第十六条の二「撫で牛でも治せないもの」

「あー、この像、牛になってる! あ、こっちも!」

 すみれが神社の境内にも関わらず大騒ぎをしている。

「う、うちの神社はう、牛守神社って言って、御牛様がたくさんいるんです。特に、三つの像には名前がついてて、鳥居のところのが狛牛で狛犬の代わりなの、です。えっと、拝殿前にいるのが神牛で、この神社の守り神様で、あっちにある赤い前掛けがついているのが撫で牛。悪いところを撫でると良くなるって言われてるんだ」

「へぇー。撫で牛か。せっかくだから私も撫でて行こうかな」

「どこか悪いところありますか?」

「う~ん。悪いところか。私、顔はいいし、性格もいい、頭は……まぁまぁだし、苦手なのって言ったら料理くらいかな? 料理ってどこなでればいいんだろ?」

 すみれは、口元に手を当てて考え込む。

「すみれの場合は……ここだろ!」

 すみれの背後から急に手が二本伸びてきて、そのまま胸部を掴む。

「ほれ、ほれ、こんなまな板みたいな胸じゃ誰も寄ってこないぞ」

「はぅわ」

 すみれは突然胸を背後から揉まれ、言葉にならない言葉をかろうじて吐き出すとその場にしゃがみこむ。人間いざとなると大声「キャァァァ」などと叫ぶことはできないようだ。

 すみれの感覚で数十秒、実際には一秒程度だろうか、しゃがみこんだままでいたが、しゃがみこんだ拍子に何者かの腕は外れた。先ほどは、突然背後から襲われてビックリしたが、徐々に怒りが沸々とこみ上げてくる。

 自分の右手を力の限り握り締めると立ち上がりながら、犯人がいるであろう背後へと振り向く。そのまま左足を少し前へと踏み出し、腰を低く保ちながら振りぬく。もちろん右手は拳のままで。

―――あれ?

 力の限りフックをかけるように振り抜いた右手には何の感触も残っていない。それどころか、空を切った右手の勢いでそのまま地面へと倒れこむ。

「だ、大丈夫ですか!?」

 京姫が慌てて助け起こす。

 一体、何が起こったのだろうか。右手に握りこぶしを作ってからそれを全力で振りぬくまで一秒もなかったはず。普通であれば、全力の回転右フックは相手を悶絶させ、自分は、自分の手にも残る命中という名の痛みに快感すら覚えていたはずだったのだ。しかし、現実には、右手は空を切り、勢い余って地面に這いつくばっている。何たる屈辱だ。

 屈辱、そして恥辱を味わわしてくれた相手の顔を確認しようと京姫の助けを借りて身を起こす。顔を上げると目の前に居たのは、すみれの予想外の人物だった。

「ごめん、ごめんって。そんなに怒ると思わなかったからさ」

 頭を掻きながら苦笑いをした玲於奈がそこに立っていた。

「何で玲於奈がここにいんの!? え? 何で?」

「何でって、仕事なら付いて行くのが秘書の勤めってやつ?」

「あんたいつからいたのよ?」

「いつからって……最初から?」

「最初?」

「ハンバーガー屋のところから」

「何で声かけないのよ!」

「いや……その、何か声かけづらい雰囲気というか……そしたら神社に着いちゃったから、すっかりタイミング失って、やっと今声かけられたんだよね……」

「いや、おかしいでしょそれ……」

 タイミングならいくらでもあったはずだ。マックを出た時とか、電車乗ってる時とか、駅についた時とか、神社に向かって歩いてる時とか――あれ? なにか忘れているような……。

「それより、私の悪いところが胸ってどういうことよ! 貧乳で何が悪いのよ! 貧乳こそ正義よ。それにあんた、人のこと言えるような胸してないじゃない!」

 すみれは玲於奈と自分のものを見比べる。

「貧乳は、貧乳でも、まな板は――」

 玲於奈は、にじり寄ってくるすみれに恐れをなし、慌てて自分の貧乳っぷりをアピールし出す。

「――いえ、なんでもないです。わ、私達貧乳シスターズじゃないですか? ほら、ね? ね?」

「ふーん」

 イマイチ納得していない様子のすみれ。さすがのすみれでもこの程度では騙されないようだ。

「いや、で、ですから……そう……!」

 玲於奈は、救いを見つけたような顔をして京姫に近づいていく。

「えっ、え、え……。や、いや……」

 グワシ。

 玲於奈は、京姫の服の上からでもわかるはち切れんばかりの左胸を、鷲掴みにすると揉み始める。

「い、や、や、やめて……」

「ほれほれ、これか? 撫で牛様のご利益は」

 ゲスなエロおやじのようなセリフを言いながら揉みしだく。

 京姫は、為されるがまま身を悶えている。

「な、なにしてんの!?」

 すみれは驚いたような、少し羨ましそうな顔をして尋ねる。

「何って撫で牛様のご利益にあずってるのよ」

「……ご利益?」

「見てよ。このデカさ! 牛もビックリでしょ」

 すみれは改めてじっくりと京姫の胸を眺める。

「た、確かに」

「きっと撫で牛のご利益よ!」

「そうなの!?」

「……ち、違います」

「けど、毎日撫で牛撫でてるんでしょ?」

「そ、それは、そうですけど」

「やっぱり! すみれちゃん! 撫で牛を撫でたら胸が大きくなるわよ!」

「!!」

 玲於奈とすみれは競うように撫で牛の乳の辺りを撫で回す。

 玲於奈の強制わいせつから解放された京姫は、胸をなでおろすと同時に一言、二人には聴こえない声でつぶやいた。

「胸が小さいのは御牛様でも治せないと思うんだけど……」

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