第六条「打ち合わせ」

 次の日、クリスは急遽きゅうきょ学校を休むことになった。

 朝起きてすぐにこんなやりとりがあったのだ。

「あ、クリス、おはよう」

「おはよぉ……」

 僕は目を擦りながら答える。

「パンでいいよね?」

「うん……」

 僕は

「そういえば、昨日裁判所から電話あったよ」

「なんだって?」

「確かね……ショ・キカンっていう人だったかな?」

「書記官のこと?」

 ショ・キカンって何人だよ……。

「その人がね、裁判のことで、何だったか忘れたけど、話があるから来るようにだって」

「どこに? いつ?」

「さぁ、わかんない」

 適当かつ時機に遅れた伝言に一瞬イラっとしたが、溢れるような笑顔にそれはすぐに融解した。姉の言動に苛立ってもしょうがない。家の電話に連絡した書記官が悪い。むしろ事務所の番号として自宅の番号を教えていた僕が悪いのだ。

 それよりも問題は、の内容だ。僕としては、本業はあくまでも高校生のつもりなので高校生活に影響あるようなことは避けたい。できれば日時を変更してもらいたいが、問い合わせようにもお役所らしく九時からしか電話を受け付けていないし、裁判官や書記官の個人的な電話番号なんて知るよしもない。

 どうしようかとしばし考えた後、仕方なく学校をサボることを決断する。

 何事も決断力は重要だが、弁護士にとっては特に重要な素質だ。常に依頼人の要望に100%応えられるわけではない。単に依頼人の希望を伝えるだけであれば、それは代理人・弁護人ではなく使者でしかない。要望を尊重しつつ、時には痛みも受容することで利益を最大化する。その線引をどこにするか、そこの見極める力にこそ弁護士の本当の能力が現れてくる。

 学校は、僕がサボったところで何も言わないだろう。僕が弁護士だということを尊重してか、若しくは恐れてなのかは知らないが、早退しようが、欠席しようが、遅刻しようが、絶対に強く出ることはない。他の生徒であれば喜ぶことなのかもしれないが、普通の高校生でありたい僕にとってはあまり嬉しいことではない。


         §         §        §


 というわけで裁判所にやってきたわけであるが、裁判所の関係者入口には昨日と同じ警備員が立っている。

「おはようございます」

「お、おはようございます」

 きょとんとした顔をする警備員。

 昨日と同じ警備員にわざとらしく挨拶をして堂々と関係者入り口を通る。今日は、スーツを着てきたし、弁護士バッジも忘れずに付けてきた。前日とは違って荷物検査を受けたり金属探知機のゲートを通らずにすんなりと通れた。弁護士バッジの威力を改めて感じた瞬間だった。


 そういえば、七篠はどうなっただろうか。昨日の裁判は七篠が倒れた後、一時的に中断となった。

 その後、裁判長に呼び出されて七篠は念のため病院へ運ばれたことが知らされ、裁判の延期を通知された。その時、七篠のハプニングですっかり忘れていたが、当然に遅刻の件も怒られた。

 今日、呼び出された理由は定かではないが、七篠の裁判に関することは間違いないだろう。

 昨日遅刻したこともあるので八時五五分には到着した。到着した足で刑事部へと向かう。

 刑事部に着くと窓口で今日の要件と時間について尋ねるが、刑事部で分かるわけもなく、担当の書記官に連絡をとってもらった。連絡をとってくれた人の話によれば打ち合わせの時間は午前十時からとのことだった。

 打ち合わせの時間まで後一時間もある。

 果てどうしたものか。

 裁判所の地下には食堂や売店もあるが、お腹は空いていない。

 弁護士控え室もあるが、誰と顔を合わすかわからないのであまり気が向かない。

 結局、誰かに話しかけられる可能性が少ない傍聴をして暇をつぶすことにした。

 傍聴と一言に言っても、七篠が現在かけられているように有罪か無罪か、有罪ならば何年の懲役か、または罰金かなどを決める刑事裁判からお金を返せ、や慰謝料いしゃりょうを払え、と言った民事裁判まで毎日いくつもの裁判が、ここ、東京地方裁判所では行われている。本日行われる裁判のリストは裁判所の入り口に置かれていて、どこの部屋でどんな裁判をやっているかが分かる。ただ、今さら入り口まで戻るのも面倒なので勘を頼りにうろついてみることにした。

