第十四条「日常の中の非日常」

 翌日も繰り返される平凡な日常。

 少し違う点といえば、すみれが少し馴れ馴れしくなった程度だろう。

 馴れ馴れしくなったといっても話しかけてくる頻度が上がったくらいで最後にはすみれが不条理にキレて僕が殴られるだけなのだが。

 それ以外は普通通りの生活だった。

 もちろん退屈な授業も退屈なままだった。そのため、授業中は寝ているか、寝ていなくても机に突っ伏しているか、空を眺めている。

 昼休みも終わり、午後の授業が始まった頃だろうか、突然携帯が振動する。

 ブルルルルルル。

 いつもの癖でマナーモードにしているが、この時ばかりはマナーモードで助かった。

 携帯を教師に見つからないように前の席の人の背中に隠れるように確認する。

 新着メールがある。

「つまらない授業をする教師を訴える法律はありませんか?」

 こんなメールを送ってくるのは一人しかいない。すみれだ。

 僕は静に電話の電源を切ると再び空を見上げた。



 しかし、学校というのは、改めて考えてみると実に無意味な時間である。

 一体、何のために学校に通っているのか。

 勉強するわけでもなければ、友人との会話を楽しむでもない。学校に通う意味をいまだに見出だせないまま、既に高校生としての期間も半分以上経過している。無駄に過ぎていくだけの時間を有効活用する方法も思いつかず、いつもと同じように惰性でゲームセンターに寄って帰る。

「ねぇ、一緒にプリクラ撮ろうよ」

 今日ははいつもとは違い、余計なのも一人くっついてきたが……。

 プリクラの方へと歩いて行くすみれを無視し、一通りクレーンゲームを見て回る。すると奥の台ににゃん仔ぶたの手のひらサイズのストラップ付きぬいぐるみが景品になった台がある。前回来た時に見落としたのか、今日入荷したばかりなのかわからないが、早速、マシーンにお金を投入する。

 山のようにつまれた比較的小さなぬいぐるみ。この手のプライズの取り方は熟知していた。山の後ろの方までアームを移動させると山にアームを突き刺す。

 が、景品にぶつかってしまい上手く刺さらないず、ビクともしない。

 すぐさまもう百円玉を投入するボタンを離すタイミングを変え、アームをもう少し後ろの方まで移動させ突き刺す。しばらくしてアームが持ち上がると山のようにつまれていたぬいぐるみがコロン、コロン、次々と穴に向かって転げ落ちていく。

 技名『ナイアガラ落とし』。

 誰が名付けたのかは知らないが、非常によく考えられた素晴らしい名前だ。技名に偽りなく、まるで滝のように景品が落ちていく。同じものが何個も混ざっていることは、特に気にしない。取ることに意義があるのである。

 さて景品も取れたし帰ろうかと振り向くとそこには見知らぬ小さな女の子の姿があった。その女の子は小さな手をこれまた小さな口元に当て指を舐めるわけでもなく、かと言って口を覆っているわけでもなく、こちらをジーっと見ている。

「ど、どうしたの?」

 怖怖話しかけてみる。

 最近は小さな子に話しかけるだけで警察に通報される世の中らしく、話しかけるのも命がけだ。特に弁護士なんて、弁護士会から除名されてしまえばただの人。弁護士たるもの24時間365日、清廉潔白、品行方正でなければならないのである。だからこそ迷子かもしれない小さな女の子を放っておくわけにもいかない。

