never say goodbye






「……結局それってノロケやんかっ!」



更にド派手でパンキッシュなチカに言われ、

思わずへへっとくだらない笑い方をしてしまう。


リクの元に戻ったあの日から2年は、

ほんまにアッと言う間やった。


チカはあれからすぐ、私たちを見届けるように大学をやめ、服飾を学ぶためロンドンへ留学した。


今だチカにちゃんと返事すらしていない潤君は、

彼女もいず、大学の4回生となり、本気でアーティストになるか、それともどこかへ就職するか、

はたまた父親のスーパーを継いでしまうかで目下お悩み中。


そしてリクは少し時間をかけてK大医学部まで通い、手術を受けた後、正式に戸籍が藤木 陸人と言う男の子になった。


今の大学で、

陸人が女の子やったと知るものは誰もいない。

ただ、手術はすれど今だ体には自信がないようで、友達の柏木君からに誘われるスーパー銭湯には、いまだ行けずじまいでいる。




柏木君は入学してすぐ

リクと仲良くなったお友達だ。

私も何度か面識はあり、実直そうな外見とは逆に、中身はお笑い系男子。

実家は医師の家系でもないのに、

医療漫画に感動し、この道を目指した柏木君を、

リクはほんまに好きみたいやった。


……で、私……?


そんなに聞きたかった?


私は元気やよ。


病気はあの日タイマーみたいにストップして、

良くなりも悪くなりもしていない。




「ノロけてへんって。いや……ノロけてるかな」

自然に顔がほころぶ現象。

そして、私の命のストップウォッチは、リクがずっと握っている。


「……てかさ、まだエッチしてへんのにようそんなデレデレできんな。信じられへんわ。アホらし」


「……ちょっ、声でかいってばこのチャーシュー!」


更に声をたて笑う。


まだスタ〇でバイト中の潤君が、

カウンターの奥、教師の佇まいでこちらを睨んだ。


その妙ちくりんな顔を見てはまた笑い、

腹筋がどことなく痛い。


箸が転げてもおかしい年齢は、もうとっくにすぎていると言うのに。


「……しっかしさ、

あんたらが小学生の時に知り合ってた、なんてほんまびっくりやわ。

どうせやったら私がロンドン行く前に教えてほしかった」


ネオンイエローのピアスが、チカの耳元で激しく揺れる。


「……別にわざと言えへんかったんやないし。訊かれへんかったもん」

「何が、もんよ。

あぁ……!でもええなぁ。

めっさ憧れるそう言うの。

私も今ザッと幼稚園やら小学校やら思い出してみてんけど……はは……悲しい事にあのアホとの エピソードしか見当たらん」



チカは口を尖らせてながら潤君を盗み見、

やがて窓の外を見た。


「……桜きれーやな。

やっぱ桜見ると、日本はええなあって思う」


ハードワックスで髪の毛を上に跳ねあげ、

それでもやはり、足元にはいつまでもウェスタンブーツなチカが愛しい。




「……いつまでこっちにおるん?」

「……うーん、一応は2週間ぐらい。

実はまだ帰りの航空チケットとってへんねん」


わざと舌を出したチカの横顔がふいに曇る。


「……向こう、なんか大変なん?」

「……んー……まあ……かな。

私洋服大好きやし、どうせやったら本場で学びたいって思って勢いで留学したけど……

実際は英語もよう勉強してへんかったから、授業もちんぷんかんぷんでさ。

ま……ちと挫けてる訳ですよ。春田さんは」

「……チカらしないやん。

もっと原始人ぽくジェスチャーで暮らしてんのかと思ったわ」

「……サイテー。

あんた陸人の毒舌うつったんちゃう!?そういやあいつ元気にしてんの?」


と、テーブルの下から私をくすぐった。


リクの毎日は予想以上に忙しく、受験生やった頃よりもっと大変そうやった。

『……あんな親父でもこんな事やってんやと思うと

少しは尊敬する……けど……』

と、呟くほどに。


くたくたになっては

私の膝枕でいつしか眠り起きまた眠る。


時間や日々がそんな風に駆け足で過ぎていき、

2年もたつと言うのに、まだリクとはお風呂に入った事もない。


互いの体温を確かめるようにただ毎日一緒に眠る。


それは蕁麻疹が出る直前のような感覚に似ていて、

いつか2人で1つになれなくても1つになりたいねと、それをとっておきの楽しみにしとこうねと、

小さな子供みたいに約束している。


……そんなとこ。



チカにそう報告すると、

チカは思いきりつまらなそうな顔をした。



「……おもんな。


やっぱ人の幸せはおもんないわ。

……つかさぁ、あんたもう元気なんやし何かバイトでもしたら?」

「そう、それ!それで思い出した。昨日面接行ってん。ふふん」

「おっ、そーなんや。やっとね、あなた。

やっぱ人間何かしないと。

いいやんか。どんな仕事?」

「商店街にある小さい写真屋さんやねん。

そこの撮影補助スタッフ。

ほら、ようあるやん。七五三とかの写真撮るやつ」

「……の、チェーン店やない方のやつね。

悪かないけど、もし採用されたら大変ちゃう?

