「……ジャンヌ・ダルク」

「ジャンヌ、か……我は死屍神ししがみ。生と死を司る神よ」

「神、様……?」

 慌ててその場で片膝をつく。今まで神の声を聞いたことはあったが会ったことはなくて、とてつもない緊張に不意に襲われた。

 死屍神は大きな角をつけており、その先には色様々な実をつけている。目尻の先にもまた小さな目があって、ここに来て初めて開いた。計四つの目が、ジャンヌを凝視する。

「そうかしこまるな。我は主に死を司る邪神、汝らが崇める清き神とは、遠く離れた存在よ」

「でも、神様……なんですよね?」

「神がすべて人の味方とは限らん。神だからといってすべてを祈るな、崇めるな。我は信仰されれば、消えてしまう存在だ。邪神のままが、心地よい」

 促されるまま、ジャンヌは木の根に腰を下ろす。死屍神は口先で腰のあたりを掻くと、おもむろに座り込んだ。

「さて、汝は自分のことを、今どこまで理解した? 聞かせよ」

「……正直、何も。僕はたしかに死んだはずなのに、でも、今生きている……それがまずわからない。ここがもしかして天国なのかもと思ったけど、ここでも動物は死ぬし殺される。一体何が何だか」

「フン……少なくとも、自身の正体くらいは気付いていて欲しいものだったがな」

 傘になっている木から、実が一つ落ちる。転がってきたその実をかじり、死屍神は腹を満たし始めた。

「汝、腹は減るか?」

「え、えぇ、たまに。ここにもう一月はいる感覚だけど、全然お腹が空かないんだ。たまに空いて、木の実や果物を食べるけど」

「ほぉ、まだ人間頃の名残があるようだな」

「……え、神様、今なんて――」

「つまり汝の人としての生は、もう終わっているということだ」

 人としての生が続いている方が信じられないこの状況で、ジャンヌは落胆した。たとえ死んだとしても、化けて出たくはない。そう思っていたからだ。未練を残して成仏できないなど、信じてきた神に対する不満である。

「と言っても、汝は霊になったわけではない。神になったのだ、約三〇〇という年月をかけて。ジャンヌ・ダルク、汝がな」

 ジャンヌは言葉を無くした。

 信じられないどころか、信じてはいけないことを言われた。崇拝する神々に自らが近づくなど、冒涜ぼうとく以外の何物でもない。犯してはならない禁忌を犯したような、そんな気分だった。

 だがそれを真っ向から否定したのは、誰でもなく、神自身だった。

「何を傷付く。汝は神に愛され、神として転生したのだ。そうやって人から神になった人間を、我は数多く見てきた。誇るがいい。神々は汝を祝福している」

「なんで、僕が?」

「汝が神を信じ、愛する者だからだ。今はそんな者、数が少ない」

 死屍神はすべてを語った。今の人間と、神々の関係を。

 人類滅亡を企てる神々と人間は戦争し、今は停戦状態。だが言うことを聞かない神を人間は狩る権利を得て、神々はそれに抵抗する権利を持った。

 いつ戦争が再開されるかわからない。そんな、緊迫した状態であることを。

 そんな中、人から神へ転生したジャンヌ・ダルクという存在が、どれだけ大きいものかということを。

「汝は、人と神をもう一度繋げる存在になるのかもしれん。そう、我々は期待しているのだ」

 立ち上がった死屍神は木の根を掘る。そして中から金属の棒と、それにくるまっている白布をくわえてきた。おもむろに、ジャンヌの足元に置く。

「汝の霊装だ」

「これは……旗、ですか?」

「汝も人の頃振っていただろう。まぁ使い方は違ってくるだろうが……好きに使うがいい。そろそろ、迎えも来る頃だ」

 台風が止んだ――いや、斬られた。雲と雨と風と雷が一瞬で斬り裂かれ、散り散りになった。

 ジャンヌは思わず立ち上がり、同時にやって来た男の方を振り返った。帯刀したその男はずぶ濡れで、ファーのついたコートは台無しになっていた。

 だが男本人はというと気持ちのいい様子で、濡れた前髪を掻きあげて滴を後方に弾き飛ばした。

「やぁ死屍神。今度の神様は可愛いね」

「来たか、みかど

 帝鳳龍みかどほうりゅうが木の根を跳び越え、二人に歩み寄る。刀はその姿を変え、透明な髪を持った少女になった。

 神霊武装ティア・フォリマの初召喚成功例は、当時からまだ三〇年と経っていなかった。故に見たことのない不思議な少女に、ジャンヌは目を丸くした。

「ここまで来るのに随分とかかっちゃったよ。相変わらず、君の結界が硬くてさ」

「何、汝がわざわざ我の結界を破ってくるので、少し強く張っているだけだ。それとも強すぎたかな?」

「いや、問題ない。あれくらいじゃないと張り合いがね」

「そんなことを言って、今回は結界をすり抜けたではないか。無理しなくともよい」

「次こそは破ってみせるよ? 前みたいに」

「上等。望むところだ」

「あ、あの……」

 話について行けず、置いてけぼりを喰らう。

 そんなジャンヌのことを忘れていたかのような反応をして、鳳龍は笑む。そして彼女の肩を強く叩き、頭の先からつま先までを見回した。

「待ってたよ、聖女ジャンヌ・ダルク。君の転生を、僕は三〇〇年待ってたんだ」

「あなたも神様なんですか?」

「とんでもない。僕は正真正銘の人間さ。僕は帝鳳龍。もう直、対神学園の学園長になる予定の男だ」

「ってことは、神様を殲滅する側なんだね」

「まぁね。もっとも、君にも入学してもらうよ? ジャンヌくん。まぁ僕の担当する学園ではないけどね」

「いいんですか、神様。僕は人と神を繋ぐ存在だってのに。神を倒す側について」

「何を言う。邪神を倒し、神が人々を守ったとすれば、それこそ神と人の交流の近道ではないか。残念ながら、人間側の邪悪は狩り尽くすのがかかる故な。神を敵とした方が手っ取り早い」

