第I部 探求篇

序幕 旅立ち

四人の再会

 四人の聖騎士の中で、ミジンコ一人だけが平民の出だった。

 成人の儀を受けた騎士二十名に、ミジンコは友人などいなかった。彼らは皆、もともと騎士の家系である者達ばかりだ。ただ己のささやかな名誉を保ち、家や、国を守って生き死んでいく者達。

 一方、聖騎士になった者達。ヨワリスは、州王家に古くから仕える旧家の子息だ。騎士一般とはそもそも格が違う名門の出である。ヨグルトは、孤児院の出身だと噂される異端児だった。小姓として貴族に引き取られたのち、例外的に養子になったという。天才的な剣の腕を買われたとも、その美しい外見が気に入られたためとも。いずれにしても剣の腕は確かだとミジンコは思っていた。マコは、身分の高い家柄ではないが騎士の血筋の者だった。彼は他の騎士仲間と違って名にこだわるところがない。信念を持っているわけでもなく、また協調性や競争心にも乏しく、ただ天真なだけに見えた。遅れて騎士寮に入ったミジンコやはぐれ者のヨグルトにも心安く接し、ミジンコは彼と秘密や思いを打ち明けあうまでの仲ではなかったが、最大の友と言えた。マコの場合は、騎士家に生まれたからただそのまま騎士になるのだろうとミジンコは思っていた。しかし彼は、これから幾多の苦難を味わうことになろう聖騎士の道を選んだ。

 何故かはわからなかった。

 よく剣を交えたヨグルト。立派な騎士になり国を守ると言っていた。周りとの交流を避けていたヨワリス、彼とはほとんど言葉を交わしたことがない。

 それぞれに何らかの思いはあるのだろう、とミジンコは思った。

 ミジンコには理由があった。聖騎士としてこの旅に出なければならない理由が。名誉や安泰などは、もう関係のないものだった――姫が失われた今……。

 

 王から呼ばれる前夜、四人は緑鱗りょくりん城の誰もいない広間に集められた。立ち並ぶ柱の合い間合い間に、高い星々が見えていた。

 成人の儀の前の一年間は、それぞれの騎士にとって最後の修練期間だった。ミジンコはいずれやって来る何らかの使命を思い、決して怠ることはなかった。自身も、かつての英雄や騎士の行ったような探求を成功させたい。ミジンコは、いずれ出ることになろう旅に必要な力と知恵を蓄え、成長した自負は持っていた。ただ、それが姫の死によってもたらされるものであったとは……。

 四人は再会して今、初めて冑を脱いで顔を見合わせた。ミジンコは、同じように厳しい一年間で自らを鍛えてきたであろう三人を見た。

 ヨグルトは凛々しい顔立ち、たくましい体つきになり、精悍な眼差しを湛えていた。ミジンコを見ると、一瞬表情がほころんで、昔と変わらぬ笑顔を見せる。

 ヨワリスも、ヨグルトと同じように髪が伸びていたが、その長髪はだらしなく背中まで垂れ色つやがなかった。驚いたことに、顔にはすでに薄い皺が刻まれている。目を閉じ、無言で立つこの男は、隠者をさえ思わせた。一体どんな厳しい修練をしたのだろうと思ったが、これからの旅で体がもつのだろうかとも思わせた。言葉もなくヨワリスを見つめるミジンコに、ヨグルトも同感の表情を送った。

 マコは、最初からほくほくした笑顔でミジンコを迎え、再会を喜んだ。マコは、何も変わっていないように見えた。

「明朝、クセト座が空に消え入る頃には清めの間で体を洗い、揃って王の間を訪れるようにとのことだ」間もなく近臣がやって来て、そう言った。

「今宵は、この本塔で泊まるがよい」

 四人は頷いた。ヨワリスは何も言わず、そのまま指定された部屋へと入っていった。

「ミジンコ、少し城の回廊を歩くか。星でも見ながらな」ヨグルトが声をかけ、ミジンコは頷く。ミジンコは、二人の傍をおろおろと落ち着きなく歩いているマコに、

「マコ。マコも一緒に来るか」

「ううん、僕はひとりでいるからいいや。ここからだってお星様は見えるもの」

 

 ミジンコとヨグルトは、誰もいない夜の緑鱗城の回廊を歩きながら、互いの一年間を話したり、騎士の見習いになったばかりのことや、騎士寮での思い出を語り合った。

 秋風のあたる尖塔の頂に来ると、ふとヨグルトは言った。

「ミジンコ、どうして聖騎士になった。お前はきっと知っていたのではないかな。姫の……」

「……まさか?」

 二人は同時に、「火」、と言った。

 ヨグルトは微笑して言った。

「まさか姫が火の魔法の使い手だったとはな」

 どこか悲しげな口調。

「そしてその火で自らの身を焼くことになるとは。皮肉なものだ」

 ミジンコもそう言って、力なく笑った。

「だけど、姫はいずれそうなることがわかっていて、密かに火を学ばれたのかもしれない……」

 

