第二十八話「裏切りの定義」

 翌日、普段よりもかなり早めに家を出る。心に一つの決意を持って。

 グラウンドで朝練を熱心にやっている野球部を横目に、眠い目をこすりながら、誰もいない校舎を歩く。

 いつもは始業五分前に着くように家を出ているのでこんなに静かな学校は初めてだった。

 昨日、ハッタリに『周りの人間には気をつけろ』、『たとえスパイだって使ってくるぞ』、『急な変化に気をつけろ』、なんて言われたものだから一晩中考えてろくに眠れなかった。

 下駄箱の前まで来ると誰もいないことを確認してから手に持った手紙を入れる。

 パッと見、ラブレターでも入れているようだが、決してそんなわけではない。あえて言えば果たし状だ。ラブレターと間違えられないように文面も「オマエノヒミツヲシッテイル」とでもしようかと思ったが、万が一誰かに見つかって大事になっても面倒なので無難に「放課後に『準備室』に来てくれ」と書いておいた。

 一仕事終え、教室に着いたところで重大なミスに気づく。

 手紙を入れるところを誰にも見られないためとはいえ、あまりにも早く着すぎた。

 授業がまだまだ時間がある。授業が始まるまでどうしようか?

 こんな時は寝るに限る。寝るのは健康にいいことだ。寝る子は育つと言うし、もっと寝れば僕の身長ももっと伸びるかもしれない。


         §         §        §


 ツンツン

 頬に何かが当たる感触で目が覚める。いつの間にか熟睡していたようだ。

 目を開けると目の前にすみれがおり、こちらをニヤニヤしながら見ている。

「見てみて。こんなの撮っちゃった」

 右手に握られたスマートフォンの画面をこちらに向ける。その画面に写っていたのは、僕だった。

 爆睡している僕。

 しかもよだれを垂らしている。僕は慌てて自分の口と机を拭く。

「おい、消せよ」

「いやだっ」

 すみれのスマートフォンを取り上げようとするが、すみれに頭を抑えられ立ち上がることができない。パタパタと腕を動かしたりしてみたが、すみれの腕力に敵わず、結局、スマートフォンを取り上げることも写真を消すこともできなかった。

 すみれは自分の席へ戻ったあと友人と「これ見てー」、「何これかわいいー」なんていう会話を繰り広げていたが、自分の写真が面白画像としてクラス中に広まらないことを願う。


