第十五条「新たな事件」
「た、た、た、助けてください!」
「この変態弁護士になにかされた!? 今警察呼ぶから待ってて!」
すみれが本気の顔で、泣き出した女の子に話しかける。
それは本気で困る。すがる思いで玲於奈の顔を見ると、玲於奈は悟ったような顔をする。
「安心して。逮捕されたら弁護士を呼んであげるから」
グッと親指を立てながら玲於奈はキレイなウィンクをみせる。
「おい……お前らいい加減にしろよ。お客さんがいるんだぞ」
「そうだった。ここは秘書として、おほん、お客さんどうされました?」
すみれが女の子に語りかける。
「助けてください……お願いします……」
忘れられかけた女の子が少し落ち着きを取り戻したのか再び話しだす。
「まぁまぁ、ここで話も何だから向こうでゆっくり聞こうか」
玲於奈がまるで自分の家かのように振る舞う。
「まぁまぁ、これでも食べて落ち着いて」
玲於奈が残っていたバームクーヘンとアイスティーを女の子に出す。
彼女は、ヒックヒックと言いながらも出されたバームクーヘンを食べている。
薄暗い玄関とは違いリビングは明るく彼女の顔がよく見える。確実に見覚えのある顔だった。すっとした顔立ち、触り心地のいいスベスベとしていそうな肌、涙で目は少し腫れてこそいるものの涙で一層吸い込まれそうなほどにキラキラとしている瞳は間違いなく裁判所でぶつかった女の子であり、神社で僕の頭を強打した女の子だ。名前は確か――雅京姫。変わった名前だったので憶えている。
「そろそろ落ち着いたかな?」
京姫がバームクーヘンを一切れ食べ終わるタイミングを見計らって声をかける。
「あっ、はい」
「君は確か雅京姫さんだったよね?」
「はい」
「じゃあ、聞かせてもらえるかな? さっき、助けてくださいって言っていたけど、どういうことかな?」
「う、うちはお、お金払って、ないから今すぐで、出てけって言われて、い、い、違法だから、いちゃいけない、んだって言われて、ど、泥棒って言われて……その……」
声はどんどん小さくなっていき、目には再び涙が浮かんでいる。
事情がイマイチ掴めないが、よほど怖い思いをしたのだろう。
「えっと……。色々と言われたのは分かったんだけど、起こったことを順番に説明してもらえるかな?」
これ以上、彼女を追い詰めないようにできる限り優しい言葉遣いで質問する。
「はい……その……えっと…………」
「じゃあ、まず、いつ言われたのかな?」
「き、今日、さっき、二時間くらい前に」
「どこで?」
「私のうちで……じ、じ、神社の境内です」
「誰に言われたか分かるかな?」
「し、知らない人なんですけど、こ、これ渡されて……」
そういうと一枚の名刺を差し出す。
名刺には、『本間さちお』と書かれている。名前の横の役職部分には前参議院議員と書かれているが、心なしか『前』の文字が一回り小さいように見える。
これはもしかすると質が悪い事件かもしれない。そう弁護士の勘が囁く。
名刺を見る限りでは、『前』議員となっているので京姫は、どうやら落選して浪人中の議員と何らかのトラブルになっているようだ。
落選中の議員というのは、時間は比較的持て余している上に自分の知名度を上げることに必死である。とすれば、社会正義の名の下に何かしらの難癖をつけてきたのかもしれない。さらに、こういった人達は元議員という地位を利用してマスコミを利用する事さえある。
大事にならないうちに問題点を把握して一刻も早く手を打たなければいけない。
「見せて、見せて」
すみれが横から名刺を覗きこむ。
「じゃあ、私にも見せてよ。うわー、すごい議員だってさ」
すみれに続いて玲於奈までもが名刺を覗きこむ。
「『前』議員でしょ。あんたちゃんと見なさいよ」
「どこに書いてあんの? って書いてあるじゃん。もっと大きく書いとけってーの」
この二人にはこの問題の重大性が理解できていないに違いない。
