PARTⅡの1(8) 燃料補給は三角チーズ 

 その晩遅く。鼠小僧は世田谷のある最先端機器開発企業のオーナー社長の豪邸に忍び込んだ。


 この企業は医療用の、シリコン製の極小チップも開発していた。


 近くの路上の紺色のバンの中では若いハッカーの小笠原芳希がおがさわらよしき豪邸のセキュリティをハッキングし、


 監視カメラの映像をループさせて中に入った鼠小僧のサポートをしていた。


和希かずき、こっちからはお前が見えてる。楽勝だな」


 和希というのは鼠小僧の名前だ。


 税務署に、鼠小僧が忍び込んで隠しマイクを仕掛け、


 コンピューターをハッキングして、巨額脱税きょがくだつぜいの疑いのある金持ちの情報をつかむ。


 脱税があると判断された場合は、脱税したお金を奪う。奪ったお金は貧しい人たちに配る。


 そう、江戸時代の義賊、鼠小僧を同じことを二人は組んでやっているのだ。


 この二十一世紀に。


 鼠小僧はこの最先端機器開発企業のオーナー社長のオフィスや自宅の複数個所に隠しカメラを仕掛けた。


 その結果、この書斎の本棚の裏に隠し金庫があって、


 その中に脱税したお金が隠されていることをつかんでいた。


 税務署から情報を得るというのは鼠小僧のアイディアだった。


 この方法で、鼠小僧は芳希のサポートを受けながら、彼らのチームは既に十四件、金持ちが脱税したお金を盗んでは貧しい人に配っていた。


 ネットで鼠小僧の噂はどんどん広がり、その評判はどんどん高まっていた。


 鼠小僧は本棚に歩み寄った。


 豪邸の近くには別の、黒いバンもいた。鼠小僧チームよりも少しあとに現場ついたのだった。


 こちらは闇の結社ダーク・ソサエティという組織のエージェントの、


 ジャックポット、ハッカーのロコ、運転手のニコの三人チームだった。


 別の場所では、彼らの上司のスライが三人の無線のやり取りをモニターしていた。


「別の誰かが、既にセキュリティに侵入していて、監視カメラの映像はループしています」


 ロコが無線で告げた。スライはジャックポットに指示した。


「ジャックポット、必要なものさえ手に入れればいい。ニコ、うちのチーム同様、先客の相棒が近くにいないか?」


「角の手前に紺のバンがいました」


「それだろう。とりあえず、そのバンにはGPS発信器を仕掛けておけ」


「了解」


 暗視スコープをつけたジャックポットは書斎の入口に到達した。


 中を覗く。先客は書斎の裏の金庫のダイヤルを回していた。


 暗視スコープから見えるものは映像としてバンの中の仲間たちとスライに送られていた。


 膝をついて金庫を開けている先客のうしろ姿をスライは見た。


 黒い布を頭にかぶり、江戸時代の火消しの上衣のようなものを着ているように見えた。


――もしかして、噂の鼠小僧か?


