cherry


その2日後の夜リクと会う。


【カレーライス】リクから届いた一言メールで、

自〇軒のカレーライス。


「……先生、元気?」なにげに訊く。


店内はレトロで且つ狭い。

気は抜かない。抜けば、隣客とどこかが接触する。


「……うん。」


リクのスプーンで潰れた黄身が、ドライカレーを駆け降りた。


「……私の事は何か?」

「……うん。」

「……何か怒ってる?」

「…ねーちゃん?まあ、ぼちぼち怒ってる。」

「……ではなくてリク。」

「……俺?なんでよ。」

『なんでよ』の『でよ』が怒ってますが、何ででしょ……。

「それよりカーテン教えろ。」

「カーテン?ああ……。」


隠す事でもない迫田 潤の話。

リクの相槌は全てワンテンポ遅れ。

衛星中継か。

なので話すのを止めた。

「……終わり?」

上目使いはいずみんにどうぞ。


「……聞いてないから。」

「……聞いてるよ、糸電話くん。」

「ではなくて迫田 潤。」

「……どっちでもええわ。好きになった?」

「レベル低いな。」

噛み合いません。






「全然知らん奴にカーテンか……。俺やったらせーへん。」

まだ言うか。あなたもね、似たよーなもんですわ。カーテンと卒論。仲介業者の人がいたかいないかの違いでしょ。

「そして、受け取らへん。」

はいはい、わかったから。

「友達やから言うけど、そいつ危険。」

そうですね、はい。

リクのひとしきりを聞き、ドライカレーを一口食べる。

微妙に食べる量が増えるのは、友達と言うものが、有難いせいでしょうか。


「……どんなやつ?そいつ。」

「……どんな?見たやん。」

「……あれは遠目でしょ?近くで、どんなか。」

「……うーん……。あ、眼鏡の跡がびみょーに残ってた。ここ、目の間。」

リクのお皿に残ったカレーと黄身の筋。

で、なんかお絵描きしてはる。


……ふふ。それメガネやんな?


「……メガネ君かぁ。」

お絵描きメガネの上にはグチャグチャ紙ナフキン。

「……そのうちそいつがブレスレットを持ってきたりして。」

「……ブレスレット?」

「……うん、魔除けブレスレット。お値段なんと10万円、とか。」

「……はは、アホらし。」

「ってアオ買いなや。」


リクは少しだけ笑う。今日は元気がない。


「……いずみんと、ケンカでも?」

リクの手が止まる。

「……人の恋バナ好き?」

「……全然。」

「……やんな。」

いずみんとおる時、リクってどんななの?

それは、興味あるけど。

「……そいつ、カーテン君。」

「ん?あ、はいはい。」

呼び名どんどん変わる。

「……は、アオの病気の事ご存知?」

「……興味ある?それ。」

「……全然。」

「……やんな。」

ちょっと噛み合う。

「……けどなんかあったら教えろ。ブレスレット持ってきたりとか。」

「……はは、了解。」


店を出て、ビルのネオン伝いに立橋を歩く。


夜8時。


100円パーキングに止めた黄色いワーゲン。別名、幸せの車。

「……今日はメモなし?」


助手席はいずみんの角度。


「……忘れた、珍しく。」

ハンドルを握る手。ペアリングも、忘れてますけど?

「就職活動は?」

「……大学院行くんで。」

「……おお、それはいいですな。未来の予定。」

「……たてたら?」

「……私?」

「……うん。実は100まで生きてましたとか。」

「……笑かす。」

「……笑ってへんやん。」

「……ですな。」


夜の繁華街は熱帯魚色。動く車は、昆虫の背中。

事故渋滞の長い帯。歩くより遅い速度。

「……追突か。むっちゃ迷惑。」

リクの携帯が鳴る。ほったらかし。

「……鳴ってますけど?」

「……うん。でも今運転中。」

「……ほぼ停まってますが?」

「ハンドル、握ってるし。」

リクの指が携帯をバイブにする。

それでも、ブーブーブーブー。……緊急では?

「……音楽聴く?」

「……あ、うん。」

流れ出して沈黙。ここでこれきますか。

「……もっと他のんする?」

「……いやいやこれで……。」

良くないけどいい。これはリクの車やし。

お友達付き合い、ちょっとは覚えたし。



小3の2学期の始業式。

転校することになった。

手続きが遅れたせいで始業式だけ出るという不測の事態。


『中園さんは別の学校に転校します。

皆さん、かわいくてやさしい中園さんの事、

ずっと忘れないであげてね。

先生もずっと忘れません。』


始まるその日にさようなら。

式の後、クラスのみんなが色紙をくれた。

転校前もわりと一匹狼。

けれど色紙には


【なかぞのさん、またいっしょに遊ぼうね。

なかぞ のさん、また学校に遊びにきてね。】など。


みんなが帰り、おばちゃんがお迎えに来るまで

校庭で待つ。


転校と引越しとさよなら。

鉄棒をくるくる回りながら、大きな声で歌う、その当時のヒットソング。




その曲の終わりの部分で、

「……ここでいいや。今日は電車で。」

帰ります。

渋滞が嫌なんじゃありません。この曲を12年ぶりに聴いたので。

「……もう渋滞抜けれるけど?」

呟くリクのその先に、長い長いテールランプの列。

「でも電車で。」

「はいはい頑固者。」

ワーゲンを降り、歩道からリクに手を振る。


次の約束も、社交辞令も無しで。



お友達なリクさんを見送って電車に乗る。

切符、無くしそう。

モッズコートのポケットに手を突っ込んだら、診察券。

覚えてます?ってな感じで。

そう、私病気でしたね。


平日の混まない電車。空いてるシートは透明人間さんにどうぞ。

ドアの横に立ち、電車は進む。

窓の外、さっきまでリクといたビルの群れ。

「……あ……」

……あ?はて。


振り向くといるわけですな。偶然に。

「……びっくりした。電車、乗るんですね。」

電車乗らなさそう?ふふ。


迫田 潤はリクと同じようなリュックで、耳につけていたヘッドフォンを外す。

「……後ろの方にいたんですけど、先頭の方が駅の改札近いし。」

今日は眼鏡じゃないんですね。

それはそれで良くお似合いですよ。

リクは男。こっちは中性的。

少しの癖毛がかわいいかも。

「いいですよ、取って。」

「え、何を……?」

ヘッドフォンも困ってる。

「敬語。ご近所さんなんで。」

「……ああ。じゃあ、あなたも。」

「はい。」

と答えたものの難しいな。

じゃ、私から。

「……カーテン、すごく助かってる。」

すぐにやめると足りない感じ。でもがんばろ。

「……あ、うん。良かった。」

こっちも苦戦。がんばって。


迫田 潤の部屋にカーテンはまだ。

それが少し申し訳なさを生む。

「……あ、でも俺はちょっと寂しいなと。」

「……え?」

「……窓の同志っぽかったから。」


ああ、そうね。

「ふふ、カーテン同志。」

笑うと揺れる電車。

「……あの、突然ごめん。ブレスレットとかする?」

…………わ…………嘘……マジ?

リクさんどうしよ?ドアのバーをニギニギ。

ちょっと浮かれた気持ちに喝。

「……俺、芸大の学生で。」

言いながらリュックをもそもそ。……あ、そっち?やれやれ。


暫くした迫田 潤の手の平には、革紐のネックレス。

「……こんなの作ってて。」

「……へえ。」

アーティストタイプは初めて。

「彫金って言うの。指輪も作るし。」

「……へえ、かわいい。」

掘り下げれない芸術の世界。知らんし。

「……興味あったら作って、えっと……。」

名前、表札もなかったしね。

「中園です。中園 葵。多分迫田さんよりいっこ上」

「……あ、じゃあおねーさんか。」

「……ってほどでも。」

「なんて呼びます?中園さんは、俺をなんて?」

「……うーん……。じゃあ迫田くんで。中園さんで。」

「……はい。じゃあ中園さん。そう、さっきの。こう言うの興味あったら練習がてら作りますよ。

中園オリジナルを。」

「……ただで?」

「……はは、うん。」

迫田 潤の眼鏡の奥。子犬な瞳が細く笑った。


家に帰る道すがら、病気とおっちゃんの事以外を話す。

色々話すし、色々聞いた。

彼女の有無までは知らんけど。

夜道をはさんで右と左。そこに来ると迫田くんが言った。

「じゃあ……また。」

「うん、また。」

ドラマじゃない限りこんなもん。

でも、恋愛というもんを省いて聞くその人となりは心地良い。


迫田 潤には社会人のお兄さんがいる。

家は小さなスーパーをやっている。


製作に時間がかかるから、大学からそう遠くない

ここを借りた。

家賃はバイト代で払っていること。

バイト先はスター〇ックスなこと。

お兄さんには彼女がいること。


部屋に戻り携帯チェック。

リクからメール。


ブレスレットの件は言うべき?言わないべき?


