第2章 ユミテ国滞在記
ビスケミンク
姫のしゃれこうべが飛び去ったという、ユミテ国領へ入るまでに四日を要した。
ユミテには、
その間に、残っていた五羽のトグロのうち、三羽は死んでしまった。さきの戦闘や、旅の疲れのためだろう。
ヨデアの
残った二羽も、その表情を見るのがつらいほど、疲れて、そして仲間の死に悲嘆していた。動物の死骸は、旗本の印しに与えていたメラ乃宝石館の蝋燭飾台を墓標にしてその場で埋めた。もう半ば冬になりかけの、木枯らし混じりの風と肌寒い外気も、穴暮らしのトグロには悪く影響したのだろう。
*
ミジンコ達が到着した村落は、森を抜けた谷あいに位置し、谷上の畑や鳥猟で自足している小集落で、二、三十の家族が暮らしているのみだった。谷や森へ入る遠征猟師や旅人のために、何件かは民宿をしていた。
ユミテ州は
「騎士様。ここはユミテ最東の地で、ごつごつした谷間になっておりますが、もう一日も西へ歩きますと、そのうちに緩やかな丘陵帯に変わって参ります。ユミテは丘陵の多い土地なのです。最初の大きな丘陵に、ユミテの東部を守るテラス=テラ郡太守様の館をすぐ見つけることになると思いますじゃ」
朝、村を出る前、親切な村長が教えてくれた通り浅い森を三つ抜け、二つ目の小さな丘陵を越える時、次の大きな丘陵の頂きに夜の闇を照らす館の光を見とめた。その緩やかな丘陵の上りに入り、中ほどまで来ると、太守館の領地を囲う壁に突き当たった。
壁は低く、防壁として機能するほどのものではなかったが、丘陵に沿って延々と伸び、その果ては闇に消え入り見えなかった。郡境を示す程度の役割のものなのだろう。館へは、囲いの壁からまだ随分距離があり、頂上付近に立地している。館は小さな城といった大きさで、星空に、尖塔までその影がくっきり浮かび上がって見える。
壁に沿って門を探し歩くうち、正面に見えていた館から随分遠ざかってしまった。門は反対の方向だったのかもしれない。引き返し始めてすぐ、ランプの明かりが近づいてきて、軽い鎧に剣を帯びた守兵らしい姿が現れた。
「どの村落の者か? あるいはどこからの旅人か? こんな夜に、テラス=テラの郡太守の館へ何用かな」
「私は
「おお、あなたは騎士でしたか。本当じゃ。ご立派な鎧と、それにその剣の柄は、四角石ですな? これは大変失礼致しました。さあ、どうぞ、門はこちらです」
最初辿り着いた地点から、ミジンコが歩き出したのと反対方向へ幾らか進んだところに、門はあった。小さな木の門で、脇に掛かった灯もごく小さく、近づくまで見えなかった。もうひとり番兵がいて、ミジンコに礼をした。
「よかった。夜は比較的早く門を閉めてしまうのです。我々は今、最後の見回りに行っていたところなのですよ。大体いつも
今、さきの一人が太守殿に知らせに行きましたのでしばしお待ちを。必ずお泊めになってくれると思います。ここの太守殿もかつて高潔な騎士で、マデル橋の戦いなどで騎馬隊を率いられた経験もおありなのです!」
マデル橋の戦いは古く、昔の騎鈴州も加わっている。他にかつては同盟国だった大カブト州や、滅びた馬錫州(現在のレクテルナル)など五州から三十九の騎馬隊が出撃し、玄河を流れて建設中の橋に引っ掛かった卵から続々と孵る数多の妖怪蟲を討った、歴史上の奇戦であった。およそ五十年前の話である。玄河は西域(西果て)より流れ、中原北の各州に合流する。西は河の源泉でもあり、果ては邪気に満ちており、河を通して悪いものが流れてくると言われていた。
やがて、外套に身を覆った人がいかにも身軽な動きで、さきの兵を伴ってやって来た。
「こんばんは! 旅の騎士様」
綺麗な古い妖精文様の外套が薄明かりに照らし出され、まだ幼い瞳が覗いた。瞳は、少し物珍しげに、ミジンコの姿を見つめていた。