「あ、あの……このお二人は……?」
突然口を挟んできた二人を見て京姫が尋ねる。
そういえば、京姫には紹介していなかったから紹介しなくちゃいけないんだけど、何て説明すればいいのか。
「「秘書です!」」
僕が答えるよりも早く、すみれと玲於奈の二人が同時に答える。もしかしたら、この二人は中が良いのではないか、そう思わせるほど息がピッタリだった。
「お前ら向こう行ってろ! いや……こいつらは……まぁ、その見習いというか、モドキというか……問題はないので気にしないでください」
二人をテレビのある方へと追いやる。
二人が秘書だということを認めれば、二人に堂々と居座る絶好の口実を与えることになってしまうなので認めたくはない。しかし、何も関係のない人物を依頼者の相談に同席させたとなれば、それはそれで問題になってしまう。
悩んだ結果、曖昧で不明瞭な答えで言葉を濁し、しかも最後には論点をずらすことで曖昧なまま事を終わらせることにする。
「じゃあ、えっと……出てけとか、違法だとか、泥棒だとか言われたってことだったけど、もうちょっと詳しく何て言われたか憶えていないかな?」
「ご、ごめんなさい……。突然、怒鳴られて怖くて……。それに言ってることが難しくてよく分からなかったから……」
「そっか、怖かったね。京姫ちゃんは悪くないし、突然押し掛けられて怒鳴られても分けわからないよね。それじゃあ、他には何か言っていなかったかな?」
「えっと――」
上を向いて必死に思い出そうとしている京姫。
困った表情も実に可愛らしい。しかし、その可愛らしい顔の奥にテレビの前に置かれたソファーから首が覗いている。いや、物凄い形相で睨んでいると言ったほうが正しい。
もし京姫が僕の位置に座っていたならば、あの顔を見ただけで逃げ帰ってしまっていたかもしれない。
「――あ、祖父も母もいないって言ったら、明日また来るって言われました……」
明日って……休日なのに熱心なことだ。
神社の神主なら会社員と違って休日でなければ話せないということもない。よほど急ぎの用でもあるのだろうか。郵便ではなく直接出向いてくるのだから、すぐに伝えなければならないことか、手紙として残したくないことか。いずれにせよ単純な話ではなさそうだ。
「明日来るってことなら、明日僕が神社に行って、一緒に立ち会うか、僕が代わりに会って本間って人から直接話を聞きたいんだけど――京姫ちゃんの家の神社の代表者って誰かな?」
「宮司はお祖父ちゃんですけど……」
「そっか、お祖父ちゃんって今家にいるかな?」
「いないです……病院に入院してて……」
「ごめん、悪いこと聞いちゃったかな」
「い、いえ、びょ、びょ、病気ではなくて、こないだフットサルの大会に出て骨折しちゃったみたいで……」
「そ、そうか。元気なお祖父ちゃんなんだね……。じゃあお父さんいるかな?」
「お、お父さんもいないと思います……いつも、その、会社で遅いので……」
「ん? お父さんって神社で働いてるんじゃないの?」
「お父さんは、し、し、神道の大学出てないので……。お、お母さんがお祖父ちゃんの子どもで、し、神職の資格をも、持ってるからお父さんじゃなくてお母さんが神主なんです……」
「それじゃあ、お母さんは家にいるよね? 電話してもらえるかな?」
「わかりました」
京姫の母親と電話で会話をし、聞いたことを元に簡単に事情を説明する。
最初は弁護士からの電話ということで驚いていた様子だが、事情を説明すると理解はしてくれたようだ。
正式な依頼をするかは、神社の宮司である京姫の祖父と話し合ってから出ないと決められないとのことだが、明日の立ち会いについては、是非とも来てくれと快諾してくれた。
元議員の本間と名乗る人物については、母親も心当たりはないとのことで、本間からの郵便物も届いていないらしい。