【明後日あいてる?】

またごはん?

【空いてる。そうそう、偶然電車で迫田くんに

会ったら、ブレスレット作ってくれるって。】

【……マジで?ヤバイやん。断った?】

【自分で作るやつみたい。芸大生やから。】

【……?】

【ただやって】

【へえ、じゃあ次は仏像売られかけたら言うて】

【アホちゃう?おやすみ、また連絡して】

【あいよ】

ラリーは終わり、床に転がる。

カーテンのその向こう、迫田くんはなにする人ぞ。

ちょっとだけ寝た。

起きても1人。

エアコンのとこ、あんな模様あったっけ?


じーっと見てると、見てる。

まだなんとか4月……なのにいるの?

苦手なのあなた。すごく苦手。


どうしよう……。殺虫剤とか無いし。

are you from?

お尻を拠点にそろりと起きる。

お化けとどっちが?勿論こっち。

このまま無視して眠れない。


鍵だけ持ってまたそろり。

眉毛をピクンと動かすような触角……。無理無理。



向かいのマンションで迫田という表札を探す。

チャイムを鳴らす。

出ると、「……やあ。寝てた?」

なんてすっとぼけた挨拶をして、迫田 潤の不思議顔と向き合う。




殺虫剤はいらないらしい。

新聞片手に迫田くんは来てくれた。

助かります……。


「あ、どーぞどーぞ。」

緊急事態に遠慮は無用。

迫田様と呼びたいくらいの背中を押して、部屋に戻る。

「……どこらへん?」

……え、もしやどこかへお隠れに?

「……エアコンのとこ。大きくて、黒かった。」

「……なるほど、珍しい。家にいるのはたいてい

茶色やけど。」

益々頼りになる。

迫田くんの後ろに隠れるようにして奴の行方を追いました。

30分は見ていたでしょうか。

けどいないんです。どこにも。

「……出て行ったかな。

また出て来たら教えてくれる?あ、いちいち来てもらうのもあれやし電話番号を。」

え……また?それは無理。

電話じゃなくて、ゴキブリが。

「……あ、いや、その、ちょっと。」

迫田くんの服の端を、思わずつかんでしまいます。悪気はないんです。でも下心もありません。

そのうち迫田くん、クスクス笑い始めました。

「そんなに嫌い?ゴキブリ。」

「……うん、そのネーミングも。」

「……じゃあどうすんの?俺はここにずーっとは

い られへんしね。」

……まあ……そうですね。

「今日1日部屋交代するとか?それは中園さんが嫌やんな。

俺んちだっていないわけやないし。ここら辺、築年数古いからおって当たり前やし。」

ただの新聞紙が何かの武器に見えます。

つまりそれくらい心強い訳ですが。

「……うーん……。」

唸って腕組み。

困らせてますね、私。

「……こうしてても、なので、嫌じゃなければ俺んち来ますか?

そしたら心も落ち着くでしょう。」

行き着いた。

「……お邪魔じゃ……。」

「……風呂に入って寝るだけやから。

あ、勿論俺はソファーで寝るから、中園さんにはベッドを貸します。」

そう言ってから迫田くん、

「ただで、ただでね。」ってニッコリ笑う。

お言葉に……甘えます、はい。




自分の家でシャワーを浴びる。

無論迫田様は待ってくれている。

新聞紙を持ったまま床に座り、

視線を天井や四隅に巡らせて。

「……お待たせ。」

ドライヤーはいつも部屋で胡座をかきながらやる。けど今日は迫田様がいるので。

「いえいえ。おっ、髪も乾いてる?」

ユニットの中で全て済ませてきました。

「……んじゃ、行きますか。」

迫田様は部屋をぐるっと見渡すと、

「……いてないな、よし。」と呟き、新聞紙の武器をやれやれと下ろしました。

なんでしょう。

変ですね。

カーテンもらった、電車で会った、名前しか知らないのに、お邪魔します。


「……散らかってるけど、どーぞ。」

迫田様から迫田くんに戻りつつある彼が、レディファーストにしてくれました。

私と同じで、まだ段ボールのお山がいっぱい。

「……お邪魔します。」

部屋着で入る。

数種類のスケッチブックと、鉛筆の芯の匂い。

その彫金とやらに必要な様々なものたちでありそうな匂い。学校の匂いによく似ている。


そしてカーテンはまだない。


「……俺は風呂なので、ちょっと失礼。」


迫田くんはそう言うと、テレビをつけてくれたり、飲み物やお菓子を出してくれます。

そうしてタオルとスウェットのようなものを雑に持つと、ユニットバスに消えました。


青、白、茶色、黒、の男の子な部屋。

家族の写真。

お兄さん、迫田くんと似てる。迫田くんはどっちかと言うとお母さん似。だから女顔か。


テレビの上にあるその家族写真は、幸せそうにそこにいました。


「……お待たせ。」


テレビではドキュメント。


「……ああ俺、こういうの苦手。」

お風呂から出た迫田くんは、

かと言ってチャンネルを変える訳でもなく、

眼鏡を見つけるとそそくさとかけました。


「……私も。」


人んちのリモコンで、勝手にチャンネルを変える。バカなバラエティが丁度いい。


「……ああ言うの、もし自分だったらとか思うと暗くなる。だから……。」


迫田くんはさっきのドキュメントについて語る。

末期ガンの恋人、それを見守る彼氏。

もう無理だって頃にウェディングをして、

また翌日にはベッドで鼻からチューブをしている彼女。

「……どっち が?」


バラエティでふざけて殴ってるこのタレント嫌い。

「……ん、どっちも。病気になる方も残される恋人も、どっちも。」


迫田くんはそう言って、手付かずのままのサイダーを、私のために入れてくれた。



さて、私は何をしてるんだろうか。


落ち着くとそう思う。


カーテンのない窓からは、カーテンの引かれた

私の部屋が。

ポテチとサイダーを少しいただくと、迫田くんは言った。

「……観察、する?」

あ、星ね。

「……見える?」

「うん、教えてあげるよ。」

迫田くんにおいでをされると、リクとの事を思い出す。


あの日、あっち側から覗いていたのに、あら不思議。今度は逆。

ベランダは狭く、体がくっつく。

当たるたび迫田くんがごめんと言う。


もういいよ。


「……うーん、わかるかなぁ。覗いて。」

言われた通り覗く。

うわ………………きれい。

これがいつも見ているあの夜空と同じ空?