「お嬢様! 灯も持たずそんなに急がれてはなりませぬ! 転んで怪我をされます!」さきほどの兵士が息を切らして追いついた。この外套の人は女性だったのだ。
「私はふつうに走っただけよ? もう子どもじゃないのですから、そんな転ぶだなんて注意されなくても大丈夫」そして女性はミジンコの方へもう一度向き直り、「テラス=テラ領主の娘で、ビスケミンクと申します」と挨拶した。頭の外套を取ると、瞳だけでなく、まだ少女の幼さを残す娘の顔がほの灯に照らされた。宵闇に輝く小さなホタル花を思わせた。
「とにかく館へどうぞ。父はいつも旅の騎士をもてなして、武勇伝を聞いたりするのを楽しみにしていますの。あの、私もそうなのですけど。よく一緒に聞かせてもらったものです。でも、父はもう年で、近頃はとっても寝るのが早くて、今晩もお休みですわ。夜間身分のわかる人の訪れがあった場合は、お泊めしておくよう聞いていますから、どうぞ、遠慮なさらずにいいんです」話しながら、娘は騎士を連れ、館までの舗道を歩いた。
「あら、可愛い動物。この方達は、従者ですか? ユミテには見慣れた家畜か、国境に気の荒い鳥しかいませんの。私もお友達になってよろしいかしら」
二羽のトグロはやはり緊張か嬉しさで何も言えなかった。兵士が「お嬢様、動物には触れてはいけませんよ」と言ったが、娘は素手でトグロの頭やぼんぼりを撫でていた。トグロは嬉しいのか迷惑なのか判別しがたい表情をして黙って付いてきていた。
「正門は町とその向こうにある都の方を向いているから、ここは裏門なのですけど」
それでも郡太守の館だけあって、それにかつて騎士だった人らしく、様々な英雄や軍馬の彫り物が施された門であった。門をくぐり館に入ると随分温かい。そのためだろうか、外套を脱いだ娘は随分と薄着で、騎士ミジンコは目を反らした。トグロもそれを真似た。
「おお、嬢様はパジャマではないか。それでは騎士殿に失礼ですし、父上に叱られますぞ」
兜を脱いだ兵士は二人とも、かなりの年寄りだった。領主娘とのやりとりを見ていると、彼女の世話に手を焼くじいのように思われた。
「父上のように夜も(寝る時も!)甲冑姿とはいきませんわ。騎士様も父上と同じようにしますの?」
「いや私は。しかし立派な武人とはそうあるべきなのかな。それから、私はまだ語るほどの武勇伝は持ち合わせていませんから、翌朝あなたの父上に残念な思いをさせないかが心配ですね」
そう言ってミジンコも冑を外した。
「ほう。まだお若いではありませぬか。それなのに探索の旅に出られるとは、あなたもそれだけで立派な騎士でしょう」
顔を見合せた兵が言うと、「どれ?」と領主の娘はいたずらっぽく覗き込むのであった。
「ビスケミンク殿、私は騎士でもとくに聖騎士の身分なのです。つまり、偉いとかいう意味ではござらぬが、どうかその、あまり婦人方の肌の露出があるのは、ご勘弁下さい」
「ただのパジャマなのに。でも、さっきのこと心配しないで。騎士様お若いから、そういう場合は、父の方の武勇伝がちょっと長くなるかも知れないけど、そちらの方は我慢してあげてね?
私は、ではもう寝ます。夕食がまだでしたら、バハマとパコッタがまず食堂へ案内致します。おやすみなさい……(騎士様の探索が成功して、お帰りの際には私にそれを聞かせて頂けますように……。)」
「はい、では明日。私は、マデル橋の話を是非お聞きしたい」
「私それは聞き飽きましたけど……きっと父は喜んで話すわ。騎士のお客さんは本当に久しぶりなのです。
あら! まだ動物さんも、目を伏せたままですよ」
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