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思い出は、写真と携帯と心の中に、
どんどんと積もっていく。
9月の終わり。
私の病気はそれこそブルドーザーで押し止めたように、進んでいない。
潤君があの苦い思い出以外でマンションに残していったもの。
それはそう古くもないデジタルビデオカメラ。
機械オタクの潤君は、忘れ物だと告げると、
『新しいの買うつもりやし、今使う予定もないから持ってて』と言った。
だから予備校や勉強以外のその間、
リクはいつも私を撮っている。
「……そう言うんてさ、普通どっか行った時に撮らへん?」
ホットミルクの入ったマグからこっそり顔を上げる。
「……俺の息抜き。やしええやん」
右目をカメラレンズにくっつけたまま、
左目を細めて笑う。
「……その角度から撮らんといてくれる?嫌やねん」
斜め下からのアングルは太って見える。
リクはこう言うとこ、女の子の気持ちをまるで
わかってへん。
「……てか今度私撮る。お勉強して」
カメラを奪うと覗く。
画面の中で下を出し、変顔を作るとリクはまた、問題集に向かう。
長い睫毛、少し伸びた髭、夏の日焼けが残る肌。
「……イケメンですね。
お兄さん、はかどってます?」
「……うるさいなぁ。勉強中やって」
長い指先でペンをクルッと回すと、顔 も上げずにリクは言った。
もし私が死んだら、リクの隣にはいつかまた誰かが座るんやろうか……。
微かな焦燥感は、レンズを覗けば覗くほど増殖する。
いつ死ぬかわからへんのに呑気なもんやな……私。
「……なぁリク、平気なん……?」
どう訊けばいいかわからず、
ずっと思っていて口から出た言葉。
ようやくリクが顔をあげ、レンズの中で目があった。
「………………何が……?」
カメラの中のリクは、すぐ側にいるのに現実味がない。
だから訊けた。
「…………えっと……その……つまり……リクは男の子やん」
「……うん。……やから?」
しりとりを反対にして返された時みたい。
「……やから?うーん……我慢とか……出来るんかなぁって」
普通ならこれでわかる。
やのにリクは、理解してないみたいに私を見た。
その目の色は、初めて病室に現れた、
あの時の色と同じ。
「…………我慢…我慢か。……って何を……?」
大きな音で辞書をわざと机に置き、
リクは私をもう一度見た。
カメラを止める。
「……アホらし……もういい」
呟いた私はそのまま床に寝転がる。
リクはそれを無視しようとして止め、
私の隣に寝転んだ。
「……勉強は……?」
「…………早いけど休憩」
そして私と手をつなぐ。
服からは私と同じ柔軟剤の匂い。
リクは体を少し起こし、私に優しいキスをした。
物足りないと思う自分が嫌。
真上からリクは見下ろして首筋にキスをする。
ここまでも、そのあと少し先も、やった事はある。
「……ん~……やっぱ続きやるわ。
こんなことしてられへんし」
続きとは勉強の。
分かっていたけど、やはり荒野に放り出されたように虚しい。
定位置に戻り、また赤本とにらめっこなリクにポツリと呟く。
「……私やっぱり潤くんのお姫様になった方が……良かったんかな」
呟きにリクは少し笑った。
「……なにそれ。後悔……?」
「……やなくて、あ……全否定やなくて、それは潤くんが言うたの。
……あっちゃんは……俺の姫なんやって」
するとリクが笑い転げる。
ダッサーとか、色々言って。
「……ここ笑うとこちゃうし」
