第十九条「ホンマでっか」
「どう……だった?」
本間達が帰ったのを確認し、安心しきっていたところに背後から声を掛けられビクッとして振り返る。すると二階へと続く階段と天井の隙間からすみれが顔を出してこちらを伺っている。
「何だ。すみれか」
「何だとは何よ。心配してあげてるのに。で、どうなの?」
「ごめん、ごめん。うーん。なんとも言えないところだね。ただ、最悪の事態を想定して対策を立てておかなければいけないのは間違いないね」
「なに? あのオッサンの言いがかりじゃなかったの? あんた昨日『う~ん。これは次回の選挙に当選するための話題作りかもしれないなぁ』とかパソコンで調べながら言ってたじゃない」
「そ、そんな言い方はしてないだろ。話題作りだとしてもこの書類は本物だろうから、このまま放置しておけるような状況ではないのは確かだよ」
「そ、そんなに悪い状況なのでしょうか?」
千姫さんが心配そうな顔をして尋ねる。
「少なくとも楽観できる状態ではないということは断言できます。今後の対策について話し合いたいのですが、ここでするのもあれですので、先ほどの部屋に戻りませんか?」
「あー! 私も参加する!」
すみれが待ってましたとばかりに階段を駆け下りてくる。
「お前は、関係ないから引っ込んでろ。これは遊びじゃないんだぞ」
すみれは、それを聞いて頬を膨らませる。
「お知り合いの方なのでしょ? 京姫の世話もしてくださったのですし、私一人だと話が難しくて不安なので良かったらご一緒して下さると助かりますわ」
「本当ですか? やったー。この秘書すみれが同席しますのでご安心を! 京姫ちゃんも呼んでくるねー」
そういうと階段を再び駆け上り、二階でバタバタとしている。
先ほどの和室の部屋に戻るとテーブルの上に残された書類をまとめる。
千姫さんは、本間たちの使っていた湯のみや茶菓子のカスゴミを片付ける。
しばらくするとすみれに手を引かれて京姫が入ってくる。
「京姫ちゃん、もう大丈夫? 嫌だったら参加しなくてもいいんだよ」
「だ、だ、大丈夫です」
「ねぇねぇ。玲於奈見なかった? どこにもいないんだけど……」
「玲於奈? 今日は玲於奈来てなかったろ」
「おっかしいなぁ」
先ほどまで本間が座っていた位置には僕が座り、その横にはすみれが座る。僕の対面には、戻ってきた千姫さんが、そしてその横には京姫が座った。部屋に全員が揃うと今後の対策会議を始める。
「では、みんな揃ったことだし、簡単にこの牛守神社が置かれている現状についてまとめてみます」
「それよりさ、あのデブ何しに来たの?」
「デブって……本間元議員のことか?」
「白髪デブ」
「…………」
人の外見で侮蔑的なアダ名をつけるのは好ましくないが、今回ばかりはあまり積極的にすみれの言動を注意したくはない。本間元議員の態度は許しがたい。
「誰でもいいんだけどさ、何しに来たの?」
すみれや京姫に話していいものかどうか少し考える。
「…………立ち退けって」
「誰が?」
「牛守神社だ」
「何で!?」
「だからそれを今から整理するんだよ」
「ホンマでっか!?」
「は?」
「……わ、分かった。本間だけに?」
京姫が真面目に答える。
「は、早く始めてよね!」
少しイラッとしたが、弁護士としてこの場にいる以上、そんな態度を微塵も見せず話を元に戻す。
「改めて、簡単にこの牛守神社が置かれている現状についてまとめてみます」
A4サイズの紙に書き出してみる。
一. 牛守神社は、江戸公園の敷地内にある神社。明治三年にここへ移転してくる前は違う場所にあった。
二. 神社の土地は、本間の持ってきた書類によれば都の所有地である可能性が高い。
三. 元議員の主張によれば牛守神社は、この土地を不法に占拠している。
四. 元議員は、遠からず何らかのアクションを起こしてくる可能性が高い。
すみれは予想外にもうんうんと頷いたり、うーんと考えこんだりしている。まさか理解しているのかと思った時、
「さっぱり分からん」
声に出して後ろに仰け反る。
「やっぱりか……」
すみれが理解することなど端から期待していない。
「ねぇ。二番と三番なんだけどさ、どこが違うの?」
「すみれにしては、いい質問するじゃないか」
「にしてはは余計」
プクッと頬を
「ごめん、ごめん。これは結構重要なポイントだから、いい
すみれをなだめる。
「まず、二番の通り神社の建っている土地が都の所有だとする。とすると、神社は他人の土地に建っていることになるよね。そうだとすれば、普通に考えれば他人の土地に建物を建てていいはずはない」
「うんうん。人の物を盗ったら泥棒と一緒じゃん」
すみれがタイミングよく
「たしかに他人の物は勝手に使っちゃいけないよね。でも、他人の物でも使って許される場合があるんだ。すみれもCDとかDVDとかレンタルするだろ? お金を払って物を借りることを法律上は、
「なるほどぉ」
分かったのか分かってないのか分からないが、すみれ的には納得したらしい。
「土地が他人の物=不法