「……そのまま説明聞いて。

そうそう、目はくっつけたまま。

まずね、しし座あると思う。ライオンみたいになってんのわかる?」

……うーん……あんまり。けど頷く。

「じゃあその胸のあたり。ライオンの心臓部分の星がレグルスって言うやつ。

それからしっぽみたいなとこがデネポラ。

……で、ちょっと貸して。」

迫田くんが私と代わる

同じ望遠鏡で目の関節キス。発想が貧困すぎ。

「……お、あったあった。ほら、交代。」

また目をあてる。ナレーションつき。

「 見える?」

お……これは。

「すごいやろ?覗かへんかったらただの星。

けど、輪っか見えた?」

コクコク頷く。


土星さん、こんばんは。


暫く土星に見いっていると、

「……ちょっと寒くなってきたな、入ろ。」

と迫田くん。

「うん。」ブルッと身震い。

お星さま、ごちそうさま。


その後、ハミガキを子供みたいにして、迫田くんはソファー、私はベッドで天井を見上げる。

眠くなると、

「……臭くない?」

暗闇から迫田くんの声。

ああ……ふとん。

そう言われて枕に鼻を押し付ける。

男の子の匂い。

「……ううん、全然。落ち着く、人の匂い。」

「……ほんまに?中園さん変わってんな。」

暗闇で密かに笑う迫田くん。

「…えっとそれから、これは彼氏に言わない方がいいかも。ゴキブリ流れの……。」

……ん?……ああ。そっか、見てたか。

「……ふふ。」

「……なに?」

「……あれ、友達。」

「……へえ、友達。」

意外そうな迫田くんの声。

「……初めて出来てん、友達。」

言うと迫田くんの声が黙る。

「……ちょっと意味が。中園さんは不思議ちゃん?」

「……ううん、嫌われちゃん。」

「……なるほど。でも良い人やん。」

「……うーん、そうでもない。」


迫田くんには暫く良い人。


「……中園さん……?」

ちょっと眠い。ちゃんと話せるか不安になるほどではないけど。

「……ん……?」

言ったら静かになる。


……寝た?と思えば迫田くんは言った。

「……ごめん。窓から見て……一目惚れ。気持ち悪いよな、俺。」

……ヒトメボレ……。

お米の名前と同じ?けど……違う。それはつまり……

「……え……。」

言ったきり、言えない続き。


「……あ……やっぱり忘れて。」


迫田くんはそう言うと、狭いソファーで寝返りをうつ。

「……忘れて……ええの?」

「……うん。」

「……えっと、それはなぜ?」

「……ぁ……ぅんと、中園さん、あの人のこと好きに見えたし。」

……ああ、リクね。

「……ふうん。でもあの子彼女おるよ。ペアリングとかするよーな。」

「…………へえ、そか。」

それきり迫田くんも私も少し黙る。


土星の輪っかは、目を閉じてもチカチカ。

私、迫田くんが見せてくれなければ、一生ああして土星は見えへんかったな。

「……寝た?」迫田くんの声。

「……ううん。」瞼の裏にある土星。

「……じゃあ俺は、中園さんのこと好きになってもええんかな?」

きっとずっとこの沈黙で、考えてたように迫田くんは言った。

「……まあ……はは……。」

それは自由やし。けどヒトメボレってなんかこそばい。

「……と言うことは、彼女いてへんねんや。」


暗闇に目は慣れる。

いてるけどって言われても平気。

リクとのような、お友達になればええ。

「……うん。あ、忘れてた。」

言うと黒いシルエットが動く。

メガネがコトッと、どこかへ置かれる音がした。


最後の恋をしてみたいと思ったんはなんででしょ。

そして私はひどい女です。

「……友達から…ならええよ。」

「……えっ……!?」

迫田くんの声が喜んでいる。

「……あっ……中園さんっ、電気つけていい?

ちょっと……こう言うのはちゃんと……」

ふふ。正座でも……する?


迫田くんがつけた電気。こっちの蛍光灯ではなく、それがキッチンの白熱灯で良かった。

まだ暗闇は残り、かと言って真っ暗でもなく落ち着く。

私はベッドで三角座り。

迫田くんはソファーの向きをこちらに変え、そこに座った。

「……ほんまに……ええん?俺のこと……気持ち悪ない?」

真顔ですね、迫田くん。誠実そうやから私はspecial酷い女。

寂しさを紛らわすんですよ?

それでもいいの?

死んでいく虚しさを埋めるためだけやけど…それでも……?

言いたいことは山ほどある。

けれど言わない。言いたく、ない。

「……気持ち悪い?」

「……うん……カーテンと……一目惚れ。

ああえっと、電車はほんまに偶然やから。」

伏し目がちな迫田くん。

「……と言うより勇気あるなと。」

「……カーテン?」

「……うん。一緒にいた子彼氏かもしれへんのにってね。」

「……あぁ。そうとってくれるなら良かった。

そこも気持ち悪いかと。」

迫田くん、

そんなに緊張しなくても、お友達になるだけでしょ?それだけ、でしょ?

そう思う事で罪悪感は減る。


「……一目惚れ……は、大丈夫……?」

はい、どっちかと言うと気分いいです。

「……それはびっくり。やけど嫌ではない。」

「……ちょい待ち。」

待て、をして、深呼吸する迫田くん。

「……めっちゃ……ドキドキする。タイム、ちょっとタイム。」

はいはい、待ってます。

タイムって笑かす。

「……あ!」と発すると、迫田くんは私を見た。

「……何……?」

「……いや……そう、俺のケータイどこいったっけ?」

ポテチの袋の下。私には見えている。

「……そこにあるけど?」指差した。

「……お、サンキュ。えっと……」

「……いいよ。」

手を伸ばし、ハミガキポーチからマイ携帯を。

迫田くん、自分のケータイを手に持ち待つ。


逃げへんよ。


そう言ってあげたくなった。


それはまるで、夏に初めて蝉を捕った男の子のようだから。

虫かごがなくて、手の平で覆うように

持っている。


逃げへんよ。

逃げへんけどその蝉は、もうすぐ死ぬかもしれないよって。


おばちゃん、おっちゃん、リクに……迫田くん。

4人しかない私のアドレス。

「……俺電話……するかも……。」

「……うん、ええよ。」

「……メールも……するかも……。」

「……ふふ。どーぞ。」

三角座りで、また1人分重くなった携帯を持つ。

迫田くんはソファーを元に戻し、

「……ごめん俺のせいで。」寝不足になるよなと謝った。


キッチンの電気を消しベッドに入ると、また天井を見つめる。

「……おやすみ……。」

きっと暫く眠れない迫田くん。

「……うん、おやすみ。」

迫田くんも言う。

そして、「……あ……これだけ。」

「……ふふ、……なに?」

「……えっと……つまり……友達からいつか彼氏に昇格することって……ある?」

「……ああ、なるほど……。うーん……どうかな。」

そんな昇格しない方がいいと思いますが……。

「……って困るやんな。ごめん、今の無しで。

友達でよろしく。」


迫田くんは言い、私は微かに笑っただけ。


だってまだそれは私にも分かりません。





次の朝起きたら、もう迫田くんはいなかった。


高炉のような日だまり、どこかで布団を叩く音、

廃品回収のエンドレスな拡声器。

【中園さんへ。

おはよう。

よく寝てたので起こさず大学に行きます。

時間があればブレスレットも作ってきます!

今日はそのままバイトがあるし、スペアキー置いていくんで、出る時は鍵だけかけてください。

キーは持っててもらっても、いらなければ返してもらってもかまいません。


昨日は思いもかけず、でした。


とりあえずこれからよろしくお願いします。


朝ごはん、これしかなくて。 迫田】


……字、きれいやな。


メモの横には朝食用らしき菓子パン。

こんな甘いの好きなんや。

ビニールにくっついた白い砂糖。

うーん……と伸びをし、家主のいない部屋。

彼女やったら、掃除、洗濯、ごはんまで。

……でも、彼女やないもんなぁ。


【明日、どうする?】

リクにメールを。……奴も大学?

【おう。明日ちょっとちゃんとした話あるから。メシも食うけど】


返ってきたメール。

ふうん……なんやろ、ち ゃんとしたって。


でもちょっと、ちゃんとしてるだけか。

メールをしばし眺めてみた。

【俺、明日から旅に出んねんとかやめてな。

別にええけど】

返す。

【アホか。じゃあ適当に迎えに行くわ。夕方な】

暇やと思われてる。暇やけど、腹立つ。

【とりあえず時間決めといて。迫田くんと色々あって私も忙しいので】


リクはこれを見て不機嫌になる。

わかってて送る。


彼女もちに怒る権利などありませんよ。


【迫田と?ラブラブなん?まさかの?】

【色々あったし。今、迫田くんち】

を、送る。

【……へえ、それはよろしいことで。

ほな明日は5時にお迎えに行くんで、晩飯おごってくださいね。オメデタイ人が】

……はは、怒ってる。

【なんでもどーぞ、よろしくちゃん】

返すと終るリクとのメール。

さて……今日は何しよう?


干しっぱなしの迫田くんのシャツが、

ハタハタと風に靡く日でした。



死にます、と言われてるけど、実はそれほど症状があるわけではない。

だから宣告は雷のようで、去ってしまえば忘れようとする事もできる。


家に戻り、一通りの家事をすまして二度寝をしたらもう夕暮れ。

いくら暇でも損した気分。


寝ていた時に迫田くんからメール。

【初メール、届いた?