 そう思ったスライはジャックポットに指示を一つ出した。


「了解。探し出す手間が省けたようですね」

 ジャックポットは小さな声で応答した。


 鼠小僧の耳は常人をはるかに超える鋭い耳だった。


 金庫のダイアルが一つ一つカチッと合って行く微細みさいな音を聞きながら、同時に背後の、その小さな声をキャッチした。


 が、無視して仕事を続け、すぐに金庫を開けた。


 黒い折り畳みバッグを広げて札束を詰め終えた鼠小僧は、うしろに向かって小声で声をかけた。


「いるのはわかってる。金以外のものにはこっちは興味ない。でも、金は渡さないよ」


 ジャックポットはギョッとした。彼もプロだ。気配は消していたはずなのに。


 とにかく、スライに指示された通りに尋ねた。


「あんた、噂の鼠小僧か?」


 鼠小僧は振り向いた。イナセにほっかむりした顔の口が答えた。


「イナセに」とは「いきに」と意味だ。


「そうだったらどうする?」


「こっちは金はいらない。だから争うつもりはない。金庫の中を探らせてくれ」


「いいだろう。じゃ、道を開けてくれ」

「もちろん。でも、その前に一つ」


「なんだい?」


「あんたも裏社会の人間なら、闇の結社ダーク・ソサエティの噂は聞いてると思うけど」


「いや、まだ日が浅いからかもしれないけど、知らない? なんだい、それ?」


「じゃ、ネットで調べてくれ。


 俺たちは、才能ある人材を求めている。


 世界規模の裏社会の情報ネットワークがあるからでかくて面白い仕事がいろいろできるし、報酬も高額なんだ。


 それに、捕まった時には脱走サービスもついている。


 使える奴だと上が判断したら必ず脱走させてくれる。


 あんたも闇の結社ダーク・ソサエティに入ってくれないかと、上が言っている」


「リクルートか?」


「ああ。あんたはリクルート・リストの上位の方に入っているようだ」


「目をつけられてたってことか?」


「そうさ。幸いにもこうして巡り合った。


 闇の結社ダーク・ソサエティのことを調べて、考えてからでもいい、一度、リクルート担当と会って詳しい話を聞いてくれないか? 


 ここにリクルート担当の電話番号を書いた名刺があるから持って行ってくれ。すごい額の契約金も貰えるから」


「せっかくのお誘いだけど、俺は組織は大嫌いなんだ」


「そう言わないで、とにかく名刺を持って行ってくれよ」


「わかった。でも、期待しないでほしい。そこのデスクに名刺をおいて、道をあけてくれ」


「オーケー」


 デスクに置かれた名刺を手に取った鼠小僧は半開きのドアから風のように姿を消した。


 ジャックポットのイヤホンにスライの声が聞こえた。


「それでいい。さあ、ブツを手に入れて撤収だ」


 ジャックポットは金庫の中からUSBメモリーを取り出して、


 懐中電灯の光で確認してからポケットに入れ、


 金庫を閉め、本棚を元通りにして撤収した。


 彼は廊下の天井に張り付いている鼠小僧に気づかなかった。


 鼠小僧は、ジャックポットがUSBメモリーを懐中電灯で確認していた時には、部屋の中にひそかに戻って目撃していた。


 鼠小僧は気配を消してあとをつけた。


 ジャックポットは高い塀をよじ登って道に出た。


 鼠小僧は軽々と飛び上がり、いったん狭い塀の上に音もなく着地したあと、道に降りた。


 紺のバンに戻った鼠小僧は芳希に「同業者が来た」と告げた。


「そうか。和希、そいつはどんな奴だった?」

「俺をリクルートしてきて、名刺もくれた」


「へえ?」


闇の結社ダーク・ソサエティって名乗ってたけど、知ってる?」

「聞いたことはある。調べてみようか?」


「頼む。奴が乗ったバンのナンバーも記憶しておいたから。相手はプロのようだから偽のナンバーかもしれないけど」


 芳希は車を発進させた。

 途中で、和希はもらった名刺を見た。


【リクルート専用番号 〇〇〇ー△△△△ー××××】


 と書いてあった。和希は車の窓を開けて外に捨てた。


「ぼくはちょっと燃料を補給するよ」


 彼は車に置いておいた国産メーカー製の三角チーズを食べ始めた。


 鼠小僧として仕事をするときは、仕事の前とあとに必ずそのチーズを食べるのだ。


「チーズ、一つもらってもいい?」

芳希は尋ねた。


「いいよ、もちろん」

 和希は芳希にチーズを渡した。


「ありがとう・・・うん、どうってことないけど、でも、やっぱりうまいな」


「うん。


 仕事の前に食べると、なんかパワーがアップする気がするし、仕事のあとに食べると筋肉の疲れが癒されるんだよね。


 気のせいかもしれないけど」


 和希はそう真顔で答えた。


「俺にはそういう効果はないけどね。和希、やっぱりお前は特別な、鼠小僧一族の希望の星だね」


 芳希も真顔でそう言い、チーズをかじりながらバンを発進させた。

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