「じゃあ、何で問題なの?」
「そう。そこが問題なんだ。ここでいくつか調べなきゃいけないことが出てくる。まずは、土地が誰のものか。これは、法務局に行けばすぐ分かることなんだけど、本間が出してきた書類はたぶん本物だろうから、都の所有地と考えるべきだと思う。念の為に、今度こちらでも調べてみるけどね。」
「へぇ」
「次が問題なんだけど……、都有地だとした場合に土地の賃貸借契約または
会議が始まって以来無言のままの千姫さんに質問する。
「…………あっ、すいません。契約書ですよね……。ごめんなさい。わからないです。私は、神社の土地はうちの土地だとずっと思っていたので……今日のことは
「せい……へき?」
ゴツン。
真面目な会議の席で場違い極まりない
「お前はもう黙ってろ」
すみれが頭を押さえ、なぜ殴られたのか分からないと言わんばかりの目でこちらを恨めしそうに見てくる。
「ごめんなさい。そんなに怒らないであげてください。私が、難しい言葉何て使うから……」
京姫はというときょとんとしている。
「千姫さんは全然悪くないです。青天の霹靂なんて小学生でも知ってますよ。こいつに
すみれは、かなり不満気な顔でこちらを見ているが、気にしない。
「話を元に戻しますが、ご存知ないということであれば、契約書の類のものは存在しないと考えた方がいいかもしれません。相手は、手数料を払って書類を上げてきている。しかも時間を割いてこちらに二度も出向いて来ています。そのことを
本間はともかくとしても、他の男達には余裕のようなものさえ感じられた。二人には何か隠し玉があると弁護士としての勘が僕にそう囁く。
「は、はい。わかりました。では、今すぐ病院に電話してみます」
そういうと千姫さんは、電話をするため部屋から出ていった。
ツンツン。
隣に座っているすみれが肩を突いてくる。
「何だよ」
すみれは左手で口を押さえ、右手でその左手を指さし、うーうーと言っている。
なるほど。
さっき僕が「黙ってろ」と言ったために声を発していないらしい……ってガキか。
「もう喋っていいよ……」
「ぷはー。苦しかった」
「息をするなとまでは言ってないだろ」
「それよりさ。やばくない? 大丈夫なの? 何とかならないの?」
「今、色々と考えては見てるんだけど……」
「なになに?」
「例えば、もし賃貸借も使用貸借もなくて土地の使用権原がないとすると長期占有による時効取得とか……」
「占有? 時効? 取得? なにそれ」
「あぁ。ごめん難しすぎたか。小学生にも分かるように説明すると、他人の物でも長い間、自分の物として使っていたら、自分の物になりますよっていう制度といったところかな」
「なにその超ウルトラC的な裏技。ずるくない? けど、そんなのあるなら、何の問題もないじゃん」
「確かに、百四十年以上占有しているわけだから十年か二十年っていう期間要件は満たすんだけど……」
「けど?」
「東京都みたいな地方公共団体や国が持っている財産の事を公有財産とか公物って呼ぶんだけど、公物の時効取得については、一般の個人が他人の個人財産を時効取得するのとは違ってその公物の公用廃止があった後、簡単に言うとみんなのために使うことを止めた後でないと時効取得できないっていう判例があるんだ。それで、ここの土地の場合は、公園だから公用廃止があったとは言い難い。ただそれでも、百四十年っていう異例の長さがあることを考えるとどうなるか……」
「なんか難しくてよく分からないけど、裁判官の気分次第ってことね」
「気分次第っていうほど適当ではないけど、裁判をやってみないとわからないってところかな」
「他に手はないの?」
「他に考えられるのは、黙示の使用貸借の成立を主張するとか……かな」
「なにそのベトナム戦争下のジャングルを舞台にアメリカ軍大尉が出てきそうな名前は?」
「お前の例えの方が分からないんだが……。お前でも分かるように説明すると、使用貸借を含む契約というのは『僕と契約しておくれよ』という申し込みに対して『私、契約します』という承諾の意思表示の合致で成立するのが原則なんだ。これをちゃんと言葉に出しているから『明示』とすると、黙示の意思表示というのは、さっきみたいに言葉に出して言わなかったとしても、心の中で『僕と契約しておくれよ』、『私、契約します』みたいなやり取りが成立していると考えられる場合には、明示的にした場合と同じに扱いましょうってことなんだ。それで、この神社の場合は、長期の占有があったのに都からは何も言われていないんだから、都が使うことを許していたとして、つまり『土地使いますね』、『どうぞどうぞ』っていう黙示の使用貸借の成立を主張できるんじゃないか、というわけなんだ」
「使用貸借ってのがあれば今までどおり使っていいってこと? じゃあ、それでいいんじゃないの?」
「たしかに、使用貸借契約の成立が認められれば無償での使用ができるから今まで通り使うことはできるんだけど……これにも一つ問題点があるんだよね。無償で使われること――」
