第十七条「この神社は」

 僕は、京姫の母親がやってくるのを待っていた。京姫は、もうすぐ来ると言っていたが、なかなかやって来ない。

 和室というものに慣れていないせいか、正座をしたり、足を伸ばしてみたり、たたんでみたりと落ち着かない。最終的には、一番安定するという理由であぐらに落ちつく。

 窓の外には、鬱蒼とした木々が茂っており、神社の境内とは逆方向のようだ。

 こちらも公園の敷地内のようだが、先ほど歩いてきた道とは違い整備されておらず、木々の葉が隙間なく生えており、その隙間を通り抜ける陽の光も少なく薄暗い。薄暗いとは言っても不気味さはこれっぽっちも感じられず、むしろどこか懐かしいようにさえ感じられる。これが和室というものなのか、と考えているとふすまがゆっくりと開く。

「遅れて申し訳ありません」

 そう言って現れた女性は、白衣に袴を履いている。比較的見慣れた巫女と似て入るが、袴は赤くない。巫女ほどではないが、これはこれでなかなか魅力的だ。

「わざわざ遠くまで御足労ごそくろう頂きありがとうございます」

「あ、いえ、こちらこそどうも」

 正座し、両手を揃えて畳につき頭を下げるというあまりにも丁寧な態度にこちらが申し訳なくなって畳に手をついて挨拶を返す。

 このような堅い挨拶は初めてで、いつ頭を上げていいのかが分からないため、相手のほうを上目使いでチラチラと確認しながらタイミングを図る。相手が動き出したのを見てこちらも顔を上げるとそこには、京姫が十歳ほど年をとった様な顔をした女性がいた。

 間違いなく京姫の母親である。

 母親がやってくるという事前の情報がなければ姉妹と間違えてしまいそうなほど若く見え、とても子どもを産んだようには見えない。

 京姫の母親は京姫同様に柔らかな表情をしているが、顔を上げた瞬間にその整えられた眉が一瞬ピクッと持ち上がったのを見逃さなかった。

 もう慣れたことだが、若すぎる僕を見て本当に弁護士かどうかを疑っているのだろう。

「申し遅れました。初めまして、私、弁護士の三ヶ月と申します。この度はよろしくお願いいたします」

 名刺を渡しながら挨拶をする。

「京姫の言っていた弁護士の先生。これは、ご丁寧にありがとうございます。私、京姫の母の千姫ちひろと申します。この度は、娘が色々とご迷惑をお掛けしまして……」

 心を読まれたとばかりにハッとした表情を見せ、慌てて名刺を受け取る。

「迷惑だなんて、とんでもないです。困っている方がいれば問題を解決できるように努力するのが弁護士の仕事ですから」

 仕事がなくて暇だったなどとは口が裂けても言えない。

「失礼ですが、今回の依頼料はおいくらほどでしょうか?」

「今回の事件――事件といえるのかはまだ分かりませんが、今回については無報酬で結構です。『無料で』というのが京姫さんとの約束ですので。ただ実費――具体的には裁判所に払う手数料とかですね――については負担していただくことになりますが、今日は、まだ話し合いだけですので費用は一切発生しません。今後、今回の件について依頼して頂けることになりましても、費用が発生する際には、事前にお知らせしますのでご安心下さい」

「無料でお引き受けくださるのですか? ありがとうございます。うちの神社は、お恥ずかしい話ですが、かなり財政的に厳しいもので、弁護士の先生を雇う余裕などないので助かります」

 神社も弁護士同様に景気が悪いのだろうか。

 都内とはいえ公園の中しかも林を挟んだ人目につかない場所にあるのだから仕方がないのかも知れない。

「本間という人物が来る前に状況を一応整理しておきたいのですが、よろしいですか?」

「はい」

「まず、本間という人物についてなのですが、昨日調べたところ、彼は、名刺にあった通り、前参議院議員でして前回の選挙で落選しており、現在は浪人中とのことでした。しかし、出馬したのは東京ではなく埼玉の選挙区でこの神社の地区とは全くの無関係のようです」

「はぁ……」

「ただ気になったのは、彼は新民党の議員なのですが、選挙前にライバルである改革党議員のスキャンダルを暴いたことで人気を獲得して当選を果たしたようなので、今回の件も二匹目のドジョウを狙ってのものかもしれません」

「はぁ……」

「つまり人気取りのためのパフォーマンスである可能性は否定できません。何か、心当たりなどはありませんか?」

「はぁ……。申し訳ないのですが、何の心当たりもないのです。昨日の電話の後、入院している父にも電話で聞いてみたのですが、本間とかいう人物に心当たりはなく、トラブルについても思い当たるフシはないとのことでした」

