土毒蜘蛛
ミジンコはその日中いっぱいかけてとうとう
やがて
「よっ。来たね来たね。今日はとてもいい日でぼくもあなたも元気だね」柄にも合わず軽く挨拶をするのだった。そして、
「マコを探しているのかね」昆虫はニタリと笑った。動物の顔の下に、紛れもない昆虫のものである、鋭い口器が一瞬見えた。
「マコ……マコ……? んん~、マコやあ……んふ、んふ、いないねえ?」そのおぞましい虫は巨大な体に似合わず、首をキョキョと振って辺りを見回す振りをした。
「呼ぶのをやめろ。虫の分際で、人の名前を呼ぶのをやめろと言っているのだ」
「うへっ。虫だって……げえっ。気持ち悪いよね? ところであなたは、ぼくに何か聞きたいことでもないのかなあ。たとえば、マコは何処にいるのかとか……うぷぷ、」そこまで言うと、昆虫は突如吹き出し、ひどい声を上げてげたげたと高笑いするのだった。「めきょきょきょきょ!!」その奇声は峠中に反響した。ミジンコはとうとう剣の柄に手をかけた。虫は笑いながらもすかさずそれを見止めた。
「待て。結局最後はそうか」昆虫は笑いを止め、
「お前……!? 知っているのか。姫のことまで何故? 騎士たるマコ、たとえ貴様に囚われ拷問されたとて喋るはずはない!」
「だからマコのことは俺は知らんよそもそも。どうせお
「やめろ! 冗談は一度にしろ!」
「ないおうぃ? うい……」蜘蛛は表情が一瞬緩んでぞっとするような笑いを浮かべたが、またすぐに引き締まった。蜘蛛は言葉を続けた。
「揃いも揃って忠実に命令に従って、失われたもののしかも残骸なぞを喜んで集めている。その間におめえはまた落し物をしている。とりかえしのつかないことを、おめえは気づかぬうちにしてんだよ。もうどうにもならねえがな、見ておれ! ……そうそう、それにマコなんざ、今何してるか知ってるか? お前だけだよ、マコなんてな、教えてやる……」
「黙るがよかろう、虫屑めが! 早くそのマコを出せ、貴様が隠しているマコをだ!」ミジンコは剣を抜き、陽光が刀身に反射し蜘蛛の顔面を撃った。
すると土毒蜘蛛の表情は虚ろになり、辺りに静けさが訪れた。ミジンコは薄気味悪さを覚え、すぐ危険を悟った。眼は死んだ虫のように白くなっていったが、段々そこにしじまが浮かんできた。口からぼたぼたと涎が落ちた。
不意に――「マコー! マコー! 何処にいるのーーー!?」――鳥のような甲高い声で叫んだ土毒蜘蛛の顔に、憑き物の様相が現れた。
「これは、……狂っているのだ!」ミジンコは後退り、廃墟の小高い位置へ飛んで退避した。
土毒蜘蛛は脚を強張らせたまま足早にがさがさ歩き回ると、何を思ったか、瓦礫と残骸と白骨の散在する後ろの森へと疾走しその中へ忽然と姿を消した。昆虫は立ち去り、戻って来ないように思われたが、二、三分もした頃、
ミジンコは素早く、森の入り口付近の、短い城塔の一つが倒れてめり込んでいる杉へ、それを伝って上った。そして左手にレクシナ
ばりぼりと骸を貪るような見苦しい音を立て、土毒蜘蛛は、ミジンコが見当をつけていたおおよその位置の森から這い出してきて、また止まった。
目は真っ赤で、尻部から体液を垂れ流し、涎にまみれた口器には、おそらく幾らか古いためなのか、ずたずたに痛んだ死骸を咥えていた。
「あれが?」
ミジンコはレクシナ刀を投げるや土毒蜘蛛めがけて杉の上から踊りかかった。頭部を深くえぐって突き立った短刀に、化け物は、おののき、わめき、痛みに発狂して凄まじい速さで駆け出していた。その上に乗ったままミジンコは、昆虫の汚臭に吐き気を覚えつつも、幾度となく長剣で頭部から胸部を切り付けた。虫はすでに死相を湛え体液を溢しながら廃墟の町を奔走するばかりだったが、徐々に体力を消耗し、死に際に卵か内臓か判別のつかぬ物体を尻から数珠つながりに吐き出すと息絶えた。それを出してしまうと体は腐った果実のようにくちゃくちゃに萎んだ。
「人の死体はどの辺りに落としたろう……」
しかし見つかったそれは、思ったより新しい死体ではあったが、噛み千切られ年齢性別の判断さえつかないものになっていた。
その日の夕刻までミジンコは近辺を散策してみた。森の中にも入ってみたが、蜘蛛が集めたのだろう骨が所々に山積みにされているだけであった。白骨ばかりで新しい死体はもうなかった。あとはガラクタや果物の皮ばかりだった。変わったことと言えば、一度見慣れない鳥が森の中でミジンコにぶつかってきて、騎士の持つ短剣を落としていった。見てみたが、マコが所有していたものというわけではないようだった。ミジンコはこれをさきの戦闘で汚れて使えなくなったレクシナ短刀の代わりに腰に下げた。
日も暮れる頃、森からミジンコがさきの場所へ戻ってみると、玉売りと昆虫採集家と流れの外科医が来ており、三人で数個の巨大な昆虫の排泄物を囲んでそれについて議論していたが、ともかくそれを買い取ると言い、ミジンコに、お金の代わりに高価な衣をくれたので、ミジンコは体液で汚れた鎧を脱いですぐに着替えた。
ミジンコが山を下りると、今各地に派遣されているという
(第I部了)
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