第十六条「牛守神社」
「三ヶ月弁護士! 今日の勝因は何ですか?」
「やはり、依頼者を信用したことだと思います。警察や検察は、依頼人が有罪だと決めつけて自白に頼った誤った捜査を行ったため今回の様な冤罪を招いたと考えています」
「三ヶ月弁護士、今日の事件でもう五件目の無罪判決ですが、無罪獲得の秘訣などあるのですか?」
「僕は、有罪を無罪にしているのではなく、たまたま僕の受け持った事件が冤罪だっただけですよ」
「請け負った事件全てで無罪判決を得ていることから無罪請負人なんて呼び名も出てきていますが、いかがでしょう?」
「そんな、無罪請負人なんてとんでもないです」
裁判所前に集まった記者たちの群れに囲まれながら取材を受ける。
記者たちは手に持ったマイクやICレコーダーをこちらに向けると僕の一言一句に注目している。記者たちの頭上には脚立に登ったカメラマンがこちらにカメラを向けている。
念願のマスコミデビュー。
これで事務所も大繁盛間違いなしだ。そろそろどこかに事務所を借りなきゃいけないかな。他の弁護士や事務員も雇わなきゃいけないかもしれない。
「クリス! クリスったら! 起きなさいよ」
「はい?」
「起きなさいよ。起きないと痛いことし・ちゃ・う・ぞ」
「そういった質問にはお答えできません」
「いい加減に――」
パンっ!
大きな音とともに頬に走る痛み。ちょうど叩かれたとおもわれる場所が手の平型に熱くなったような感覚が残る。
目を開くとそこには見慣れた顔が僕の顔をのぞき込んでいる。
「起きた? なかなかいい目覚めでしょ?」
「今……何時?」
「五時よ、五時。遅れちゃうじゃない」
「五時? まだ大丈夫だよ。一時間もあれば着くんだから」
布団を顔まで持ち上げ、再び眠ろうとする。するとちょうど腹部の辺りに急に六法全書、しかも二冊ワンセットの大きなやつが十セットくらい乗っかった様な重さを感じる。その重さの正体を確かめようと覗くと、すみれが僕のお腹の上に乗っかっている。
「お、お前なにやってんだよ。降りろよ」
「あんたね。私が起きろって言ったら起きるの。それとも何? 頬の赤みがアンバランスだから反対も赤くして欲しいの?」
「いえ。すいませんでした。起きます。起きますんで、そこをどいてもらえないでしょうか?」
「なんで?」
「なんでって……そこに乗っかられていると起きられないので……」
「何? 私一人どかせないの? それでも男? 筋トレしなさい筋トレ。勉強ばっかりしてるといざって時にお姫様抱っこできないわよ」
「誰をお姫様抱っこするんだよ」
「私とか私とか私とか私?」
「お前ばっかりじゃねーか」
「何か文句でも?」
「お前をお姫様抱っこするやつなんて――すいません。なんでもないです」
僕に馬乗りになる形のすみれが右手を振り上げたのをみて慌てて謝る。
すみれの平手はかなり痛い。
すみれは、昔から怒ると平手打ちをしてくるが、今は以前とは比べ物にならない破壊力がある。いつ振りかぶったのか分からないくらいのクイックモーションで右手を振り上げると風を切る音が聞こえるかと思うようなスピードで目標物に向かって一直線に振りぬかれる。しかも、野球部員にも見習って欲しいと思おうほどしっかりと入れられた腰のおかげで威力がさらに増している。
叩かれた直後の痛みはもちろんのこと、叩かれた部分がくっきりと手のひら型に真っ赤に腫れ、赤みがひいてもしばらくは、叩かれた部分がズキズキと痛む。
「分かればよろしい。さっさと準備しなさいよ」
僕のベッドから降りるとまるでお節介な母親か何かのようにいつの間にか準備していた僕のスーツと鞄を放り投げると満足気にリビングへと下りていく。
そういえば、なんでこの女は僕のスーツの在り処を知っているのだろうか。
お前ストーカーか?
