PARTⅡの7(14) 鼠小僧のケアレスミス

 家に戻る途中、


 和希は何故正見とミュウが自分が鼠小僧だとわかったのか考えてみた。


――闇の結社ダーク・ソサエティに政府のエージェントが潜入しているのか?


 それとも、政府の分析官が闇の結社ダーク・ソサエティをハッキングするか何かして情報を得たのか?


 そういったこと以外には考えられなかった。


 ミュウという少女のことも気になっていた。彼女は自分のことを知っている様子だった。


――記憶のないころの知り合いだったのかもしれない。


 と思った。


 今の和希には、


 東日本大震災の直後の病院のベッドの上で意識を回復したあとの記憶しかない。


 ベッドのそばにいた看護師に名前を聞かれたが思い出せなかった。


 名前以外のすべても、覚えていなかった。


「ぼくはなんでここにいるんですか?」

 と尋ねると看護師は答えた。


「あなたは津波に流されて、


 人助けをして、


 そのあとで、流木が頭にぶつかって意識を失ったところを救助されたんですよ」


「人助けって?」


「あなたは、


 やはり津波に流されて疲れて溺れそうになっていた女の人を助けて、


 後ろから支えて泳いでいて、


 救助隊のボートが近づいてきた時に、


 建物と建物の間から勢いよく水が流れ出している場所からすごい勢いで流れてきた流木が後頭部にぶつかったために、


 意識を失ったんですよ。


 助けた人から手を放して。


 でも、幸い、救助隊のボートがすぐそばまで来ていたんで、


 命綱をつけた救助隊員たちが飛び込んで二人を救助して、


 二人ともここに運ばれてきたんですよ」


 小柄なチュウだったが、


 幼い時以来の過酷な訓練と鍛錬たんれんがこの場合は役に立って、命を救うことができたのだった。


「ぼくが助けた女の人は?」

「別のベッドで休んでいますよ」


 半日ほどしてその女性が和希のベッドにお礼を言いに来た。


 彼女は和希が記憶を失っていることを知って、


「彼が退院したら、記憶が戻るまでの間、私がお世話をします。私の命の恩人ですから」


 と看護師に言った。


 その女性が小笠原冴子だった。


 彼女は実家に取りに来るものがあって日帰りでこちらに来て被災し、


 津波に流されて、和希に助けられたのだった。


 一足早く退院した彼女は家族の承諾も得て、和希を引き取った。


 名前も忘れてしまっていた彼にとりあえず和希と名付け、


 一年絶っても記憶の戻らない和希を家族と相談の上、養子にした。


 実子の芳希は和希よりも一歳年上だった。


 一人っ子だった芳希は和希と相性が合い、二人は兄弟として仲良くしながら今日に至った。


 正則は二人を自由な校風の私立学園に通わせていた。二人は適当に学校と付き合いながらやりたいことをやっていた。


 小笠原家は江戸時代の義賊鼠小僧の血を引く家系だった。


 江戸時代の鼠小僧は義賊として盗みを重ね、最後には捕まった。


 公式の歴史では、彼は天保三年八月(=一八三二年九月)に刑死したと書かれている。


 鼠小僧には妻やめかけがいて、彼は子孫を残していた。


 その子孫の家系の一つが小笠原家だった。


 和希の父の正則は自分が有名な義賊鼠小僧の子孫だということを誇りに思っていた。


 彼は科学者になったが、若いころから、


「もしも義賊鼠小僧が現代に現れたら、彼に役立ててもらえるような発明を自分はしたい」


 と思っていた。


 家族にもそのことを話していた。


 冴子はそういう正則が好きで結婚した。


 兄の芳希も義賊の先祖のことを誇りに思っていた。


 ハッカー修行を始めたのも、


「できればハッカーのスキルを義賊としての活動に生かしたい」


 と考えていたからだった。


 和希は人並み外れた運動能力の持ち主だった。


 正則と冴子のアドバイスもあって、


 世間にはその能力を見せないように生活していた。


 彼は世間の目を気にしないでいい場では思う存分その人並み外れた能力を発揮し、


 家族にもその能力を見せた。


 正則も冴子も芳希も、和希のそれを見るのが大好きだった。


 彼ら三人はみな、


 和希は先祖の元祖鼠小僧の生まれ変わりではないかと思うようになった。


 芳希はハッカー修行を始めるとすぐにその天才的な才能を発揮し出し、


 そういう自分に自信を持つようになった時、和希に提案した。


「ねえ、ぼくとチームを組んで、


 現代の鼠小僧になって悪い奴らからお金を盗んで貧しい人たちに配る義賊をやらないか?」


 この提案を聞いた和希は血が騒ぐのを感じて、


 迷うことなくオーケーした。


 二人は父親の正則には「ぼくたち義賊やるから」と言った。


 鼠小僧の直系の子孫であることを誇りに思っている正則は言った。


「わかった。応援する。


 汚いことをしている連中の、表に出せない汚い金を奪って困っている人たちに分ければいいと思う。


 そういうお金なら取られても警察沙汰にはできないだろうし」


 二人は、


「ぼくたちもそういうお金だけを奪うことを考えている」


 と答えた。


 和希は芳希のサポートの元、義賊鼠小僧としての活動を開始し、きょうに至っていた。


 家に帰ると、ドアが半開きになっていた。


 イヤな予感がした。


 中に入った和希が見たのは、