「…………」

 勇気を振り絞って話しかけてみたのにも関わらず、その小さな女の子は無言のままだった。

 まあ、小さな子にその勇気を理解しろといっても到底不可能なわけだが。

 無言の女の子の目は瞬きすることなくこちらを向いている。

 ふと思い立ってぬいぐるみを持った手をゆっくりと大きく動かしてみる。すると女の子の目もそれに合わせて移動する。どうやらこの女の子はぬいぐるみを欲しているようだ。

 右手に握られたぬいぐるみを優しく差し出してみる。もちろんダブった、いやトリプった種類のぬいぐるみを。

「これ、欲しいのかい?」

「……」

「欲しいならあげるけど……」

「…………あーがと」

 突然の見知らぬ人物からのプレゼントに戸惑ったのか、数秒の沈黙の後にゆっくりとぬいぐるみを受け取る女の子。手のひらサイズとはいえ、小さな女の子の手には余る大きさのぬいぐるみを持って店の入り口へと駆け出していく。そこにはその子の母親と思しき若い女性が必死の形相で僕が前回来た時にとったぬいぐるみのクレーンゲームをプレイしていた。母親は女の子に引っ張られ、顔を近づけて会話をするとこちらに向き直って会釈してきた。

 良かった。良識的な親で。

 鞄に取ったばかりのぬいぐるみを付けながら歩いているとすみれは僕が店を出たのに気付いたのか走って追いかけてくる。

「ひっどーい。何で勝手に帰っちゃうの? プリクラ撮っていこうよ」

「嫌だ」

「ブー」

 わざとらしく「ブー」と声に出し、頬をふくらませてみせるすみれ。

「ほらこれやるから我慢しろ」

 先ほど取ったぬいぐるみを渡す。

「えー。じゃあ今度ね」

 不満を言いつつもぬいぐるみを受け取る。

 放課後に女の子と一緒にゲームセンターに行き、一緒に家まで帰る。傍目はためには青春を満喫している高校生だろう。しかし、横にいるのがすみれでは、雰囲気ぶち壊しだ。

 すみれとは、小学生の頃から一緒のクラスだった。腐れ縁というやつだ。

 すみれは、クラスでも比較的人気のある方だった。家が近いこともあってよく一緒に帰っていたが、すみれの下駄箱にはよくラブレターが入っているのを目撃した。きっとすみれにラブレターを書いた奴らはすみれの外見に騙されたのだろう。すみれの性格を知っていればラブレターを書くなんて蛮行ばんこうを試みもしなかったはずである。

 すみれはワガママで自分の要求が受け入れられなければすぐに手を挙げる女らしさのかけらもないやつだ。名前は『古井戸すみれ』なんて和風でお淑やかそうな名前なのに実体は真逆だ。

 どうせ一緒に帰るなら清楚でおしとやかでちょこっとおっちょこちょいな可愛らしい感じの女の子の方が断然いいに決まってる。そう、あの時裁判所でぶつかった子や神社で会ったような子がいい。



「あのさー」

「でねー」

「だからね」

 くだらない会話をしているうちに、といってもすみれが一方的に話しかけてきていただけなのだが、僕の家の前まで着く。

 姉はいつも通り遅くまで授業があるらしくまだ帰っていない。財布から鍵を取り出し、玄関の鍵を開けると中へ入る。続いてすみれが当然のごとく入ってくる。

「おい、何でお前が入ってきてんだよ」

「私、秘書だから」

 そういうとすみれは右目にゴミでも入ったかのように目をつむる。

「なにそれ……ウィンクのつもり?」

「どうでもいいから、お茶でも出しなさいよ、先生」

「……それ秘書の仕事だろ」

「それより、お客さん来ないの?」

 リビングにあるソファーに身を投げたすみれが背中で投げた軽い言葉は僕の胸にグサリと突き刺さる。

「そんな簡単に客がきたら弁護士は誰も困んねーよ」

「腕が悪いからじゃないの?」

 失礼なやつだ。

「こないだも無罪判決を勝ち取ったばかりですー!」

「今月はそのの仕事以外に何かしたの?」

「して……、してないです……」

「今月はお客さん何人来たの?」

「…………10人くらい……」

「弁護士が嘘ついていいの?」

「…………0人です」

「先月は?」

「……………………0」

「あれ? もしかして私やっちゃった? テヘペロッ」

「……」

「ごめん、ごめん、本当ごめんなさい。そのうち来るから、仕事来るから――」

 お茶を取りに行ったキッチンでこの世の終わりとばかりにへたり込んでいる僕を見てさすがにまずかったと思ったのかすみれが必死のフォローを入れるが時既に遅し、すみれの声はもう僕には届かない。

