第十一条「インタビュー」

「主文、被告人は無罪」

 完全勝利だった。人生で初の勝利。しかも有罪率九九パーセントの刑事事件での勝利。涙が零れ落ちそうなのを堪えるのに必死だった。何よりも本当に無罪の人を無罪にできたことが嬉しかった。

 喜びや興奮、安堵と言った感情を無理やり押さえつけながら久慈と一緒に法廷を出る。

 これ以上、裁判所に久慈を留めておく必要もないので外へと向かう。

「これからいくつかの手続がありますが、こちらでできることはやっておきます。ただあなたにも書いていただく書類があると思いますので、落ち着きましたらこちらにご連絡ください」

 そう言って名刺を渡す。

「この度は、本当にありがとうございました。おかげで助かりました。何といえばいいか――」

「いいんですよ。僕は僕の仕事をしただけですから」

 くさいセリフだと言った後で後悔した。

「今度、親と一緒にお礼に行きます。弁護士代も払わなきゃいけないし……」

「弁護のお金は要りませんよ。僕は国選弁護人だから報酬はそっちからもらうし、そのうち請求が来ると思うから来たら指示通り支払っておいてください。まあ、完全な冤罪で無罪になったわけなので、裁判費用は国持ちになると思うから君は心配しなくても大丈夫です」

「そ、そうなんですか!?」

 こんな会話をしていると裁判所入り口、いや出口に着く。

「ありがとうございました。ありがとうございました」

 久慈は、二度謝意を述べると深々と頭を下げた。

 裁判所の前でそんなことをするものだから警備員はもちろん裁判所に来庁した弁護士や検察官、来庁者までがこちらを見る。

 恥ずかしいような、嬉しいようなが織り交ざった感情が全身を駆け巡る。

 周りの人にジロジロと見られながら久慈を見送った後、書類を受け取るために裁判所に戻ろうとすると入り口に立っていた人物に声をかけられる。

 ハッタリだ。

「聞いたぞ。無罪だって? やるじゃん」

「ど、どーも。耳が早いですね」

「そりゃ、俺ら検察にとっては有罪で当然だからな。無罪判決なんか出たら、即座に噂は広まるさ」

「そうなんですか……」

「そうさ。無罪判決出しちまったって落ち込んでたよ。しかも、黒に近いグレーじゃなくて完全な白だからかなり出世に響くだろうな」

「検察も大変なんですね……」

「そうそう。大変なんだよ。でもさ、気になることが一つあるんだよね」

「気になること、ですか?」

「検察の証拠をひっくり返すだけの証拠があったならば裁判中にひっくり返せばいいだけなのに何でお前、無罪の論告求刑をさせたの? 無罪論告は被告人の名誉のためとか言うんだろうけど、何でわざわざ担当検事を検察庁まで行って説得までして無罪論告させたんだ?」

「説得ってほどじゃないですけどね。僕、たまたま検察側の証人に会ってしまったんですけど、その証人が気の弱い子だったので法廷で追及するなんてしたくなかったんですよ。だけど、久慈さんの名誉のためにも無罪判決は得たかったので取り得る手段が無罪論告だった、というそれだけです」

「なるほどね。お前なりに考えたんだな。ところで、お前さ、取材受けないか?」

「――はい?」

「知り合いの記者がさ、お前を取材したいんだって」

「何で僕が……?」

「詳しいことはわかんないけどさ、元々お前って司法試験の最年少合格者じゃん? それに今日の無罪判決ってことになれば、話題性は十分ってやつじゃね? それに取材受けたら宣伝にもなるから客も増えるかもしれないぞ」

 取材のオファーを受けるのはいつぶりだろうか。最年少の司法試験合格者として注目され、テレビや雑誌の取材を何度も受けた。しかしそれは自分の実力ではなく、若さゆえの注目だった。

 弁護士の世界は実力の世界。そんな話を聞いて血気盛んになっていたが、現実は甘くなかった。合格当時中学生の弁護士なんて雇ってくれる事務所もなければ、そんな弁護士を信頼して依頼してくる依頼者もいなかった。仕方なく、国選弁護をコツコツとやってきたが、ようやくそれが報われるのかもしれない。

「わかりました。取材を受けさせて頂きます!」

「そっか、良かった。じゃあ今呼んでくるから待ってろ」

 入り口ホールのイスに腰掛けて待っていると四、五十代の男性がやってくる。口元に蓄えた髭を触りながら、笑顔のつもりなのだろうが、苦笑いにしか見えない引きつった笑顔で話しかけてくる。