少しでも情報を集めるために神社の事について聞いてみたところ、神社の名前は牛守神社。都立公園の中にある神社で以前僕が行って京姫に殴られた場所だ。歴史はかなり古く、以前は違う場所にあったが学校を建築する際に土地を提供し、現在の場所に移転したとのことである。
京姫の話にもあった通り、牛守神社の宮司は京姫の祖父で、息子がいなかったため、娘である京姫の母が跡を継ぐ予定らしい。神職の資格を有するのはこの二人だけで、京姫の父親は普通の会社員で神社には、ほとんど関わっていないとのことだ。
また、京姫は、巫女として神社を手伝っているらしく、今回本間が神社を訪れた際も、境内を一人で掃除していた。
一通り聞き終わると詳細については明日再度聞くこととして電話を切る。
電話で聞き出した情報から本間が難癖をつけそうな点を考えてみる。
京姫の話によれば本間は「お金を払っていないから」という旨の発言をしていた。とすれば、何かを買ってお金を払っていないのだろうか。そう考えるとその後の「泥棒」という発言も辻褄が合う。
しかし、何かを買ったのであれば「出て行け」ではなく「金払え」や「返せ」と言うはずだ。何かを有償で借りたという可能性も無くはないが、同様に「出て行け」ではなく「金払え」か「返せ」というはずだ。
とすれば、土地絡みだろうか?
京姫の母親の話によれば、学校建設用地の代替地として現在の土地に移転されているのだし、公園内にあり、以前僕が行った時も周りに神社以外の建物は無かったことから境界線争いなども考えにくい。
いろいろと可能性を考えてみるが、答えは見つからない。やはり、明日直接あって本間本人の主張を聞くしかなさそうだ。
これ以上、京姫をうちにとどめておく必要性もないし、時間も時間だからそろそろ帰したほうがよさそうだ。
「京姫ちゃん。それじゃあ明日京姫ちゃんの家の神社に行ってお母さんと一緒に本間っていう人と話することになったから安心していいよ」
「あ、あ、ありがとうございます」
安堵したためか、再びブワッと涙がこぼれ落ちる。
「京姫、安心しなよ。クリスっちは見た目中学生で頼りないけど弁護士としては本物だからさ。私もクリスっちに助けられたから安心していいよ」
「そ、それじゃあ、遅くなると行けないからもう家に帰りな。駅まで送っていくよ」
玲於奈の予想外の言葉に少し照れながら京姫に帰宅を促す。
「おい! 私の時は駅まで送ってくれなかったじゃない」
先ほどの援護射撃から一転、玲於奈は僕に攻撃の矛先を向けるが、反応に困るので華麗にスルーする。
「送ってくの? じゃあ私も送ってく! コンビニで買いたいものあるし。玲於奈も行こうよ」
「すみれも送ってくの? じゃあ、私もそろそろ帰るかな」
すみれと玲於奈はいつの間にか仲が良くなったらしく、お互いにすみれ、玲於奈と名前で呼び合うまでになっていた。
この二人の間を取り持ったのは、らいおんばぅむに間違いない。京姫に三切れを別の皿にとって渡した時には確実にリビングのテーブルに置いてあったはずのバームクーヘンが乗った皿がすみれと玲於奈のいたソファーの目の前にあるテーブルへと移動している。
もちろんそこに乗っていたバームクーヘンは見事に消え去っている。
またしても僕はらいおんばぅむという物を食べることはできなかった。少し落胆しつつも、今は京姫を家に帰すことが優先なので三人を家から追い出す。
「そういえば、何でわざわざ僕のところに来たの?」
「え、えっと……おじいちゃん入院してるし、お父さん会社だし、お母さんは会議だから……私しかいなくて……だ、誰にも相談できなくて……それで、どうしていいか分からなくて……もらった名刺を見て……その……弁護士さんの知り合いなんて他にいなくて……この間困ったら無料でやってくれるって言ってたから……」
「そ、そっか――」
名刺を渡したことなんてすっかり忘れていた。それに、無料で引き受けるなんて言ったか? 記憶の糸を辿ってみるが、そんな記憶は――――あれ? そういえば言ったような気もする。たしか初めて会ったあの日、そう裁判所でぶつかった日に。でも、名刺には電話番号も書いてあったはずだ。
