テラス=テラ領主館の夕餉

 その後、ミジンコは守兵兼娘の優しいじい達に食堂へ案内され(バハマと呼ばれた一人は動物嫌いなのだろう、トグロに寄られるとびくびくと身を退けた)、食材が今夜はあまり残っていないので申し訳ないというシェフが作ってくれた料理を食べた。それでもそれは、昨晩の村落での手厚いもてなしより遥かに豪勢なものだった。ただ鳥料理など肉が多かったのでトグロの口にはあまり合わないようであった。

 館には高い塔が三つあり、その一つが客の宿泊塔になっている。夕食、入浴を済ませミジンコが部屋に入った時はもう真夜中近く、窓の外は真っ暗で、遠くに丘陵の伸びているらしいぼんやりとした黒い形が見えるだけだった。空は明るい月が出て、緑鱗りょくりん城から見るより、星は白く綺麗に見えた。不吉だと言われる馬夢流バムル座やガデ座は、ここからは見えなかった。

 翌朝になると、窓から見える景色は、美しい陽光に照らされ一変していた。ミジンコ達の来たのと反対の方角、丘陵の下一面に、テラス=テラの街並みが広がり、その周りをまだ色の落ちる前の野菜畑や花畑が取り囲んでいた。緑鱗城から見下ろす、武器商人の行き来する緑宝石りょくほうせき通りや、遠く騎馬隊の駆ける騎十字きじゅうじ郡の街通りに比べて遥かに美しく和やかな眺めだった。その向こうに小さな丘陵が幾つかあり、どの丘陵も頂上に、この館ほどではないが小さな屋敷や、数件の家が建っているのが見えた。ひとつ格段に大きくて、頂上が平たく、一郡が入るくらいの幅の丘陵が視界の果てにある。そこには広大な街とその中央に無数の旗や五、六もの尖塔の聳える城塞がはっきりと見えた。

「お早うございます、騎士様。もうお目覚めになっています? 入ってもよろしいですか? 朝ごはんお持ちしたのですけど……」

 ビスケミンクの声だった。

「ええどうぞ……」

 ゆっくり入ってきた領主の娘は、今は随分礼儀正しく、一見質素だがたくさんの珍しい宝石や紋章石で綺麗に縁取られたドレスを纏っていた。昨晩は暗闇の中でしか顔を合わせなかったが、改めて見ると、幼さを残すも、実に聡明そうで、整った顔立ちだった。彼女はミジンコを見つめ、微笑して見せた。

 姫は、あまり笑わなかった。笑っても、口元が少し緩むくらいの、いつもなぜか悲しさを残すような面持ちをしていたのだ。この娘はそれに比べて、明るく、屈託ない笑顔に見える。ただ、笑顔からふとたち戻ると、姫にどことなく似て見えるとミジンコは思った。

「昨晩お会いした時はあまりお顔を合わせてくれませんでしたけど、本当に旅の騎士様としては随分お若いようですね……。私が今までお会いした方は、比較的若い方でもおおかたもう髭は生やしていらっしゃるくらいでしたけども……」

「いやもう私も、成人の儀の年は過ぎているのだ。今はまだ旅を始めたばかりだが、探索を続ける騎士はすぐにくたびれてしわだらけになると言うよ。私も、間もなくそうなってゆくんだ」

「まあ……旅が早く終わればいいのに……」

「そんな、早く終わる旅など……。長い旅を覚悟して騎士になったのだ」

「でもそう、私ももう成人の式は終えて三年経つのですよ。そうは見えません?」

 ミジンコは驚いた。全くそうは見えなかった。ずっと館の中で守られて、大事に育てられたのであろう。そしてこれからも、この娘は美しさを保っていくのであろう。ミジンコは、困難な旅で、傷つき疲れ老いてしまうだろう自分のことを少し考えた。このそう年は違わない娘と、やがて、間もなくかけ離れた容貌になってしまうのだろう。