人おらへんし休んだりあんまりでけへんで」


チカが私の病気を露骨に心配する。

リクの愛、チカの友情、潤君がまだちょっと

愛まじりの友情。

死ぬまできっと手に入らへんと思ってたもんが、ここにはある。


「大丈夫やって。そんな人来るとこちゃうし。

店のおじさんが用事あったらいつでも休んでええって。病気のことも全部話したし」


隠して面接を受ける事もできたけど、もうそんな事したくない。

リクと真正面から向き合うようになった私は、

ほんまにそう思う。


「ふうん。ほなまあええかって採用されへんかったら話ならへんやんっ」


大口を開けてチカが笑い、私の携帯が鳴った。


「……合格かも」


でもその電話は、あのおじさんからやなかった。



藤木先生。


『あーちゃん、ちょっとあんたもういい加減にしいや。それやったらそれで電話で結果聞くって最初から言うといてくれへん!?』




いつもの……藤木先生。


『……はは……すいません。でも先生これって私の』


げんかつぎと続けようとして、先生が遮った。



『そばに……陸人おる?』

『……いえ……いてません』



『……そう……。ほな……どうしようかなぁ……』


先生は今日、いつもよりワントーン声が低い事を、きっと自分で気づいていない。


『……リク……関係ないです。早く言って下さい』


携帯を握り直すと、私はチカに背を向けた。




もう関係ないでは……すまされへんと思うけど……。

先生はそう切り出して、私にその続きをした。



先生の声はどこまでも遠く、私の耳にその時届いていたんは、

あの教室のざわめきと、おばちゃんが私の髪をみつ編みしていた日の蝉時雨。


リクの指がレモンサイダーのプルトップを開ける弾ける前の音、


それからあの日の…………波の音。



『…………あーちゃん……』


先生はもう一度、私を呼んだ。


『……陸人に……自分から言える……?』とも。



すぐには答えず、チカにまた向き直り、

小首を傾げたチカの顔を見ながら、私は静かに答えた。


『……リクにはまだ言わんとってください……』









「……なぁっ、……なぁったらっ……!

ちょっと待ちいや、さっきの何やったんっ!?」


早足で歩く私を、チカは怒って追いかけてくる。

あれから何も言わずにすぐ店を出て、

潤君に笑顔を残す事も忘れなかった。


…………なのに。



人は消してしまいたい何かがある時、早足になる事を今日めでたく知る。



チカの沿線の陸橋の階段を、たまに2段抜かしで

いけたりもする。

一心不乱に進み続け、

改札の前に着くと、私の歩みはようやく止まる。



「……あんた足早すぎやろ……笑ける……」


チカは息を切らし、スカル模様のTシャツの胸元を絞るように押さえた。


「……ごめん。

いつも見送ってくれるから、今日は私が……と思いまして」


私は不格好な敬礼姿で口角を緩める。


チカは真一文字に口を結び、そんな私の手をはらった。


「……さっきの電話のせいやろ……!?