 テープで後ろ手に縛られ猿轡さるぐつわまされて床に転がっている芳希だった。


 和希は芳樹の口から猿轡を外した。


「おとうさんとおかあさんは?」

「連れて行かれた。ああ、手が痛い」


「わかった。テープを切るから、話はそれからにしよう」


 和希はキッチンばさみで黒いテープを切った。


「ありがとう。奴ら、


『この間出くわした闇の結社ダーク・ソサエティのものだ。


 両親は預かる。


 両親の命が大事だったらこの間渡した名刺に電話するように、鼠小僧に伝えろ。


 三時間経っても連絡がなかったら両親の指を一本ずつ切り落とす。


 そのあとも連絡がなかったら、


 一時間ごとに一本ずつ切ってゆくとも伝えろ』


 と言い残しておとうさんとおかあさんを連れて行った」


「名刺って、捨てちゃったあの名刺のことか?」


「そうだと思う」


「『捨てちゃったからもう一枚くれ』とか言わなかったの?」


「猿轡を咬まされたあとに言われたから。番号、覚えてない?」


「いや。覚えようと思わなかったから。


 まずい。今から探しに行ってもみつからないだろう。


 連絡しなかったらあいつら、指を本当に切りかねない。


 ぼくの能力を必要としているから、


 結局は向こうから連絡してくるけど、


 それまでにとうさんたちの指が何本もなくなってしまうかもしれない。


 ぼくのせいで・・・」


 その時、リビングの入口で猫が鳴いた。


 二人が見ると、白い猫がいた。


 猫はなにやら口にくわえていて、それをリビングの入口の床の上に置いて、玄関の方に背中を向けて、てとてと歩き去った。


 その背中にはピンクのハートの模様があった。


「なんだ、あの猫?」

「和希、そんなことより、あれ、名刺じゃない?」


 芳希は猫が置いて行ったものを指さした。


「みたいだな」


 和希は歩み寄ってそれを見て、芳希の方を向いて言った。


「あの名刺だ」

「ほんと?」


「ああ」

「よかった」


「だけど、それにしてもあの猫、一体なんなんだ?」

「さあ。そんなことより、電話しようよ」


 和希は、芳希にも聞こえるようにスピーカーホーンにして電話した。


 女が電話に出た。


「鼠小僧です。どうしたら両親を返してくれるんですか?」


「まず、あなたのお兄さんと一緒に、今から指定する場所まで十五分で来て下さい。


この間のバンに迎えにやらせるから、それに乗って下さい」


「兄もですか?」


「二人はチームなんでしょ? 一緒に来なきゃ、ご両親の命はないけど」


 芳希が「ぼくも行くから」と答えた。


 指定された場所に行くとあの黒塗りのバンが迎えに来た。


 中にはジャックポットと彼のチームが乗っていた。


 バンに乗った二人は目隠しをされた。バンは走り出した。


「どこへ行くんだ?」

 和希は尋ねた。


「それは言えない」

 ジャックポットは答えた。


 走るバンの中で、ジャックポットは問わず語りに種を明かし始めた。


「俺はあんたらに恨みなんかない。仕事だからやってる」


「そうなんだ?」


「ああ。あんたや俺の仕事で必要なのは細心の注意だ。俺の基準じゃ、あんたはその細心の注意を怠った」


「そうか?」


「ああ。俺の上司はあんたらのバンにGPS発信機を仕掛けるように指示した。


 逆に言えば、ああいう接触があった時はそういう可能性もあると考えて対処すべきなんだ」


「つまり、こっちのバンにそういったことをされている可能性を考慮して、チェックすべきだったと?」


「そうさ。それをしなかったから、あんたらの家が俺たちにバレて、


 その家には知らないうちに隠しカメラが仕掛けられ、


 あんたらの父親の研究も俺たちの知るところとなった。


 すべては俺の基準じゃあんたのケアレス・ミスだ。


 どうだ、悔しいだろ?」


「ああ、そりゃ悔しいよ」


「よし、その素直さがあれば大丈夫。今度のことから学ぶんだな」


「なんでそんなアドバイスをしてくれるんだ?」


「きょうからあんたらは俺達の同僚になるから。


 同僚にミスされると俺達も危険な目に会いかねないからな」


「そうか、両親を開放してもらう条件はぼくがあんたらの仲間になることってわけだ?」


「まあな。これもリクルートの一環というわけさ。


 でも、残念ながら、


 あんたらのおとうさんの研究を知ったからには、


 闇の結社ダーク・ソサエティは簡単にはあんたらの父親を手放さないだろうな。


彼に仕事をさせるために、あんたらの母親も人質として生かしておくだろう」


「おとうさんの研究は悪用されるのか?」

「ああ。間違いなく」


「畜生。あの時、GPS発信機を仕掛けられた可能性を考えることができてたら」


「過去のミスは仕方がないさ。あんたもまだ若いし。


 でも、若いってことは成長できるってころでもあるし。


 まあ、与えられた運命の中でせいぜい前向きに生きるんだな。


 俺はジャックポット。よろしくな」


 彼の言葉には慰めるような響きとともに、


 何か諦めのような響きがあることに鼠小僧は気づいた。


――このジャックポットという男にもいろいろな過去があるに違いない。根は悪くない奴かも。


 そう感じないわけにはいかなかった。

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