第二条「事件は法廷で起きる」

「弁護人、冒頭陳述ぼうとうちんじゅつをどうぞ」

 裁判長に促され立ち上がる。

「はい……。弁護側としましては……被告人が現場にいた事については争いませんが、被告人が強盗をしたかどうかについては不明です。また、被告人は、き、記憶しょうしゅちゅ、喪失の状態でありまして、しんしんしょう……心神喪失しんしんそうしつの状態であり責任能力を欠き無罪であります」

 何とか言いきった。若干、噛んだような気がしたが、細かいことは気にしない。

公判前整理手続こうはんまえせいりてつづきが行われ、争点整理を行いましたが、本件の争点は、検察側の主張は、被告人が強盗を行い被害者に傷害を負わせた。責任能力についても問題ないというものであるというのに対し、弁護側は、被告が強盗を行ったかは不明である。また仮に行っていたとしても責任能力を欠くというものです」

 裁判長がこの審理に先立って行われた公判前整理手続においてある程度まとまった争点を簡潔かんけつに述べる。

 公判前整理手続というのは、裁判期間を短縮するために設けられた制度で裁判を行う前に予め裁判官、検察官、弁護士が集まって事件の争点を洗い出すと共に、何を集中的に審議するか、を話し合うのである。この手続のおかげで、早ければ一日で審議終了、二日目で判決言渡しというスピード裁判が実現するのである。

「次に、証拠調べですが、ここで休憩を取りたいと思います。では、十時……五十分から再開します」

 裁判長はそういうと法廷内の全ての人が立ち上がり礼をする。

 裁判員と裁判官たちが裁判官席の後ろにある扉から控え室へと消えて行く。

 裁判員たちが全員消えると刑務官が立ち上がり七篠を控え室へ連れて行こうとする。

「すいません。少しだけよろしいですか」

 七篠に聞きたいことがあるので刑務官に連れて行くのを少し待つようにお願いする。七篠を先導する初老の刑務官は、やや不満そうな表情を一瞬見せたが、その後はやる気があるのか、ないのか分からない表情に戻り、無言で立ち止まる。

 立ち止まったことを了承と受け止め、僕は七篠に問いかける。

「本当に何も覚えていないんですよね」

「……」

 相変わらずの無言のままだ。

「何も思い出しませんか?」

「……」

「何でもいいんです。些細ささいなことで――」

 何者かがこちらへと向かってきたため、そこまで言いかけ止める。

 二十代半ばぐらいの金髪の鮮やかな女性。その人物の性格のキツさを想像させる切れ長の目は、怒りのためか、酷く釣り上がっている。

 その女性には、オーラが見えそうなほどの殺気がただよっていた。その殺気は明らかにこちらに、具体的に言えば七篠に向けられていた。

 殺気を放っている女性の顔には白いガーゼのようなものが付いている。

 安田曜子。

今回の事件の被害者……のはずだった。

 しかし、彼女は七篠に殴られ現金を盗られた被害者であるはずなのに七篠に怯えた様子はない。むしろ、七篠に対する怨念おんねんでもあるかのような目をしている。

 彼女は、傍聴席と法廷を仕切る木の柵ギリギリまで来ると右手を振り上げる。

 危険を感じ、七篠をかばおうと咄嗟とっさに立ち上がるが、間に合いそうにない。

 危険を感じたのは一人だけではなかった様で、僕が立ち上がるのとほぼ同時に先ほどの刑務官が七篠と安田の間に割って入る。先ほどのやる気の無さそうな表情とはまるで別人の様に鋭い眼光をみせてる。

「あんた! ふざけてんじゃないわよ」

 法廷内に怒号が響き渡る。

 刑務官が柵越しに静止しようとするが、安田はその静止を無視し、柵の左右に設けられている扉を通り柵の内側へと侵入する。刑務官も必死に止めようとするが、その見た目以上に力が強いらしく、初老の刑務官には完全に止めることができない。

 一歩、二歩とさらに七篠に近づく安田。再び安田が七篠に掴みかかろうとした瞬間。

「きゃぁぁぁぁあ」

 という甲高い廊下にまで聞こえるような叫び声が法廷に響き渡る。

 耳をつんざくようなその悲鳴は、長いこと続かなかった。

 七篠は頭を抱えたかと思うとしゃがみこむようにして床に倒れた。

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