と小一時間ばかり問い詰めてみたいが、先日学校で不意に平手打ちをくらって首ごと持っていかれそうになったのを思い出し、
もう二度とあんな目にはあいたくない。
顔を洗ってからスーツに着替えるとリビングへ下りてみる。着替えたのはいいが、朝食はどうするのだろうか。出来ればスーツが汚れるのが嫌なのでスーツを着る前に食べたかった。
リビングを見渡してみるが、すみれの姿は見えない。テレビは点いているのでソファーに横になって観ているのだろう。
冷蔵庫からオレンジジュースを出すとコップについで一気に飲み干す。やっぱり朝はオレンジジュースだよな。
「すみれ、朝ごはん食べてきたの?」
「ん? 食べてないよ」
「じゃあ、マック行くで食べてくか」
「『マック』とか言っちゃっていいの?」
「な、何勘違いしてるんだよ。『マック』って言ったら、マクドネルさんが作った日本一のハンバーガーショップ『McDonnel‘s(マクドネル)』に決まってるだろう」
「そ、そうだったね。マクド行こうマクド」
「マクドってお前、東京人だろうが」
「マクドネルの略はマクドに決まっておまんがな」
「お前関西人に殴られるぞ」
「殴られたらクリスに訴えてもらうからもん」
「流石にその訴訟は無理だ」
「なんで」
「その暴行は正当防衛だから」
「ひどーい」
朝早くに起きたテンションによって引き起こされたどうしようもない茶番を終わらせるとマックへと向かう。
「いらっしゃいませ」
マックの特徴である元気な挨拶で出迎えられる。
「海老アボカドサンドのセットと――お前は?」
「私は――プレジャーセットでお願いします」
「はい、ありがとうございます。海老アボカドサンドセットとプレジャーセットですね。マイプレジャー! ユアトレジャー! 少々お待ちください」
いい歳して恥ずかしくないのか?
訳の分からない掛け声とともにいつでもどこでも無料プレゼント中のスマイルを残して、人手不足なのか、そのまま調理場へと消えて行く。
スマイルというと響きはいいが、どうせもらうなら三、四十代のおじさんではなく女性、できれば女子高生のスマイルの方がいい。お客も少ない朝なので仕方がないのかもしれないが、男店員のスマイルほどもらって嬉しくないものはない。いっそ法律で禁止にすべきではないか、そんな事を考えていると早くも出来上がったようだ。
「お前、こんな子供っぽいセットよく頼めるな」
皮肉と感心を織り交ぜてすみれにプレジャーセットを渡しながら言う。
「別にラッキーセットを高校生が頼んじゃいけないなんて法律なんてないもーんだ」
反抗期の子どもの様に舌を出して答える。
「プレジャーセットのおまけって今は何なの?」
「えっとね。サンドにゃん仔だよ」
箱に入ったおまけを取り出しながら答える。
箱から取り出されたおまけは、長方形のバンズににゃん仔がサンドされている。かわいい動物を見ると食べちゃいたいと言うことがあるが、これならば本当に食べられるかもしれない。
「へーにゃん仔か。今人気だからね」
「そーいえば、あんたの部屋にもにゃん仔あったよね。好きなの? このにゃん仔欲しい?」
「い、いるわけないだろ。あれは、たまたま景品が取れたから……それより早く食え。置いてくぞ」
とっさにせっかくの提案を断るが、断った後で非常に後悔した。
にゃん仔シリーズは基本的にハズレはないが、ネコがバンズに挟まれているというミスマッチ感がたまらない。
ぜひとも手に入れたいが、バンズに挟まれているのだからもきっとマックのプレジャーセットでしか手に入らない品だろうことが伺える。今度絶対に買いに来る、手に入れるまでは絶対に死ねない、そう固く決意した。
§ § §
「あ、私、弁護士の三ヶ月と申します。はい、こちらこそよろしくお願い致します。えっと、ですね。駅に着きましたのでもう十分程度でお伺いできるかと思います。はい、よろしくお願い致します。失礼します」
京姫の家の神社の最寄り駅に着くと一応連絡を入れる。
