kiwi
なる人物から電話を受け取ったんは、
りんごをもらった日から1週間ほど進んだ先の事で、いずみイコール通称いずみんは、
会えますか……?と唐突に訊いた。
私はこう言うもので、こう言う事情でとも言わず、あおいさんですよねと最初に訊く。
そう切り出すには、事情をすべてわかってるんやと、漠然と思った。
待ち合わせた場所が、互いの中継地点から少しだけこちら寄りなのは、呼び出したいずみんの配慮かもしれない。きっとそんな風に控え目な。
「……えっと……初めまして……」
そのカフェに着くと、
いずみんにすぐ私は気づいたが、いずみんは暫く気づかなかった。
「……あのぉ……ひょっとして私の顔知ってました?」
長く緩やかなカーブを描く黒髪が、
カフェオレの湯気の向こうにある。
「……あ、はい。写真1度見たことがあって……」
「…………あぁ、そうなんや」
一瞬笑顔で敬語を崩し、すいませんと慌てて訂正する。
思った通りかわいい子やった。
その笑顔が葬られると、いずみんが私を凝視する。
「……めっちゃきれいですね、あおいさん 。
陸人はそんなん一言も言うてなかったけど」
残念そうないずみんの瞳。
かわいさときれいさは勝敗がつかない。
「……いずみさんもかわいい」
いずみんと思わず出そうになって口ごもる。
いずみんは謙遜すると、
いつまで誉めあっても仕方ないんで単刀直入にと、本題に入った。
この時初めて聞くことが1つだけあった。
リクが私の元に行きたいから、別れてくれと彼女に頼んだこと。
「……まあでも…私が陸人を好きで、
手も出されてへんのに出されたって騒いで付き合った訳やし、自業自得で仕方ないかなとは思いましたけど……因果応報って、信じてる訳やないんですけどね。
とりあえずその時は、自殺してやるって暴れました」
穏やかな笑顔。
別れた直後の錯乱状態から今は小康状態。
いずみんの指先がストローの袋を器用に折る。
「……ごめん……なさい……」
言うといずみんは軽やかに
「……いえいえ」と微笑んだ。
「……でも…………悔しいです」
その口調があまりにも冷静で、
だからこそまだふっきれてないんやと思う。
別れ話をされる前から、時々リクの携帯をこっそり見ていたといずみんは言った。
「……こそこそ暗証番号変える人やないんで、そう言うとこ好きなんですけど、
やっぱりあなたへの履歴やメールが沢山削除されずに残っていたのは、すごくショックで……。
アオって登録してあっただけやけど、女の人やってなんか直感でわかりました。
それであなたの番号だけメモって、もうええ加減問い詰 めようと思ってた矢先に別れてくれと」
コホと小さな咳をし、蛇腹になったストロー袋を
いずみんが指でなぞる。
「……あなたにこれまで何度かかけようとしてやめたんです。
そんな女になりたくないって思いましたから。
やったら陸人にかけて恨み事言う方がええって。
でも陸人が全然電話とらなくて、
だから私実家にかけたんです。
そしたら今は友達と暮らしてるって。
直感で……あなたと一緒やなって」
物語を話すみたいにいずみんは語る。
自分の事やのに、催眠術にかけられたように眠くなって、
それをどうにかするためにこっちから話そうと思うと、先にいずみんがまた話す。
「……でも不思議なんですよね。
なんで陸人は何もしてへんのに、つまり私に責められて付き合ったのか」
………そうだ。でも今ならわかる。
陸人もきっと誰かに必要とされたかった。
そんな猿芝居に付き合ったのは、そうなのだ。
ありえなくてもなんでもよくて。
「……それはいずみさんの事が…好きやったからじゃ」
喉元を流れていくレモンティ。
いずみんは、ふふと笑った。
「……な訳ないですよ。
あの時はオッケーしてもらって浮かれてたんでよくわかんなかったんです……。
でも別れ話の時、……ああ陸人がほんまに人を好きになる時は、こう言う顔をするんやって知りました」
あの頃まだ、私は潤くんと付き合っていた。
もしリクが来たところで受け入れなかったかもしれない。
それでもリクの心の爪先は、私に真っ直ぐ向いていた。
そこが不毛の地でも。もう誰も自分を必要としてくれなくても……かまわなかったの?
