ネムネテ森の戦い(2)オバーバの城

 正午近くなるまで森を歩くと、古城の一つに行き当たった。しかしこれはさきの小動物の住んでいたという空き城ではなく、位置から推測するに、今もオバーバという魔女が住んでいる居城と思われた。

 紫色のエニババ植物や枯れた蔦の蒔きついた城はひび割れ、取り囲む澱んだ浅い沼に、剥がれた城壁や塔の一部が散乱していた。五階もある城のいちばん高い窓から、老婆が顔を出してこちらを見ていた。占い師の玉のようなぐりっとした黒目だけの目。ブブリン鬼の鼻を引っつけたようなひどく醜い顔をしているのがここからでもわかった。

「なにしてる。いいから早くこっちにおいで! そのトグロがみんな萎びちまうよ!」

 魔法をかけてやるとおどしているのだ。トグロは何を言われているのかわかっていないようだが。ミジンコは小魚や猫の骨がこびりついている細い朽ち木の橋を渡り、トグロを率いて城へ入った。

 中世の魔女の生き残りごときにどれほどの力があるというのだ、腕鳴らしにしてやろうと、ミジンコは剣の柄に手を置いていた。が、魔女はすごいスピードで階段を駆け下りて来ると、そんなミジンコの様子をおかまいなしに手を取り、実に愛想よく、丁重に、旅の一行を迎えた。「動物も大歓迎!」と、トグロの一羽一羽にキスして回ったが、十二、三羽もするとさすがに面倒くさくなったのかそのあたりでやめて、しかしなお丁寧な口調で昼食を用意するからと、一同を大広間へ案内した。

 ミジンコは警戒を緩めはしなかったが、老婆のもてなしに偽りは感じられなかった。広間まで幾つかの部屋を通ったが、何処にも魔女を象徴する紋章や装飾は見られず、それに婆が作ってきた料理は、素朴な田舎風手料理以外のどんな魔法の匂いもしなかった。老婆に付きまとう毛むくじゃらの犬も、魔女の飼う類の獣ではなかった。老婆がかつて魔女であったとして、もう力は失われて久しいのかもしれない。

「それでは……頂くとしよう」

 ミジンコはそれでもなお、慎重に食べ物を見つめた。長い円卓テーブルに着席したトグロ達はもう早速食べ始めていたのだが。

「毒なぞ入っとりゃせんって!」婆もスープをすすり、炒めた野菜をがつがつと食べていた。

「あんた、盗賊を追っておるんじゃろ? 二日前からこの古い森へ入った侵入者どもの、え? 話、聞きますな?」

 ミジンコもパンをひときれ、スープに浸けてかじった。口あたりのよいまろやかなスープで、やはりただのごく素朴な田舎料理だった。

「是非、お聞かせ頂たい」

「ヨシ。決まりじゃ。あやつら昨晩はここから少し東へ進むとじきにある旧ムデムデの城(これは正真正銘のあくどい魔女の住みかじゃった)で一泊したわい」

「それから?」

「ほぇっほ。そう急かすな、もう婆じゃて。

 おおよそ七十年くらい前になるかね、あの汚いムデムデ(そう、あいつは蛾寺郡の領主を助けてモスの砦を落としたあと、危険なんで捨てられたんじゃ! ケベス化術と火の使い手でな。ひひひ……)、やつがあすこを発って北へ去った時もまこと安堵したもんじゃったが、昨晩、そのあとに住み着いておった図々しい動物……あの煮ても食えんような貧相なゲテ物どもが立ち退いたのにも、これまたせいせいしたのよ、わし!」

 老婆は笑うととてつもなく大きな口で、芋虫のように動く舌を見てしまったミジンコ以下数羽のトグロも食欲をなくした。

「いやお婆、それで、そのあと盗賊はどうしたのか?」

「え、なに? まだ聞きたいてか。

 ヨシ。あやつらはセンチピデアの領民じゃ。じゃがやつらセンチピデアには帰らんぞ。え?」

「では何処へ行く? それと、数は?」

「いっぺんに二つは答えられん。ではまず数じゃ。よいな? ヨシ……」 

 こんな調子で、老婆は二十九回「ヨシ」を言った。さすがに頭がこんがらがってきて、二九の話をミジンコは整理し出した。数は六十一が正しかったらしい。飛びぬけて強い戦士はいないが皆一様に手練れた兵である。指揮官は二人。兄弟が務めている。名はナナムカデ。もう一人はロクムカデ。確かにしゃれこうべを所有している、このことに関してはそれ以上詳しくはわからない。ヨデアの根城に向かったことは予想通りだった。それから今晩そこに盗賊は滞在すること。やがて迎えの船が来ることまで老婆は確言した。あと、敵の装備、敵の属星、森の地形、明日の天気、明日の運勢などなど……

 その間、トグロは無心に、ただのろのろと食うばかりだった。よい参謀になる者がミジンコについていないのはいけなかった。

「クムーン」

 椅子の足元に、老婆の愛犬がよたよたと寄ってきていた。パンのひときれを、このひどく年老いたもじゃもじゃの犬に千切って与えた。

「ほ。よいのじゃよ。わしの可愛いクム犬には餌がちゃんとあるで。そんなパンきれじゃぁちと、なあ。さあて他に質問ないかえ? わしももうクム犬の餌を用意してやらにゃならね。の、もうひと声」