今日はいい天気。

夜、星きれいに見えそう】


これ、3時間前。今開けました。

【学校?】

送るとすぐくる。

【もう終わったよ。今バイトに向かってます】

ご苦労様です。3時間もお待たせしました。

【あれから家戻った?ゴキブリもういてへん?】


その4文字で思い出す。

二度寝の間忘れていたこと。

【おらへんよ。バイトかも】

【笑。俺と一緒か。もうすぐ電車やし、また連絡します】


はーい。携帯を置く。

で、思い立つ。


そうだ、スター〇ックスへ行こう。





リクと行ったショッピングモールと同じ駅にある店。

アンニュイな感じのおねえさんが、テラス席にてタバコをくゆらす。

ガラスの向こう、働く迫田くん。笑顔が爽やか。

制服もお似合いです。


行こうと言うのは、見に、と言う意味。

迫田 潤を多面体として色んな方向から。

アンニュイなおねえさんがチラリと私を見ます。

植え込み付近にいる私、怪しいもんじゃありません。

ものの30分も見て満足した。

さあ帰ろうかと思っていると、よくあります。

こう言うパターン。


切り落としのデニパンにウェスタンブーツ。

だぼっとしたトレーナーと、ショートカットとやや猫目な彼女が、どう見ても迫田くんを目指しています。


気のせいじゃありません。


それに気づいた迫田くんも困ったような笑顔を見せたからです。


彼女は何の躊躇もなく店に入ります。

バイト仲間?と思ってると彼女は注文し、

オーダーの為に目線をずらした迫田くんが、ついに私に気づきます。

ですから必然的に彼女もその目線を追うわけです。

これもよくあるパターンです。

こう言う場合、隠れたり逃げたりしないのが1番良いのです。


カウンターで、彼女とスタッフに何かを言い、

迫田くんは奥のドアに消えます。


猫目ちゃんはガラス越し、トレーを持ったまま私をじっと見て、それから奥の席へと移動。

と見ていたら、迫田くんが裏口から出てきました。

「……びっくりした。

来るって言うてくれたら良かったのに。」

でしょうね。猫目ちゃんとかち合いましたが。


「……いや、はは……その……気まぐれで。」

制服の迫田くんには、

少し胸が高鳴ります。

「……もしかして…誤解してる?」

と言われてもお友達なのでね。

「えっ?いや、全然。」

そう言ったのに迫田くんは、まだこっちを見ていた猫目ちゃんを店の外から手で呼びます。


なんとも言えない表情で、猫目ちゃんは立ち上がり、面倒臭そうにこっちへ来ました。


「……ええっと……、こいつ、チカ。」

猫目ちゃんを私に紹介。


春田はるた千賀ちかです……。潤の実家の隣に住んでて……。」


嫌そうに付け足す猫目ちゃん。

「……そう、うん。つまり幼馴染み。いつも突然来るしコイツ。家遠いのに。」


…………ああ、なるほど。そう言うパターンね。


「……潤がいるスタ〇やと、潤に奢ってもらえるんで。」

……ってきっと電車賃の方が高くつよね?

とは言わない。

「……そうなんや。初めまして私は」

「……向かいに住む人でしょ?」

勝ち誇ったような猫目ちゃん。何でも知ってますよ的な感じがしました。


「……おま……言うなって。」


怒ると言うより、迫田くんは軽くショックを受けています。ちなみに私も。

「……え、なんで」

「潤が引っ越した日にメールくれたんで。

一目惚れしたかもって。

聞いた外見がそう言う感じで、あなたやと思っただけですけど。

……へえ、まだ間無しでそう言う展開なんや。

良かったやん、潤。」

口の端を少し上げて、迫田くんを潤と呼ぶ。

ウェスタンブーツがやたらと響く。

「……アホか。そう言うんやなくて、俺と中園さんは」

「……はいはい、わかったから。綺麗な人やん。

これで心置きなく潤も童貞捨てれるな?

つか、もうしたん?まだやんな。

そんな風には見えへんし、付き合い始め?

キスは?」

……………………時間、止めました?


迫田くんの真っ赤な顔と、チカちゃんのより切れ上がった猫目。


「……チカ……おまえ覚えとけよ……。」


迫田くん凄むものの威力はありません。

どちらかと言うとやり込められてます。

それより何よりチェリーボーイだったんですね。


凝固しつつある空間……

中から出てきた店のスタッフがそれを防ぎます。


「……迫田いい?店が結構……」


困った顔でそう言います。そりゃそうでしょう。

気づけば長いお客の列。


「……ん、あ……悪い。えっと、ふ、たりは……」


スタッフさん、こっちはもっと困ってますが。


「行ったら?私もうちょっとこの人と喋るし。」


チカちゃんがそう言います。

え……、そうなんですか?


「……おまえ、余計な事言うなよ。

あ……中園さん、夜また連絡するからっ」


はいはい……お行きなすって。


迫田くんが行ってしまうと、チカちゃんは腕を組み直します。


アイダホ……なんちゃらの胸のロゴ。


きっとそれはアメフトチームですね。


「付き合ってるん?と言うより潤と付き合う事になったばっか?」


「……え……いやまだそこまでは。」


その遥か下の友達……なんですけど。


「……迫田くんと……同い歳?」


困ったので、そう言う質問してしまいます。


「うん、幼稚園から一緒。自分は?」


「……あ……いっこ上かな。」


「……ふうん、年上か。」


申告したのに体制は変わりません。


女の子やっぱり苦手です。


「ね、訊いていい?」

……はい。どうぞ。

「まだ付き合ってへんのにここに来るって事は、

潤のこと好きなん?」

「……あ……嫌いでは……ないかな。」


私がそう言うと、チカちゃんはまた腕を組み換えました。

「……曖昧やな。そう言うタイプめっちゃ苦手。

全身女やし。」

……えっと……まあ……否定はしません……。


「……まあええわ。……で?

付き合うの付き合えへんのどっち?」


いやいや……なんであなたに。

ちょっと小さい『怒』が、ムクムクし始めました。

でも私は急に爆発するタイプなので、チョロチョロ小出しにはしませんが。


「……潤ってな、超奥手やねん。普通にカッコええのに、どんなけ告られても誰とも付き合えへんかったし。

やからやっぱり幼馴染みとしては心配やん?

あいつが初めて恋してさ、付き合う相手が変な女やったりさ。傷つくの見んの嫌やん?

やから確認してんねん。

気ぃ悪したらごめんやで。」


答えもまだしてないうちに、チカちゃんはどんどん話します。

かなりこの時点で気ぃ悪いですが。


腸わたは煮えくり返ってますよ。でも隠します。

そして、ぐぅのねも出ないほど、攻撃させてもらいます。


チカちゃん、あなたが、迫田くんを好きなんでしょう?と言うことは保留にして。


さあ、いきますね。


「……そう。こう言うの本人より先にあなたに言いたくないけど、

私、迫田くんと付き合うつもり。

そのような事も言われたし。昨日、迫田くん家で。」


ふふ、アッパーカット。くたばれウザい幼馴染み。

チカちゃんが真顔で唇をキュッと噛む。

「……ふうん、わかった。あ、でも1つ忠告、いいですか?」

空元気のくせに、まだかまします?

「……うん、何なりと。」


余裕。


チカちゃんは、分かるぐらいに鼻からスウッと

空気を吸った。

笑ってる? 八重歯、見えてます。


「……もし、もしもやけど、これから先、潤を

大事にせえへんかったら……。」

…お、おう、かったら……?

「私がぶっ殺しに行きますから。」

チカちゃんはそこでようやく力を抜く。

……わりと……効いた。

なのでこの試合は引き分け。


終了したら、チカちゃんが言う。


「……じゃ、そう云う事で。潤をよろしゅう。

私、残り飲んでくるんで。」


ウェスタンブーツで消えて行く。


気が気やなかった迫田くん。

溢れかえるお客にまみれ、ようやく目が合 いました。

急展開ですが、よろしくお願い致します。


軽く手を振ると、店を去った。




『……アホちゃう?』


電話口のリクが言う。

なんだかなってなって、スタ〇の帰り電話したから。

出ないと思っていたら出た。


『……ほんまに好きなん?カーテンのこと。』

『…………』

『……聞いてる?ほんまに好きなんかって。』

『……ああ……うん。と言うよりこれから好きになれる感じ。良い子やし。』

『……ふうん。

じゃあまだ昨日は付き合ってなかったんや。

で、なんでアオあいつんちおったん?』

『……それは……成り行き。また明日話す』


会うんだったよね?私達。



『……ま、どーでもええけど。で、付き合うの?そいつと。』

『……それはこれから言うんだけども。』

『……迷うんやったらやめとけ。その幼馴染みの女、きっとギャーギャー後から煩い。』

『……かな……。』

『……と、思う。』

リクはそう言うと、ごめん、車乗ると言い電話を切る。


あっちはさっきまで授業。

これからいずみんちに行くと言っていた。


リクとバイバイに続けて迫田くんからメール。

お仕事の合間、きっと焦って送ってきた。


【さっきはほんまにごめん。

チカあれから何か言うてた?あいつすぐ帰ったみたいで訊かれへんかったし。】


……ふうん。


【別に。付き合うんやったら大事にしたげてねと。それだけ。】

【……マジ?ごめん、気にせずこれからも友達でよろしく。】


……そのつもりやったんやけど……。


【それ、実は私迫田くんと付き合ってみようかなと。】

メールラリーが途絶えた。


キオスクの前、カンカンカンカン、そのまま飛んで行きそうな踏み切りの音を聞いていたら、


you 've got a mail


……きた。


【今日夜会える?】


さっきのメールの返信ではない。


【うん。どっちで?】

【帰ったら電話する。】

【はーい】と送る。


乗車間際、迫田くんからまたメール。


(*^^*)/☆オンリーで星つきの。



【お主、逃げるのかっ……!!

バサッ……ズサッ……!

