第二十二話「交渉」
相変わらず落ち着く部屋だ。今まで気が付かなかったが、僕には和室が合っているのかもしれない。
牛守神社の社務所の一室でのんびりと窓から見える木々を眺めていると千姫が入ってくる。
「おまたせしました」
先ほど学校で神社へと電話すると千姫が電話に出た。そして、対策を思いついた旨の話をしたのだが、直接会って話したほうが誤解も生まれにくいし、何より早いと判断して神社にやってきた。
「早速ですが、先ほどご連絡した件について説明させて頂きます」
「お願いします」
「以前もお話したかとは思いますが、現在この神社は、形式的には都有地を不法占拠している状態です。つまり権原なく土地を占有しているということですね。
ただし、実質的には牛守神社の土地と言ってもいい事情が存在します。具体的には、土地占有までの歴史やその後の期間です。
そこで、前回は土地の時効取得または、黙示による使用貸借契約の成立を主張することで不法占有ではないと主張するべきだということになったと思います」
「そのような話でしたね」
「たしかに、主張としては間違っていないとは思うのですが、少し先走りすぎていたように思うんです」
「どういうことでしょうか?」
「今回の件で文句をつけてきているのは、元議員の本間という人物です。何に対してかというと、東京都の土地を牛守神社が不法占拠しているという点についてです。
通常、
「そうなんですか……」
「逆にいえばですよ、本間は東京都の行為が違法でなければ訴えることが出来ないわけです。つまり、牛守神社が譲り受けるなり、借りるなりして使用する権原を形式的にも備えてしまえば、もう違法性はなくなり、本間は訴えることができなくなるんです」
「な、なるほど」
「一番確実なのは、時価で買い受けるということですが、これだけの土地ですし、場所が場所だけにかなりの高額になることが考えられますので買い取るのは難しいでしょう」
「はい……、買い取るだけのお金は……」
「それは承知しています。買い取れないのであれば、有償で借り受けるという賃貸借契約を締結するのはどうでしょう?」
「有償というとお金を払うのですか……。うちの神社にはあまりお金がないのでこれ以上の出費は……」
「そうですか、では過去の経緯もありますし、無償譲渡を前提として交渉してみましょう」
有償で土地を借りるということであれば、比較的簡単に問題は解決しそうだと思っていたが、物事はそれほど簡単に進まないらしい。
しかし、お金がないことは事前に聞いていた。金額交渉だけよりは骨が折れそうだが、いかに使用貸借を認めさせるか、弁護士としての実力が試される。
§ § §
目の前にそびえる巨大な建物。ツインタワーの間に建物をくっつけたデザインなのか、建物の横にくっつけたデザインなのかは定かではないが、その全貌を確認しようと見上げてみると首が痛くなるほど高い。ラスボスのいる魔王の城へと迷いこんでしまったのか、そんな気分にさせる威圧感を持った建物だ。
心を決め建物の中へ入るとそこには床に赤絨毯、今にも動き出しそうな中世の鎧がいくつも飾られ、壁には絵画、さらに松明が気味悪く揺れている、なんて訳はなく、中は多くの人が行き交っている。その多くは明らかに職員ではない
それもそのはずで、この建物の地下には地下鉄が繋がっており、四十五階には無料で入れる展望台がある。この展望台は、夜十一時まで解放されているらしく地上二百二メートルの高さにあるため夜景がキレイにみえる絶好のデートスポットらしい。僕も彼女ができたらぜひ来てみたいものだ。
総合案内センターで面会の約束がある旨を伝えると担当者を呼び出してもらうと担当者がやってくる近くのイスに腰掛けて待つ。
神社で千姫に話をした後、交渉する機会を設けるため、後日約束を取り付けようと電話してみた。すると、予想外にも今日中に会えないかという返答が返ってきたのだ。こちらにとっては願ったり叶ったりで即座に了承をしたのだった。
しばらくすると担当者がやってくる。
挨拶もそこそこに担当者の後について移動し、案内されたのは小さな部屋だった。白い簡素な机と安っぽいイスが四脚置かれているだけである。この建物は、外装こそタックス・タワーとかバブルの塔と呼ばれているらしいが、実に、なんというか……手抜きである。内装まで豪華にしてしまうとそれこそ税金の無駄遣いだと叩かれるに違いないから仕方ないのかもしれない。もっとも、さすがに高層ビルだけあって眺めはいい。この景色が見えるならば内装などこだわらなくてもよく見えるから問題ないのかもしれない。
コンコン。
ドアが叩かれる音とともに扉が開かれる。コーヒーを持った担当者がもう一人とともに入ってくる。
「お待たせしました。どうぞ」
そういうと机の上にコーヒーを置く。発泡スチロール製のカップに入ったインスタントコーヒーだ。
一口飲んでみると苦い。
いつも、といってもたまにだが、缶コーヒーしか飲まないのでブラックコーヒーがこんな味だとは知らなかった。慌ててコーヒーとともに机の上に置かれたミルクと砂糖を入れる。
「どうも、改めまして財務局財産運用部の
「流矢です。主査の
名刺を出され慌てて名刺を二枚取り出し交換する。
「弁護士の三ヶ月です。こちらこそよろしくお願いします」