「わざわざうちまで来なくても電話してくれれば良かったのに」
「……あ、あの、で、電話は一応したんですけど……その……で、電源が入っていないか電波が届かない所にいるって言われてしまって……あの……どうしていいか分からなくて、名刺にあった住所まで来たんです」
ハッとしてポケットから電話を取り出す。ボタンを押してみるが、画面が点かない。
学校ですみれの執拗な連絡を避けるために電源を切ってから、電源を入れるのをすっかりと忘れていた。すみれのせいだ。
それにしても、電話が通じないからと行ってここまで来るとはこの雅京姫という女の子も侮れない。僕が家にいるという確信があったのか、それとも何も考えずに来たのか、いずれにせよ変わった子だ。
京姫とついでに玲於奈を駅まで送り届け、二人が改札を入って行くのを見送る。
京姫は、こちらに度々お辞儀をすると来た時よりも確実に明るい顔で帰っていった。
二人の姿が完全に見えなくなってから電源をいれた携帯を見ると受信メールのアイコンが点いている。受信フォルダを確認すると姉からであった。
「ごめーん、今日お姉ちゃんバイト先で急に飲み会入っちゃったからご飯は自分で作るか買って食べてね(ハート)」
姉はどうやら今日、夕飯はいらないらしい。自分一人分だけ作るのも面倒だし、駅まで来たのだから近くの弁当屋で弁当を買って帰るか。
「ねぇ、どこいくの? そっち帰り道じゃないよ」
「弁当屋」
「お弁当? 弥生お姉さまが夕飯作ってくれるんじゃないの?」
「今日はバイト先の飲み会があるんだって」
「お姉さまバイトしてるんだ。じゃあ私もお弁当でいいや」
「は? お弁当でいいやって……お前うちで夕飯食べて行くつもり?」
「もちろんそうだけど?」
「いや……帰れよ」
「何で?」
「何で……ってむしろこっちが聞きたいわ」
「そんなに邪険に私を扱っていいの? 私が秘書になったから仕事の依頼が入ったんじゃない。私は幸福の女神よ。私をリスペクトしないと地獄に落ちるわよ」
「人を地獄に落とす女神がどこにいるんだよ……。それに仕事の依頼も――やっぱいいや」
仕事の依頼だってお前のお陰じゃないだろ、と突っ込みたかったが、実際問題としてすみれが秘書になると宣言してすぐに依頼が舞い込んだわけであるし、すみれが秘書になったことと今回の依頼の因果関係を確実に否定することはできない。
本来は因果関係の証明責任は、あると主張する側すなわちすみれが立証しなければならないが、すみれにそんな理屈は通じるはずもなく突っ込むだけムダである。
仕方なく、すみれの分も弁当を買って帰る。当然弁当代は僕持ちだ。
家に帰るとパソコンで今回の事件で必要になるかもしれない委任状を作成する。
委任状に関しては、よく使う書類なのでテンプレートがあり、それをちょこっと変更するだけで簡単に出来上がる。それをプリントアウトして他に必要になりそうなものと一緒に明日持っていく鞄の中に入れていく。
一通り準備が終わるとキッチンへと下りて行き買ってきた弁当を温めなおす。すみれは、先ほどのソファーに横になりテレビを見ているようだった。仕方なくすみれの分も温めなおしてテーブルに並べる。すみれの分も準備できる頃にはいつの間にかすみれはテーブルに着席していた。
時折みせる
夕飯が終わると、すみれは、食後しばらくテレビを見ていたが、見ていた番組が終わると自分の家へと帰っていった。
あっさりと帰っていくので不安だったが、家を出てすぐに『明日もまた来るからねー』とメッセージが届いていた。最後まで期待を裏切らない。と言っても決して期待していたわけではない。決して。
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