「そゆこと」

 神を倒す。それは今まで神を信じ、神の声を聞いてきた彼女にとって、踏み絵行為でしかない。

 だが自分が信じてきたものは確かに聖母のような神であり、命を喰らう神ではない。ましてや人類滅亡など、止めなければいけない。それが神による決定だとしても、受け入れて死ぬことなど、救いではない。

 決心したジャンヌの顔を見下ろして、鳳龍は少女に持たせていた生徒証を渡す。そこには北の対神学園・ミョルニルの場所と、そこの学園長の名前が書かれたメモがあった。

「そのメモを学園長に見せれば、無事に入学できるはずだ。彼女にも話を通してあるからね、心配しなくていい」

「やっぱり、神様の生徒っていうのは色々マズイのか」

「何せ敵そのものだからね。まぁそのうち、神様の生徒ってのも来るさ。何せ、神様に愛された少年までいるみたいだからね」

「そっか……会ってみたいな。見つかったら教えてよ、学園長さん」

「鳳龍でいいよ、神様。二人でのときは、神様らしく遠慮なく親しみを込めて呼んでくれ」

「じゃあ、鳳龍くん。その子のこと、よろしくね」

「あぁ、任せてくれたまえ」

 その後森を出たジャンヌ・ダルクは、鳳龍の紹介でミョルニルに入学し、オルア・ファブニルという学生になった。

 人間として生きていたときは学校になんて通うことなんてできなくて叶わなかったが、多くのことを神様になって勉強した。

 全知全能だと思っていた神様像が、自らの手で崩れる。それは神を信じて戦ってきたジャンヌにとっては、ちょっと皮肉だった。

 だが学べるというのは楽しくて、学園では友達にも恵まれた。と呼ばれることになれるまでちょっと時間がかかったが、神様と悟られないようにするため頑張った。

 神が使う武器、霊装の扱いには困った。

 最初は能力がわからなかったし、ましてや旗なので、“聖守護領域セイクリッド・ガーディアン”を使えるようになるまでは本当に戦いに困った。

 だが一番困ったのは、神霊武装のように人型にならないことだ。人型を取らないから、友達にパートナーとして紹介ができない。それは神霊武装を持って戦う学園内では、かなり怪しまれた。

 思いついたのはとても人見知りなパートナーなので、人の姿にならないから紹介できない。それも結構最初は怪しまれた。

 だが徐々にそんな生活にも慣れて、気付けば四年生になっていた。だがなると同時、ミョルニルの学園長に呼び出された。

吸血伯爵イアル・ザ・ドラクル……?」

「あなたにはホーリューの学園に行ってもらって、吸血伯爵を討っていただきたいのです」

「それって、転校……ですか」

「えぇ、まぁ。ここから遠征では遠すぎますし、あちらにはすごい生徒がいるとのことです。神に愛された青年、だとか」

――神様に愛された少年までいるみたいだからね

 そっか。その子、鳳龍くんの学園に……!

「その子と協力し、吸血伯爵を討ってきてください。人類存続のため、頼みましたよ。オルア・ファブニル」

「……はい! 学園長!」

 そして今、オルア・ファブニルは学園長室――鳳龍の私室にいた。

 いつもは彼が寝ているベッドの上で寝転がって、天蓋を眺める。黒のロングブーツとニーズソックスを脱ぎ捨てて、素足をさらす。直接肌を脚を包んでくれるシーツの感触が気持ちよくて、オルアはうんと脚を伸ばした。

 ベッドの側には旗と、それを抱えて座る鳳龍のパートナーである少女。少女は鳳龍の留守と、オルアの監視を含めて部屋にいた。

 その頭を撫でて、オルアは反応を求めるが、少女は目だけ動かして一瞥しただけで、何のリアクションもなかった。

 少し寂しいが、オルアはまた天蓋を仰ぐ。そしておもむろに手を伸ばして、そして握りしめた。

 いよいよ明日だ。頑張らなきゃ。僕は神様、今度は僕自身がみんなを守り、救うんだ。

 初の大型討伐に、緊張する。

 するとそれを悟ったのか察したのか、少女は自分からオルアの手を取り、自分の頭に乗せてきた。

 撫でていいよ、そう言われた気がする。

「ありがと」

 少女はうつむき、黙って撫でられた。

 オルアの緊張が解け、ニーズソックスとロングブーツを履かせる。そして少女に旗を手渡され、天井高く掲げた。

「行ってくるね。頑張ってくるから、応援してて」

 少女は頷き、部屋を出て行くオルアを手を振って見送った。

 オルアの脚は直接、第一闘技場へと向かう。途中でミーリにメールして、客席の上で横になった。

 そしてそのまま、寝息を立てる。硬く冷たい席の上だが、オルアは夢を見た。

 それはいわば生前。人間だった頃の夢。

 自分は大きな協会で祈りを捧げ、神の声を聞く。後ろを振り返れば、神の声を待つ大勢の兵が祈りを捧げている。

 彼らの祈りが終わると共に剣を抜き、そして高々と掲げた。

「さぁ行こう! 天は、我々に味方している!」

 士気高揚。兵達は声を上げ、神々の祝福に感謝し、士気を高める。その中心であり聖女こそが、ジャンヌ・ダルクという女性だった。

 それが自分だったなんて、まるで嘘のよう。

 そんなことを思いながら、夢の中で戦場を駆ける。

 そして、明日はやってきた。

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