「……私の事、リクになんて……聞きました?」
「……好きな人が出来たと。ただ一言それだけです。
陸人にそう言われて暫くは、朝も夜も無いような日々を過ごしたました。……けど……、
陸人の事をわかって一緒にいてくれるような人ならええかなと、無理矢理自分を納得させました」
いずみんの答えは、蛇足だらけだ。
けれどそれぐらい誰かになにかをぶちまけずに過ごしてきたんやと、思わずにはいられなかった。
「……どこで知り合ったんですか?」
そう訊かれ、全て知ってるような顔のいずみんが、何も知らない事を悟った。
「……聞いてません……?」
それにいずみんはコクリと頷き、胸元の花型ボタンをいじる。
落ち着かないんよね。それは私も同じやから、
安心して。
「…………私あんまり長くないの」
チカに言うた時と同じように音を控えて言葉を放つ。
でもいずみんとチカは違う。
……え……え…………え…………何の病気で……?
……それは……もう…ほんまに……嘘みたいな……
……ごめんなさい、言いたくなかったんでしょ。
これがいずみん。
その後、大学のレポートを書く為に、先生を通じてリクが私と出会った事を手短に話しはしたが、
それより先に告げた事の方が大きかったのか、
いずみんは小さく溜め息をついた。
「……やから……やったんですね。
勿論あなたを好きなのはほんまやろうけど、その……あなたの病気もあって、陸人は私と別れてまで…。……え、でもそれやったら病院いてなくていいんですか?」
口元に小さな拳を当て、いずみんが訊く。
「……うん……。色々あって……今は家に。
……でも元気そうでしょ?私」
言うたものの、他人から見てどうかはわからへん。
「……確かにちょっと細いぐらいでそんな病気の人には見えませんけど………病気なんですよね……。
あ…………で、陸人……元気ですか?
大学突然辞めてしまって、ゼミのみんなもビックリしてて……」
と話題をそらす。
誰だって死に向かっている人間には気を使う。
頭の中で、チカ、リク、先生が同じ種類で、
潤くん、いずみんが同じ種類で、
などとぼんやり考えた。
「…………元気……やと思う……」
嘘をつくほど余裕はない。
なのでそう言ってしまった。
「……やと思う…?」
「……今家にいなくて……突然出て行ったと言うか……」
「……出て行った?あなたを置いてですか?」
いずみんの手が落ち着かないようにテーブルの
水滴をナフキンで拭き、それは丁寧にまた折り畳まれた。
「……ですね。
だって今いずみさんとここで話してるって事は」
曖昧に笑い、俯くと胸が苦しくなる。
受け入れたい……。
こんなに苦しくさせるリ受け入れたい。
心はもが、よじれ、ついには停止している。
「……ですよね。え……でもなんでどうして陸人は……」
私が今目の前にいなければ、いずみんはすぐ陸人に電話をかけている。
そんな顔をしていた。
「…………さあ……。
私にもわからなくて。
予備校も休んでるし携帯も取らへんし」
「……予備校……?
今陸人予備校行ってるんですか?」
次々と知る事実。いずみんは息切れしたように
肩を落とした。
「……はい。医大に入り直す為に」
「……医大……?あんなにお医者さんのお父さん嫌ってたのに医大なんや……」
家族の話は殆んどしてくれなかったと、いずみんは言った。
ただ、ゼミの仲間で父親の職業について話が出た時、ぶっきらぼうに医者と呟いたのが、印象に残っていると彼女は言った。
お父さん嫌いなん?と訊くと、
父親も医者って仕事もと、リクは答えたと言う。
「……私たちの専攻も、そんなに医学とかけ離れてる訳やないんですけど、医大を受け直すって事はお医者さんになろうとしてるって事ですもんね。
……そうなんや……」
ひきつっていたようないずみんの肩は、少しだけ力を抜いた。
「……それよりも陸人がどこにいるかって事ですよね………まさか……」
「……それは絶対ないよ。リクはどんな形でも生きろっていつも私に言ってくるから」
答えて思わず息をのむ。
どんな形……どんな形でも。
そう言ってくれたリクの形に、
いつまでもこだわっていたんはこの私やった。
「……ごめんなさい。……私ちょっと用事を思い出して」
いずみんに言いつつ腰が浮いてしまう。
ここにいても違うくても、何も変わらへんのに
むず痒く、それが私を切なくさせる。
「……え、そうなんですか?