あ、やられちゃった】


家に帰り、マイナーチャンネルの時代劇を横目で見る。敢えてではない。

つけたらやっていたから。


迫田くんまだかな……。


カーテンを少し開け、正面に見える真っ暗な部屋。スペアは持っているのだし、そこで待つことも出来る。


けれどこうする。


恋愛の始まりは、終わりはともかくgameの

ように楽しくなければならない。これ鉄則で。


【逃げたヤロウは始末しましたぜ。

……ったく、とんでもねーヤロウだ。】


ちょんまげがお代官様へ、難しい顔をして言う。

テレビを消した。

なんだかいたたまれない。


ものの20分もしないうち、迫田くん家に明かりがつく。と同時に着信。


『……帰った。中園さんが見えてるけど。』


窓際に立つ迫田くん。

暗いけど笑ってる。


『お帰り。……ごはん食べた?』

『……うん、バイト先で。中園さんは?』

『……食べた。』


……嘘です。ずっとボウッと時代劇見てました。

ええカッコするんも恋愛の始まり。


『んー、じゃあどうする?こっちにまた来ますか?』

『……うん、じゃあ。』

携帯、鍵、よしオッケー。

電気を消すと、迫田くん家。





迫田くん家のテーブルを見て驚く。


……わぉ。


「……なんだか幸せな気分になりまして。」



頭を掻く迫田くん……買いすぎ。


箱いっぱいの色々ケーキは計13個。

「……どれ好き?とりあえず全種類買ってみた。」


……だろうね。


「うーんと、これいい?」


苺の載ったやつ。定番ショートケーキ。


「うん。じゃあ俺はと……。」


迫田くん、何気にチェリーパイ。


……ふふ。

含み笑い見つかりました。


「……あ……その、こんな時になんやけど。」


迫田くん、心なしか緊張してます。正座なんかしてるんで。


なので私もかしこまります。


「……はい。」

「……あいつ……チカの言うてたことは、嘘やなくて。」

…………どれ?

分かってるのに小首を傾げたりします。

「……えっとぉ……つまり俺……今までそう言う経験……なくて。」


そこで急に咳き込みます。


……ダイジョウブ?


「……あっ、だからそう言う事が言いたいんやなくて、つまり……女の子と付き合った事もないから、

中園さんはそう言う男嫌かなと。」


……ああそれね。


すっかり伏 し目がちな迫田くん。

心配ないさ。

「……別にそんなん気にせえへんけど。」

でも私の経験は言いません。

「……ほんまに?」

「……うん。」

「……はあ……良かった。」


合格通知を受け取ったかのような迫田くん。


全身脱力で、「……よし、じゃあ食べよっ。」

と今度は気合いが入ります。

でもまたフォークを置き、

「……と、その前に。」次は神妙な顔になり、

私の前で正座します。


なんだか何かの儀式でしょうか。

「……中園さん、俺と……」

「……うん、ええよ。」

ちょっと面倒くさかったので省略しました。

「……?」

「恋人になりますよ。」

メールと言う準備運動があったのに、

迫田くんは忘れている模様。


「……うわ、なんかヤバイぞ。なんやこれ。

……俺……震えてない?」

そう言いつつ迫田くんは、私に右手を見せました。

確かに小さく震えてます。

震えさす、そんな価値すら私にはありませんが。

「……オーバーやわ。結婚するわけやないのに。」

おかしくなってつい笑ってしまいます。

すると迫田くんは固まりました。

「……え、そう言うの繋がってない?」

……はい?

「……あ……まあ、それは……ぼちぼち。」

適当に誤魔化します。


それは私が云々ではなく、迫田くんのドストレートさをバカにしてはいけない、と思う自分がいたからです。


前略、神様。

私は死からも、神様がこれ見よがしにそこに置いた、リクと言う名の禁断のフルーツからも、

全く決して逃げていません。


生のスタート地点から死のゴール地点まで、

その中間地点にある迫田 潤と言う名前の木の下で、雨宿りしているだけなのです。

リクと言う名のフルーツは、

食べるにしては刺があり、

死と言う名前のその箱は、開けるにしてはまだ重い。


だから逃げてるのではないのです。

雨宿りをしているだけなのです。



……と言うわけで、午後9時25分41秒。

迫田君は私の彼になりました。

助走は短かかったですが、それなりに飛べたようです。


「……めっちゃ余ったな。持って帰るやろ?

俺、そんなに甘いの食べへんし。」


ダダ余りです。しかも今日は帰ります。

そう決まったからと言ってすぐ寝てはいけません。いつもの失敗は、最後だから尚更してはいけません。


「……うーん……。

これとこれは持って帰るかな。後は……あっ、チカちゃんは?」


無いことをちょっと言ってみたかったのです。

もちろん現時点で、ジェラシーは発生していません。


あの試合に私が完全勝利したことを、確かめたいだけなのです。


「……チカ?無いやん。

要冷蔵やし、日持ちせえへん。」

「……ん、でもこれとこれは持つんちゃう?

また会うでしょ?」

「会わへんよ。今日はたまたまやし。

もしバイト先に突如やって来るとしても、これ普通持って行ってまではないでしょ。」


楽しげに彼は笑う。


「中園さん、もしかしてあいつと俺の事なんか思ってる?」


ほら来た。そうそうこれこれ。


「……うん。チカちゃん迫田くん好きやと思う。」


迫田君が吹き出しました。


「……それは絶対ないわ。あいつ今付き合ってる奴おるし、それに……。」


彼の笑いは一度じゃあ収まりません。


「小さい頃とかよう風呂一緒に入ってたし、妹みたいなもんで。

やから有り得へんな。それに俺は……」


真顔に戻る。


「……中園さんが初めて好きになった人やし。」


……勝った。なんか満足。


と言うことで終了。


「……わかった。アホなこともう言わへんね、ごめん。で、ケーキどうする?」


ふとそこで、リクの顔が浮かびました。


「……あ、もしかしたら明日友達来るかも。」


「お、そうなん?やったらとりあえず全部持って帰って。」

友達がいないと言う話を、どうやら信じてはいないみたいです。

友達はいますが男です。……みたいな。


迫田くんと決めた事。

その1、今週末デートをする。

その2、呼び方を、私からは潤くん。

迫田くんからはアッちゃんにすること。

その3は私が勝手に付け足した。

喧嘩しても、最低1年は付き合うこと。

但し理由によっては途中リタイアあり。


さて、ゲーム再開です。


「じゃあまた決めようね。」今週末の事を。

そう言い潤くん家を後にする。


ケーキの箱、家まで持って行くよ。


そう言われたのだけれど、近すぎるからこそのケジメ。

「……うん。あ、帰ったらメールして。」

……この距離で?

「……うん、わかったメールする。」


とりあえず答えます。難しいな、こう云うの。

距離感つかめません。


これまでは付き合ったその日にもう最後まで。

もしくは付き合うその前に、やったので。


「……えっと……あっちゃん。」

「……ん?」

「いや、呼んでみたかっただけ。」


……はは、なるほど。


「……うん。じゃあ……潤くん。」

「……ん?」

「……仲良くしようね。」

「…当たり前やん。絶対やで。」

あなたの初恋を弄んでしまうかもしれない女は今目の前にいます。

ご注意ください。純情潤くん。



次の日の昼、唐突にリクから電話あり。

ボッサーな髪の隙間から、手だけがふらふら

さ迷います。

『……寝てたん?』


時計は1時。潤くんは大学で、そのままバイト。

『………………。』

『…おーい』

『……ごめん、今起きた。なぜに電話……?』

『……ん、声聞きたかったから』

『…………。』

『……うっそ。信じた?』


………小学生か。


『……なピュアやないし。どうしたん?