「ユミテの都を、ご覧になりました? 私は見飽きたくらいだけど、旅してここに来られる方は、この景色を初めて見ると、綺麗だっておっしゃいます」

「私もそう思ったが」

「あの中央の大丘陵にお城を取り囲んで立ち並ぶ街が州都で、ユミテの夢と呼ばれているのです」

「ユミテの夢か」

 街では方々でたくさんの旗が立ち揺れるのが小さく見えて、都の繁栄を示していた。中でも高く聳える城塔の緑やピンクの旗は、過ぎ行く秋の青空によく映えていた。

「ああすみません。私余計なこと話しかけたりして……朝食が冷めてしまう。あ、動物さんはまだ寝ていますね? 彼らのスープ、ここに置いておきますね。

 御免なさい、父上は大体昼前まで寝ているのです、本当は、病気で……あまり無理に起こせないの。さき、旅のお客さんの来たことだけ告げましたら、今日は起きて部屋を出るから、豪華な夕食を用意しておくようにとおっしゃってましたわ」ビスケミンクは、トグロのすぐ脇にスープと野菜の小皿を置きながら言った。

「そうなのか。それでは、私から太守の部屋へお伺いし、礼を述べてもう発つことにしよう。ご迷惑はかけられないので」

「いえいいんです……できれば、お急ぎでなければ、父と話して頂けた方が、あの人も元気が出ると思うんです。ずっと一人きりなので……。父もユミテでは古参の将ですから、何かここのことで聞きたければ、力にもなれると思います」

 しかしミジンコは、昼前には彼女の父であるそのテラス=テラ太守に会った。彼はもう着替えて、塔を下りてきたのだった。ミジンコを世話した白髭のケクックや髪も髭もないミーミケクより、もっと年を取った男のようで、彼はケクックより長く真っ白な髭を胸の下まで伸ばし、頭はミーミケクと同じで丸禿だった。杖を突いて腰が曲がってはいるが、それでも非常に背丈が大きく、森の古木の如く威厳を感じさせるのだった。かつては歴戦の将であったことを思わせるこの男は、しかし、笑顔を見せた途端ほころんだ優しい表情になり、そのままミジンコに語りかけた。

「これはどうも、よくおいでになった、旅の騎士殿。わしがテラス=テラの太守デールンクじゃ。昨晩は久しぶりの来客で娘がはしゃいだようで、迷惑をかけ申した。そなた、お急ぎでないなら、是非夕餉ゆうげでもてなしたいと思っておる」

 ミジンコも、探索の使命のことだけでなく、少しこの男の戦や出来事の話を聞いてみたくなっていた。「お願いします」と返事をしたミジンコに、老将はいっそう嬉しそうな笑顔を見せた。

「それはよかった。実はわしの方も、若い騎士殿とお話ができるのは楽しみなんじゃ」

 

 夕餉の時間になると、太守と娘のビスケミンク、太守と同じくらい古参らしい数名の武官文官でテーブルを囲み、それから食事を運ぶ料理見習いの下っ端が二、三人付き侍り、国の様子、世間話的なことを簡単に話すと、すぐに騎士の好きそうな話になった。中原の大火の乱、この時代最古のマデースデルテスの戦い、今は滅んだ妖鬼二十三国の乱、西域からの侵略、さらにこの地方で有名なマデル橋の悪蟲退治や歯間はま砦の陥落などから細かい局地戦まで、話は及んだ。ミジンコも古参の騎士から聞いたり国の歴史で読んだりしていた戦いが多く出てきたが、違う角度から、知らない部分まで、この異国の地の古い騎士から聞いて知ることができた。ミジンコの方は、他の聖騎士三人も同様だが、まだ実戦の戦績はないので、知っている国の騎士のことなどを話した。

「ケィンベルとケルンルナというのはわしは全く知らんから、一つ下の世代じゃろう。その時は参戦しておらなんだか、下っ端として従軍しておったかな。ケクックと言えば、のちの百鬼を降した戦は知る者は知っておるし、三十年前の中原の乱の際もわしの隣の陣でよく敵を防いでおったのでわしは知っておる。ミーミケクというのは、おそらくミーミシクの弟であろう。兄はケクックらと同じでマデル橋でも一小隊を率いておったが、弟は兄ほどの力はなかったのかも知れんな。コワーン、ラハマタ、ヨホヴェ、ズル=ト、鉄ホゴ、などの名は知らんか?」

「コワーンとラハマタは私と同く聖騎士に任じられたヨグルトに剣を教えていました。ヨホヴェはヨワリスの世話をしていた騎士で、皆私の騎士ケクックと同期の者ですね。鉄ホゴという人は知りませんが、一世代前の重騎士で国伝記に載っていた人かも知れません」

