第二十六話「絶望」
「…………」
無言で家の扉を開ける。
「おかえりー」
姉が早く帰ってきていたようで僕を出迎えに玄関まで駆けてくる。
「どうしたの?」
「……いや何でも」
「そう」
いつもはしつこい姉は、珍しくすぐに引き下がる。
僕がそのまま自分の部屋へ上がろうとすると、姉が再度声を掛けてくる。
「夕飯は?」
「いらない」
そう言うのと同時にぐぅぅと腹が鳴ったが、そのまま部屋へと直行する。
カバンを投げ出し、制服を脱ぐとそのままベッドに倒れこんだ。
§ § §
翌日、僕は放課後の学校に呼び出されていた。
呼びだされたと言っても、何らロマンティックなものではなく、秘書に呼びつけられただけだ。
僕が学校をサボって考え事という名のふて寝をしていると、すみれからメッセージが送られてきた。
『なにしてんの?』 『なにも』
『学校おいでよ』 『嫌だ』
『来て』 『無理』
『来なさい』 『ムリ』
『じゃあ私行く』 『行きます』
学校に行くのは面倒だが、すみれが家に押しかけて来るのはもっと面倒だ。もう学校の授業は終わろうかという時間なのに制服を来て、仕方なく学校へと向かう。
学校をサボっておいて放課後にやってくるなんて、誰かに何かを言われるのではないかとも思ったが、誰にも何も言われなかった。道すがら何人かクラスメイトらしい人達とすれ違ったが、気付かれもしなかった。
学校に着いた頃には、授業はとっくに終わり教室にはもう誰も残っていなかった。すみれを除いては。
すみれに促されるように自分の席に着くとすみれが話しかけてくる。
「どうしたの?」
「……どうもしない」
「なにがあったの?」
「……なにもない」
「なんでなにも教えてくれないの?」
「なんでお前に教えなきゃいけないんだよ!」
「だって私知りたいもん!」
「お前は俺の何なんだよ!」
自然と口調が強くなる。
「……秘書よ! 秘書なのになんで何も教えてくれないの!」
「秘書って、お前が勝手に言ってるだけだろが!」
「私だって頑張ったのに……」
「「頑張った」って……、ハッキリ言って邪魔なんだよ。これは遊びじゃないんだ!」
言ってから後悔した。すみれは休みの日にも関わらず仕事についてきたり、僕への依頼を増やそうと広告ビラを作ったり、すみれなりに気を使ってくれたりしていた。それらが全て空回りで余計なお世話だったとしても、すみれはすみれなりに頑張っていた。僕も僕でそれを甘んじて受け入れていたにも関わらずこの言い草はないだろう。
「ひ、ひどい……」
何か言い返して来るかと思ったが、予想外にもすみれは手で顔を覆って泣き出した。
「え、その……、えっと……」
見たことのないすみれの姿に僕は戸惑い言葉が出てこない。
「えぇぇん」
すみれは声を上げて泣き出した。
「いや、その……悪かったよ」
「えぇぇんっ。ひっく」
「わぁったよ」
「…………」
「分かった。教えてやるから……」
「秘書は……?」
「え?」
「私、秘書でいいんだよね?」
「あぁ、もういいよ」
やけくそ気味に答える。
「やっぱりね。クリスには私が必要なのよ」
すみれは顔から手を外すとニコッと笑う。目尻に溜まった涙が印象的だった。
§ § §
というわけなんだ。
僕はすみれに一通り説明した。
「う~ん」
すみれは顎に手をあてて考えるような素振りをみせる。
「よく分かんないけど大変そうだね」
すみれなりに何かを考えてくれていたのかと思ったが、すみれはすみれのようだ。
「大変なんてもんじゃねぇよ」
「相手は世界的な企業なんだぞ。ちょっとくしゃみすれば玲於奈の親の会社だって飛ぶような大きい会社なんだぞ」
「よく分かんないけどさ、大きいと凄いの?」
「そりゃ凄いだろ。金だって人だって腐るほどいる」
「でもさ、小さくても凄い人だっているよね? クリスだって大きくないのに凄いじゃん。高校生どころか中学生にだって見えるのに弁護士だよ。大きな大人が頑張ってもなれないのに、中学生の時に弁護士の試験に受かっちゃうんだよ! クリスだったらできるよ!」
「俺は……」
僕は別に凄くない。