約束5時やんな?』


頭、半分起きました。


『……うん。けど何食いたいか聞いてないし。』


……でもそれいつもメールやん。

……そう言えば……『……今どこ?』


リクと出会ってから、初めてそう訊いた気がします。


『……ん、家。』

『やんね、静かやもん。大学は?』

『今日は休講で昼まで。』

『……ふうん。』

『なあ、何食いたい?』

『…………アイス。』

『……メシやって。』

『……じゃあ、ケーキ。』

『…………………。』

『……おーい、リク?』

『……ふざけんの、2回までな。』

『……んじゃケーキ。』

『……だからぁ……』


リクに遊びに来てほしいと思う。

仲良くしたい。それは友達だから。

もっと知りたい。お泊まりも。

小学生の頃、誰もが通るそんな道を、

私は歩いて来なかった。


『……何でケーキに固執するん?』


訝しげな声でリクは訊いた。


『……いっぱいあるからうちに食べにけえへんかなと思って。こんなん持ち運び出来へんし。』


『……ええけど……メシは?』


そう、あなたは基本、ごはん。


『……うーん……なんか作るわ。』

『……えっ、出来んの!?』

『……まあ……なんとか。』

おばちゃんが出て行ってからはそうするしかなかった。

おっちゃんはあの日から夢の国の住人になったから。


『……うーん……。

じゃあテキトーにそっち行くわ。

あー……でも……』

『……潤くん?』

少し沈黙がある。


『……おお……潤くんな。そうそれ、まずないん?俺はえーけど……』

『……まずく……はないかも。だって、私とリクは友達……やし。』


そう答えるから私は嫌われる。

どこに骨があるかわからん、くらげみたいな女やって。


『……そっか……。ほんなら……行くわ。話あるし』


……話……話……ね。


リクと電話を切ると画面にメールの表示がある。

3件とも潤くんの。


2件はまあそれなりの。

最後の1件は、少し……色濃く。

【どうしよう。俺ずーっとあっちゃんのこと考えてるかも…… 。自分でもドン引き。笑。

またメールします】


私は潤くんを連れ、一体どこへ向かおうとしているんか。

泥舟に乗せてしまったんは私。

他の誰でもない私。







香ばしい匂いが初めてこの部屋で立ち上る。

スーパーに行ったんも久しぶり。

ごはんを誰かにつくんのはもっと、久しぶり。


「……すげぇ。女しかおらん。」


中高の卒アルを見て、リクは圧巻やなと言いました。

……あ、それ捨てんのん忘れてた。


「アオ浮かん顔やな。笑えって言われたやろ?」

……まあ。


何回撮っても笑えへんから、そのうち担任が怒り、そしてついには諦めた。


「……つまらんかったし、そこ。」


あれから多分すぐ出て来たリクを見る。


ワーゲンは建物の横手。

あの日トラックが停まってた場所に収納されている。


あとはまた温めるだけなフライパンを見下ろし、

ガスコンロのスイッチを切った。


「……ケーキ食べる?」


時間は4時半。

リクのちゃんとしたお話はまだのようです。


「……おお、うん。」


卒アルは本棚へ。明日捨てよう。


「……これ、なんで?」


ひしゃげかけた箱にある大量ケーキ。

みな昨日より元気はない。


「……あ、潤くんが。」

「……へえ、潤くんが……。でもうまそう。」


……でもってなんや?


リクはフォンダンショコラ。

私はチーズケーキを選ぶ。


それでもまだ終わらないケーキ。

それは全て潤くんの幸せ。


「……なぜに奴はこんなに?」


フォークの先がチョコレートまみれになると、

リクは訊いた。


「……幸せ記念とか何とか。」

「……ふうん。で、正式に?」

「…………まあ。」



あれから夜中の3時まで、潤くんと携帯で電話した。


話続ける潤くんに、ほぼ相槌だけの私。


その温度差で、潤くんはもっともっと私を好きになるゲーム。



「……潤太郎はアオが大学行けへんのん、不思議に思ってないん?」


……潤太郎……


「……うん。今の大学があってなくて辞めたと。

暫くしたら他の大学を受けるかも……と。」

「……ふうん。それ信じたんや。

で、アオのことはどこまで?親がおらへんのは?」

「……知ってる。」

「……おっちゃんとおばちゃんの事は?」

「……二人とも外国に住んでると。」


「……へえ。じゃあアオの病気のことは?」

「…………。」


リクのフォンダンショコラは中途半端に残っている。


チーズケーキは口すらつけてもらってない。

「……いっこ除いて全部嘘やな。それ、詐欺やで。」


リクは言うと、仏頂面で私を見た。



……刑事?と言う返しもできない。


騙してるって?恋愛に嘘はつきものやん。


「……そのうち……話す。」

「……そのうち……か。あとちょっとしか生きれへんのに、そのうち、な。すぐ言え。」


「……なんでよ?」


でよ?のでよがきっと怒ってる。


だって潤くんの下で雨宿りしてるだけやし……。

「……なんででも、や。潤太郎がかわいそうやろ?」

「……かわいそう ?リク、あの子のことなんも知らんやん。」

「知らんよ。知らんけどあかんやろ。

潤太郎がおまえにもっともっといったらどうなんねん?責任、持てるんか?」


「……責任?付き合ってるだけやのに責任なんてないやん。」

「……あるやろ、アホか。」


リクが腹立ちまぎれなのか、

残りのフォンダンにフォークを突き刺す。


「……行儀悪いで。」

「……無責任よりマシやろ。」


ふて腐れられるとこっちもってなる。

リクとの距離は、まだまだ計れない。



その後はリクとひたすらの静寂。


仕方なくテレビをつける。

斜め向きにそれを見るリク。

テレビショッピングは、

【プロ使用お掃除簡単高速ジェットスチーム】


エプロンをしたおじさんが、落語家みたいな口調で説明&実演。


一通り無言で見てからリクが感嘆の声をあげる。


「……すげぇ、俺もこんなんなりたい。」

「……え、この人?」

……この、おじさん?

「うん、だって俺今これ欲しいって思ったもん。

そう思わせるこいつ凄ない?」

「……ああ…………まあね。」


少しだけ空気が和んだようなので、春巻きを巻く為にキッチンへ。

スプリングロール。

春を巻く食べ物。


「……あ、そう言えば聞いてなかったぞ。潤太郎と、どうしてそうなったん?」


リクの手はリモコンを握りつつも目線はテレビ。

チャンネルチェンジで子ども番組。

春巻きを巻きながら説明する。


夜の黒い侵入者の話。


「……ふうん、ありがち。」


それだけ言うとリクはテレビを消した。


「……で、俺の話いい?」

「……うん。

でもその前に春巻きあと3本巻いていい?」

「……うん。」


リクは言うと狭いキッチンに並ぶ。


「……どうやんの?こう?」



器用そうやのに不器用。それから狭いし。


「そうそう、それリクの分ね。自分で巻いたんやから自己責任。」


リク作の不格好なスプリングロールを揚げたら、

花びらのようにバラけるかも。


「……な、これ多すぎちゃう?潤太郎に持ってってやれば?」

「……考えとく。」


春巻き巻き終了。

春巻きはすぐ揚げるべきだと云う持論があるので、話はまた後回しで揚げる。


そしてリク作の奴は案の定、油の海を散乱した。



「…………意外。」



ひたすら春巻きを見つめるリク。

穴でもそのうち開きそうに。


「……想定内やし。

あんな皮のくっつけ方は確実にバラける。」


「……やなくてこれ。めっちゃうまい。なんで?」


なんで?


「アオが料理上手いのんは、意外」


……ああそれ。



スプリングロールは、折り重なるミルフィーユと同じで食べにくい。


でもリクは美しく食べるから、つい見いる。


「……珍しく今日はいずみんから電話ないね。」

「…………うん。」

「…………喧嘩したん?」

「………………まさか。」

はは……いらぬ邪推か。

「……でも……」


リクの箸は1度ぴたりと止まる。

テレビの子ども番組は、なんとか体操でエンディング。

「…………別れた。」

「…………ふうん。」

「……驚かへんねんな。」

「……驚いてるよ。」


いつかどこかの会話 をリプレイ。


何かが迫る、音がしました。


「……リクのちゃんとした話はそれと……」

「全く関係ない。」


フードコートの時みたいに、リクはバッサリ切り捨てた。


育ち良く掌をぴたりと合わせたご馳走様をしてから、真顔混じりで私を見る。


「……うまかった。」

「……いえいえ。」


静寂に潤くんからのメール音。


「……遠慮せずどうぞ。」


リクに言われ開く。


【土曜、水族館は?】


……ああ。それね。

【いいかも】


送る来るでも見ない。


「……そいつ、アオで何人目?付き合うの。」

「……初めて。あ、つまり初めて。」


2回言う。


「……へえ、そんなやつ今時おるんや。国宝級。」


少しだけリクの顔に笑み。けれどすぐ消える。


「……で、話とは?」

本題に戻る。

リクの目は残りの冷めた春巻きばかり見る。


そこしか見るとこ、無い訳やないでしょ。


リクのため息と共にテレビのスイッチはOFF。


続きでやっていた【深海の生き物たち】が抹消された画面に、私とリクはひっそり映る。


「……ひょっとして治療の話……?」


そう訊くとリクは曖昧に濁した。


「……うん……まあ……そう。」

「……先生に何か言われたん?」

「……それもあるけど……俺もそう思うから。」

「……へえ。」

私が治療をしない理由は2つある。


1つは運命に逆らうつもりがないから。

2つは治療に向かわければならならない理由がないから。


ただ生きるだけ。それは無意味。


違いますか……?


「……リクと私、友達やもんな。やからそう思うんよな。」

「………………うん。」



長く色濃い睫毛が、リクの頬に影を作る。

この影に、いずみんはバイバイ出来たのだろうか……。



またメールが来て、さっきのと合わせると2件。



ここにリクはいるから、潤くん以外は、あり得ない。


「……見たら……?」

「……うん……。」


そろりと開けると1件目。


【水族館、俺も賛成。あ、そうやあっちゃん、

今何してる?