「そうですか、わかりました」

 その後、神社の歴史や最近の状況、過去および現在のトラブルについて聞いてみたが昨日電話を通して聞いた以上の話は得られなかった。

 これ以上、話を聞いても情報は得られそうにないので牛守神社の年表に目を通す。この年表は、牛守神社が参拝客向けに出しているパンフレットに載っているものらしく、参考になるかもしれないと千姫が持ってきてくれたものだ。

 年表によると牛守神社の創建は貞観二年、西暦でいうと八六〇年にあたる。そして明治三年、西暦一八七〇年頃に当時の牛守神社の宮司が神道布教のために神職養成機関を作ろうという潮流の中で神学院本院の建設用地として提供し、現在の場所に移転したようだ。

 次のページには、赤い涎掛よだれかけを掛けた牛の写真が載っており、『で牛』と書かれている。以前この神社に来た時に像を見たことがあり、確か悪いところを撫でると良くなるとか、そんな効能がうたわれていたはず。詳細について読んでいると、外が急に騒がしくなる。次第に廊下を走る足音が大きくなったと思うとふすまが急に開く。

「クリス! 来たよ! 撫で牛、じゃなくてえっと……あいつらが、本間達が来た」

 すみれが勢いよくふすまを開け飛び込んでくる。

 一瞬の静寂せいじゃくの後、慌てて外へと飛び出す。

 外に出ると、京姫が一人の男に声をかけられていた。京姫は男と顔を合わさないように俯いていたが、何か男が問いかけると頷いてこちらを振り返った。

 振り返った顔には、昨日うちを訪れた時と同じように涙が浮かんでいた。京姫は、僕らの存在に気づくと走りだし、僕に飛びついてきた。

 デジャヴ。

 勢い良く飛びつかれて昨日と同じ様にお尻から後ろへと倒れこむ。

 京姫は、声を上げて泣いており、しばらくどうにもならなそうだ。

 すみれの差し出した手に掴まり起き上がるとすみれに、京姫を自分の部屋に連れていくように指示をする。

 すみれは、その場に流れる異様な雰囲気を感じたのか、いつもの様に反抗することもなく大人しく指示に従って、京姫を慰めながら部屋へと連れて行く。

 すみれが京姫を連れて行ってからしばらくするとふすまが勢い良く開く。

「いやぁ、出迎えご苦労さん。昨日いてくれたならわざわざ今日また出向かなくても済んだのだけどね」

 恰幅の良い白髪頭の男は、偉そうに部屋へと上がり込んでくる。

「ところで宮司さんはどこだい。宮司さんと話をしたいんだが」

 男は偉そうに部屋を見回すと先ほどまでクリスが座っていた場所に勝手に座り込んだ。

 テレビが見たことある顔、間違いなく本間だ。

「申し訳ございません。宮司は、ただいま入院中でして、私が宮司の代行を努めさせていただいております。」

 本間の失礼な態度にも関わらず、千姫は丁寧な対応をみせる。

「ほう。女がねえ。巫女さんかと思ったよ」

 元政治家とは思えない発言をする本間。国会で同じような発言をすればすぐさまマスコミの総スカンを食らうだろう。

 人は見た目で判断してはいけないというが、この男は例外だ。こんなのが政治家になれるんだから世の中間違っている。

「ほら、大人の話し合いだ。子どもはどっか行ってな」

 僕の存在に気がついた本間は、僕に向かってしっしと手を払い部屋から追い出そうとする。

 案の定、僕を京姫の同級生か何かと思っているに違いない。

 本間の鼻をへし折ってやろうとすると、本間の背後にいた男の一人が本間に耳打ちする。

「先生……例の弁……」

 ところどころだが、辛うじて聞き取れた言葉から推測するに背後の男は僕が弁護士であることを知っているらしい。

「何? こんなのが弁護士だって?」

 あからさまに人を馬鹿にして笑いながら本間が大げさに驚いてみせる。

 何か言い返してやりたいが、グッと堪えると名刺を差し出す。

「初めまして。弁護士の三ヶ月と申します。今回、同席させていただくこととなりますのでよろしくお願いします」

 本間は、名刺に一瞥をくれたが、フンッと鼻を鳴らし受け取ろうともしない。代わりに背後の男性の一人が名刺を受け取ると再度本間に耳打ちする。

「分かってるよ。チッ。弁護士なんてくだらねぇもん雇いやがって、どうせ無駄なのによ」

 和室の真ん中にあるテーブル。本間は上座側の真ん中にデンと座り、他の男たちは本間から一歩下がって正座をしている。僕と千姫は、ちょうど本間の対面に座っている。

「さて、本日はどのようなご用件でしょうか?」

 不穏な空気を打ち破るように僕が切り出す。

「あぁ、それね」

 僕はゴクリとつばを飲み込む。何なのか、早く知りたいような、知ってしまうと後悔するような、相反する思いが僕の頭を駆け巡る。

 そんな思いを気にかけるはずもく、本間は嬉しそうに切り出す。

「この神社はね――」

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