またとない援助策

 土毒蜘蛛ツチグモの住家七骨峠しちこつとうげは、ユミテ北の亀圏キケン州を更に越えた所、ほぼ西域に近い首モドキ州境に位置する。亀圏州の山道(州西の山岳部)を行くのが近道だが、四の森と四の峠を越えねばならず、大きな町もないので疲労との戦いにもなるだろう。しかしマコを救うためには最短距離をとって迅速な行動をする必要があった――それでも五十日はかかると思わねばならない。七骨峠に着いてからはさらに充分な慎重さが要求されるだろう。土毒蜘蛛は噂に聞くだけでも相当厄介な相手で、持参した古書にも増補編の一部にこの敵の記述が見られた。

 そこには、発達した肢脚だけでなく口器にも大変な力があって同時に四つの人骨を砕くこと、毒自体はジガバチや百足のより大したものではないが凄まじい腐乱臭を伴うこと、そしてその巨大な頭部の示すように、昆虫特有の知能の低さは見られずむしろキツネタヌキの類あるいは僧侶の如く頭が切れ狡猾であること、などが記されていた。絵及び図版は付与されていなかったが、隣のツツガムシの項目のそれを見る限り(あるいはどの項の絵を見ても)、どのみちあまりあてになるようなものではなさそうだった。それより、土毒蜘蛛欄の最後に書かれた、四十九日かけて四体液を吸い尽くされミイラになった高僧の例話がミジンコを憂鬱にさせ、足取りを急かした。

 ミジンコは馬を馳せ、三日目も暮れる頃ようやく亀圏州の入口に差し掛かった。国境の砦の宿で休むミジンコに、少し憂慮を和らげてくれることがあった。デラネテが彼直属の兵馬を引き連れ、(彼言うところの)良案を携えて来てくれたのだった。そこには、ビスケミンクの姿もあった。

 

 ユミテ領天ピリアてんぴりあ郡の砦だったので、兵達も皆宿舎に入り休んだ。ミジンコは、デラネテと、彼の側近二名、それからビスケミンクも加わって軍議室を借り、地図を広げ、深夜まで話し合った。

「一つ気になるのは、霊亀レイキ県を通ることだ。どうしても通らねばならないのか?」

「そうだ。ユミテ州王の書状を持った急使が先に行って、我々が来たら本来軍用ルートの抜け道である関所を開けてくれるよう頼んである。このへんのことは、私の力でうまくやれることだ。あなたがどうも他人の耳に触れることを毛嫌いしているようなので、王にはことの次第は話していない。それで私兵を連れてきたのだ。

 霊亀県を通れば三十日で着く。安亀アンキ県回りだと四十日と少しはかかるのではないかな? それに霊亀県の手前の州郡には私の軍大学時代の盟友がおってな、彼に換え馬を用意させるつもりだ。これも私の遣いの鳥を出してある。必ず聞いてくれる。彼は、時間があれば、本当はあなたにもちゃんと紹介したいのだ、素晴らしいやつでね。彼も古代の名前や、歌謡などにも詳しいぞ。それから換え馬があれば、早ければ三十日かからずに着く!」

 ミジンコはしかしいささか暗い面持ちでこの、またとない援助策を聞いていた。実際のところ、土毒蜘蛛がどれだけの時をかけて人を殺すのかは、聞き伝えや書物によってまちまちだったが、早く着けるに越したことはなかった。しかし霊亀県は元来その位置や地理からして西や北の果てとつながる気脈を持つ不吉な県であった。人も暮らしており県令もいるが、特別な任務と関わる人間が行くべき場所ではなかった。今は更に、霊亀県の方角にチデル座が赤黒く光り、星座の尾の指すところに七骨峠があった。

「ミジンコ殿? 私の策、受け入れて頂けますかな。あなたとは会って間もない人間が余計なお世話かも知れないが、妹があなたみたいな、なかなかに優れた人とお付き合いしているので兄としても嬉しくて。あなたを人間として高潔な人物と判断して、精一杯の助力をしたいと思ったのです」

 ビスケミンクはまだずっと話さないまま静かに座っていたが、ここで少し照れくさそうに顔を伏せた。

「デラネテ殿。私は本当に嬉しいです。では助力受けさせて頂きましょう。確かに、山道行では例の峠に行き着くまでに体力を消耗してしまっていたかも知れません」

「あなたは行ったことがないのでわからなかったろうが、あの山道ではおそらく馬は使えませんでした。ここから山間部へ入っていたら七十日は要しましたぞ? 公道を行けば軍も使える。敵によっては、各県で更に兵を募ることも可能でしょう。もっとも、私の部下だけでも十分鍛えてある。この二人はアルクーノ兄弟、投擲とうてきの名手です」

「私はアルクーノ。こちらは弟のアルクノスです。お見知りおきを」

「ミジンコです。どうぞ宜しく。して、デラネテ殿。そこからは――霊亀県からは、どうします?」

「霊亀県のすぐ脇のこの山が、くだんのカラス天狗の隠れ里があるという、七骨峠の山の裏手側にあたるわけです。こちらから回れば、そこで彼らの援助も得られる」

 ミジンコは、カラス天狗のことは今思い出した。どれほど力になってくれるだろう。彼らも、何に属するかはわからないが知恵を持つ古い生き物だ。『ミルネステルダス』増補や『地理書モクのしょ』に載っているほどの者達ではない。くぐもった数珠じゅずみたいな目と、渇いた話声が思い出された。

「ミジンコ殿。ゆっくり休まれよ。ここを出ると他州に入る。思うように休息できぬ場所もあるだろう。まあ、先言ったデコレショ郡では今一度確実な食事と、眠りが得られることだろう。

 さあビスケミンク。あまり騎士殿の時間を割くな? 楽しい話は戦いの旅が終わって後な」

 全ての策の説明を終えると、二人の部下を連れデラネテは部屋を出て行った。ミジンコとビスケミンクの二人が残った深夜の軍議室は静かで、デラネテらの足音が去ると廊下からは物音一つ聞こえてこなかった。


「私からもいい知らせがあるのよ。……怒っているの? 私が付いてきてはいけなかったと言いたいのでしょう」

「私的な探索に君を巻き込んでしまった。尚今からのことは本当は任務からさえ外れていることなのだ。髪の毛の探索も、もう帰ってから私一人やることにして、君達には郷里へ帰ってもらった方がよかった。私自身が探索の任を外れ、それを他人任せにするなど本来的にはまずいことだ」

「その探索ですけどね、あなたが発って翌日のうちに七本が見つかって、あと残り一本なの。それも今頃は、二人が見つけているかも知れないわ」

「もしそれが嘘なら大変いけないことだ。君はあの人達に仕事を任せここへ来たくて一人来たのではないだろうね? こういうことに関する嘘は後で必ず災いを招く。それに、七という数字も、今言葉に出すのは不吉な数だ」

「まあ……! もう少し、喜んでくれると、思ってたのに……。暗いことばかりおっしゃって、『ミルネステルダス』の読みすぎじゃなくて?

 だけど、髪の毛が見つかったのは本当なの、七本というのも、本当なのよ」

「私は、ただ心配なだけなのだ。あなたが……。大変危険な所だから。こうして来てくれたのは実際に嬉しい。しかしいかに古い魔性の生き物と言えど、どのみち私は土毒蜘蛛ごときにはまず敗れることはないのだよ」

 二人はそれだけ話すと、部屋の明かりを消して退出し、それぞれの部屋へ戻った。

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