何なん……?何を言われたん……?」



その真っ直ぐで、時折暴走してしまう瞳を、

その時少しだけ、休憩場所にしたいと思った。

リクの元に笑顔で戻る、その為に。


「…………結構果が良いから、

今3ヶ月おきやねんな……検査」


遠回り。

……あぁ確かにこれは、0点のテストをとった時に似ている。


「…………ぉん………………で…………?」


チカは前髪を指先で激しくクラッシュさせ、

人目も気にせず改札口片隅にしゃがんだ。


「…………で………………で…………で。

……うん……そうやな。そうやねん」


「……だから何がよ……?」


深呼吸しても、ずっと胸は息苦しかった。


苛立つチカの前に、しゃがみ、目線を落とし、

シフォンスカートの裾をきちんと整える。


私は女の子やから。


「…………たいした事ないから驚かんといてな。

なんかあと……やっぱり半年くらいかもしれやんねんて」


「…………え…何が…………?」


「……やから生きてられんのが」


ハミングするようにそう言うと、リクが買ってくれたパールピンクのパンプスの先に、私やないチカの涙がぽとんと落ちた。



藤木先生は、最初早口でそれを告げ、

速度を落とし、不安定になり、また早くなった。


たった3ヶ月の間に思いがけず進行してしまった事。

これを医者として告げるのは、やり残した事があればやった方がいいと思ったから。


そして先生は自分を酷く責めていて、

代われるものなら代わってあげたいと、

家族のように吐き出した。


先生は電話の最後、陸人にまだ言わない事を約束し、医療処置をした方がベストやと思うから、

連絡をまた欲しいと、口調を医師に戻し言うた。


でももう今なら手に取るようにわかる。


電話の向こうの先生の顔。


それから、あの人なりの愛情を。






「…………なに……それ。ふざけんなって……。

嘘やろ……アホやんか……」


チカは泣きじゃくり、派手なメークがどんどん滲む。


項垂れたチカの前髪を撫でると、

チカが驚いたように顔を上げた。


「……あん……た……気でも狂ったん……?

なんで笑ってんの……?なんで……」


「……先生がな、最後に暴露してん」

「…………何……を……?」

「…………ん…………」


そう言いつう駅の構内から見える桜を見た。


桜の花びらは一色ではない。

薄い色素、濃い色素。

それらが折り重なり、それを愛でる視線や愛で、

ほんまの美しい桜色になるんや。


……きれいやな。


リクが病室に初めて来た日。


あの春を含め、私はそれから3回も桜を見た。


「……ほんまはな……、

私余命1年とか2年やなくて……半年ぐらいやってんて。

やからそこから計算したら、随分長生きできたんやなぁって嬉しかった。」


「…………長生き……って……」


チカはひたすら顔を覆い、そして、


「……死んだら……絶交な」と何度も繰り返す。



桜の花が儚げに風に揺れ、

どうでもいいと思っていた季節が、

どうでもよくなくなる。


私は毎年あの桜のように、

リクの心に思い出したようにでもええから、咲いていたい。


そしてまたリクを心の底から愛してくれる誰かが現れたら、喜んでリクの心から散っていこうと本気で思った。






それから暫く夕刻まで、チカは泣き止まなかった。


それでも私は、他の誰にもこの事を言わないよう彼女に口止めし、

泥酔したようにふらふらするチカを、なんとか電車に収用する。




……ったく。

どっちがもうすぐ死ぬんかわからんっちゅうねん。



心の中でそう呟き、パンプスの爪先を家路に向けた。




リクはまた、授業でくたくたになって帰ってくる。


やからリクの大好きなものを用意して、私は笑顔で待つのが仕事。


……仕事……

今日中に採用か連絡くれるって言うてたのに。



ふとそれを思い出し、入力していた写真館の番先にかけた。







ジュワッと、この上なく素敵な音がして、

香ばしい匂いが部屋中に広がる。


「……うわっ、うまそー!腹減ったぁ」


帰ってくるなり、リクの指先は揚げたての尻尾をつかむ。


「あっ、コラッ!手洗いうがいはっ!?

今日もきっと変なもん触ってきたんでしょっ」


盗まれたエビフライはもうリクのお腹の中。


洗面所からヒョコッと顔だけ出したリクがニヤと笑う。


「……何やと思う……?」

「……知らんってば。でもきっとろくなもんやない」



医学部と言うのは色々な実験やら解剖やらを行うらしい。


「……ほんまろくでもなかった。今日の解剖学。

だってホルマリン漬けとは言え本物の人間の死体やで。

提供した人にごめんって思いながら気分悪かった。……やっぱ俺は外科はあかんな」


手洗いの水音にリクの呟きが溶けていく。


子供みたいなうがいの後に、

リュックを置く音が聞こえると、わざと大きな声で言った。


「……ね、リク、結婚式あげへん?」


「…………結婚式……?」


「……うん。あ、と言っても写真館で写真撮るだけやけど」

「……写真館……?

どうせやったらほんまに式挙げたいけど。なんで写真だけ?」

「……ん、商店街の写真館が、店のショーケースに写真飾らしてくれんねんやったら、ただで撮ってくれるって言うから」


「……え、ただで?なんかめっさ怪しない?」

「……怪しないよ。キャンペーンやもん。……リクは嫌?その……そう言う写真が商店街に飾られんの……」

「な訳ないやろ。逆にめっさでかく引き延ばして

飾って欲しいくらいやわ。

俺ら結婚しましたーって。

まさか俺が元女やとは誰も思えへんやろうしな」


リクは屈託なく笑い、その頬は朱に染まっていた。


幸せ。幸せ。繰り返せば、ほんまに手にはいる?