すいませんでした。
私はまだもう少しここでこれ飲んでいくんで……」
不意打ちにいずみんが間の抜けた顔をした。
「……あ、それと私が呼び出したから、ここはいいんで」
注文書をつかまれ、仕方なくご馳走になる。
かけていたダッフルコートに腕を通すと、
いずみんが寂しげに微笑んだ。
「……それ、陸人のですよね。……見覚えあります」
「……あぁ……うん。……はい……。」
少し考えてから、私はいずみんに言った。
「…………いずみさんは知ってますよね……?
ほんまはリクが陸人と言う名前やないのん……」
「………………はい。勿論です」
さくらんぼ色のいずみんのリップが少しも怯む事なく答える。
「……だってそれは陸人の一部ですから」と。
……そうだ。
もう形にはとらわれてはいけない。
いずみんと別れ、先に店を出た所で用事なんてあるわけやない。
そしてどれだけ心が浮き足だとうとも、
それを打ち消す方法もない。
だからマンションに戻りひたすら眠る。
冬眠するように深く深く、ただひたすら野性動物のようにリクを待つ。それが私の用事。
そこからの日々は、チカや潤君が単独で来たり、
たまには二人で来たりで、
でもリクは帰ってこない。
師走の喧騒からかけ離れたこの空間で、
私の心は準備が出来ているというのに……。
二人が残していった食料を地味に消費して、
ケトルのお湯が沸くと、先生から電話があった。
『…………さぼりめ』
『……え?』
『……あんた今日結果訊かんと帰ったやろ?』
『……あぁ……』
先生は相変わらずリクについて口を割ろうとしなかった。
私も意地になって訊かない。
『……用事があって。ごめんなさい……』
『……何が用事よ。なーんもないくせに。
怖かっただけやろ?結果聞くん』
もうこの口調には慣れたのに少しだけムッとする。
なぜなら図星すぎるから。
リクがいなくなり、病気が悪化していることへの不安が増していた。
『……まさか。ここまできて怖いもんなんかなんもありませんよ』
通話中の携帯を肩に挟み、
ケトルを持つ手が少し震える。
『……あっそ。
ほならええかな、結果言うで』
『……あっ、ちょっ、ちょっと待って……!』
バランスを崩したせいで携帯は床に落ち、
ケトルは熱々のままシンクに激突 。
それこそお湯はほとんど流れ出たのに、指先に覚えのある火傷の痛みが走る。
『……あーちゃんっっ……!?どないしたんっ……!?』
落ちた携帯から聞こえる小人のような先生の声。
火傷をしていない方の左で携帯を拾うと、
耳にあてた。
『……お湯……こぼれて……』
『……えっ!?火傷したん?すぐ冷やさなっ』
『……あ……はい……指なんで……冷やしてます……』
水道水が勢いよく跳ね、セーターの胸元にいくつも水滴がついた。
『……ほんまに大丈夫なん?
もう切るわ。とりあえず水道水で暫く冷やして、ほんでえっと氷とか保冷剤ある?』
『……あ……それがこないだから冷凍室の調子悪くて……。
アイス入れてもすぐ溶けちゃう感じで………ないです』
『……今時そんなしょーもない冷蔵庫使てんのかいな、呆れたわ。……とにかく肉とかなんか冷えてる食品ないの?』
『……あ……ええと……あ……キウイなら』
いずみんと会った日以来、お日様のある時に出掛けるんは皆無に近い。
それを心配したチカが、なぜか大量にキウイを買ってきた。
ビタミンCだそうだ。
なので冷蔵庫には、キウイとミルク。
今はそれしかない。
『……キウイ……?ん~……なんだかなぁ。
まぁええわわ、それででも冷やしとき。キウイ切ってその中に指突っ込んどくんやで!』
『…………はあ……』
『……気のない返事やなぁ。
ないよりキウイでもあった方がマシやからそれしときって言うてんねんっ。
ほなもう切るわ……ってあかんやん結果や結果』
先生の言葉に火傷の痛みを一瞬忘れる。
水道の蛇口を止めると、冷蔵庫の前にぺたんと座りこんだ。
『……どうやと思う……?』
『…………さあ……』
『……なにそれ、どうでもええの?』
『……いや……よくないですけど……早く切らないとキウイも切れないんで』