司法試験に受かった時は、自分でも天才かもって思ったけれど、実際に弁護士になってみれば試験より難しいことだらけ。僕より法律に詳しい人はいっぱいいるし、口が上手い人だっていっぱいいる。僕は、今ではただの経験の浅い弁護士でしかない。
「俺……、僕には無理だよ……」
「なんで無理なんて言うの!? クリスが諦めたら誰が京姫ちゃんを助けられるのよ!」
「僕より優秀で経験のある弁護士に頼んだ方が京姫のためなんだよ……」
「京姫ちゃんは、あんたを頼りにして来たのよ! あんたに助けて欲しいから来たんじゃない!」
「分からない奴だな。僕なんかがやるよりも大人で優秀な弁護士に頼んだ方が勝てる確率があるんだよ!」
「バカっ! 分かってないのはどっちよ! あんたを信頼して……それなのに……、あんたがそんなんでどうすんのよ……」
「それは……」
僕だってそんなことは百も承知だ。京姫や千姫は僕にとって初めて指名で依頼をしてくれた人達だ。別に国選で手を抜いているわけではないが、今回の案件はどうにかして京姫たちの期待に応えたい。だからこそ僕がやっていいのか不安でもある。
「……僕だって何とかしてやりたいさ」
「それなら何の問題もないじゃない」
「だけど僕が失敗したら、いや、失敗しなくても負けるかもしれないんだぞ。負けたら取り返しがつかないんだぞ」
「わ、分かってるわよ」
「分かってない。負けたら京姫たちは、あの神社はもうあの場所にいられないんだぞ」
「そ、そんなの承知の上よ。京姫ちゃんたちだってそれくらい分かってるわよ。それでも京姫ちゃんたちはあんたに頼んだのよ。それとも何? 弁護士ってのは依頼人全員の人生まで背負わなきゃいけないの?」
「…………」
「そんなのエゴよ。エゴ野郎よ。あんたはあんたの全力を尽くしてそれでも負けちゃうならごめんなさいすればいいじゃない。その時は私も一緒に謝ってあげるわよ」
「わ、分かった……よ……」
僕の言葉を聞いてすみれは携帯電話をいじり始める。そしてすぐに、
「そんなに心配なら本人に聞いてみればいいわ。あ、今代わるからちょっと待って」
すみれはそう言うと携帯電話を僕の眼前に近づける。
恐る恐るそれを手に取り耳に当てる。
「もしもし」
「……は、はい……すみれ……ちゃん?」
「あ、あの、三ヶ月です」
「あ、三ヶ月さん、じゃなくて先生……ですか……」
「別に先生は付けなくていいんだけど……」
「あ、そ、そうですか……」
「…………」
「…………」
どう切り出していいのか分からず無言になる。
「ほら、早く聞きなさいよ!」
しびれを切らしたすみれが急かしてくる。
「あ、あのさ……僕でいいのかな……?」
「ぇ……? あ、な、なにが、ですか?」
「僕が本当に代理人でいいのかなって」
「あ、そ、そのことですか――」
今さらになってもし「無理です」なんて言われたらどうしようという思いが顔を出す。
「――ぜ、全然、大丈夫、です」
「そうですか」
僕はほっと胸をなでおろす。
「おじ、じゃなくて祖父もび、ビックリしてました。三ヶ月せ、じゃなくてさんが、さ、最年少の試験の合格者だって知りました。こ、この、人なら安心して任せられるって」
「は、はい」
「あ、すいません。祖父が呼んでるので、い、行ってもいいですか」
「ごめん。あの、その、僕、頑張るよ。何が何でも神社は守るから」
言うつもりもなかった言葉が口を出る。
「は、はい。お、お願いします」
電話を切り、返却しようとすると、すみれはニヤニヤしていた。
「な、なんだよ」
「やる気でたみたいじゃん」
すみれはなんだか嬉しそうだ。
「あぁ、……ありがと……」
すみれにお礼をいうのは気が進まないが、すみれに一応お礼を言う。ここまでやる気を出させてくれたのはすみれに違いなのだから。
「え、なんだって?」
すみれは耳に手を当てるとわざとらしく聞き直してくる。
「な、なんでもねぇよ」
「えぇ、もっかい言ってよ」
「もう二度と言わねぇよ」
「お願い。ね、今度はちゃんと録音しておくから」
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