「三ヶ月弁護士ですか? 私、合同通信社の甘糟知嗣あまかすともつぐと申します」

 そう言って名刺を差し出してきたので、日本人らしく名刺交換する。

「は、は、はじめまして。べ、弁護士の三ヶ月と申します。この度はよろしくお願いします」

 一体なにを聞かれるのだろうか、と考えると緊張してきた。答弁書であれば、事前に何度も想定を重ねる事ができるが、こういう取材となるとその場で受け答えをしなければならない。

「しゅ、取材ということですが、どういった……」

「そんなに緊張しなくていいですよ。少しお話をお伺いするぐらいですから」

「そうですね――すぐそこのファミレスでほんの三十分、いや十五分で結構です」

「わかりました……と言いたいところなのですが書類を取りに行かなければならないので……」

「大丈夫です。じゃあ、そこのファミレスにいますので終わったら来てください」

 記者はせっかちな性格なのか、こちらの返答も待たずに歩き去る。

 待たせるわけにもいかないので急いで書類を刑事部まで取りに行く。裁判所内を早歩きする。そういえば、この裁判前も急いでいたなとそんなことを考えながら。

 あの時は、裁判に遅れないようにするだけで精一杯で、正確には既に遅れていたが、この後どうなるか何て考えていなかった。一体この先にはどんな事件が待ち受けているのだろうか、それを考えるだけでワクワクする。

書類を受け取って裁判所を出ると待ち合わせのファミレスへ直行する。ファミレスは裁判所から目と鼻の先にある。レンガ造りの高級感のある店でファミレスでありながら官庁街にあってもしっくりとくる建物だ。見た目の高級感通り、メニューも他のファミレスと比べると割高である。それでも、場所がいいためか昼時はいつも役人たちでいっぱいだ。

 自動ドアを抜け店内を見回すとすぐに見つかった。昼前で客がまばらな店内の奥隅に一人ぽつんと髭面の男が座っている。あちらもこちらに気付いたのか立ち上がり手を振る。

「お待たせしてすいません」

 念のため形だけでもお詫びを述べる。

「そんな待っていませんよ。それより何か食べますか?」

 はいっ、と答えたいところだが、一応遠慮をするのが礼儀だろう。

「いえ、大丈夫です」

「せっかくファミレス入って飲み物だけっていうのも店に悪いじゃないですか。代金は経費で落としますから何でも好きなものを食べてください」

「そうですか? では、お言葉に甘えさせて頂きます」

「お好きなものをどうぞ」

 弁護士とはいえ、高校生なのでこんな高級ファミレスで食事をする機会などそうそうない。せっかくなので遠慮することなく一番高いステーキセットを頼む。

 注文が終わるといつの間にか記者の手にはメモとペン、テーブルの上にはICレコーダーが置かれていた。

「では、早速ですが、質問よろしいですか?」

「は、はい」

「じゃあ、まずあなたに関する質問から行きましょうか」

「ぼ、わ、私ですか?」

 『僕』というと馬鹿にされそうなので『私』と言い直す。

「三ヶ月さんは、確か一五歳の時に司法試験に合格されたと記憶していますが、今は十六歳ですか?」

「そうですね。今は一六歳です」

「お若いですね。中学校後は弁護士一本ですか?」

「いえ、高校に通いながら弁護士をやってます」

「弁護士で高校生ですか!? それは面白い!」

「いや、高校生で弁護士ですね。あくまで本業は高校生なので、弁護士は副業っていう感じですね」

 決して負け惜しみではない。弁護士として成功するために、まず人間として成長することを目標として高校に通っているのだ。だから高校生がメインで法律を忘れないように弁護士は、サブだ。間違っても、仕事が無いから仕方なく高校に通っているわけではない。

「高校生弁護士! ますます面白いですね。さすが、優秀な方は違いますね」

「大した事はないですよ。本当に優秀なら即独そくどくなんてしてないですよ」

 否定しつつも、思わず口元が緩む。褒められると喜びを隠せないタイプなのだ。

 『即独』というのは、司法試験合格後、司法修習を終えて弁護士となる資格を得たのに、どこの法律事務所にも入所せず、すぐ独立して自分の法律事務所を開設し、弁護士業を開始することをいう。一般的には、司法修習を終え、弁護士になる者はどこかの法律事務所に入所して経験を積んでいくのだが、昨今の不況の影響と弁護士人口急増の影響で弁護士になったとしても就職先がなく、経験を積むことなくすぐに独立することを強いられる人が多くなっている。