         §         §        §


 放課後になると僕は静かに準備室へと向かった。

 あの手紙だけで来てくれるか少し不安になり始めたが今更どうにもならない。もし来なかった時は、その時考えればいい。

 準備室に着くと相変わらず部屋はホコリ臭い。机と椅子は、以前来た時のままで誰かが入った様子はない。

 僕は椅子に腰掛けて相手がやってくるのを待つ。

 やがて窓の外からは部活動をしている生徒の声が聞こえ始めるが、準備室は教室から離れているせいか、部屋の前の廊下を誰かが通る気配すらない。

 十五分、いや三十分は経っただろうか、と携帯で確認してみるとまだ五分と経っていない。

「あ~ぁ」

 本当に来るのか分からない相手を待つというのは気疲れする。緊張の糸が途切れはじめた頃、椅子の背もたれに体を預けったその時、急に部屋の扉が開いた。

「うわっ!」

 僕はビックリして思わず声を上げる。

「『うわっ』って何? ビックリしたぁ」

「ごめん、ごめん」

「まっ、いいや。で、何の用?」

「用は用なんだけど、手紙を見て来たんだよな?」

「そうだけど? 朝学校来たら手紙が入ってるから何事かと思ったよ。告白でもしてくれるの?」

「告白……か」

「まじ? でも、どうせ告白するなら場所はもっと雰囲気のあるところがいいな、校庭の木の下とか、帰り道の土手の上とか、あとは、屋上とか?」

「うちの校庭に木はないし、帰り道に土手もない。屋上の扉には鍵がかかってる。それにそっちの告白じゃない」

「ん、どういうこと?」

「なぁ、何であの日、あの場所にいたんだ?」

「なに? 急にどうしたの?」

 僕はここまできたにも関わらず、躊躇ちゅうちょした。

 これ以上言えば、傷つけてしまうかもしれない。だけど言わなければもっと多くの人を傷つけることになるかもしれない。

「なぁ、玲於奈。素直に話してくれないか? お前がスパイなんだろ?」

「え、スパイ? 何のこと? 何言ってるか分からないよ」

「僕だって人をむやみに疑いたくはないさ。だけどお前しかいないんだよ」

「何? 取り調べか何か? それなら私帰るよ」

 玲於奈の口調が少し反抗的で強くなる。

「ここに来た時点で自分がスパイだと自白してるんだよ」

「……何を言ってるの? 私はただ、クリスっちに手紙で呼びだされたから来ただけだよ?」

「なんでここに来んだい?」

「だって手紙にって………っ!?」

 玲於奈は何かに気がついたようにハッとする。

「準備室なんていくらでもあるだろ?」

「…………」

「だけど玲於奈はにきた。それは玲於奈、君が誰に呼び出されたか分かっていたから、そして呼び出した相手である僕が、この準備室を頻繁に使っているのを知ってたからだろ?」

「で、でも、ぐ、偶然なんだよ。準備室ってどこだろなぁって歩いてたらたまたま……」

「こんな隅っこにある部屋に偶然やってきた?」

「そ、そうだよ。私、転向してきたばっかりだろ? だから準備室がどこか分からなくて……。だけど何か重要な話だろうから、人がいない方を探してたら偶然……」

「いや、その偶然はありえないんだ」

 僕は自分のポケットをまさぐる。そしてポケットから一枚のプラスチック製の板を取り出す。『準備室』と書かれたそれは、部屋の入り口にあったのを、僕が予め取り外しておいたものだ。

「これは取り外してある。だからここが準備室であると知らなければ偶然に準備室ここにくることはありえないんだ」

 玲於奈は視線を床に落とす。が、すぐに両手を上げ降参のポーズをする。

「さすが、クリスっちだね。私の見込んだだけある。私の負けだよ」

 玲於奈は明るい声で、しかし、目には涙が浮かんでいた。

「……でも、何で私がスパイだって分かったのさ?」

「それは――」

 昨日、僕はハッタリに言われて身近にスパイがいる可能性を考えた。もし、本当にスパイがいるとしたら、可能性がある人間が三人ほど浮かぶ。

 すみれと玲於奈と京姫だ。

 すみれは、玲於奈の事件を引き受けて以来、自分のことを秘書だと言い出した。

 玲於奈は、事件解決後、急にうちに来てすみれに影響されか秘書だと言い出し、挙句の果てにうちの学校へと転校してきた。

 京姫は、たまたま裁判所でぶつかって知り合い、その事がきっかけで今回の事件を僕のところへ持ってきた。

 三人ともかなり怪しく見える。

 しかし、すみれは、論外だろう。あいつにスパイなんてできる頭があるとは思えない。秘書だと言い出したのだって、あいつは昔から僕のすることなす事に口を出してきたから、その一環だろう。

 京姫も違うような気がする。

 裁判所でぶつかったのだって僕がたまたまバッジを見つけられなかったからだし、あいつは神社の娘だ。自分の神社を売るような事をするだろうか? それに僕に依頼してきたのだって親にも言っていなかった。親が弁護士を探し出して有能な弁護士を頼まれると困るから、若くて無能そうな僕を選んだというのならば分からなくもないが、これでは順序が逆だ。

 となると、一番怪しいのは玲於奈ということになる。玲於奈はやたらと神社のことについて熱心に聞いていた。その話をした翌日に宗像が都へ乗り込んでいる。僕の対策案を全て潰すような意見書とともに。

 それに、そもそも最初の事件でなぜ玲於奈はあの場所にいたんだ? あの林は神社への通り道だ。

 とすれば、神社で何かしようとしていたのか?

