第32話 カナン


 ロボットは夢を見ていた。とても怖い夢だ。度重なる理解不能な研究とは違う。研究者達が悲鳴を上げている。何故ダスト達が迎えに来ないのか。私達はどうすれば良いのか。何故ここには避難シェルターが設置されていないのか。もしや私達は見捨てられたのか。


 見る間に戦火が迫って来る。爆風で建物が壊れる。研究者達が壊れていく。赤い血が一面に広がって足の踏み場も無い。そんな光景をロボットは瓦礫の隙間からずっと眺めていた。


 逃げ惑うばかりの研究者達はロボットの存在を忘れ、人力の及ばない戦火の中を我先にと研究所から飛び出して行く。その先で次々と壊れていく研究者達。何もかも滑稽だった。


 壊れてしまえばいい。そうロボットは笑いながら思う。そんな中でロボット自身も何度も爆風に晒されてしまい、次第にシステム異常を起こしてスリープ・モードへと移行していく。


 次に目覚めた時、見知らぬ女性型のアゾロイドに抱かれていた。…そんな彼女と相対しているのはトウヤ。ようやく来てくれたと、そうロボットは一瞬だけ思った。でも――。


 口から出たのは罵倒。ずっと助けを求め続けた相手を口汚く罵倒したのである。一体何故とロボットは狼狽する。そうしているうちに女性型のアゾロイドからスリープ・モードへと変えられてしまい、ロボットは再び眠りへと付いて行く。そうして目が覚めて今が在る。


「……」


『システムに異常は無さそうですね。何か問題は?』


 そう女性型のアゾロイド―リュシューリアが問い掛けてくる。しかしロボットはそれに答えなかった。代わりに烈火の如き怒りを向かていき、彼女を射抜かんばかりに睨み付ける。


 何故かロボットから怒りを向けられて、リュシューリアは心中で溜息を付いていた。何故自分へと怒りの矛先を向けられているのか。もしやイルフォート・シティから連れ出したのが悪かったのだろうか。まさかあのまま研究所に居たかったのか? いいや、まさか。


 そうリュシューリアが困惑していると、ロボットは激怒を浮かべたまま口を開いていく。


「ここは何処なの」


 短く問われてリュシューリアは「ああ」と思い出し、その疑問に笑いながら答えていく。


『あなたが居たイルフォート・シティから南に三千キロ程の地点ですよ。小さい島の洞穴の中です。ここは涼しいでしょう? 私のお気に入りなのですよ』


 言われて目を向けると、鋼鉄のリュシューリアの足先は海水へと浸けられており、まるで潮が波打つのを楽しんでいるかのようだ。彼女が腰掛けた大岩から太陽は遠く、穴が空いた岩盤の天井から遥か遠い場所で輝いているのが判る。そんな彼女の膝にロボットは居た。


 ロボットには何故自分が怒っているか判らなかった。何がそんなに気に障るのか。自分の感情が理解出来ない。それに何故こんな場所に連れて来られたのか。何故トウヤはここには居ないのか。そこまで思ってロボットは思い出した。…そうだ。トウヤはどうしたのか。


「ねぇ、トウヤは?」


 リュシューリアはそんなロボットの質問に逡巡した後、緩やかな口調で答えていた。


『無事ですよ。…いいえ、無事ではありませんね。個としての意識を司る部分が破壊されたようです。今の彼に何を呼び掛けても無駄でしょう。壊れた今の彼はスクラップ寸前。もうあなたの呼び掛けも通じますまい。折角あなたを迎えに来たのに。そうお怒りですか?』


「…っ」


 そうリュシューリアに問われて、ロボットは自らの感情が膨れ上がって行くのを感じた。何故これほどにも怒りを感じるのか。こんな感情は知らない。一体僕はどうしたのか。


 ロボットは自らを理解出来ぬまま、その怒りを真っ直ぐにリュシューリアへとぶつける。


「分かってるのなら帰してよ。研究所に帰して! そうしたらトウヤが来る。君がトウヤを壊したの? どうしてそんな事をしたの? トウヤは君に酷い事をしたの? あのトウヤがそんな事する筈が無いっ! トウヤは良い子だ。だから絶対にそんな事しない!」


『……』


 ロボットからそう怒鳴られて、リュシューリアは閉口していた。そして気付いた。この子はまだ幼い。作られたばかりで知らない事が余りにも多いのだ、と。


 だからリュシューリアはまるで幼子に言い聞かせる様に、彼へと優しく問うていく。


『そういえば名前は? 名前をまだ聞いていませんでしたね。…ああ、私はリュシューリア。この地方の伝承に残っている古い女神の名前です。あなたにもあるでしょう? 名前は?』