それにしても訟務が出てくるというのはどういうことだろうか。
訟務は
「お若いですね。てっきり歳を
「よく言われます。まだまだ、至らない点もあるかもしれませんが、問題の解決に向けてお力添えいただけると幸いです」
「いえいえ、こちらこそ」
社交辞令を交わしつつ、相手の腹を探る。相手の要件は何か、狙いは何か、敵か、味方か、それとも中立か、数秒という短いやり取りの中で火花が飛び散る。
「それで、本日の要件は何でしょうか。牛守神社の代理人の方と伺っているのですが」
そんな見えない法律畑同士のバトルを知ってか知らずか、兼子がズバリと本題に切り込む。
「そうですね。今回お伺いさせていただいたのは、牛守神社の土地についてです」
「やはり……」
しまった、というような表情を浮かべる流矢。
どうやら相手は僕が牛守神社の土地に関して話をするために来たということを予測していたようだ。
一体誰から予測出来るだけの情報を得ることができたのか。
こちらから事前に伝えたことはない。
とすれば今回の問題の
すなわち、本間側があの土地をどうにかしなければ訴えると乗り込んできたに違いない。
本間がこちらにとって敵であり、都にとっても敵とだとすれば、敵の敵は味方ということで、こちらと都が手を結ぶことができる。
これはまたとないチャンスかもしれない。
いや、待て。
万が一ということもある。
一方ずつ石橋を叩くように確実に確認して進んでいくべきだ。
「『やはり』というのは、何かご存知なのですか?」
「えぇ……まあ」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて流矢が答える。
「どなたか土地の件について来庁されましたか? 例えば……本間元議員とか」
「そちらにも来ていましたか」
今度は、兼子が答える。流矢が兼子を睨みつけているようにも見えるが、兼子は気がついてもいない。
「えぇ。先日土地の件で乗り込んでこられましてね」
「どういったご用件でしたか? 本間元議員は」
兼子は、流矢と異なり腹の中を探ろうとすることなく直球の質問をぶつけてくる。あえて直球を投げてくるのか、それとも変化球を投げることのできない性格なのかいまいち掴みかねる人物だ。
「何でも、牛守神社が都の所有する土地を不法に占拠しているとか言っておられましてね。こちらとしては、直接訴えられることはないので無視しても問題ないのですが、トラブルになりそうなことの芽は摘んでおこうということで抜本的な解決をお願いに来たんですよ」
「なるほど。抜本的な解決ですか。内容にもよりますが、こちらにとってもありがたい提案です。本間先生が、正確には代理人の
予想通り、本間はこちらにもやってきていたようだ。ただ、想定外の人物の名前が出てきたのが気になるところではある。
「宗像弁護士……宗像法律事務所の宗像重蔵弁護士ですか?」
「えっと……確かに宗像重蔵弁護士ですが、事務所はアボット&ローリエ法律事務所となっていますね」
宗像からもらったと思われる名刺を見て確認しながら兼子が答える。
「アボロリですか……」
通称A&L。外資系としては日本最大、日本全体でも三大事務所の一つに数えられ、M&Aや渉外、企業法務に強い法律事務所だ。
しかし、宗像弁護士は人権派として被告人が死刑を求刑される刑事事件、少数派の人々が関わる訴訟、公害訴訟や国家賠償訴訟を数々引き受けている弁護士だ。中でも憲法訴訟に強いと聞いたことはあるが、A&Lが得意とする企業法務などをしたことがあるとは聞いたことがない。
なぜ宗像弁護士はA&Lに――いや、なぜA&Lは宗像弁護士を迎えたのだろうか。
「えぇ。それで、お願いとはどういったものなのかお聞かせ願いたいのですが」
「そうですね。お願いというのは、牛守神社のある都有地を譲渡していただきたいということです。元々、牛守神社は……」
牛守神社が現在の状態に至るまでの経緯を永遠と説明する。兼子と流矢はうんうんと頷きながらメモを取る。
「なるほど。そういった事情があったのですか。そうであるとすれば、善処したいという気持ちはあるのですが、本間元議員の存在もありますし、上にも相談してみないと何とも言えない問題ですね……」
「こちらとしても、ことを荒立てるつもりは一切ありませんし、神社としては現状維持さえできればよいと考えているので土地の無償貸与という形までは譲歩できますのでご検討ください」
「わかりました。三ヶ月先生を疑うわけではありませんが、こちらでも歴史的な背景を含め調査した上で今後の措置についても上と相談しながら検討させて頂きます。何かありましたらこちらから連絡させて頂きます。三ヶ月先生の方でも何かありましたら、私と兼子が担当ですので直接ご連絡いただければと思います。本日は御足労頂きましてありがとうございます」
イスから立ち上がると流矢が頭を下げる。それにつられるように兼子もワンテンポ遅れて同じように頭を下げる。
明らかに自分より年下の人間にあそこまで丁寧に対応しなければいけないなんて大変だな。それに、二人もの弁護士に挟まれ対応しなければならないなんて公務員も言われているほど楽な仕事じゃないのかもしれない。
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