 玲於奈はおじいちゃんが入院していてその病気が治るように参拝に行ったというような事を言っていたが、なぜあの時間に行ったのだろうか?

 次々と疑問は湧いてきたが、確証に至るようなものではない。

「――それで僕は一計を案じてみた」

「そうしたらまんまと私が引っかかったと」

「あぁ」

「私が自分で墓穴を掘ったというわけか。スパイ失格だね」

「なんでこんなことしたんだ?」

「……………………、やっぱ言えない……」

 玲於奈はかなり考えこんでから答えた。

「父親の会社か?」

「違う! パ、パパは知らない……。私が勝手に……」

「アスブライトか」

「!?」

 どうやらビンゴのようだ。ハッタリの情報もたまには信頼していいのかもしれない。

「やっぱりそうか」

「…………」

「なにがあった?」

「……ダメだよ。これ以上、知ったらクリスっちが……」

「巻き込まれる?」

「……うん」

「でも巻き込まれないわけにはいかないんだ。京姫たちを助けるには」

「……神社からは手を引いた方がいい。いや、引いてよ。じゃないとクリスっちが……」

「無理だよ」

「……何で? 相手は世界的な会社なんだよ? 高校生が一人で太刀打ちできる相手じゃないんだよ?」

「たとえ無理だと思ってもやらなきゃいけないんだよ。だって僕は弁護士で、京姫たちの代理人なんだから。自分たちでは声を上げられない人たちの代わりに相手が大企業だろうと国だろうと個人だろうと、依頼者が望む限り最後まで抗弁こうべんしなきゃいけないんだよ」

「……そんなの……バカみたい」

「バカなのは知ってると思ってたよ。だって僕は記憶もない被告人の弁護をする弁護士だよ」

 玲於奈はそれを聞いて少し微笑む。

「それに僕は一人じゃないさ。京姫も千姫さんも、すみれもいるし、それに――」

「――それに玲於奈だっている」

「え!?」

「だってなんだろ?」

「でも、私、クリスっちたちを裏切った……」

「裏切るってなんなんだろうな?」

「え?」

「法律家のさがなのかな? 物事を考える時には、よく三段階で考えるんだ。まず要件定義を考えて、次に具体的な事実がその定義に該当するか考える、そして結論を導き出す。だけど改めて考えると、裏切りの定義って難しいなって思ってさ」

「なら簡単だよ。裏切るってのは、相手の信頼を損なうことだよ……」

 玲於奈は悲しげにつぶやく。

「それなら裏切りには該当しないな」

「…………?」

「裏切りが相手の信頼を損なうことだとするならば、僕はまだ玲於奈を信頼している。故に玲於奈は僕をまだ裏切ってはない、だろ?」

 玲於奈は複雑な表情をして涙をこぼす。

「もし玲於奈が困っているなら僕に相談して欲しい。出来る限りのことをするよ」

「けど……」

「それが無理なら僕に協力してくれないか?」

「協……力……?」

「そうだ。牛守神社を、京姫たちを守るために力を貸して欲しい」

「……なんで?」

「ん?」

「なんでスパイしてた私のことなんか信じられるの?」

「依頼人を信用できなきゃ弁護士なんて務まらないよ」

「でも裁判はもう……」

「たしかに裁判は終わったよ。だけど玲於奈の問題は解決していないんだろう?」

「ハハハ、弁護士って大変な仕事だね」

 玲於奈は涙を拭い微笑む。

「そうさ、弁護士は大変なんだよ。依頼人のためならなんでもやらなきゃ」

「そっか」

 玲於奈は少し悲しげに呟く。

「それに、僕は弁護士とか以前に、友達として玲於奈を助けたいと思ってる。だから玲於奈も友達として助けてくれないか?」

「……分かった」

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