亀圏州

 翌日から、二十数名になったミジンコ、デラネテの一行は、亀圏きけん州に入り順調に各郡の関所を通って行った。急使はすでにどこの関所にも届いていた。元来その大部が山間部に築かれた州のため、上り下りが多く主要郡を通っても平野の旅よりは時間を要したが、デラネテの描いた旅程は間違いなく最短ルートであった。二日で足部あしべ郡を抜け、五日で州都亀甲きこうとその近隣小郡を通り、二週目はタマリ水河(亀圏州最大の湖)の渡河を行い、週末にはデラネテの盟友が太守を務めるというデコレショ郡に到着、三週目には霊亀れいき県入りし、そこからもう二日とかからず峠裏手の山へ行けるという予定だった。実際二十日足らずで一行は霊亀県に入ることができたのだが、一つ、デラネテの思いも寄らなかったことが起こった。デコレショ郡太守であった彼の親友が、ちょうど一行が亀圏州に入った一日目にあたる日に解任されて、すでに新しい官吏が任に着いていたのであった。

 新しい太守によると解任の理由はわからないが、他州からの賄賂を受け取ったとか内通していたとかではないかということだった。そして、ユミテとは敵対関係にないので疑いはしないが、本郡はこういうことがあったので、ともかく他州の者に協力はし兼ねるというのだった。というわけで換え馬は得られず、速度は上がらなかった。それまでの郡都や関所のように国の宿舎も借りられず、兵馬の泊まれる町宿を探すのにも苦労した。

 デラネテはこのことに大変悔いる様子で、ミジンコに何度も謝った。また、旧友の失脚に対し「そんなはずはない。あり得ぬことだ」と嘆きを表していた。

 もともとミジンコは一人で土毒蜘蛛ツチグモを討ちに行くつもりで、旅の困難は覚悟していたので、その友人の助力の得られなかったことは何も気にしなくいいとデラネテに言い、彼が本当に優れた人物で、ありもしない罪ならばいずれ晴れるだろうと励ました。

「そうだな。是非、三人で酌み交わそう。あなたの任務が終わっても、ユミテを訪れてくれ。彼も亀圏州なぞに勤める必要はなかったのだ。ユミテへ高官として迎えるよう私から州王へ推挙しよう。その時こそ、ミジンコ殿、是非とも」

「ええ……有難うデラネテ殿。さあ、明日はとうとう霊亀県ですね。二十日かからなかったことがともかく最大の収穫でした。デラネテ殿のおかげです」

 

 今季節は冬末であるエステリァート座月にかかろうというところで、寒さも引いていく時期であったが、一行が霊亀県入りしたその日は大変な冷えこみで、街も霜が降り霧がかっていた。これのため馬はいっぺんに弱ってしまった。

「仕方あるまい。ここまで二十日近く駆けたのだ。疲れもある。ここまで来たら換え馬しても二、三日の違いだった。どうせ山に入る前には馬は置いていかねばならぬしな。一刻を争うと聞いたので換え馬を考えたが、予定より随分早く着いた今、むしろ一度ここで大きな宿を探し休息でもとりますか、ミジンコ殿? 先の郡では思っていた飯も寝床も得られず、けんもほろろといったところだった」デラネテは言った。吐く息は白い煙のようになった。

「うん……私も、これだけ早く着けたのなら一日二日は休んでも大丈夫とは思う。しかし、前も言いましたが、この霊亀という土地にはできるだけ滞在したくない」

 デラネテの兵の中には、多少渋い顔を見せる者もあった。この二十日間は、夜になって宿に着き、早朝には出立ということの繰り返しの旅であった。

「申し訳ないとは思うのだが……しかし私は一足先に山に向かって、ほら、カラス天狗のさともある。あそこはもう霊亀県ではないから、せめてそこまで行って休むよ。あなたがたはこの人間のいる町の宿でゆったりとしてくれればいい、のち山で落ち合うとしよう。……それに、私の友マコは死んではいないかも知れぬが、土毒蜘蛛にどんな目に遭わされているか考えると不憫なのだ」

 土毒蜘蛛の名を聞くと、怯んだ様子まで見せる者さえいた。が、このミジンコの言葉に対し、そういうつもりで言ったのではなかったのだが――「ミジンコ殿の義憤に私は従う」「一刻も早くマコ殿を汚物(土毒蜘蛛)の牢獄から救うのだ」などの声が聞かれ、多くの兵には気力が漲ったのだった。カラス天狗の里のあることも支えになった。

「よしわかった。すまぬミジンコ殿。実のところ少々気を落として、私も弱気になってしまっていたようだ」

 急き立てることはしなかったが、徒歩よりは早いので、そのまま弱った馬をゆっくりと駆って、霊亀県を山あいの方へと横断した。幾ら早くこの土地を抜けたくても二日はかかった。一日目の夜、今や真上にあるチデル座は赤い光を増して冷涼とした夜空で不気味に輝いた。二日目は山間部に近付いたためか、寒さが増し、夜には雪が降って、不吉な星は見えなくなったが、これでは山に入ることもできなかった。

 しかし朝目覚めると、雪は全くやんで陽が差し、雲一つないほどの快晴であった。昨晩積もった雪もほとんど溶けつつあった。出発は決まった。一同が宿泊した蛾藻屋がもや亭という大民宿に馬を繋がせてもらい、兵を二人残し、午前の内にもうすぐ目の前に見えている猩魔山しょうまさんへ通じる小径こみちを皆は上って行ったのであった。旅の前ユミテで、住居人自身から聞いたカラス天狗の隠れ里は、正しく辿り着けば、日中の内に見つかる距離にある筈だった。

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