「……じゃあどこで笑うん?……アオはそんなに俺とやりたいん?」
「……は?やりたいなんて言うてへんし」
マグを手早く片付けキッチンに立った。
怒りに任せシンクにも粗雑に置く。
リクのマグが呆気なく割れた。
「…………痛…………」
指先で血の玉が奇妙に揺れる。
慌てて飛んできたリクがその傷の指先を舐めたりするから、私の目から涙がこぼれた。
「……そんなに痛いん……?」
リクが傷口から唇を離すと、私の顔を覗きこむ。
「……ううん……そんなに痛くない」
「……でもここ俺やるし。あっちで座っとき」
リクは粉々に飛び散った破片をかき集め、
「……これもう使いもんにならんな」
と呟いた。
白いカッターシャツのリクの背中を見ながら、
マグだけやなくいつかリクの心も、
粉々に割ってしまいそうな自分が怖かった。
やがて割れたマグを片付けるついでと、リクがシンクを掃除しだして、
それをソファーに横たわりながらただ見つめて、
気づけば眠っていた。
午後の退廃的な空気から、昼間の罪を浄化していく夜の風。
「…………今……何時……?」
首もとまですっぽりミノムシみたいに毛布にくるまれている。
指先にも少し違和感。
手を取りだして見ると、絆創膏が巻かれていた。
泣いた顔がマジックで書かれていて、
横に小さく ゴメンとも。
体の関係などどうでもいいと思う瞬間はこんな時。
「……今?うーんとな、6時。勿論夜の」
リクは少し笑みを浮かべると、ソファーまで、
膝をついて歩いてくる。
私の肩先にちょこんと顎を乗せ、
「……姫、お目覚めに?」
と、冗談ぽく訊いた。
「……うん……ごめん。晩御飯……どうする?」
リクと二人になってから、ネットにあるお薦めレシピを片っ端から作ろうと決めていた。
それは途切れる事なくこの生活がずっと続きますようにと願いをこめて。
この果てないレシピのように、
私がずっと リクの隣でいれますようにと願いをこめて。
「……そう言えば……やな。掃除して勉強してたらメシのこと忘れてた。
アオが寝てる間にだいぶ進んだで。
邪魔されへんから」
そう言って意地悪く笑い、次に進んだ問題集を指差す。
「……邪魔されたくらいで勉強でけへんねんやったら医大は無理やし」
「………言うたな。
よしじゃあもし俺が受かったらアオになんかしてもらおー」
「別にいいよ。なに?
回らへんお寿司屋さんおごりとか?」
言うとリクは吹き出した。
「そんなんで受験必死こけるかっ。ちょっと待って、今考えるから」
腕組みをして真剣な面持ち。
大好きだ。
そして神様、
私がリクにたどり着いたんは、やっぱり間違えていません。
ネルシャツの、薄れた緑のチェック。
その中に覗く真っ白なTシャツ。
それを洗濯機で回すとき、幸せいっぱいになるんはきっと、そう言う事やと思います。
「…………思いついた」
リクが私の鼻先をボタンみたいに押す。
「……もし受かったら、その先暫くアオは死なへんこと」
「…………てか暫くって何……?」
「……だってそうやろ。
医大受かったからって医者になるまでその先長いで。研修医の期間もあるしな。
俺がちゃんと医者になるまで生きてなさい。
つう事は俺が受かったら、当分死なれへんな」
医大に受かるより難しい罰ゲーム。
でもこう言うゲームは心地良い。
愛されてる。
必要とされている。
そう思える世界。
それからは宅配のピザをとって、
同じボディシャンプーの匂いがする体を寄せあって、布団に入る。
いつまでも天井を眺めていると、寝たと思っていたリクが訊いた。