その後は衣装の話と撮影日の話。

最終的にはエビフライを食べて、

「アオのメシは最高やな」と満足げにひっくり返る。


私はそんなリクが一番好きやから

それを死ぬギリギリまでずっと、見ていたかったんやと思う。





チカと別れた帰り道、写真館に電話すると、いつまでも話中になった。


ようやく繋がって、店主のおじさんが焦ったように出る。



ずっと私の携帯にかけてくれていたようだ。


おじさんはただひたすら謝り、今回は採用できないと告げた。

恥ずかしい話で悪いけど、こんなボロい写真館なんか継ぎたないと出て行った娘が今朝、ふらっと電話をよこして、やっぱり継ぐと怒りながらも告げてきたそうだ。


けどほんまに帰ってくるか来えへんかもわからん。でもあのアホ娘の席を空けといてやりたいから、中園さんには断るしかないなって。

ほんまに勝手して申し訳ないと、

おじさんは何度も何度も謝った。




私はほんまにいいですと、少し微笑ましく思いながら言い、一度そっちで今回の事とは関係なく、写真お願いしてもいいですかと訊いた。



おじさんはすぐに引き受けてくれて、勝手にキャンペーンを作り、飾ってええんやったらただで何枚でも何ポーズでも撮ってあげると言った。



結局2週間後、

リクの確か何もなかった日で、大安吉日の日曜に予約した。

衣装も貸してくれる。ヘアメイクは、隣で美容室をやってるおじさんの奥さんが、これもただでやってくれる。


何もお得やない私とリクの初めてのお得。

世間に認めてもらえた気がした。



とにかく2週間はやから、しっかり生きておこう。





自分の体は、定番やけど自分が一番よう分かってる。


なので先生がああ言った時、納得したような気持ちもあった。


元々体は細い方やから、少し痩せたぐらいにしか

思われへんかった。


わざと大きめのリクの服を節約と言っては着、

どこをすんのとリクに怒られながら、ダイエット中と言う。


血色が良くなるようにあまりせえへんメイクもして、笑顔を絶やさんでおると、頬がいつもぷっくりしてる事を発見した。


どう考えても乗り越えられへん痛みがある夜は、

リクの寝顔をいつまでも見ている。


先生がホスピスと、リクに告白することを

やたらと電話で勧めてくるそんな日は、

その2週間後まで待って欲しいと頼んだ。


リクが多忙で良かったと思う。


きっと見た目に少し変化している私を、気づかずにすんでいるから。


寝顔しかまともに見れないそんな日が続いていても、それで良かった。



結婚写真を撮る前日は、遠足の前日の子供のごとく、リクは眠れないみたいやった。


なかなか寝てくれないので、痛みの波がくるときは、リクの腕からわざと抜け出す。


「……何……?」

「……ん……熱い。リクの体温高すぎて」


そう言うと背を向けた。


「……アオ……」


私の髪を後ろから、リクの指がすいていく。


「………………ん…………?」

「……あり……がとう……」

「……って……何が……?」



5月の夜。


開け放した窓からまた、夜草の青臭い匂い。


「……いや、なんとなく」


「……なんとなく、か。

……なんかもうすぐ死ぬ人みたい。意味なくありがとうとか。


私は絶対リクにありがとうとか言わへんし。

まだまだ生きるし」


暗闇で浅く笑うと、リクも笑う。


「…………やんな」


リクの指が夜明けまで、背を向けた私の髪を撫で続けて、いつの間にか泥のように眠る。


ホスピスで出されるどんな痛み止めよりも、

私にはリクの指がええ。



あの日フルーツバスケットの真ん中で、どこにも座れなくて立ち尽くしていたリクの指が、たまらなく愛おしかった。







写真館に行くまで、そのことはずっと知らずにいた。


写真に写るんはリクと私、その二人だけやと思っていたから。



真っ白で胸のデコルテ部分は砂糖菓子のようなウェディングドレス。


もうタキシードを着ているリクが、

後ろで美容室の雑誌をパラパラめくる。


照れ臭そうに鏡の中の私をちらり盗み見ては、目が合うとそらした。



「ほんまに溜め息出るほど綺麗やなぁ。

どこぞのモデルさんみたいや。

旦那さんもめっちゃイケメンやんし。

さぁこれで仕上げや」


おじさんの奥さんであるおばさんはそう言い、

最後に私の耳の横に、真っ白な本物のバラを挿してくれた。


スタンバイは全て完了。


私と手を繋ぎ、

躊躇したリクの右手が写真館のドアを開け、

瞬時で石像のようにフリーズした。


それは花道のように両脇に別れており、


チカ、潤君、大学の柏木君、が右手、