 ビスケミンクも、「またその話ね」「その話は私もまだ知らないな」「お父さん、それさっき話したばっかりだよ」などと、時折口を挟み、他の古い将校もそこは違うとか、あの戦の勝因はこうだとか話に加わって、夕餉ははずんだ。年老いた者らはお酒がまわってくると、口も考えも止まってしまうようで、王に礼し、ミジンコに「久しぶりに話が盛り上がりました」など声をかけ退出して行った。太守は酒を飲んでますます元気だったが、娘のビスケミンクにもう止められていた。ビスケミンクは明るくはしゃいではいたが、食事の作法や行儀など大変しっかりしたものであった。

「それでミジンコ殿。そなた、何を探しておるて? そのためにこのユミテに来たのでしたな」

「はい。ユミテの都の方角に去ったそれを追ってきたのですが、実のところ、このユミテ州の何処にあるのか、見当はつかないのです。このままとりあえず都へ行き、探しながら西へと向かってみるつもりですが……」

「西域へ? 西へは行かないほうがいいわ……」

「ビスケミンクよ。お前は黙っておりなさい。探さねばならぬ以上、それがある場所へ行かねばそれは見つからぬ。ここになければ先へ進むしかないのじゃ。それの見つかるあてが仮にないとしてもな。

 して、それはいかなるものじゃ。深く尋ねはせん。探索するに値するものなど、ありふれたものか、聞いても余人にはわからぬものかどっちかじゃ」

「ありふれているが、一度きりのものでしょう。ある人に関係するものです」

 ビスケミンクは少し悲しそうな顔をした。

「それは、ユミテの都に関係がありそうか。見たろう、そなたも。あの麗しきユミテの夢を。あそこにそなたの探すもの全てがありそうか?」

 若い騎士は頭を抱えこみ、太守はじっと動かなかった。やがて、娘が、向かいの騎士の後ろにある扉に目をやり、声を上げた。

「ばあや!」

 ミジンコが後ろを振り返ると、腰の曲がりきって、体も縮んだ大変な年寄りが部屋へ入ってきた。「ばあや」と呼ばれたその老人は、実際のところ見た目では、爺さんなのか婆さんなのか判別は付きがたかった。それほどの年に思われた。おそらくこの老婆が、昨晩守兵の話に出た館の占い師なのだろう。

「んむ。しゃれこうべが、ガテ座の方角から飛んできて、ユミテの都の頭上を通り過ぎ、西域に消えて見えなくなった。しかし、ユミテを通るところで、しゃれこうべにくっ付いておった毛髪が全て落ち、ユミテの都中に、雨のように降り注いだのじゃ。その数百三十三本」

「しゃれこうべが! ミジンコ様、誰のしゃれこうべを、あなたは……! その方は、あなたの恋人でして?」

「いや違うのだ。それは私の……我々の姫なのだ、ビスケミンク殿。テラス=テラ太守デールンク殿、このことは、どうか内密にして頂きたい。これはきっと誰にもわからぬ類の旅なのです。(きわめて内的な……。)

 それから、私が行くことになるのはどうやら、都ということでよさそうです。私が探すのはしゃれこうべではなくて、そこに残っていた髪の毛の方なのです。ビスケミンク殿、西域ではなくてよかった。明朝ここを発ちます。どうも温かいもてなしを、それからばあや様、私に関する預言をありがとうございました」

 太守は何も言わずに軽く頷き、ばあやは「んむ」と頷いた。

 礼を述べ部屋を出るミジンコにビスケミンクは、「うん……西ではなくてよかった」と言い、彼も笑顔で「ええ」と答えていった。

 食事の間に残ったビスケミンクの顔はそれでも、やはり悲しそうだった。

「……お父様。あの方の旅は何を意味するのでしょう?」

「この地で国を守って間もなく死んでゆくわしには、今や関係のない話。しかしこの旅を知ったお前はまだ若く、そして今やもうこの館にはいられないのだろう。明日、あの男に付き従って、都へ出るがよい。騎士家の娘として、ふさわしい教えはしてきた」

 

 翌朝、ビスケミンクは凛々しい青年のように、白銀の胸当てに華やかなマントを着用し、騎士の短剣を携え、ミジンコに従った。太守は見送らなかった。ビスケミンクは、都での探索に協力するとだけ言った。彼女のじい、バハマとパコッタも騎士の従者の格好で付いてくることになった。館に残っていた五頭の年老いた馬が用意され、トグロは二羽で一頭に乗った。

「私の兄の一人が都で官吏を務めており、彼の許可があれば都務めの者が利用する寄宿舎の部屋を借りれると思います。行きましょう。都までは馬があれば三日程で着きます。それまでに町がありますから、宿に困ることはありません」

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