 ピンポーン。

 すみれが必死に取り繕おうとしているとタイミングよくチャイムが鳴る。

「誰か来たよ。お客さんじゃない? 依頼者じゃない? 仕事じゃない?」

 すみれは天の助け舟とばかりに必死にお客さんが来たよアピールをしてみせるが無駄だった。

 僕には依頼者が来るなんてことが起こり得ないと分かっていたのだから。

 弁護士登録の際には、この自宅を事務所として登録したが、ここに事務所機能など存在せず、もちろん弁護士事務所の看板も出していない。それどころか、今の時代にホームページすらなく依頼人が依頼しようにもここまでたどり着くことなど不可能なのだ。

 チャイムが鳴っても、問いかけても反応のない僕に見兼ねて玄関へとすみれが走る。

「はーい。今行きます」

 ガチャガチャ。

 鍵を解錠し、ドアを開ける音が聞こえる。

「どちらさ――」

 誰かを出迎えたすみれの声が途切れた。次の瞬間すみれの怒鳴り声が響く。

「あんた何しに来たのよ。何なのよ。ちょっ、待ちなさい」

 ドタドタ、バタバタ。

 急に騒がしくなったかと思うとすみれとは別人の声が聞こえた。

「クリスっち。約束通りまた来たよ、ってあれ? クリスっちどこにいんの?」

 この独特の僕の呼び方は玲於奈だ。

「ん」

 すみれは不快感あふれる表情を浮かべつつもご丁寧にも僕の居場所を指さして玲於奈に教える。

 自ら秘書と言った手前だろうか、昨日玲於奈が依頼者だと言ったことを憶えていたようで最低限の仕事、最低限の中の最低限くらいはするようだ。

 すみれが指さした方向にはキッチンがある。うちのキッチンは、アイランドキッチンとかカウンターキッチンとか呼ばれるタイプで従来の壁に向いたタイプのキッチンではなくリビングを向いた形になっている。何でも父と母は共働きのため、早く帰宅した方が夕飯を作るという約束になっているのだが、父が料理をする時にテレビが見れないのが嫌だという理由でキッチンをリビング方向に向いたこのタイプに決めたそうだ。そのキッチンの影になる部分に丸くなっている僕は丁度リビングからは死角になっていて玲於奈の視界には入らなかったのだ。

「なんだ。そんなところに隠れてたのか。なんか嫌なことでもあった?」

「…………」

「黙ってちゃわからないじゃん」

「…………」

 相変わらず無言の僕を見兼ねてすみれが玲於奈に耳打ちをする。すると玲於奈は、事情を理解したようだ。

「なんだ。仕事がないのか。仕事が欲しいならうちの会社で働けばいいよ。パパが工場のラインの人手が足りなくて困ってるって言ってたからさ」

 男勝りの豪快な笑い声を上げながらジョークか本気か分からない提案をする。

「それ……弁護士の仕事じゃないだろ」

 さすがにこのままずっといじけている訳にもいかないのでツッコミを入れる。

「弁護士の仕事か…………う~ん」

「あるの!?」

 嬉しそうにすみれが問いかける。僕も内心少し期待が膨らむ。

「……ないな」

「ないんかい! じゃあ何であんたは来たのよ。用がないなら帰りなさいよ」

 思いもかけず、すみれがツッコミ役に回る。

 すみれは初めて会った時から玲於奈が気に食わないようで一刻も早く追いだそうとする。

「遊びに来ちゃいけないわけ? せっかく、またらいおんばうむ持ってきてあげたのに」

「えっ!?」

え?