先生、そしえ写真でしか見たことのないリクの両親が左手にいた。




「……どう言う事……?」



隣に立つリクを見ると、リクの笑顔が落ちてくる。


「親はねーちゃんが説得してん。

で、あいつらは……俺が呼んだ」



リクの母親と先生はパーティードレスを着ており、苦虫を潰したような父親を両方から小突くと、私たちの前にやって来た。


「……おめでとう。あーちゃん、リク。

今日は写真だけやけど、いつか式挙げなね」


色んな想いを笑顔に押し込めて、先生は私たちにそう言った。



リクの母親もまた同じように、

その想いを私の手を握る体温で伝えようとする。



でもその途中泣いてしまって、


「……もぉ、お母さんが泣いてどうすんのよ」


と先生がすかさずハンカチを出した。


父親は自分が何か言わないといけない番にきたと悟り、やたらと細かく咳払いをした。

眉間にシワを何度もよせ、苦しげに出た言葉が


「……くだらん」やったから、

そこにいた全員が一斉に笑う。


「……親父……ありがとう。

こんな息子をこれからも……よろしく」

リクにさりげなくそう言われ、父親はコンマ何秒かだけぎこちない笑顔を作った。



右手にいた独創的なドレス姿のチカは、目が合った途端


「……あほやなほんま」と毒舌を吐く。


私がただ笑顔を作ると、

「……しょーもな」と寂しげにそっぽを向いた。



何か言いたげにしていた初見の柏木君がその後に来て、神妙な面持ちになると、


「大丈夫です。

絶対学校にはバラしません。

藤木のファンの子、むっさいるんで」

と真面目な口調で言い皆の笑いを誘う。



順番の一番最後に目の前に来た潤君は見慣れないスーツ姿で、その服装同様不似合いな髪型で天を仰ぐと、それを差し出した。





「……あのこれ……。えっと……結婚指輪とか買うまでの繋ぎでええし。一応……お祝いって事で」



リクのサイズと私のサイズ。


潤君が一生懸命作ってくれたそれは、

どこか無骨で、けれど温かい。


最初に彼にもらったあのブレスレットと同様に、

ただ真っ直ぐな想いの音がした。


やがて写真館のおじさんが切り出す。


「……あのぉ、もういいですかね?そろそろ撮らんと日が暮れてしまうから」



その声に後押しされたように、

リクは急いで私の指に潤君手製のリングをはめ、

私もリクの指にそれをはめる。


離していた手をもう一度繋ぎ直し顔を上げると、そのおじさんの娘であろう、そっくりな女性が、


「では、こちらへどうぞ」と、私たちを手招きした。





5月に吹く風が、一番好きだ。


その風にたなびく5月の草が、まるで生きているかのように強く優しいから。


でもそれは風がそうさしているのだと、気づく草は少ない。


私も、そんな風にリクの存在を知らずにいた。

いつか私を動かす風になり、優しく強く、生かすことを。






リクと私は、写真館のその夜、初めて抱き合った。


生まれたままの姿で、暗闇ではあるけれども、

それでも光のような中で。


互いの体温と、呼吸と、存在を感じながら。


人と抱き合う事の意味を、

リクとそうなる事で初めて知ったような気がする。

本当に好きな人と抱き合うと言うことは、

切なくて、優しくて、涙が溢れるほど、嬉しいものなんやな。


「…………もっと早く…こうしてたら……良かったな」


私の体を胸元に引き寄せ、少し汗ばんだリクの肌が、離れたくないようにいつまでもそこにある。


「…………うん……」



それ以上言葉は見つからない。

ただ私は何度生まれ変わっても、リクのそばにいたい。


そしてそれは言葉に等、できないものなのだ。


「…………アオ……もう眠い……?」


くすぐったいキスを私の首筋にして、

リクは私にようやく今、辿り着いたような顔をした。


「…………うん。ちょっとだけ……眠いかも」



キスを返し、リクの首もとに腕を絡める。



私がもしいなくなったら、リクはまた迷うのやろうか。


……ううん、もう迷いはしない。



きっとリクは、リクのまま生きていける。




「……おばちゃんのこと……ごめんな。


一緒に写真写してあげたかったけど、連絡つかへんかってん」


リクは最後の最後までおばちゃんを、今日の為に探していた。


「……ううん……」


……リク、今までほんまに……ありがとう……



そう続けそうになって、

私はがむしゃらにリクの体を抱きしめる。


さようならを言わない為に。













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