 他にも、弁護士事務所の一部スペースを借りて開業するのがノキ弁、自宅で開業するのが宅弁などとも言う。

「その若さで即独されたのですか。即独といえば、ノキ弁や宅弁と呼ばれる弁護士もいますが、三ヶ月先生の場合は高校生弁護士でこうべんってとこですね。百戦錬磨の検察官に高校生弁護士が無罪の抗弁って感じですか?」

「抗弁は民訴みんそですね」

「そうでしたか、これは失敬しっけい

 抗弁は民事訴訟における防御方法。すなわち相手の主張を否認したり排除したりするのに行うものだ。だが、という響きは悪く無い。もし使う機会があれば使わせてもらおう。

「ところで即独は何かと困難が多いと聞きますが、三ヶ月弁護士の場合は、いかがでしょう?」

「ぼ、私の場合は、高校生がメインですからね。弁護士で生計を立てなければいけないわけではないですからね。今のところ国選弁護ばかりやっています」

 『今のところ国選弁護ばかりやっています』などと言ったが、『即独で仕事がないので仕方なく国選ばかりやっています』と言った方が正しい。

 しかし、決して好きで国選ばかりやっているわけではない。たまに年寄り弁護士は顧問先をいくつか見つければ顧問料だけで生活していけるなどと言う。でも、こんな経験のない若造を顧問にしてくれる企業なんて一体どこにあるというのだろうか。あるのならば教えて欲しい。

 司法試験に合格した当初は、『快挙だ』とか『天才だ』などと持てはやされた。そして、自信満々で入った法曹の世界だったが、現実は甘くなかった。僕よりも優秀な人は腐るほどいた。二回試験も無事合格したが、就職先などなかった。成績も悪くなかったのだが、一五歳という年齢から『社会経験がない』だとか『若すぎる』、『クライアントに不安を与えかねない』などと言われ、僕を雇ってくれる事務所はただの一つとしてなかった。弁護士なんて経験があってこその職業だ。『若すぎる』というのはデメリットでしかない。

 仕事につなげるために市民無料法律相談会などにも積極的に顔を出したりしたが、結局仕事に繋がることはなかった。

 そのため、弁護士をやりつつ、少しでも人生経験を積むために高校に進学したわけだが、状況に改善の兆しは見えない。

 国選弁護を引き受けると少ないがほぼ一定の額が貰える。しかし、年間で受任できる件数が制限されており、それ以上は受任できない。すなわち、それ以上稼ぐためには、国選以外の仕事を見つけるしかない。もっとも、受任できる件数が制限されているといっても、国選も競争率が高く、限度いっぱいまで受任できることはほぼ無いのだが……。

 国選を何件か引き受けることで弁護士として活動するのに必要な日本弁護士連合会と弁護士会への登録費分くらいはまかなえるだろうが、到底このまま弁護士として生活してくことはできない。

「国選弁護メインでやっておられるということは、今回の事件も国選ですか?」

「そうですね。たまたま国選の案件を引き受けたら、この事件だったっていうだけです」

「ほお、国選弁護士が事件をひっくり返した、と。無罪というだけでも凄いのに国選弁護士がひっくり返したとなるとはますます凄いですね。」

「いえいえ、たまたまですよ。今回は完全な冤罪事件ですからね。なるべくして無罪になっただけですよ」

「一般的に『国選』というと弁護士は手を抜くというイメージがあると思うのですが、実際のところどうでしょう?」

「まぁ、手を抜くということはないでしょうね。国選とはいっても受任すれば善管注意義務がありますから、手なんて抜けば懲戒ちょうかいものですよ。弁護士が一番怖いのは資格剥奪ですからね。私選と比べて力を入れない、もとい入れられないことはあっても手を抜くことは無いんじゃないですか? ぼ、私はいつも全力ですけどね」

 前半部分は事実だろうが、後半は心にもない事を言った。国選に全力なんて出せば、見返りが合わないし、自分自身で独自に調査なんてしようものなら赤字である。

「ところで『私選』というのは被告が個別に依頼した弁護士という事でいいですか」

 見事なスルー。『いつも全力』何て言った自分が恥ずかしくなる。裁判であれば当該部分の削除を申し立てたい。

「そういうことです。私選の場合は、国選よりも高い弁護士費用を払ってもらうことになりますからね。それと同じレベルを国選に要求されてもこくですし、何しろ高い費用を払う依頼者に悪いですよ」