言うと先生が浅く笑う。
『そらそやな、ほな言うで』
先生は間髪入れず、私の体の今について話した。
それは嬉々としていて、
まるで自分の事のようにだ。
とにかく全ての結果が良くなってきている事、
奇跡のように最終stageから一段階前の
stageに戻ったことを早口で話すと、
『キウイやでキウイ』
そう言い電話は切れた。
じんじんと脈打つ指先で、冷蔵庫の扉を開ける。
半分に切った皮つきキウイを、きのこみたいに指先に被せると、涙が溢れた。
リクがどうしようもなく恋しくて、
あんな事で追い詰めた自分を、つまらないやつと思う。
痛みがマシになると、洗濯したモコモコソックスの片方を取り出す。
サンタさんに手紙を書くと、そこにしまってテレビ台の前に置いた。
また指先をキウイに突っ込み、布団にくるまって
眠る。
お湯の足りないカップ麺はそのままで、
テレビから流れる大雪暴風警報アラーム。
上に住む人の足音すらホッとする孤独の中で、
リクの赤本を枕にソファーで目を閉じた。
…………ドサッ…………ズズズズサッッ……
引きずるような音に暗闇の中、肢体がピクリと反応する。
大雪暴風警報のアラームは解除され、
テレビの画面には、イルミネーションを巻き付けられた街路樹が。
鍵ちゃんと閉めたっけ……。
記憶が曖昧で、恐怖心だけを募らせ薄暗い廊下を見つめる。
「…………誰…………?」
フライパンが相手にダメージを与える一番の凶器かもしれない。
そこまでの距離を推し量り、ソファーをバネに振り子のように起き上がると、シンクまでダッシュし、茫然と立ち尽くした。
玄関先に突っ伏した人のような物体がある……。
………………リクッ…………!
駆け寄りそのコートごと抱え起こすと、
その体は絶え間なく熱を発している。
「……鍵開けっぱなしやったし……不用心やで……」
苦痛に歪みきった顔のリクは、まるで地の果てからの生還者のようだ。
かろうじて口許にある笑みは、残りわずかな理性で成り立っている。
「……そんなん……どうでも……」
ええやん……。
言い表せない程の恐怖と後悔に堕ちていく。
リクを追い詰めた張本人の元に帰ってくるやなんて、ほんまにほんまに……リクはあほや……。
「……熱……何でこんな」
「……大丈夫やから俺は。
それより検査結果……オッケーやったんやって?
……ほんまに良かったな……。」
私の髪を一度かすり、力の無いリクの腕はすぐ落下する。
「…………誰に……聞いたん……?」
「……ねーちゃん……アオより前に」
……救急車……
「……そんなん……いらんから……絶対……いらんから……。
ほんまたいした事ないし……そばにおって……。
それだけでええから……」
懇願するように吐いた息には湯気が立つようで、私の腕を持ったまま眠りにおちてしまう。
そうしてその瞼の奥にある瞳を確認できないまま、途方に暮れた。
自分の病名を知った日よりももっと、
苦い何かが何度も込み上げて、
それが愛だと気づかなければ、きっとその場で吐いてしまっていただろう。
チカは10コール程で不機嫌に電話を取る。
そして現在時刻を知るや否や、更に不機嫌さを加速させた。
『……あほい……ほんまにムカつく。
今何時かわかってる……?あかんむっさあんたをしばき倒したい……寝てんの邪魔されんのこの世の中でいっちゃん嫌い……やからあんたをどつきまわしたい……』
『………………ごめん……。』
『………………つかさぁ……、あぁあー!
……泣いてるとかマジめんどい。
……泣かんといてくれる?うっといねん』
携帯から耳を遠ざけても尚、チカの暴言は響く。
『……ごめん……ぁ……またごめん……。
……今……コンビニに……向かってて…』
涙を拭い、状況を短く説明すると、ようやくチカは口調を変えた。
『……コンビニ?こんな時間に買い物せんとあかんもんでもあったん?』
『……氷……無くて』
『……氷……?……あ、そうか、あんたん家の冷蔵庫ポンコツやったよな。
……ん……?いやいや違う違う、なんで氷?
