第十八条「正義の悪役」

「この神社は、都の土地を不法に占拠しているので早急に立ち退いて欲しいのだよ」

 本間は嬉しそうに切り出す。

「……はい? いったい――」

 本間は右手を上げると頭の後ろへと手を伸ばす。すると背後に正座していた男の一人がアタッシュケースから数枚の紙を取り出して本間が伸ばした手に乗せる。

 本間はその紙を威嚇でもするかのように僕らの目の前の机へとバンっと叩きつける。

「ほら、よく見たまえ。権利者は東京都となっているだろう」

 そういうと『登記事項証明書』と書かれた書類を指差す。

 登記事項証明書とは、登記簿謄本とも呼ばれ、簡単に言えば、それを見るとその土地の権利者、つまりは所有者が誰かが分かるというものである。

 そこの権利者の欄には確かに東京都と書かれている。

「次にこれを見たまえ」

 そういうと地図を取り出す。

 一般的なものよりも詳細な地図で、ご丁寧にも登記事項証明書の住所に当たる部分に色が塗られている。

「この色の塗られた部分、つまりこの神社がある土地は都の所有地だ。それにも関わらず、この神社が不法に占拠している。本来ならば、今まで不法に占拠していた分の地代も要求したいところだが、すぐに立ち退くというのであれば、それに免じて請求しないよう私が取り計らってあげよう」

 千姫さんの顔がどんどんと青ざめていくのが分かる。千姫さんは、横で顔を伏せ気味にしながら肩を小刻みに震わせている。

「すいません。少々よろしいですか?」

「どうぞ」

 本間はニヤリと笑みを浮かべる。僕は千姫さんを部屋の外へと連れ出す。

「これは、思ったよりも困ったことになりましたね」

「ど、ど、ど、どうすれば……」

「このことについてご存知では――ないですね」

 千姫さんの顔を見れば一目瞭然だった。その端正な顔からは生気が失われ、恐怖に歪み、見るに堪えないものと成り果てていた。

「ど、ど、ど、どうすれば……」

 壊れたラヂオのように同じ事を繰り返す。

「主張しうることはいくつかありますが……とりあえず事実関係の確認が先です。一旦、彼らにはお引取り願いましょう。その上で今後の対策を練ることが一番だと思われます」

「わ、わ、わ、わかり……ました……」

 部屋に戻ると出された茶菓子を食べながら本間がニヤニヤとしていた。

「おまたせしました」

「したら、立ち退く決心はついたか? 奥さん」

「とりあえずですね。こちら側で確認してみないと何とも言えませんので、本日のところはお引取り願いませんでしょうか?」

「それは、無理な相談だな」

「無理? どの辺が無理なのでしょうか?」

「今まで散々、人の土地をタダで使っておいて、待ってくれってそんな甘い話と違うのだよ」

「しかし、こちらとしても事実確認をした上でないと動きようがないですので――」

「これが偽物だとでもいうのか!」

 本間は、バンっとテーブルを叩くと立ち上がる。

「いいのか? お前ら、この神社が建ってから今までの分の地代を請求してやるぞ。莫大な額の賠償をさせてやるぞ。それでもいいのか?」

 軽く脅せば二つ返事で立ち退くと思っていたのだろうか。本間は自分の思い通りに進まないためか、かなり苛立った様子を見せる。行動は粗雑になり、かなり威嚇的な行動が増えてきた。

「落ち着いて下さい。あなたは何か勘違いをしていませんか?」

「ワシが何を勘違いしてると言うんだ! この泥棒めが!」

「あなたが問題にされている土地ですが、あなたの所有されている土地ではありませんよね? あなたには、損害賠償だ何だと言う法的な権利は一切ありません」

「ワシの土地ではないが、都の財産ということはワシら住民にも損害があるということじゃないか? え? どうなんだ!」

「確かに、損害はあるかもしれません。が、それはその様な状態を放置してきた都に責任があるわけであって、あなた方が都に言うことはできても、我々に直接言うことはできません。法的にも、あなたが都を訴えることは自由ですが、この神社を訴えることはできません」

「ぅぐ、しかし――」

 言葉に詰まる本間。

 声がでかく、顔もでかい、もとい厳ついため迫力はあるが、中身はそれほどないと見える。声が大きいのは面倒だが、自分の想像外の対応は得意ではないと見える。

 それよりも気になるのは、後ろにいる二人の男である。

 最初は、ただの秘書かとも思ったが、落選中の、しかも一期しか議員をやっていない人物に二人も秘書がついているなどありえるのだろうか。

 一体彼らが何者なのかは不明だが、本間が不利になっても顔色一つ変えないのは不気味だ。

 そして何よりも僕を不安にさせるのが、時々行う耳打ちだ。彼らが本間に耳打ちするたびに本間が息を吹き返す。せっかく倒した敵をその場でベホマされ続けているような気分だ。

「それに、あなたの威迫的な態度は交渉の域を逸脱し、脅迫、強要の域に達しています。これ以上居座るようでしたら、不退去罪に――」

 ほら。また始めた。背後の男がかなり長い耳打ちをはじめる。

「――該当するものとして警察に通報させて頂きますが」

 最初は苦虫を噛み潰したような表情だったのが、次第に口元に笑みを浮かべはじめる。

「フフフ。ハハハ。見た目はガキのくせになかなかやるじゃないか。青くても弁護士は弁護士か。今日のところは帰ってやろう。しかし、立ち退かない気ならば覚悟しとけよ。絶対に追い出してやるからな!」

 本間はそう捨て台詞を残して去っていく。

 きっと本人は正義の味方を気取っているつもりだろうが、完全に悪役のセリフである。

 現役政治家でもない本間が正当な手続きを踏まずにができるとは思えないので全く恐れるに足らないが、その後ろに付いている男たちは不気味だ。話し合い中、常に無表情・無感情で何を考えているか全く分からない。それに彼らが耳打ちをした直後に本間が態度を翻していたことからも、彼らが本間に対して少なからず影響力があるのは間違いない。

 本間はともかく、彼らが何か別の方法を考えてくるとも限らないため、警戒しなければならない。

 僕と千姫さんが、本間たちはこちらを振り返ることもなく帰っていった。

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