「……寝られへん……?……って寝てたもんな」
リクがパジャマがわりにしている長袖Tシャツ。
その胸元にある27と言う数字。
私の誕生日と同じ27。
何度も洗濯して古くなって、
高校生の時に買ったそれは、だから故意に選ばれてへん。
なのに少し気分は上がる。
そんなしょーもない事で。
「……うん……まあ……」
繋いでいるリクの手をほどき、もう一度組み直す。
リクの指と指の隙間に、私の指と指。
パズルみたいにきちんとはまる。
「……ねえリク……」
「………………ん……?」
「……蒸し返すようで悪いけど、ほんまの気持ち訊いてくれる……?」
さっき、そう眠る前、
リクと私のその関係について。
少し間があり、やがてリクが答える。
「………………あ……うん……」
「…………私の今までと、私の今が違う事もわかってくれる……?」
「………………うん」
リクの無表情な横顔が、夜の中に浮かび上がった。
「…………リクとそうなりたいと思うんは、今までと違うねん。うまく言われへんけど……。
今までは自分が1人になりたくないからとか、
その時だけでも必要とされたいからとか、
寂しいから……とか。
そんなんがそうなる事の第一条件で、理由やった」
「…………うん……」
闇に溶けてしまいそうなリクの声を見つけて、
それでもそれを見失ってはいけない 。
「…………でも今の私はリクとはそう言うんやなくて、もっと自分を知ってほしいというか……リクをもっと知りたいというか……
ほんまに初めてちゃんと好きになったリクと繋がりたいと言うか……
……あぁどうしよう……
うまく……言われへん……」
心臓が弾けそう。
リクは私が好きで、私はリクが好き。
分かっているのにこんなに乱れる。
「…………ダイジョウブ。うまく言えてるよ……」
リクは言うと、少し体を起こす。
枕元にある小さなアロマランプ。
それに弱く照らされた、リクの優しい横顔。
「……あんな風に言うたけど…アオの気持ちはわかってるつもり。……さっきは……ごめんな」
これだけで充分で、なのにリクを困らせてしまう。
その事に本当に気づいたんは、翌朝、リクが私の前から忽然と姿を消してしまってから。
繋いだ手の形のまま、その先にリクはいず、
あの日のおばちゃんのように、置き手紙が一つあっただけの朝。
携帯の電源は切られていた。
留守電の設定もしていない。
消えたのはリクのリュックと持ち物少し。
テーブルの上には、穴あきルーズリーフに置き手紙。
【ごめんな、アオ。暫く戻りません。 リク】
裸足のまま外に飛び出したんは、生まれて初めてやと思う。
パジャマのまま、まだ朝靄の立ち込める外に出て、リクの姿を追い暫くさまよう。
早朝ランニングのカップルが
いぶかしげ私を見て目線をそらす。
リクの名前を叫ばなかった事が、唯一の理性。
リクを見つけられず、部屋に戻ってからもリダイアルし続ける。
メールを送っても返信はない。
不安だけが山のように積もり、やがてはそれに押し潰されそうになり、時間すら忘れ、あげく先生の携帯にもかけてしまった。
『…………あーちゃん……?どないしたん?』
すっきりした声。先生はもう起きていた。
『………先生どうしよ……リクが……』
震える声で置き手紙の内容を告げ、
電話も繋がらない事を言う。
先生は少し黙り、
『……そう…………こっちにも来てへんわ。もし来たら連絡するけど、でもあーちゃん、そこには戻らへんて書いてないんやろ……?
あんたのおばちゃんの時とは違うやん?
やったら暫く待っておいたら?