「…、名前?」


 リュシューリアに訊ねられて、ロボットは「それ、何?」と首を傾げながら返していた。それを聞いてリュシューリアは顔を顰めていき、やはりと心中で溜息を付いていく。


 そして彼の登録番号を思い出して、ならばとロボットへと言っていった。


『あなたの登録番号は「XKカプナス」と言いましたね。ならばあなたは今日から「カナン」と呼びましょう。これはあなたという存在を示す大切なものです。あなたはカナン。誰かに名前を聞かれたらそう答えなさい。彼がトウヤと呼ばれているのと同じです。あなたという存在はこの世でたった一つなのですから。それを証明する為の大切なものなのですよ』


「…名前」


 リュシューリアに優しく教えられて、カナンは理解出来ないと首を傾げるしかない。でも先ほどと比べて少しは怒りが収まったのか、その顔には怒りではなく困惑が浮かんでいる。


 その隙にリュシューリアはロボット―カナンを抱き直していき、静かに言って聞かせる。


『あなたが理解出来ないのも無理はないでしょう。…彼には彼の立場があり、そして私には私の立場があった。そしてあなたにはあなたの立場がある。誰もが自らの立場に縛られて、その中で生きるしかないのです。私が作り出された時、既に私はアゾロイドと呼ばれる存在でした。私は高性能なアゾロイドによって作られ、この世界に放たれたのです。でもあなたを作ったのは都市の研究所。それも違法に作られた存在です。あなたは世界の事を知らない。そんなあなたが通信回線を通して見つけたのがトウヤだった。…でもね、カナン。彼だけは駄目なのです。確かに彼は私達と殆ど変りない存在に思えるかも知れません。でも決定的な部分が違うのです。彼らの元は人間。人間の意志を司る大切な臓器だけを残し、他を機械に変えた存在こそが彼らダストなのです。彼らは私達とは違います。彼はそんな存在の一人。私達とは絶対に相容れません。…何故ならば、彼は本来人間なのですから』


 しかし、そんなリュシューリアの言葉にカナンを否定する様に首を振る。そして叫んだ。


「違うっ! トウヤは僕達と同じロボットだ。だってあの子の体も機械だよ? どうしてトウヤは僕達と違うの? 人間っていうのは研究者達の事でしょう? トウヤは研究者達とは違う! あんな事はしない! だってトウヤは助けに来てくれた。だから違うっ!」


『…カナン』


 必死に否定されて、リュシューリアは困惑を浮かべるしかない。そして思った。


『幼子に物を教えるというのは難しい事なのですね。…私は作り出された時から変わっていませんから。幼い頃というものが存在しない。でもあなたは違うのですね。まるで――』


 人間の様だと、そうリュシューリアは感じた。だがそれこそが研究者達が目指した新たなロボットの有り様なのだろう。その研究の果てにカナンが誕生したのだ。


 この子が世界を変える新たな道筋と為ればいい。そんな風にリュシューリアは思った。


 そうすれば私達の間に広がった深い溝も少しは浅くなる。お互いに歩み寄れる可能性が出て来るかも知れないのだから。このままでは余りに辛い。互いに傷を負うだけだ。


 現にリュシューリアはイルフォート・シティを襲撃した。何よりも他のアゾロイド達から怒りの声が上がっていたのだ。あの都市は新たなアゾロイドを作っている。それは他の者達も疾うに気付いていたから。だから最も高性能だったリュシューリアが皆を先導して都市を襲った。それ以外に無かったからだ。…そうして人間達を守ったのはダスト。結果人間は殆ど血を流さず、ダストとアゾロイドが互いを壊し合うだけという結果に終わった。


 分かっていたのだ。そんな結果に終わるだろうという事は。でもどうしようも無かった。既にアゾロイド達の怒りは爆発寸前だった。それを収めるには他に方法が無かったのだ。


 でもカナンが居れば何かが変わるかも知れない。そんな風にリュシューリアは思った。


 こんな風に互いを壊し合わず、また人間の血を求めるでもなく。また別の方法が見つかるかも知れないのだから。その為にもこの子を育てよう。新たな可能性を導き出す為に。


 まるで人間の母親にでも成った様な気分だ。何と愚かしい事かとリュシューリアは自らを自嘲する。たとえ女性型に作られているとは云え、所詮自分は機械の塊。それもカナンと違って作り出された時からアゾロイドなのだから。私に生物のような母性愛は存在しない。


 それでもリュシューリアは思うのだ。存在しないから必要無いではなくて、まずは知る事から始めてみよう、と。知らないからと全てを遮断してしまうのではなくまずは知る事から。


 まるで新たな可能性を得た様な気分だった。新しく作られたこの子が我らの光明となるよう。ほんの少しでいい。何かが変わればそれでいいのだ。だから――。


『今日から私があなたを守ります。…そして世界の有り様を、同時にその美しさをあなたに教えましょう。きっと可能性は見えてくる。私はそう信じます』


 もう二度と悲劇が起こらぬように。私は可能性を世界に残そう。それこそがきっと新たな光となる。もう二度とあのような事が起こらぬように。それだけを私は願おう。


 世界にはこの子が居るのだ。きっと優しい子に育ててみせよう。それこそが、きっと――。

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