 傍聴なんていつ以来だろうか。

 適当な法廷を探し入る。部屋の扉横に貼りだされた紙を見る限り、窃盗事件の刑事裁判のようだったが、傍聴席に人はまばらだった。

 すぐに退出できるよう一番後ろの席に腰掛ける。裁判は、すでに始まっていたようで、法廷の真ん中には被告人と思わしき五十代後半と見られる男性が立っていた。

 男性はうつむき、弁護人と思われる若い、と言っても僕よりは年上だが、男性は渋い表情をしている。

 対する検察官は非常に明るく、途中から見に入った僕にすら裁判の形勢が手に取るように分かった。

「あなたは、はじめからカゴを持たずに店内を歩いていますよね。本当に買い物する気はあったんですか?」

 勢いに乗った検察官が態とらしく一枚の用紙を持ちながら喋る。

「はい……」

「あなたは手提げ袋にタオルを被せて持ち歩いていた、間違いありませんね?」

「はい……」

「それは、なぜですか?」

「その……中の……荷物が落ちないように……」

「手提げ袋の中には何が入っていたんですか?」

「財布です」

「他には?」

「他には……何もないです」

「財布にはいくら入っていましたか?」

「たしか……五百円くらい……」

「本当ですか? こちらの手許てもとにある資料、現行犯逮捕時の被告人の所持品リストですが、五十二円とありますが」

「…………」

「なぜ盗みなんかしたんですか?」

「お金が無くて困って……何も食べてなくて……必要だったので」

「あなたが盗んだ物のリストがあるのですが、読み上げますね。食パン一袋、あんぱん、塩辛、栄養ドリンクにパーカーの計五点で間違いないですか」

「はい……」

「先ほどあなたは必要だったから盗んだという発言をされましたが、塩辛と栄養ドリンク、パーカーは必要なものだったのですか?」

「疲れていたので……。それに服もなかったから……。塩辛は……好きだから」

 検察官の一方的な質問攻めに被告人はしどろもどろになる。

 傍聴席の人々は声を出しこそしないが、みなそれぞれに笑っているようだった。

「以上です」

 質問を終え、検察官は決まったと言わんばかりのドヤ顔で席に座る。あの顔には見覚えがあった。間違えなくハッタリだ。

 次に弁護人が立ち上がる。

「あなたは、お金が無くて困って盗みを行ったということでしたが、あなたの全財産はいくらありますか?」

「財布にあった五百円と銀行に二万円くらい……だけです」

「先ほど、現在は無職だということでしたが、無職になる前は何をされていましたか?」

「スーパーでパートをしていました」

「なぜその仕事を辞めたのですか?」

「その……元々、右手があまり動かないのですが、そのせいで失敗をしてしまって、『もう来なくていい』と店長に言われてクビになりました」

「どのような失敗ですか?」

「レジで商品を落としてしまいました」

「仕事を辞めてからはどのように生活をしていましたか?」

「貯金を切り崩して……、あと姉にお金を借りたりもしました」

「これからはどうしますか?」

「仕事を探します」

「被害者については?」

「謝罪を受け入れてもらえるようになったら再び謝罪したいと思います」

「最後に、今回の事件についてどう思いますか」

「本当に申し訳ありませんでした」

 被告人の男性は傍聴席の方に向き直ると深々と頭を下げた。

 被告人が見に来ているのだろうか。

 見に来ていないとしても、形だけだとしてもあの謝罪は裁判官の心証形成しんしょうけいせいには有効だろう。

 被告人も事実については争っていないようだし、弁護人も、被告人は生活が苦しく、生きていくために止む無く犯罪を犯してしまった、という方向に持って行きくことで執行猶予をつける方針だろう。

 もし犯罪を犯したのが事実であるならば無理して争う必要はない。むしろちゃんと反省している態度をに示して情状酌量の余地を見出してもらうのが鉄則だ。

 だが、傍聴人の側からすると、当事者とは何らの関係もない立場からするとこれ以上詰まらない裁判はない。時間もちょうどよく、これ以上、裁判が面白くなる様子もないし、何よりもハッタリのドヤ顔を見るのが嫌なので法廷を後にする。

 予定のキッカリ五分前に、先ほど待ち合わせ場所と聞いた裁判官室前に到着する。

 ちょうど通りかかった書記官に裁判官室隣の小さな部屋へと招き入れられる。

 しばらくすると、検察官もやってくる。続いて裁判官も入ってきた。

「昨日は、大変でしたね。えっと、今日来てもらったのは裁判の期日についてなのですが……、被告人はどうなりました?」

 裁判官が検察官に問いかける。

「はい。被告人は、あの時、気を失っていましたので念のため救急車で病院に搬送しました。それで、先ほど連絡が有りまして意識は戻ったようですが……」

「記憶が戻ったのならばいいことではないですか」

「それが、記憶は戻ったらしいのですが、かなり錯乱さくらん状態のようでして……」

「裁判の継続は難しいということですか? となると公訴を取り消していただくか、そうでなければ公判は停止ということになりますが……」

「いえ、現在は、鎮静剤ちんせいざいの効果で落ち着いているようです。外傷もないため精神的に安定すればすぐに退院することはできるそうです。そのため、被告人が覚醒かくせいし次第、簡易の精神鑑定を行いたいと思います」

「そうですか。裁判員を待たせることはできないので継続に問題ないのであれば早く再開させましょう。できる限り早く裁判の再開が可能か診断を受けてもらい、可能であれば翌日にでも再開という方向でお願いします」

 五分とかからず、打ち合わせは終わる。

 裁判官と検察官の会話だけで終わった。――果たして僕は必要だったのだろうかという疑問は考えないことにした。

せっかく事件をひっくり返す手がかりを手に入れたのに、公判が停止になるかもしれない。

 しかし、良い情報もあった。七篠の記憶が戻ったのであれば、何か事件についての記憶も取り戻しているかもしれない。今日は学校に行かなくてもいいので時間があるから、面会に行ってみよう、そう考え、席を立った。

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