 ミジンコとヨグルトは、ほの暗い灯りが幾つも燈る城内を歩きながら、姫のことを話した。姫の秘密を知ったこと。

 ミジンコは、平民のなる城兵の訓練生だった頃、一度姫の目の前で魔物を打ち倒したことがあった。彼の最初の、今までで最大の武勲であり、それで特別に騎士見習いになる資格を得たのだ。平民出の誇りだった。

 ただ、魔物に襲われている姫を救ったその時のこと。

 

 あの頃はまだミジンコも少年で、姫もほんの少女だった。ひとりで森に駆けて来て、小鳥とたわむれる姫を、密かにウサギを狩って剣の練習をしていたミジンコは見ていた。

 そこへ、群れからはぐれて流れて来たのだろう、ケルググという山岳帯に住む翼竜の類が姫に食いかかったのだ。ケルググはまだ子どもで、相当飢えていたらしい。衰弱した子どものケルググなので、なんとか打ち負かすことができた。しかし、一緒に流れてきたのであろうもっと幼い弟竜が、木陰に隠れていた。剣の血を振りはらって鞘におさめた時に真後ろから不意打ちを食らった。その時、姫が火の魔法を放ったのだった。

 本当はこういうことに使いたくはなかった、と姫は告げた。王族が危険な魔法などに手をつけることは禁じられている。子どもと言え竜のケルググを一瞬で焼き尽くしたそれは、まじないや手品の類などではない正真正銘の火の魔法だった。王族と言えど、魔法と関わっていることが知れたら罰せられるだろう。だから、姫はたとえ目の前で人が襲われてもそれを使うつもりはなかったと。だけど、ミジンコが助けてくれなければ最初の竜の牙を逃れ得てはいなかっただろうから、と言った。姫はミジンコにお礼を言って、でも本当はそうじゃない、私が秘密にひとりで火を学んでいるのは……と言いかけて俯いた。

「お姫様の秘密は守ります」と、ミジンコは言った。緑鱗城の近くでこれまでもときおり見かけた煌びやかな、無邪気な、姫。ミジンコは姫を慕っていた。もちろん、自身には手の届かない存在。それに自身は騎士になって武勲をあげていつかは旅に出たい。だけどこの姫の騎士であることは誇りであろうと。

 しかしこの姫との邂逅かいこうは、のちに、ミジンコが聖騎士となるまでの決意に至る予兆を秘めていた。

 姫は最後に、「私は、火が怖いの。だから、私は火を自由に、思いのままに、操れるようになりたいの」と、ミジンコに小さく告げた。ミジンコはそのときの姫の横顔が、何故かとても悲しいものに思えたのだ。そして美しすぎるものにも。その横顔を包みこむように、とき色に光る姫の髪が風に靡いていた。姫の、火。あの火が、悲しく、美しい姫の横顔と一緒にいつまでもミジンコの脳裏に焼きついた。どうしてあんなにも悲しくて、綺麗で、だけど思い出すとなぜだかあたたかだった。

 

 もちろん出来事の全てまではヨグルトに伝えなかった。ヨグルトも、手短に、姫の秘密を知った時のことを話した。彼も本意は秘めているのだろうか。彼は偶然、姫が魔法を扱う場を見たのだということだった。そのことは誰にも言わず胸に秘めているという。

 星を見ているマコに会った。もうそろそろ部屋に入って眠ろうと広間に戻ると、まだマコはひとり、その場で星を見ていたのだ。

「可哀相なお姫様」とマコは呟いた。

「姫は、そのままではいられなかったのだ」ミジンコは、マコの横に並んで言った。

「実際、姫は、何を失われたのだろう……?」うしろで、独り言のようにヨグルトの声がそうぼやいた。

「姫はお星様になったんだい。ほら、あそこで火のように燃えている……」

「火……」と言って二人は顔を見合わせたが、頷き合い、夜空を見上げ涙するマコは何も知らぬと目で言い合った。

「しかし、我々聖騎士の使命とは何だ」ヨグルトも隣に並んだ。

「これから出る旅。探すべきもの。姫の……」

「可哀相なお姫様……」

 

 きっと姫は、変わってしまうことが怖かったのだ。寝床で、姫とのあの邂逅を浮かべながら、ミジンコは考えていた。火を自由に操りたいという姫の思いは、全てをべたいという願いだったのだ。自分の中で、変わらないものが失われた時、姫はもうそのままではいられなかったのだ。

 姫が失われたこと。しかし、姫は完全には失われない。そのための仕事を自分は担うのだ。

 

 四人は目を覚ますと、城内の聖泉で身を清め、薄い陽の射す早朝、王の間を訪れた。父に等しいクシュウイン王はただ静かに、ひとりひとりの名を呼び、命を言い渡し、正式に探求の旅の始まりを告げた。

 

 ヨワリスは姫の灰を

 ヨグルトは姫の血を

 ミジンコは姫の髪を

 マコは姫の指を探せ

 

 四人もただ静かに命と洗礼を受け、「必ず」と言い各々が短く決意を述べ、退出した。

「それぞれ、旅の方位が決まり、仕度が整ったら最後の挨拶に訪れよ」

 そして王の間は閉ざされた。

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