PARTⅣの8(32) 猫がある種のブースターの役割を

 雪乃と富士子はミュウと恵美音たちを一般の人は入れない、禁足地きんそくちの中にある古い校倉造あぜくらつくりの奥殿に連れて行った。


 奥殿の扉には古い錠がかかっていた。


 その錠には、背中を見せて座って顔をこちら側に向けている見返り猫の文様が刻まれていた。


 猫の背中にはハートの模様があった。


 恵美音はその文様を見てミュウに尋ねた。


「この猫ってあの猫?」

「そうだと思う」


 ミュウは答えた。


「さあ、行きましょう」


 富士子はそう言い、雪乃も頷いた。 


 雪乃は階段を登って鍵で錠を外し、他の者たちを中に導き入れた。


 雪乃は明かりをつけ、扉を閉めた。


 ガランとした何もない空間の奥に、直径が二メートルはありそうな大きな銅鏡が安置されていた。


 銅鏡の両脇には、高さ二十センチほどのピンククリスタルの結晶が二つずつ、計四つ置いてあった。


 銅鏡の前の床には、鏡と同じ直径の白い円が描かれていた。雪乃は井草いぐさで編んだ座布団を六つ手に取って、


 ミュウ、鼠小僧、恵美音、チュウ、正見、富士子の六人に渡して、


「円の外側にそこにある井草の座布団を敷いて座って見ていて下さい」


 と指示した。


 みんなは指示通りに白い円の外に座った。


 雪乃は白い円の少し外側の、鏡を正面に見て四十五度、斜め十文字の位置に置き、


 円の真ん中に井草の座布団を敷き、明かりを消して正座し、薄明りの中で、


「何があっても黙ってそこに座ったままでいて下さい」


 と指示した。


 雪乃は姿勢を正し、目を閉じて、いにしえの言葉で、歌うように祝詞を唱えはじめた。


 ピンククリスタルが床置きの照明のように明るく輝き始め、


 その明かりを映した銅鏡の中に、ハートキャットがうしろ向きに座っている姿が現れた。


 それを見たミュウとチュウと恵美音はビックリした。


 富士子と正見は当たり前のことのように、微笑みながらハートキャットを見た。


 ハートキャットはこちらに顔を向け、銅鏡の中からひょいと飛び出して富士子の脇に行った。


 ミュウ、チュウ、恵美音の三人は猫を眺めた。


 ハートキャットは三人を見ながら尻尾をピンと立てた。


「ハートキャットは三人を歓迎しているわ」

 雪乃はそう言って微笑んだ。


「ハートキャットってなんなんですか?」

 恵美音は雪乃に尋ねた。


「私たち富士山に深い縁のある一族の、守り神なのよ」


 雪乃はそう答えた、富士子も正見も頷いた。


「私、ハートキャットには二度も助けてもらいました。


 霊柩車れいきゅうしゃから逃げ出した時には逃げ道を教えてくれたし、


 新宿の公園ではミュウを連れてきてくれたし」


「そう。きょうはハートキャットが富士子おばちゃんに力を貸してくれるのよ」


 と雪乃は答えた。富士子は頷いた。


「じゃ、富士子おばちゃんと恵美音さん、円の中心に向かい合わせに座って下さい」


 二人は指示に従って向かい合わせに座った。


 ハートキャットは富士子の膝の上にちょこんと座って、神秘的な目で恵美音を見た。


 その目はオッドアイ、つまり金目銀目だった。


 富士子は猫を抱きながら、恵美音に言った。


「じゃ、あなたはこの子の頭に左の手の平を乗せて、目を閉じて」


 恵美音は言われた通りにした。


 富士子も目を閉じ、呼吸を整え、恵美音に言った。


「恵美音ちゃん、浜村があなたに最後に言った言葉があったわね?」


「はい」


「その言葉を、浜村の顔を思い浮かべながら、彼がそれを口にした時の表情も思い出しながら、ゆっくりと呟いて」


「はい。『すまんね。こっちにもいろいろあって。これから別の場所へ行く。もう、君に会うことはないだろう』」


 猫がある種のブースターの役割を果たし、そうでなければ響いてこなかったような言葉が富士子の中に響いてきた。


「金沢、東京、親友。パリ、子供」


 その五つをつぶやいたあと、


 富士子は「あとは人間たちの仕事だってこの子は言っている・・・」と言い、目をあけた。


 ハートキャットは富士子の膝の上から離れて銅鏡の中に姿を消した。


 一同は奥殿をあとにした。


 正見は早速佐久間と園田洋子に連絡して、五つのキーワードをもとに浜村の居場所を知るための手掛かりを調べるように指示した。


 宮永宮司の家の応接間で一息ついた時、富士子は恵美音とミュウと恵美音に自分たち富士山に深い縁のある一族のことについて話した。


「昔、富士山の裾野に、豊かに平和に暮らす人たちの部族があって、


 彼らは富士山族と呼ばれていたの。


 ハートの模様のある猫は富士山族の守り神で、


 部族の人たちが建てた小さいけれど美しい神殿に住み、部族の人たちを守っていたわ。


 この神に守られた富士山族の人たちは、精神的にも物質的にも豊かに、


 争うことなく仲良く平和に暮らしていた。


 でも、別の好戦的な部族に征服され、富士山族は滅び、猫は姿を消したけど、


 時折、姿を現しては私たちの一族を守り、導き続けてきたのよ」


「そうだったんですか? 


 ねえ、ミュウ、


 あなたも富士子さんや正之助さんや雪乃さんの一族なの?」


 恵美音はミュウに向かって尋ねた。


「ハートキャットに縁があるっていうことはそういう可能性は十分あるって、富士子さんに言われた」


 ミュウが答えると富士子も頷いた。


「富士山族は別の好戦的な部族に征服されたっていったけど、


 富士山族は縄文人で、


 一万年続いたと言われる縄文時代には身分の差もなければ戦争もなかったと言われているのよ」


「そんな時代があったんですか?」


「ええ。富士山族は征服されたけど、根絶やしにされたわけじゃなかった。


 奴隷にされたり逃げ出したりして生き残り、


 多くの場合、混血しながら子孫を残していった。


 だから今の時代にも富士山族の末裔は沢山いるはずで。


 私や雪乃ちゃんや正ちゃんみたいにルーツが富士山族だということがはっきりしている人間はごく少数だけど、


 そうではない富士山族の末裔まつえいも沢山いるはずなのよ。恵美音ちゃん、


 あなたもハートキャットに救われたということは、そうなのかも」


「そうだといいかも」


「ぼくもハートキャットに救われたから、そうなのかな?」


 チュウは、ジャックポットがくれた名刺を自分が捨てたのを、ハートキャットが拾って持ってきてくれて、おかげで両親は指を切られずに済んだと話した。


「あなたにも富士山族の血が流れている可能性は十分あるわね」


 と富士子は言った。


 恵美音はミュウに質問した。


「ねえミュウ、あなたがハートキャットに最初にあったのはいつ?」


「311の地震のあと、


 チュウと別れて一人で逃げている時に初めて会って。


 あとをついていったら若い連中に囲まれて殺されそうになっている人がいて。その人を助けたら――」


「それがミュウの今のおかあさんのおとうさんのヤクザの親分さんだっただよね?」


 そうよ、その通り、とミュウは答えた。

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