「なるほど。では、次の質問ですが、被告は、第一回公判で記憶喪失だったと主張していますが本当に記憶喪失だったのですか?」

「事実ですよ。こちらも証拠として医師の診断書を提出しています」

「ほう。それは興味深い。あの短い期間で記憶を取り戻したと……。随分と都合が良過ぎはしないですか?」

「疑っておられるのですか?」

「いえいえ。ただ、タイミングが良すぎる気もするかなとも思うのですが……。まあ事実は小説よりも奇なりといいますしね」

 何かを探りに来たのだろうか? 探られても困ることなど無いので全く問題はないのだが……、しかし、探られるというのは気分が悪い。

「では、最後に今回の事件について被告代理人として言いたいことがあったらお聞きしたいのですが」

 先ほどから記者の言葉遣いが気になるが、いちいち訂正しても仕方ないので心の中に留めておく。

国選弁護士ではなく、国選弁護人だ。

被告ではなく、被告人――民事事件が被告で、刑事事件では被告人だ。

 代理人ではなく、弁護人――民事事件では、代理人だが、刑事事件では弁護人だ。

「まぁ法廷でも言った通りなんですけど――久慈さんは、被害者であり加害者ではありません。警察によるお粗末な捜査とそれを漫然まんぜんと見逃した検察の怠慢たいまんによる冤罪であって無罪判決は当然であると考えています――っていう感じでどうでしょう?」

「いいですね。ご協力ありがとうございました。それでは本社に戻らなければならないので、お先に失礼します」

 そう言うと甘糟記者は伝票を持ちファミレスを後にした。

 取材と言われた時にはどうしようかと思ったが、大した事は聞かれなかった。ホッとした反面、何か腑に落ちない感じだった。

 しかし、考えても埒が明かないので今は目の前にある残りのステーキに舌鼓をうつ。

さすがに高いだけあってなかなか良質な肉を使っているようである。外はこんがりと焼けているが、ナイフを差し込むとスッと切れる。溢れる肉汁とやや赤みがかったミディアムレアの焼き具合、正に自分好みである。自分で支払うのであれば絶対に頼まないであろうステーキを十分に堪能するとファミリーレストランを後にする。

 今日は、これ以上事件もないので、と言ってもいつものことであるが、おとなしく帰途につくことにした。

 もしかしたら僕に運が向いてきたのかもしれない。まさかの無罪判決に新聞記者、あとそれにステーキ。明日の朝刊には今日の事件が一面にデカデカと載ってそれを見て僕のところに依頼の電話が殺到――。

 そんな妄想をしつつ帰りの電車に乗り込んだ。

 顔のほころびが止まらない。

 傍から見ればニヤニヤした変人に見えたかもしれないが、そんなのはどうでも良かった。

 それくらい気分が良かった。

 我が家に着くと両親は出張、姉は大学で家にはいないため自分で鍵を開けて中へと入る。

 こんな気分のいい日は、シャンパンでも飲みたい気分だ。玄関から冷蔵庫へと直行する。冷蔵庫を開けるが、シャンパンなど入っていなかった。仮にシャンパンが入っていても未成年なので飲めないのだが――。

 シャンパンがわりにジンジャーエールを手に取ると先ほど取材前にもらってきた書類を書き上げてしまう。

 刑事補償と無罪費用補償請求の書類だ。

 刑事補償請求は、無罪で勾留された分の補償を請求し、無罪費用補償請求は、弁護士費用の請求等をするものだ。

 刑事補償は、一日当たり千円以上、一万二千五百円以下の額を裁判所が決めるのだが、一応請求には満額を請求しておく。請求するだけなら満額請求しなければ損だ。

 問題は無罪費用補償の方だ。果たしてどこまで認められるだろうか。無罪判決を勝ち取ったので弁護士報酬は有罪時の最大で二倍貰えるらしいが、今まで無罪を勝ち取ったことはないのでよく分からない。まあ、そもそも二倍と言っても企業法務をやっているような連中が受け取る報酬からすれば微々たるものだが……。

それとは別に今回特別な出費として記憶喪失していた時に別途依頼した鑑定費用を出している。これが認められないと赤字だ。完全な冤罪だったから認めてくれるような気もするが、結論が出るまでは分からない。

 書類を書き終えると机の上でウトウトしてしまい、そのまま夢の中へと落ちていった。

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