 これから遭遇することになろう盗賊団に関し、あらゆる情報は押さえておきたかった。だが、なるべくこの敵と戦いたくはないな、ともミジンコは考えていた。トグロはまともにぶつける兵力としてはあてにならないし、数だけでも敵の半分しかいない。まともに戦ったのではおそらく勝ち目はない。策を練らねば。しかしもうひとつその前に、盗賊団の持っているしゃれこうべは、探している当のものなのだろうか。もし違ったら、無駄な戦いということになるだろう、しかもおそらくひどい犠牲の出る戦に。

「そのしゃれこうべというのは……やはりわからないだろうか? それは、姫の……」

「ヨシ。そこまで言うなら特別に教えてやろう。姫のしゃれこうべじゃ、あやつらが抱えておるのは。おぬしの探す、鴇色の髪の毛がまだ引っついておる、姫様のしゃれこうべじゃ。ほほ」

 やはり、戦わないわけにはいかないか。しかし、何とかうまくやれないものか? ミジンコは老婆の方を見た。

 それにしても、その顔はどう考えても人間ばなれしていた。どす黒い大きな瞳は、顔から半ば浮き出したように腫れて、鼻は土から這い出てきた幼虫を思わせた。口もとは笑っている。老婆はさっき、彼の質問まで見抜いていたことにまでミジンコは気が回らなかった。そもそも全てがミジンコの質問とも言えなかった。しなくてかまわないような質問まで引き出されたのだ。古い知恵を持った者を連れていれば術中にはなかったろう。

「あとひとつ。できれば策を授けていただけないか? この数、この構成員で、その手練た盗賊に勝つ戦術を……」

 婆はもう「ヨシ」と言わなかった。

「それには答えれん。もう手持ちのものがおありでないでしょ? これで取り引きは終了だよ。ね、わかるかい坊や? それともあんたが……ほぇっほほ……」

「クムーン……」足元にいた老犬がぶるぶると震えた。足が六本あった。婆の口がもごもご動いた。犬の胴体が伸び足は八本になっていた。トグロはまだけだるく食事を続けている。犬の足が十本。老婆の口から忌まわしい古代魔呪羅まじゅら語が漏れていた。ミジンコは剣の柄を取った。犬は円卓に沿って伸び続ける。足が二十本。ミジンコは立ち上がって叫んだ。魔女は妖相を呈し部屋の明かりが消え温度が一気に下がった。おろおろと顔を見合わせるトグロの周りを、伸びた犬の胴体が囲み、三十本の足が同時に動き、動物を掴えた。「餌は頂くわい!」トグロはすでに魔法にかかり椅子から立ち上がれなくなっていた。真向かいの一羽の後ろ、涎をいっぱいに湛えた犬の顔めがけて、テーブルを飛び越えミジンコは切りかかった。

「ヨシ! 教えようぞ。はぐれた盗賊の首領のひとりロクムカデを捕らえてある。そいつを人質にして今一方の首領の持つしゃれこうべと交換なされ!」

 老婆が飛んだ。

「わしの胃袋から逃げられたらな!」

 そう言いながら魔女は顔の半分ほどの大口を開けミジンコに食いかかっていた。剣の一振りで、魔女の大きな頭が飛んだ。そのままミジンコは円卓上を走って獲物に噛りつく怪物も仕留めた。動物を捕らえていた三十本の足とその胴体が重たい音を立ててずり落ちた。

 明かりが戻ったが、まだ部屋の中は凍えるほどに寒かった。掴まれたトグロはほとんどが軽症だが、かじられた一羽は頭の右半分が食いちぎられ身悶えていた。死んでいく化け犬の首が、「魔女が死んだので、人質の魔法は解けたぞ。やつはヨデアの仲間に合流するぞ」と、がらがらの声で言い残した。

「指揮を執る! 三羽で怪我を負った仲間を介抱して、町へ連れて行くんだ。私の馬を使え。残りは私と一緒に人質の盗賊を捕らえるぞ!」

 しかし、今度はミジンコの足が動かない。切り落とされた魔女の首の、開いたままの口の中で、舌が動いていた。魔女は最後の忌まわしい魔術を詠んでから舌を噛み切り、すると舌はそのまま空中で巨大な芋虫となってミジンコに飛びついた。虫は足に絡みつき、噛みついて離れなくなった。虫の体はまだまだ大きくなっている。人質の束縛が解けた盗賊が広間へ駆け下りて来て、倒れて動けないミジンコの横を一気に駆け去っていった。

「命令を変更する……六羽が私に加勢してこの目の前の忌まわしい虫と戦え! 三羽はそのまま早く仲間を運んでやるんだ。残り二十羽はモゴラーヌが指揮を執り、さっきの男――ムカデの絵を付けた男を見たろう、追って捕えるのだ!」

 数を数えることのできる動物トグロは、ちゃんと指定した通りの人数に分かれた。まず自分の心配をしなければならないところだが、二十羽いれば人ひとりくらい相手にできるだろうかとミジンコはトグロの追跡隊の方が気がかりになった。虫はテーブル一つ飲み込むほどの大きさまで膨れ、ミジンコの下半身に巻きつき牙を立てていた。何度か鈍い痛みが走ったが、トグロが竹槍を持って虫の胴を突つく度に食い込む牙は徐々に緩んでいった。

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