あの子アホやけど、何の考えもなくそんな事する子やないし……』
にべもなく先生は答える。
『……大丈夫……?……やないわよね。
でもしっかりしなさい。
あの子はあんたを決して捨てたりせえへんから。それは私が補償するから。
とにかく今は…そやなぁ……。
誰か信用できる友達にでも話聞いてもうて、気ぃ紛らわせとき』
あの日、おばちゃんが出て行ったあの日。
なんでおっちゃんにもっと優しくせえへんかったんか、今更ながら後悔した。
今私のところにある置き手紙。
その置き手紙よりもっと、遮断されたような置き手紙をもらったおっちゃんに、なんで優しく……。
「…………予備校は……?」
その日の午後。
呼び出すとチカは、上目使いに私を見た。
ファミレスの一番奥の席。
赤チェックのテーブルクロスには、誰かの落としたタバコの焦げあと。
「……お姉さんから電話かかってきて……予備校にも行ってへんて」
あれからふと予備校の事を思い付き、調べて連絡しようとした。名前だけは聞いてたから。
携帯で調べメモし、そうしたら先生から電話がきた。
『……あーちゃん、あの子やっぱり家にも来てへんみたい。でな、予備校連絡したんやけど、
ほんまやったら1限目から来るはずやけど来てへんて。
やから私から暫くお休みさせますって言うといてん。
……あの子からもし何か連絡あったら言うわね』
病院の音が微かに聞こえて、あっけなく電話は切れた。
「…………ふうん……。何か知ってそうやな、そのおねーさん。
予備校かけるとか手回し良すぎるもん……」
信用できる友達って言われて、
チカを呼び出した不思議。
「…………うん……でも絶対なんかリクの居場所教えてくれへん気がする」
食べもしないパフェを見下ろす。
甘いもんを食べると、元気になるってチカが言ったから。
「…………あいつほんまにどこ行ってんやろなぁ……」
脱力したようにチカがテーブルにうつ伏せる。
すぐその顔をヒョコッと上げて私を見た。
「……でもなんで呼び出したん私なん……?」
リクとのやりとりの次に心地良いもの。
それは初めて出来た女友達との会話。
「…………さあ、なんでやろ……」
私は答え、パフェの上にある生クリームを崩す。
不安を崩すように、少しずつ少しずつ。
神様。
早くリクを私のところに返してください。
意地悪してるんですか?
私がリクを困らせたから。
この際もうリクが狸やったとか、狐やったとか、そんなんでもかまいません。
とにかくリクを、早く返してください。
返してくれたら、このファミレスの全メニュー
あなたに奢ります。
苦手な早起きも、苦手なアイロンも、頑張ります。
そして何より生きる事を、頑張ります。
ファミレスを後にすると、
今日は泊まったるわとチカが押し付けがましく言ってきた。
「……まさかあの時いなくなった潤の元カノん家やって言わへんから、安心して」
チカは言うと、携帯片手にうろうろする。
友達の家に泊まると告げる。
駅のホームにはチカのウェスタンブーツが響く。
もう夜はちくちくと少し肌寒い。
あの青臭い夏草の匂いは消えて、秋の終わりの匂いがした。
「……もしあいつが帰ってきたら、あんたあいつに何て言うん……?知ってたよとか、言うん……?」
チカにそう訊かれ、向かいのホームでゴルフの素振りをする見知らぬおじさんから目をそらす。
「……わからへん。
リクの中で何かが煮詰まったから、出て行ったんやと思うし。
その原因作ったんは……私やし……
もし戻ってきて問い詰めたら、もうほんまに壊れてしまう。
友達にも戻られへん……そんな気がする」
「……友達にも戻られへん?それはあんたが、やろ。
あんたが心のどっかで、あいつを拒否してるからちゃう?
……あんまよう知らんけど、あいつって人間はあんたをそんなしょーもない世界で見てへん気がするわ」
「……私が……?こんなにリクを好きやのに?」
チカの思いがけない言葉が、刺のように刺さる。
「……うん。
それに気づいたからあいつ、出て行ったんちゃう?
もう無理やって思ったんちゃう?
……暫くって書いたんは、
あんたがおばさんに捨てられたダメージをもう一度受けへんようにで、
つまりそれは、あんたを心の底から愛してるって事で、体の繋がりばっかり求めてくるあんたと、温度差感じたからちゃう?」
チカの言葉が、刺から矢になり、幾つも刺さる。
「……ごめん、生理前やしイライラしてた。
でも本音は本音やから。
言い方きつかったけど……」
ふいにチカがそう言って謝る。
火山の噴火が終息するように、まだその臭いだけ漂う煙を残して。
「……う……ううん……こっちこそ……ごめん。
……全部とは言いたくないけど、チカちゃんの言うてる事……少しは当たってるし」
言うとチカがハハと笑う。
「少しちゃうやん。図星やろ?