「クリス、あんたって社会人みたいだね」
「どういう意味だよ。これでも本物の弁護士だぞ。ほら」
スーツの左胸につけた弁護士バッジをこれでもかと見せつける。
「ふーん。これが弁護士バッジか……何か金ピカで偽物っぽい」
「うぐ……」
弁護士バッジは、自由と正義を表すひまわりを象ったバッジの真ん中に公正と平等を意味する天秤が描かれている。
バッジは、金色だが、純金製ではなく銀製のものに金メッキが塗られている。初めて弁護士バッジを手にした時は、金色に輝くバッジを見て弁護士になったと感動したが、今ではこの金色はあまり嬉しい色ではない。弁護士バッジの金色はメッキでしかないので長年使っていると自然とメッキが剥がれてくる。そのため、少しでも経験のある弁護士に見せようと財布の小銭入れに弁護士バッジを入れて小銭とバッジの摩擦で自然と金メッキを剥がそうとする人が少なくない。僕もその内の一人だが、まだまだバッジは金ピカのままだ。
駅から数分の所に江戸公園はある。その公園内をしばらく歩くとひっそりと佇む京姫の神社が現れる。
ここの公園には以前来たことがあるが、明るい時間帯に来てみると全く違う公園に来たように感じる。入り口を入ると目の前には巨大な噴水が見える。その周りには、子どもたちがキャッキャ言いながら走り回っている。さすがに休日だけあって朝早くから子どもを連れた家族が遊びに来ているようだ。
神社へと続く道は、相変わらず
神社の鳥居の下で誰かが手を振っている。京姫のようだ。昨日とは打って変わって明るい笑顔でこちらに駆けてくる。
「お、おはよーございます。わざわざ遠いところまで来てくれてありがとうございます」
丁寧に挨拶するとペコリと頭を下げる。
「おはよー。京姫っちゃん」
「お、おはよーございます。すみれさん」
すみれと京姫が仲良く挨拶を交わす。
「お前ら、いつの間にそんなに仲良くなったんだ?」
「昨日の間?」
疑問を疑問形で返される。
「昨日の間って、仲良くなるような時間なかっただろ。てか、二人で会話してないだろ」
「まあ、昔から昨日の敵は今日の友っていうじゃん?」
「お前ら敵だったのか?」
「敵じゃないけど?」
うぅ……。頭が痛い。
訳がわからない。会話になっていない。
すみれ相手には百戦錬磨のヤリ手弁護士もかなわないだろう。
何て言ったって、すみれには理論の『り』の字もないのだから、そもそもベクトルが違う。
「と、とりあえず、社務所へどうぞ」
社務所と言っても自宅も兼ねているので結構大きな建物だ。
社務所に入ると一つの部屋へと通される。
部屋に入ると神社らしく畳の独特の香りがする。畳は碁盤の目状に色の違う二種類の畳が敷かれ、壁には掛け軸、床の間には木彫りの像が飾られている。一見普通の和室のようだが、部屋の奥の床はフローリングになっていて、外の明かりを取り込む床から天井まである大きな窓がある。
和室らしくない和室である。
モダン和室といったところだろうか。
初めて見るモダン和室に興味津々で色々と見回っているとふすまがガラっと開いて京姫が戻ってきた。手にはお盆を持ち、その上には湯のみが乗っている。
「も、もうすぐ母が来るので、お茶でも飲んでいてください」
そういってお茶をテーブルの上に一つ、二つ、三つと置いていく。
「あ、あれ? もう一人の秘書の方、えっと……れ、玲於奈さんは?」
「ん? 玲於奈は、今日はいないよ」
「あれー? さ、さっきは三人分のけ、気配がしたんだけど……」
「今日は、最初から僕とすみれだけだけど……気配って?」
「い、いないならいいの。な、な、なんでもないから」
「?」
「そうだ。す、すみれちゃん、う、うちの神社、見て行かない?」
「みる、みるー」
「じゃ、じゃあ行こう。案内、してあげるから」
すみれは、京姫に連れられどこかへと消えていった。
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