俺は電車。今日はバイトのシフト間違えてて、今から帰ります】

その上に2件目。

【ちょっと渡したいもんがあるから、帰りに寄ります。どっか出掛けてる?】


私は携帯を閉じた。

こんな風に簡単には、今いる世界は閉じれませんが。

「……潤太郎……なんて?」

「……ね、リク。私……やっぱり治療するわ。」


そう言うとリクの目が、僅かに瞬きのようなものをしました。

そしてそれはじっと見ていないと気づかぬ程の、

僅かな時間でした。


「……潤太郎の……ために?」

「…………うん……。他の誰でもない潤くんの為に。」


拝啓 神様。

言葉って便利です。

なぜかと言うと、それは心を隠す事も出来るからです。

そして私はたった今、その言葉で嘘をつきました。


何かが迫るその音を聞くのは、これが初めてでは

ありません。


1度目は両親を無くした日。

2度目はおばちゃんがいなくなった日。

3度目は、余命宣告を受けた日。

それらは確かに音があって、その度人生が角度を変えるのです。

「……了解。ねーちゃんに……そう言うとく。」


短く言葉を発したリクに、メールの中身をお知らせします。


それほど時間が無いという事も含め。


「……ちょうどええし、今日言うたら?」


リクが少し悪魔に見えました。

悪魔は猶予をくれません。

そしてこの悪魔はゲームも嫌いです。


「……もうちょっと……先伸ばし。」

「……俺そう言うの嫌い。

潤太郎がそれでアオを捨てるなら、それだけの男やと俺は思う。」

……ですな。

でも大概はそうなんですよ、リクさん。


考える時間として必要なので、少しの間無言を貫く。


「……俺、一緒に言うたるから。アオの主治医の弟で友達で、尚且つ治療の説得しに来たと言う理由なら、潤太郎も誤解せえへん。」


……春巻き、一緒に食ってたとしてもとリクは付け足し、 とってつけたような笑顔を作った。



潤くんがチャイムを鳴らしたのは、メール時差によりそこからほんの数分後でした。


横手に停車のワーゲンと、玄関先にあるリクのスニーカー。


やはり即座に結び付いた……ようです。


「……あ………もしかして……友達……?昨日言ってた……?」


困ったような笑顔を作り、潤くんは私の顔を見ました。

「……うん……。あ……、潤くんちょっと……入って……。」



潤くんは、母親の全裸を見てしまった青年のような顔をしています。

初めて女子と付き合うなら、いえ、それでなくても正常な反応でしょう。


「……誤解せんとってな。」


リクが私の背後に来ると言いました。



潤くんはリクに軽く会釈をすると、

あの日の窓枠の中を思い出していたようでした。


「……あ、あの時の……え……何で……?」


前半はリクに、後半は私に。


「……こいつが君に話したいことがあるんやけど、

1人じゃよう言わんみたいやし……付き添い。」


リクはそう言うと、私と潤くんを玄関に残し、

また元の位置に座りました。


「……とにかく……上がって。」


この時の私がどんな顔をしていたか、

それは潤君にしかわかりません。


しいて言うなら手足がやけに震えていたんと、

歯の治療で麻酔をした時のように、滑舌が悪かったと言うことでしょうか。


待ちの体勢を取られた潤くんは、仕方なしに靴を脱ぎます。


「……ごはん……食べてたん?」


残された食器の上を、潤くんの視線が通りすぎます。

「……あ……うん……。

外で話すような話でもなかったから……。」


緊張で聴力が劣ります。


「……気ぃ悪したらごめんな。ほんまに俺ら友達やし。」



リクは淡々と言い、『これ君の分』と、

春巻きのお皿を指差した。


丸く小さなローテーブルに、

トランプするような形で、私、潤くん、リク、が座り、真ん中の春巻きはしょぼくれています。


「……言える?」


リクが私に言いました。


言おうとは思っているのですが、喉が渇きます。


「……俺が……言う?」


不参加のピンポンを見つめるように、潤くんはずっと無言でした。


「…………ちょっと……待って。」


ようやく出た私の言葉に、リクが肩を竦めました。


「……あ……の……もしかして……えっと……2人が……その……付き合ってるとか?」



今にも泣き出しそうな顔で、潤君は自らそう言います。

……ほらね、誤解してる。


「……それは違うよ潤君、違うんやけどあの……」

「……あぁもうええわ。あんな、こいつ病気やねん。」

リクの一言で、私の説明が不要になりました。


「……病気……?」


眼鏡の奥の瞳が動揺しています。


サングラスなら……良かったのかも。


「……続き言える?」


もう一度リクに訊かれ首を横に振りました。


潤君はプチトマトと違って純粋であり、

不純物の欠片もない。やからこの告白は、違う意味でダメージがある。

傷つけたくないんやなくて、傷つきたくない。

アホな私はまだ、そんな事に怯えています。

「……俺は……あっちゃんの口から聞きたい……。」


怒りが宿る潤くんの目に、私は少し悟りました。

付き合う二人の間には、リクを入れてはいけない事を。


「……やんな。俺もそうするのが筋やと思う。

……じゃあ俺はこれで。」


悟った癖に、

立ち上がりかけたリクを引き留めたのは私です。


リクの腕を掴んだ私を、潤くんはなんとも言えない顔で見ていました。


「……言えるやろ?アオはもう立派な大人やんか。」


思いがけずリクの手が、私の頭を撫でました。

潤くんはそれを見つめるだけで、触らんといて下さいとは言いません。


「……そんなに……悪いんですか……?」


潤くんはただ一言、行く宛の無い言葉を

リク投げました。


「…………うん……。」


リクは目線を落とします。


「……あっちゃん…じゃあ何でここにあっちゃんはおんの……?」


潤くんは間違えていません。

でもそれに答える前に不覚にも泣いてしまいました。

人前で泣くのは嫌いです。

けれど……。


「……ごめん、1人にして欲しい。」

無茶苦茶なことを頼みました。

けれどもこれは本心です。

「……えっと……じゅん…君やんな?外行かへん?」


リクの声が響き、潤くんが


「……ぁ……はい。」と儚く言いました。


私の膝にリクがそっとティッシュの箱を置きます。

ありがとうと言うその前に、2人は部屋を出て行きました。



2人は何を……。


そんなことを思う前にティッシュでは足りず、バスタオルで頭をぐるぐる巻きました。


身体中の水分が脱水されていくようです。

それほど泣きました。

物凄く悪いことをして、見つかった時のように泣きました。


半分は懺悔。

半分はやっと悪さが見つかったその安堵感。


どっちに戻って来て欲しいと思うか。

それを考える前にリクから電話がきました。


『……スッキリした?』


泣きやんだか、でも無くもう泣くな、でもない。

リクの息を吐く感じが、電話越しに伝わりました。


『……俺、このまま帰るわ。忘れもんしてないし。』

『………………うん。』


見渡すとリクの物は何もありません。

少し寂しい感じがしました。


『……それと……。』


横断歩道の音楽。


それがこちらと電話側とで遅れて聞こえます。


まだリクは下にいる。

それだけでなぜか切ないのでした。


『……あいつ、潤太郎、部屋で待ってるって。

頭整理したいから、1時間ほどしたら来て欲しいって。』

『…………あ……うん……。』



鼻水をすすると、老人のような咳が出ました。


『……全部話したし。

あいつはずっと黙ってたから、答えはあいつから聞いたら?』


『……うん……そうする……。』


神様。

何度もすみません。


どうやら私以外にも、ここに嘘つきがいるようです。

ただでもその嘘は、知られるきっかけを知りません。



『……じゃあな。』


ありがとうと言うその前に、電話は突如切れました。

ほどなくしてワーゲンの、エンジン音も徐々に徐々に……。



正直それからの1時間は、何もしていませんでした。

思い出したように春巻きにラップをかけたのは、

1時間が消化される少し前。


鏡の前に立ち髪をとかすと、


腫れたまぶた以外、何の変化もない私がいます。


あれから痩せもしていない。

肌は白く、けれど顔色も悪くない。


しかしあの医者が言うのだから、この入れもんの中身は、腐りかけているのでしょうね。



この春巻きを見て潤くんがどう思うのか。


そこまでは考えませんでした。

ただ、何かを話すには手持ち無沙汰で、リクも参加したこの春巻きが、お守りのような気がしたからです。



チャイムを鳴らすと、1度では出ませんでした。


2度目に鳴らすとドアがようやく開きました。


潤くんは何も言わず、春巻きを持つ私を目線で中に招き入れます。


『……お邪魔……します……。』



衰弱した小さな声で、まだ終わらない戦いに、挑む覚悟を決めました。











「……あれは……嘘……?それとも……。」


潤くんはカレンダー隣の壁にもたれたまま動きません。


顔はやや上を向き、プール後の子供みたいに、その目は疲れた色をしていました。

「…………ほんま。」


言いながら、行く宛のない春巻きのお皿に目線を落とします。


「……………………そうか……。」