まぁええわ。
頭痛なるし喧嘩はやめとく。……ってもう喧嘩した後か」
この季節やとしっくりくるチカのウェスタンブーツ。
その踵がコツと鳴り、
もう終わりかけの虫の声と、どことなく重なる。
「……チカちゃんごめんな。
喧嘩……大きくなってから同年代の女子とした事ないからようわからん。
今喧嘩……ちゃうやんな?」
「……うん、もう終わり。
私が言いたいこと言うてスッキリしただけやけど」
「……その後その……どう?学校」
電車が来ると並んで座る。
夜の闇に溶けてく車体。
逃亡した電車と同じなのに今は、酷く温かい乗り物。
「……どうって、変化なし。
変化せんまま卒業やろな。別にええわ、大学やし。高校みたいに困れへん」
チカは言うとショートデニムの足を組む。
セクシーと言うよりアメリカのじゃじゃ馬娘みたいな。
チカはあのメール以来、大学で1人になっている。
アイリが他の女子をことごとく味方につけ、
元々周囲にあまり好かれていなかった自分は、
必然的に1人になったのだと言った。
「……早いか遅いかの違いだけやったと思うし。
あの時あの波を乗り越えてたとこで、いつかアイリとは壊れてたし」
大事に育てた1人娘が学校でこうなってる事を、
あのおじさんたちは知ってるんやろうか……。
「……私な、自分の身にふりかかる事は全部乗り越えられるはずの事やし、この春田 チカの人生に必要不可欠な事やと思てんねん。
アホポジティブって潤は笑うけど、でも人生一度きりなんやしその方がええやんか」
人があまりにいないので、向かいのシートの車窓窓には、私とチカがクリアに映る。
二人の体を通過していく民家や山や、いくつもの電灯。
まるで真逆の、なのに並んで座る。
もう少し早く手にいれたかった友達。
「……やからあんたのもきっと全部そうなんや。
……もしあいつが帰ってきて、
全部隠さず話し合うたとして、
もう恋人には戻らんでも、せめて友達でおったりいや。
で、またみんなで海行こう。スイカ、割りまくろ」
微笑んだチカの横顔が、神様みたいに見えてくる。
口の悪いドSな神様。
心の奥底に両手を突っ込んでくるドSな神様は、
駅についた電車から降りると、
私にかかってきた潤君からの電話に毒づく。
まーた余計なもんが首突っ込んできやがったと。
『…………え、あいつおんの!?』
電話口、潤君の声が裏返る。
『……うん……私が誘ってん』
駅前のコンビニ。
陳列棚からアホほどお菓子を取るチカを横目にそう答えた。
『……えぇ~……ほんならどうしようかなぁ…』
『……どうしたん?何で?』
『……いや実は今マンションにおんねん。
……あっちゃんおれへんし……待っててんけど……』
『……何でわざわざ?』
三つある合鍵は、一つは潤君が持ったまま。
でも潤君はむやみに部屋に来たりしない。
それに私の名前だけ出したんが、何か知ってる証拠。
『……え……なんでって……リクさんに連絡もらって……。
暫く用事で家あけるから、たまには様子でも見に行ったってって。
おーいあっちゃん、聞こえてる?』
潤君には連絡したんや……。
『……あ、うん……。聞こえてるよ。ごめん……』
答えている最中、ふいにチカが私の携帯を奪った。
『もしもしぃ!?あんた何の用なん?
え?うん、うん……。へぇ……あっそ。
……ってあんた何か知ってるん!?
嘘ついたってこのチカ様にはわかんねんで!