 すみれのことだから、てっきりお菓子なんか要らないわよ、さっさと帰りなさい、くらいのこと言うものだと思っていたが、思わぬ反応を見せた。

「らいおんばうむってあのらいおんばうむ?」

「もちろん! あのライオンマークのらいおんばぅむ♪よ」

 右手に持った箱をズンッと突き出すとCMのキャッチコピーをこれでもかと自慢げに胸を張って繰り返す。

「うそぉ? 本物? うれしー!」

 まるで女の子のように、といっても実際女の子なのだが、バームクーヘンを見てすみれは歓喜している。今まで見たことがないくらい。まるで初めてケーキを見た少女のように目を輝かせている。

「お前バームクーヘン好きだったの?」

「馬鹿! らいおんばうむって店頭で手作りしてて一日数量限定販売だからどこ行っても行列ばっかりで買いたくても買えないって超話題じゃない」

「へぇ、そんなに有名なのか……」

「いいなぁ。いいなぁ。私この前買いに行ってみた時はもう売り切れてたんだよね……。こないだ友達が奇跡的に買えて食べたらめちゃくちゃ美味しかったって言ってたし……」

 すみれは、玲於奈から渡された箱を前後左右上下から眺めている。つまりは、食べさせろ、ということらしい。

「食べる……か?」

「えっ? いいの? 本当に? マジで?」

「今切分けてやるから大人しく座ってろ」

「はーい」

 今でも十分に輝いている目を周りがその輝きで明るく照らされそうなほど目を輝かせている。普段の態度とは打って変わって従順である。喩えるなら、そう、目の前におやつをぶら下げられた犬だ。何かにつけて突っかかってくるすみれを従順にしてしまうほどの魔力をこのお菓子は持っているらしい。

 バームクーヘンを箱から取り出して切る。

 すみれにあれほど言われたら、甘いものにあまり興味のない自分でも食べてみたくなるものだ。今日は三人いるので一応最初から全部一口大に切って盛り付ける。そして冷蔵庫からアイスティーを取り出しグラスに注ぐ。昨日、玲於奈は何も言わずに出した緑茶を全て飲み干したが、さすがにバームクーヘンと緑茶の組み合わせはやっぱりないだろう。

 バームクーヘンとアイスティーをトレーに乗せ、テーブルへと持っていく。

 ピンポーン。

 またチャイムがなる。

「はーい。私出るよ」

「いいよ。すみれはバームクーヘン食べてな」

 立ち上がり玄関へと向かおうとするすみれを制止して自ら玄関へと向かう。

 玄関を開けるとそこには、僕よりも小柄な女の子が立っていた。その女の子は俯いたまま顔を上げもせず、玄関前に立ち尽くしている。気のせいかもしれないが、わずかに肩が震えているようにも見える。

「何かご用でしょうか?」

「…………」

「あのぉ、今、鳴らしましたよね? これ」

「…………」

「あの……大丈夫ですか?」

 無言のまま顔を上げる女の子。目には涙を浮かべている。どこからかここまで走ってきたのか、背中の方まで伸びた髪は乱れ、額には汗が滲んでいる。顔を上げた彼女は何を言うでもなく、突然飛びかかってきた。

バタン。

自分より小柄な子とはいえ、予想だにしない行動に対処できるはずもなく、そのまま押し倒される形になる。倒れこんだときに出た大きな音に気付いたすみれと玲於奈が玄関へと走ってくる。

「どうしたの?」

「どうした?」

 この状況を見られたら、何を言われるか分からない。必死でこの体勢から抜けだそうとするが、思うように動けない。彼女の顔はちょうど僕の胸の辺りにあり、腹部には柔らかい感触がある。これはまずい。

「おっ、こんなとこで……大胆だな」

「なっ、何してんのよ! 馬鹿!」

 僕の心配は現実のものとなり、言葉が耳に届くのとほぼ同時に平手打ちが頬に入る。悪いことに普段平手打ちを食らう時とは体勢が逆のため、指先が顎に掛かり首ごと持っていかれる。

「ひ、ひるかー! 突然おひたほさへたんだひょ」

 平手打ちを食らったせいでうまく喋ることができない。

「何言ってるか分かんない。とりあえず、さっさと離れなさいよ」

 すみれと玲於奈の手を借り、何とか引き剥がしてもらう。

「大丈夫? 君は誰? 何か用かな?」

 痛む頬をさすりながら、尋ねる。

「た、た、た、助けてください!」

 女の子は涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら叫んだ。

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