騙された、と言うような罵倒じゃないのが

堪えました。


このままバラさず適当に付き合い、いつかフェイドアウトしてしまう事も出来たはずです。

しかしもう一人の嘘つきが、

そうさせてはくれませんでした。


「…………やろな。だってあの人めっちゃ真剣やったし……。」

まだ顔はちゃんと見てくれません。

拗ねている、怒っている、呆れている。

そのどれとも違う気がしました。


「……リクは私の先生の」

「…………聞いた。で、今はあっちゃんの友達。

……合ってる?」


「…………うん。」


ようやくそこで潤くんは私を見てくれました。

まだまだ岸には辿り着けていない感じですけれども。


黙って私からお皿を受け取り、キッチンに置くとまたこちらに向き直ります。


「……あっちゃん……。」

「…………ん……」


春巻きをこんなに長く見つめた日はありません。


そして息があまり上手く出来ません。


心臓がポンプのように、血液を全身にと送っています。


「……あっちゃんがもう嫌やって言うまで、俺が隣歩いていい……?」


潤くんの声は確かでした。


きっとそんな風に、きちんと育ってきたんだと思います。


私の答えを待たずに潤くんは、リュックの中から

それを取り出しました。


革ひもに、とりどりのガラス玉と、角を持たない銀のヘッド。


AOI、ではなく

あおい、とひらがなで刻まれた文字は、去っていくリクと同じに切ないものでした。






「…………あげる。お守り。」


私の手をとり、革ひもを結ぶ。


それを見下ろし、潤くんを見上げ、ありがとうではなくごめんと言った。


「……なんで……?」

「……色々と…………やから。」

「……うん……。

確かにリクさんとコソコソやられてたんは……やけど、でもええよ。あっちゃんと俺はここスタートで。」


色の無かった潤くんの顔に、少しだけ色がつきました。



私の最後の恋人潤くん。

改めて、どうか宜しく……お願いします。


「……な、春巻きもらってええ?」

「……あ……うん。ごはん、まだやんね。」


「……うん。でも今日忙しくて、4時くらいに学食でメシ食ったから、この春巻きだけでええかな。」

「……ああ、…うん。」



このブレスレットを作ってたからかな。

多分……そう。



その後、淀んだ空気から抜け出すように、チンした春巻きを黙々と食べた潤君。


食後に2人、ベランダで星を見る。


今日はその獅子座がちゃんと見えた。


交代する時春巻きの油が手について、望遠鏡にもそれはついた。


「……わ……どうしよ。べたべたや、これ。」


「……ああ、ええって。星さえ見れたら。外側はどうでも。」


潤くんが言ってレンズを覗く。

「……な、あっちゃん……。」

「……ん……?」

「…………必ず死ぬとは、限らんみたいやで。」


それこそ星を説明するように、潤くんは淡々とそう言いました。

「……そうなん……?でも……」


「……手術も……やったらでけへんことないって。

余命は、あくまで何もせえへんかったらの話で、

あっちゃんが頑張るなら有りかもって、リクさんが。」


レンズに顔を押し付けるようにして、潤くんはそう言った。


「……そうなん……。」

「……うん。やから」


レンズから顔を離し、潤くんの目は私を、

星と同じ純度さで見た。


「……俺の為に生きてよ。」



それは潤くんに言われてるのに、この事を伝えたリクに言われているような、そんな奇妙な錯覚に、私は1人で落ちました。










なんでそうなってしまったのか。

それを説明するのが苦手な項目が私にはある。


理由は後から幾つもつけられる。

でもそれは理屈であって、理由ではない。


理由がある体の関係など、持ったことはない。


恋人であるから。


それは私にとってそうなる理由ではない。


それでもそんな私がこの日潤くんとそうしてしまった事について、明確な理由を持っていた。


自分でも無意識な理由。


リクが私を託した人……だから。





眼鏡を外した潤くんが、私の方をごろりと向き、

朝の光の中で眠る。

その手は私を夢の中で引き寄せ、力をなくしたかと思えばこめる。


でもまだ夢を見ている。

幸せそうに上がる口角が、閉じられた瞼の奥にある映像を想像させた。


星を見て、手を繋いで、ただ静かに私は潤くんの

初めての女(ヒト)になった。


暗闇の中、最初は大学や街の匂いがしていた

潤くんの指先は、男の子の匂いに変わっていった。

技術的なことはどうでもいい。

最初は誰もわからない。

ただ潤くんが、私とそうなりたい。

ただ潤くんが、私の隣で歩きたい。


そうした想いだけが、肌から伝わった。



背中が痛くてそっと起きあがる。


私の髪が影となり、潤くんの胸で生物のように

揺れた。



「………ん………起きた……?」


眼鏡をしていない潤くんは、目頭に赤く跡がついている。

恥ずかしげに一旦目を伏せ、


「…………こう言うの……あんまり好きやないけど……。」



…とは何が……?


「……え、こう言う事するの?」



「……あ、違う違う、そうやなくて、あっちゃんとはやっぱり……したいけど、あ、したいとか下品やな。つまりこうなるの……早すぎるよなって……事。」


…………ああそこ。


「……でも、いずれはこうなったと思う。」

「……やけど……やん。」


潤くんは言い、反省をしつつも私の髪を撫でた。

リクのその名残を消していくように何度も。


だがそんな彼の心配は現状無用に思える。


なぜなら私は今、潤君側の陣地にいる。

こうした関係を持てば尚更チーム替えは難しい。


そして、リク側、潤くん側、それらは白線で区切られていて、いずみんのいなくなったチームであっても、リクは決してこちらの白線を踏むことはない。


ボールを当てられ、私の膝から血が出る。


その血を見て、

『先生、潤君チームの中園さん、

血ぃ出てますよ。』とか、


『しんどそうなんで、座らせてあげてください。』


と言う申し出をする事はあっても、

決して自分のチームには引き入れない。


藤木 人がそういう人間だと云うことを、

私はよく知っているから。


「……でも…………正直俺は嬉しい。」


潤くんが私を引き寄せ、私は思う。


この子には希望しかない。


「……けど暫く……

あっちゃんがほんまに元気になるまで、こう言うのやめとくな。」

あおい。

そう刻んだ潤くんの指が、私の鎖骨をそっとさすり、腕に流れる。


「…………うん……。」




潤くんの肩にもたれながら、ふと、春田千嘉を思い出す。

チェリーの席をとるんはあの子でも良かったんやないかって。


「……そうや、あっちゃんな、自分はみんなに嫌われてるみたいな事言うてたやん?

やから友達おれへんって。

あ……リクさん覗いてな。

けど俺の見るあっちゃんは、そんな事全然無いと思う。

ほんまにええ子やなぁって思う。」



照れたように眼鏡をかける。

裸に癖毛に眼鏡。


人と抱き合うと、

今まで見ていたその人の顔が変わる。


店で売られてるコップを買う。

知らんかったコップが、自分の物になるように。


「……病気になってから」

「……ん?」

「……病気になってから、なんか浄化されてんねん私。怒らんといてな。

前の私やったら、きっと潤くんが初めてなんもどっかでバカにしてたかもしれへん。

誰でもみんな……最初はそうやのに。私かって……そうやったのに……。」


デリケートな問題。

誰もがそう言うデリケートな部分。


けれど潤くんは、

「…………それやったら良かった」

と言った。

「……良かった……?」

「……うん。つまりあっちゃんが浄化されへんかったら、俺に見向きもしてへんって事やろ?

やから良かったってこと。

後は病気が治れば、尚幸せ」


潤くんは物事を、きっとどこか客観的に見れる。

それは冷めているんではなくて、相手の声を意見を、より多く聞く事が出来ると言うこと。


迫田 潤とは、そういう人なのだろう。





「……浄化してて良かったぁ。」


冗談ぽく私は言う。

でなければ苦しかったから。


潤くんの真っ直ぐさは、光をそのまま跳ね返す鏡のように、眩しく辛い。


「……フフ…………ほんまに。

じゃあついでにもっと、ひく話を」


潤くんは言いながら顔を赤らめる。


「……実は俺、ずっと待ってた。」

「…………何を……?」


「ん……、姫を。」

「……姫……?」

「……うん、姫。

ほら、女の子って待ってるんやろ?王子さま。」

「…………ん、ああ……。」


やとしたら私は例外。

そんなこと、思ったこともなかったな。


「……そ、……で、

やからつまり俺はそれの男子バージョン。

……あっちゃんに会った時、

俺はずーっとこの子を待ってたんやって……思った。

やから誰とも付き合わへんかったし、そう言う事もせえへんかったんやって…………運命を…………ひいた?」



眼鏡レンズの端に虹。


それを見上げて「……ううん」と言う。


国宝級。

リクがそう言ってた男の子は、

賞味期限切れの私の隣、はにかんだような笑顔で笑っていました。







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