なんか冷やすんやったら今日は外に雪アホ程あるやろ』
ほんの数メートル先、暗闇にひっそり建つコンビニは私の緊急避難場所。
おっちゃんから逃げたい時も、そして……今日も。
『……そう言うんやなくてリクが……酷い熱で……』
散々途方に暮れたあと、リクをなんとか布団に寝かし、その足で部屋を出た。
氷を買いに。それは表向き。
ほんまはリクが違う生き物になってしまった気がして怖くて逃げたした。
迫田家の時から、最低な私はなんも……変わってへんねんやろか。
「………………え……?
ちょい待ち、あいつが熱?
……まさか帰ってきたんっ……!?」
ガタッ、と何かを打ち付けるような音がして、
完全に目覚めたらしきチカは大声で捲し立てる。
避けては通れない事なので、そのままチカに話をした。
断定は出来ないが、
リクが何をしてきたか分かったこと。
それのせいでかどうかは分からないが、
酷く高い熱があること。
救急車は呼ばないで欲しいと言った事。
『…………ついにほんまにやりよったんか、あいつ……』
チカはそう言うと、どこまでも深い溜め息をついた。
そう言ったきりチカは、暫く口をつぐんでしまう。
でも私は歩くのを止めない。コンビニに入ると、
ただ真っ直ぐに氷を目指した。
青いカゴに、あるだけの氷パックを全て入れ、
保冷効果のありそうなものも全部入れる。
その山積みは私の罪の重さに比例する。
でも罪はきっと、氷のように溶けて無くなりはしない。
『……後ろやかましいな……。もうコンビニ?』
『……うん。氷全部買い占めた。』
『……そうか……。私朝イチでそっち行こか?』
『……ううん……。リク、チカが知ってんの知らんし、今なんか私めっちゃ動揺してて、チカの声聞いて落ち着きたかっただけやねん。ごめんな……起こして』
レジ台ににカゴを載せると、奥で休憩していたらしき店員が慌ててやって来る。
……ピッピッと言う電子音に入り雑じり、
チカの声がやや優しくなった。
『……ええし……ええよ。
……あ……最初ごめんな。
私ほんまに寝起きあかんねん。例えあんたやなくても誰でも、やで?』
『……あぁうん、わかってる。こっちこそごめんな』
会計はとうに終わっているのに、
店を出た所で動けなくなる。
コートの下にはパジャマだけ。
なのに寒さも感じない。
『……でもあほいあれやで……。
あいつがそんなんしたんは、あほいの責任ちゃうで。それはあいつが自分で決めた事で、つまりその……身体的に頑張ってみたと言うか……。
けどあんたはそこからやっぱり逃げたらあかんねん。あんたの全部を知って逃げへんかったあいつから、逃げたらあかんねんで。』
念を押すようにチカは言い、私はようやく薄汚れたwelcomマットの上の足を動かした。
チカと電話を切り、バカみたいに重いコンビニ袋の持ち手を変える。
白濁した満月が雪の枯渇した澄み渡る夜空にあり、私だけを見ているような気がした。
リクはそれから言葉のごとく三日三晩高熱うなされ、ソファーから移動も出来ず静かに唸っているだけだった。
それでも何か口に入れなきゃと、リクの頭を膝に載せて、潤君がくれたリンゴをすりおろしては与える。
時々ふと、看護の仕方がわからない病気の動物を見守るような気分になり、正と誤の微かな違いに心を病む。
4日目の夜になり、リクはようやく私の知るリクに少し戻り、とりあえずの目に映るものを言い、
肝心な事には触れなかった。
シンクで干からびた半分キウイ、
出しっぱなしのフライパン、
それに来年早々にあるセンター試験が続き、
私は質問する時間を見失う。
「……ねーちゃんが書類用意してくれてたし……
とりあえず受けてみようと思って」
「…………うん……」
気の抜けた返事は、賞味期限切れのように中を舞う。
「……つかアオはあんま興味ないもんな……。
でももし受かったら……約束、覚えてる?」
「…………うん……それより……………リク……」
私が膝にあるリクの髪を撫でると、
その片頬が痙攣したようにピクリと上がる。
「…………大事な話あるんやけど、今……してもええ?」
言い出したくせに指先が震える。
リクの指先がなにげなくその指先に触れる。
伝わっている、たぶん……。
「……悪いけど……入試全部終わってからでもええ?俺今……結構きついし」
リクは余地を入れないように言葉を吐き、
またあの白濁した月が、今度は私達二人だけを
見ている気がした。
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