第五条「姉の手料理」

「ただいま」

 神社での襲撃もあり予定外の時間を食ってしまったが、何とか終電で帰宅することができた。

「おかえりー」

 想定外に返事があった。

 日付はとうに変わっている時間である。

 姉が玄関へと駆けてくる。

「まだ起きてたの?」

「もう、クリスが遅いから誰かに連れ去られたんじゃないかと心配で心配で……」

「いや、仕事してきただけだし、子どもじゃないんだからさ――」

「まだ子どもじゃない。こんな小っちゃいんだから」

 イタズラな笑みを浮かべながら頭に手を置いてくる。

 姉の身長は女性としては大きく、一七〇センチもあり、僕とは頭一つ分くらいの身長差がある。大きさが逆だったら良かったのに……、と一体何度考えたことだろうか。

「身長のことは言うなよ。気にしてんだぞ」

「気にしなくていいじゃない。ちっちゃい方が可愛いわよ」

「男に可愛さなんかいらない」

 姉の言葉を一蹴するとダイニングへと向かう。

 コンビニで買ってきたおにぎりを食べようとコンビニの袋を漁っていると姉がおにぎりの入ったビニール袋を取り上げる。

「何すんだよ」

「まだ夕飯食べてなかったの? こんなのばっかり食べてちゃダメじゃない。お姉ちゃんが今作ってあげるから先に着替えてきちゃいなさい」

 そういうと僕の答えを聞く前に料理をしにキッチンへ消えてゆく。

 お節介な姉だ。しかし、反論をしても無駄なことは経験上分かりきっていたので大人しく従う。昔からそうだが、自分が「姉」であることにこだわりを持っているようで、僕が小学生の頃、ちょっと膝を擦りむいて帰っただけで教室に乗り込んできたり、授業参観日には同じ学校に通っている生徒のくせに僕のクラスに見に来たこともあった。何かにつけて姉面あねづらをしようとするのには困ったものだが、もう慣れた。

 階段を登り、二階にある自分の部屋へと向かう。

 部屋には机とベッドにクローゼット、本棚、テレビがある至って普通の高校生の部屋である。ただ、本棚が法律書で埋め尽くされている点だけが、唯一普通とは違うところだろう。

 部屋に入るなり、とりあえずテレビをつけてから制服を脱ぐ。

「――がありました。周辺では、窃盗未遂事件が数件発生していることから、警察では連続窃盗事件の可能性もあると見て捜査を続けています」

 女性アナウンサーが原稿を読み上げている。

「では、次のニュースです。本日、東京地方裁判所で新電波塔建築計画の認可取り消しを求める裁判の第一審口頭弁論が行われました。裁判所前では、大勢の人が集まり、建設反対の声を上げました」

 画面がアナウンサーから東京地裁前の映像に切り替わる。

 そこには、今朝、僕の行く手を阻んだ人だかりの山が映っていた。その先頭には、弁護士の間では金に汚いと悪名高いが、一般的には“人権派じんけんは”として知られ、よくテレビでも顔を見る有名弁護士の姿があった。

宗像重蔵むなかたじゅうぞう

 日本弁護士連合会人権擁護ようご委員会の委員長も務めた人物で弁護士キャリア四十年以上の大ベテランである。

「――次はスポーツコーナーです」

 ニュースが終わる。

「ごはんできたよ」

 姉が階段下から呼んでいる。

 姉が食事を作った時は、早く行かないと「冷める」だとか「食べたくないの?」だとかうるさいのでテレビを消して急いで下へと降りていく。

 あの守銭奴しゅせんどが関わっているってことは、よっぽど儲かる事件なのか。しかし、自分には全く縁のない話だ。

 そんなことを考えながらリビングに入るとテーブルの上にはオムライスが置かれていた。しかもご丁寧にもケチャップでハートが描かれている。

「な……何これ?」

「何って、オムライスに決まってるじゃない。オムライスよ。見てわからない?」

「いや……そこじゃなくて、ケチャップで何してんの?」

「ハート。お姉ちゃんの気持ちよ」

「…………」

「早く食べて。冷めちゃう前に」

 姉は、僕の背中を押して椅子に座らせると自分は僕の目の前のイスに座り、両肘をテーブルつき、顎を両手に乗せながらこちらをジーっと見ている。

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 しばらく沈黙が続く。

 僕の一挙手一投足に集まる視線に食べにくさを感じながら一口、二口と食べていく。

 うまい。

 ケチャップで表現された愛情という名の調味料は重すぎるが、味は相当のものである。卵は半熟ふわふわで中のライスにもしっかりと味がついている。

「どう?」

「お、おいしい」

「やっぱり? さすが私ね。本当はホワイトソースにしようかとも思ったんだけど時間かかっちゃうからケチャップにしたの。それにケチャップならハートも書けるから」

 ホワイトソース?

 そんなおしゃれな言葉が姉の口から飛び出してくるとは思わなかった。

 一体いつ料理を学んだのだろうか?

 姉が料理を作っているのを今まで見たことがない。それがこんな急に料理を作れるようになるなんてどんなマジックを使ったのだろうか。

「これ姉ちゃんが作ったの?」

「他に誰がいるのよ。ママもパパもアメリカに仕事に行ったじゃない」

 父も母も弁護士をしている。

 僕が弁護士になったのも両親の影響が大きい。

 もともと父と母は別々の法律事務所で働いていたが、結婚してしばらくすると二人とも独立し、一緒に事務所を開いたと聞いている。その二人で始めた事務所も今では、スタッフ弁護士数十人を抱える中堅クラスの事務所となっている。そのため、日本全国はもちろん、海外への出張も多く、今現在もアメリカへ出張中だ。

「それはそうだけどさ、姉ちゃん料理なんか作れたっけ?」

「そ・れ・は・ね、ママたちはアメリカに長期出張でしょ? だ・か・ら、クリスにおいしいものを食べさせるために料理教室通ったの」

 擬音をつけるならば「テヘッ」がぴったりな満面の笑顔だ。

 これ以上何を聞いても無駄だと考え、オムライスを一気にかきこむ。

「ごちそうさま」

 夕飯を作ってくれたお礼をすると食器を食器洗い機に押し込み自分の部屋へと戻る。

「長い一日だった……」

 いつも通り学校に行ってテストを受けて、そのテストのせいもあって裁判に遅刻し、裁判中に被告人が倒れ、犯行現場で殴られ、事件をひっくり返せるかもしれない新たな情報を掴む。

本当に目まぐるしい一日……だっ……た――そこで記憶が途切れた。

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