それにすぐ来るなんて変やん、
あんたもしかしてまだ未練タラタラなん!?』
チカは潤君を執拗に責めまくり、
いらん奴の分まで買わなあかんやんと、アイスを1個カゴに追加した。
その後、リク不在のマンションで、私達は膝を付き合わせる。
……たぶんほんまにあいつ何も知らん感じやわ。
コンビニから出て、ここに帰って来るまでに、チカはそう言った。
……潤、あんたの事まだめっちゃ好きなんやって私には分かる。
……とも。
「……用事って何か、あっちゃんも知らんのん!?」
チカが面倒くさげに買ったアイスを、
嬉々として潤君が食べる。
「……うん……。朝起きたらいてへんかってん。
携帯もかかれへんし、実家にも戻ってなくて……」
「……そうなんや……。
何やろな、用事って。俺も別に訊かへんかったけど」
潤君が私の為に、自分の携帯からリクにかける。
「……わ、もうつながれへんわ。俺からもアウトになってるやん」
「……何でもええけど、なんで潤もあいつも、
このあほいがええんかな。
こんな死にかけより、ここに健康体の美女がおんのに」
「……おまえっアホっ、死にかけとかいうなっ」
必死な潤くんに、私は堪えきれず少し笑う。
「……ええねん潤君。
チカちゃんの毒舌には慣れたし」
「……け、けどあほいって……」
言うのを忘れてた。
チカは最近私の事を、あおいではなく、あほいって呼ぶ。
あほすぎるとあおいをかけてあほい。
愛があるので気にはならない。
「それもええねん。私もチカちゃんのこと、たまにチャーシューって呼ぶし」
「……チャーシュー!?」
「うん。チャーシュー」
「わ、言いよった!あほいめ」
チカは太っていない。
けれど、前に履いていた網タイツの時、
太ももの肉がチャーシューぽかったから。
「…………すごいな……。つうか二人、いつからそんなに仲良なったん……?」
あのスタバと海、
それしか記憶にない潤君は、不思議そうな顔をした。
リクにも潤君にも内緒でチカと会う。
そんな時間が、トモダチの関係に色づけしている。
「……さあ。つか別に仲良くないし私ら。な?」
「……うん。どっちかと言うと仲悪い。ね?」
潤君は一人、置いてけぼりをくらったみたいに肩をすくめ、雑魚寝で、何も進展せず、リクの帰って来ない、そんな夜。
指先が冷たくなり、季節が変わるのを知った。
その後の約3ヶ月、リクからは何の連絡もなく、
『こっちにも何の連絡もないよ。ただ、生きてるとは思うわ。心配しな』
と先生はそれ以上口をつぐみ、私もそれを掘り下げる事もなかった。
チカと潤君とはよく会うようになり、11月の終わり、チカとマンションに来がてら潤君がりんごをくれた。
「親戚の田舎が青森でめっちゃ送ってきてん。
うちの親がどないしてでも持って行ったりって」
「潤のお母さんの実家が青森やねん」
潤君が大量の林檎を、
旅行用のスーツケースで運搬。
それが開封された途端、甘酸っぱい匂いが立ち込める。
「……でもなんでうちに?」
「……さあ。
でもいつもあっちゃんの事気にしてるからうちの親。あれきりやし、俺はそんな気にされても逆に困るんやけど……。
あの子病気どうなったん?元気にしてやんの?
とかうるさいねん」
病気をしてから、私は沢山の想いや愛を知る。
気づくのが遅かった、ではなく、
チカ流に言えば、それも運命なのかも。
「……ふふ。そう言う面倒くさいとこ、潤遺伝してるやん」
チカが言い、りんごを1つ取り出すと、ガブリとかじる。
「……アホっ、おまえ何してんねん!これはあっちゃんのやぞっ」
「……へへ、ええやん別に。
1人やったら置いてても腐らすだけやで。これ何個あると思ってるん?」
……そう。
1人では、この林檎をやがて腐らしてしまうだろう。
やから私はリクの帰りを待っている。
家出した猫を待つように、
あの体温を懐かしく思いだしながら息をする。
そして私の病気は今だ進行していない。
進行しすぎているからもうそれ以上進む所がない。
ポジティブにそう思う。
そしてリクにもう一度会いたいと願う心が、
やっぱり私を生かしているのだ。
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