話の途中でふすまが勢い良く開く。千姫さんが冴えない表情で部屋へと戻ってくる。
「いかがでしたか?」
「はい……。父に聞いてみたところ、父は憶えていました」
「そうですか! それは良かった」
「それが……。本間さんの言っていたことは事実みたいなんです……。」
「やはりそうですか。もう少し具体的に聞かせていただけますか?」
「えっと、父もその父、私の祖父で京姫の曽祖父に当たる人物に聞いた話らしいのですが……」
千姫さんは、あくまでも伝聞の話と前置きした上で牛守神社の歴史話を始める。
「ご存知かとは思いますが、この牛守神社は、以前は違う場所にあったのですが、神道教育を行う学校建設のために用地を提供し、この地に移転
千姫さんは、電話をしながら取ったと思われるメモを見ながら説明し終わるとふーっと息を吐く。
「なるほど。そういう背景があったのですか。かなり複雑な事情が介在しているようですね。それで、契約書の有無については何か分かりましたか?」
「いえ……。そのようなものは父も知らないそうです」
「今まで土地の使用料として賃料を支払っていた何ていうことはありませんか?」
「いえ。私は、今日まで神社の土地はうちのものだとばかり思っていましたので……。祖父も今日の事を話したらかなりビックリしていたので、賃料の支払いなんてしていなかったと思います」
「そうですか。となると、やはり時効取得か黙示の使用貸借契約の成立で攻めるしかないですね」
「法律は全然わからないのでお任せします」
「他にも打てる手がないか、考えてみます。いずれにせよ、こちらとしては、相手が動かなければどうしようもないので相手が動くのを待ちましょう」
「わかりました。よろしくお願いします」
「では、これ以上長居してもお邪魔でしょうし、確認することは確認しましたので今日は引き上げることにします。今後も私に依頼していただけるのでしたら、何か相手から書類などが届くなどしましたらご連絡ください。他の弁護士の方に依頼する際もご連絡頂ければ、概要をこちらからその方に引継ぎしますのでお気軽にご連絡くださればと思います」
そのまま立ち上がり、部屋を出ようとふすまに手をかけようとした瞬間、引っ張られるような感じを覚え、振り向いてみると今までずっと空気だっていた京姫が僕のスーツの裾を引っ張っている。
「京姫ちゃん、どうしたの?」
「え、えっと……その……あ、あ、ありがとう助けてくれて」
「どういたしまして。けど、まだ助かったわけじゃなんだよ。むしろ本番はこれからかな」
そういって京姫の頭をポンポンっと軽く叩く。
やっぱり女の子はこうじゃなきゃダメだよな。
大人しくて清楚でちっちゃくて小動物みたいだ。すみれみたいに粗野でガサツで野卑で野蛮で下品で無神経なのは論外だ。全くすみれにも京姫を見習ってほしい。言葉に出してしまえば、即座に撲殺されそうな言葉を心の中で並べ立てていく。
思想信条の自由万歳。
「あらあら、京姫ったら。三ヶ月さん、いや先生、待ってくださいますか」
その様子を見ていた千姫さんが僕を引き止める。
「先生、正式に依頼させていただきたく思います。お引き受けいただけますでしょうか?」
「僕でよろしいんですか?」
「はい。問題ありません。少し若すぎる気もしますが、それだけ優秀ってことでしょう。それに京姫がこれほど気に入っているのだから、母として頼まないわけにはいきませんわ。父は私から説得しますのでご安心ください」
「ほ、本当ですか。ありがとうございます。全力でやらせていただきます」
あまりの嬉しさについ早口になる。
今までいくつかの事件を扱ってきたが、全て国選弁護案件だった。
全く国選とは関係ない事件を依頼されたのは初めてだ。
国選弁護の場合、被告人に弁護士を選ぶ権利はないので僕みたいのがきても拒めない。しかし、今回のように弁護士を選ぶことができる中で敢えて僕を選んでくれた、特に信頼して選んでくれたというのは弁護士
「それで、依頼料なのですが、あまり高額は払えないのですがよろしいでしょうか?」
「いえ、弁護士報酬については以前お話したかと思いますが、無料というのが京姫ちゃんとの約束ですので実費のみの負担で結構です」
「ありがとうございます。京姫も良い人を見つけたわね」
いやぁ、と照れているとお尻に痛みが走る。
慌てて振り返るとものすごい形相の顔が見える。顔は伏せているが、額には青筋を立てている。これはヤバイ。理由は分からないが今までにないくらい激怒している。
「急用ができましたので失礼させて頂きます」
徐々に強くなっていく臀部の痛みに耐えつつ、早急に京姫の家を去る。
自宅へと帰宅する間ずっとすみれは、俯き無言のままだった。無言ではあるが、その全身から発せられているプレッシャーは言葉を発する以上にすごかった。それに耐えかねて何度か理由を聞き出そうとしたり、無意味に謝罪もしたりしてみたが全く効果はなかった。
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