第二十四条

 翌日も普段通りに学校へと登校した。午前中は相変わらず退屈な授業の連続で、空の雲の数を数えて終わった。今日も何事も無く終わるのかと嬉しいような悲しいような気持ちで午後の授業に望んでいた。午後最初の授業も中盤に差し掛かった辺りでポケットの中の携帯が震える。発信源には、電話帳には登録されていない番号が表示されている。もしや、と思い急に立ち上がると教室の外へと飛び出す。

「もしもし、三ヶ月ですが」

「三ヶ月先生ですか、私、東京都総務局総務部法務課訟務主査補の流矢です」

 新種の早く口言葉かと思うような役職を噛むことなく言えるのは凄い。

「流矢さんですか、お世話になっております」

「こちらこそ、お世話になっております。今大丈夫ですか?」

 周りを見回すと、クラスの一部の生徒が何事かとこちらを見ている。さすがに、ここで仕事上の話をするのもまずいので、どこかに移動しなければならない。どこかにいい場所はないだろうか――そうだ、準備室ならば誰に聞かれることもなく話ができる。

 一旦教室に戻り、紙とペンを取ると準備室まで走る。

「お、お待たせしました……」

 息を切らしながら、会話を再開する。

「大丈夫ですか?」

 流矢が笑いながら尋ねる。

「だ、大丈夫です。場所が悪かったもので……もう、移動したので大丈夫です」

「そうですか。では、牛守神社の土地の件についてなのですが、こちらでも検証し、上層部とも検討した結果、ご提案いただいた内容では承諾しかねるということになりました」

「それは、無償での譲渡はできないということですか?」

「いえ、無償譲渡も無償貸与もできないというのが上の判断です」

「…………どういうことですか?」

「電話で伝えるというのも何ですので、再度こちらへ来ていただいてお話することはできませんか?」

「わかりました。今から伺ってもよろしいでしょうか?」

「それでは、お待ちしております」

 一体なぜこうなってしまったのだ。前回の感触はそれほど悪くなかった。都側としても早めに解決したいだろうから、無償での譲渡はできなくても使用貸借くらいで手打ちができるに違いないと考えていたのが甘かったのか。

 荷物を取りに教室へ戻ると既に授業は終わり、授業間の小休憩だった。教室へ入るなり、すみれが期待に満ちた顔で迫ってくる。

「どうだった? 神社についての連絡でしょ?」

「これから都庁に行って話を聞いてくる」

「じゃあ、私も行く」

「お前は、こなくていい。来ても同席できないぞ」

 すみれは、頬を膨らませてムスッとした表情を浮かべる。

 ここでふと、物足りなさを感じる。教室中を見渡してその原因に気づく。玲於奈がいないのである。すみれよりもこの件に関して熱心に質問してきていた玲於奈のことだから、てっきりどうなったか、すみれ以上にしつこく聞いてくると思っていたのだが、教室にすらいない。

「ところで玲於奈は?」

「ん? 玲於奈ならあんたが出てったあとすぐに体調悪いからって保健室行ったよ」

 さっきまで玲於奈は、元気だったので多少気になりはしたが、約束があるのですぐに学校を出て都庁へと向かう。


         §         §        §


「ふぅー」

 ベッドに仰向けに倒れこむと深く息を吐きだす。

「これからどうすればいいんだ……」

 弁護士になって初めての壁にぶち当たり途方にくれる。やはり宗像という弁護士はただ者ではなかった。さすがベテランというのか、僕にはない経験という名の武器を持っている。

 学校から都庁へ向かうと前回と同じ小さな部屋へ案内された。今回出てきたのは兼子が多忙ということで流矢だけだった。

 流矢の話によると、以前、説明した歴史的な背景などを調査したところ、こちらの主張はほぼ事実だと分かったとのことだった。そのため、兼子と流矢としては無償譲渡もやむなしという結論にほぼ至っていたのだが、それをひっくり返すような出来事が昨日起きた。

 本間の代理人である宗像弁護士が『意見書』なる数十ページに渡る書類を持って乗り込んできたらしい。

 宗像弁護士は、どこから聞きつけたのか、こちらが、都に無償譲渡を持ちかけたのを知っていたらしく、都が牛守神社に土地を無償譲渡するのは、牛守神社の優遇という宗教的意義を持ち、宗教法人牛守神社という特定の宗教団体に対する援助に辺り、憲法の定めた政教分離原則に抵触する違法な行為になる。また無償貸与も同様に違法であるから、そのような違法行為に出た場合には直ちに訴訟を提起すると脅しをかけてきた。

 それを受けて、都の上層部は、宗像弁護士を恐れ、無償譲渡も無償貸与も認めないという方針を固めたとのことだ。

 こちらの提案に代わって、都が提示した案は愕然とする内容のものだった。

すみやかに建物を収去して土地を明け渡すか、土地を牛守神社が時価で買い受ける、または相当額での貸与という三つの選択肢が提示されたが、明らかにこちらにとって不利なもので本間側が提示したであろうと推測するのは容易だった。

 そうして失意のうちに帰宅したのだったが、これから一体どうすればいいのだろうか。

 東京都という地方公共団体と宗教が絡んでいたのに政教分離違反が問題となることに気が付かなかったのは完全に僕の落ち度だ。法学部生でも気付きそうなものをどうやったら見落とせるんだ。それに加え、最後の手段として残されていた時効取得も封じられてしまった。

 時効取得するためには、いくつかの要件が必要なのだが、その中の一つに『所有の意思』というものがある。『所有の意思』とは、時効取得が他人の物を自分の物にするものである以上、その物を『自分の物』として持っている必要があるということなのだが、具体的には固定資産税の支払いなどが挙げられるのだが、牛守神社は宗教法人であるため税が免除されている。すなわち、『所有の意思』の証明が困難なのだ。

 さらに、神社は昔、国家神道の方針の下に官有とされた。そして戦後、国家神道廃止に伴いある法律が施行された。

『社寺等に無償で貸し付けてある国有財産の処分に関する法律』。

 昭和二十二年に施行され、官有とされた神社財産は申請すれば譲与を受けることができた。譲与の申請期間が経過した後も、譲与等の措置が講じられてきたにもかかわらず、牛守神社は申請等の措置を取ることなく不法占拠を続けていた。その上で今更時効取得を主張するのは、禁反言の法理、信義誠実の原則に反して認められない。つまりは、もらえる時にもらわないでおいて、今更になって寄こせというのは虫が良すぎるということだ。

 こちらの主張は見事に宗像弁護士によって潰された。オセロで言うならば四つ角を取られた上に周りに置いた石をすべてひっくり返されたくらいのものだ。

 京姫たちに一体何と伝えればいいのだろうか。都の主張をそのまま伝えてもいいのだが、なにせ神社の土地が広いこともあり、買取ならば数億円、賃貸でも毎月相当の賃料になる。営利でもない神社にそれだけの土地代を払える余力があるとは到底思えない。もちろん、以前の主張のまま裁判をしたっていいのかもしれないが、都や宗像弁護士相手に勝てる気がしない。

流矢からもらってきた宗像弁護士の書類のコピーを宙に持ち上げ見つめ呆然とする。

「あーあ、くそっ!!」

 口ではあーだこーだと言っていたにも関わらず、心の奥底ではどうにかなるだろうと思っていた自分が嫌になる。さらにもう投げ出してしまいたいと思っている無責任な自分がもっと嫌だ。

「どうすればいいんだ……」

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