第15話 埋まらない隔たり


 通信機であるピアスから当然聞こえてきた声。そして内容。…一体何故と、そうトウヤは思考を停止させて動きを止める。そこへ飛んで来るシスの怒鳴り声。


「トウヤ、囲まれてるぞっ!」


 その声にトウヤはすぐさま思考を蘇らせて、右手に持っていた電光棒を四方へ振るって青白い閃光を迸らせていた。それを見てシスが口笛を吹きながら漏らす。


「ヒュ~、やっぱダストは凄いぜ。それともトウヤだからか? …う~ん」


 果たしてどちらだろうとシスは漏らした後、自らも負けじと両手に構えた長刀を持って雄叫びを上げて走り始める。…そんな彼らの頭上では、二頭のペガサスが太陽を背に青空の中を飛び続けており、地上で戦う主の仕事が終わるのを今かと待ち続けていた。


 筒状に刳り貫かれた山頂へと続く開口部、その底から見えるのは丸く刳り貫かれた青空、そして僅かに差し込む陽光のみ。地上を駆ける彼らに見えるのはアゾロイドの群れだけ。


 直径五百メートル程の広さをした闘技場内に、ダスト二名を含めたハウンド・ドッグ達は一定距離を保って展開していた。作戦が開始されて小一時間程。既にアゾロイドは半分以下にまで減っており、陽が傾き始める前に決着が付くのは明らかであった。そんな中で入った一本の音声通話。…何故今更と、そう思うとトウヤは苦渋を禁じ得なかった。


 都市から音声通話が入った事は、運よく誰にも気付かれなかったようだ。傍で戦っていたシスですら気付かなかったようで、耳に着けているピアスが唯の飾りだと思われていたのが幸いしたようだ。これはダスト専用回線を使用せずに、全く別回線での通信を可能とした音声通話専用の無線機だったのだ。だから何かしらの連絡を受けるのはこちらだと思っていた。しかしまさかクライスからだとは思ってもみなかった。…何故彼がこのピアスに?


 いいや、彼はヴォグフォート・グループの人間だ。ダスト本部に問い合わせれば何の問題も無く教えてくれるだろう。…そういう場所だ。ダスト本部という所は。


 そして彼との通信を終えた後、もう一本音声通信が入ってきた。トウヤは双方から聞かされた内容を思い出しながら、今はとにかくと大量のアゾロイドを蹴散らしながら考える。


 初めはクライスから。続いて連絡してきたのは何と指令型からだった。…しかも何故か、相手はトウヤに対して恭しく敬語を使い、今すぐ迎えに行くから遺跡の外で待機するよう言ってきたのだ。それに対して今は任務中だと怒鳴れば、指令型から特務だと言い返された。


 何が特務だ。そうトウヤは電光棒を振るいながら歯切りする。…指令型はトウヤに言った。これはヴォグフォート・グループ副社長による直々の要請。あなたに拒否権はありません。特務である以上、現在あなたに課せられている契約も任務も全て一時凍結されます、と。


 副社長と聞いて、その時になって初めてクライスが副社長に就任した事を知った。そんな彼が今更何の用だ。こちらは地べたを這い回るダスト。機械清掃がお似合いだというのに。


 そうトウヤは思いつつ、どうしたものかと考えながら電光棒を振るい続ける。だがそこへ改めてピアスに通信が入って来て、抑揚の無い指令型の声が漏れ出て来る。


『トウヤ様、何かアクシデントでも発生しましたでしょうか。わたくし共は既に指定場所へ到着致しました。そちらへ転送したマップにマーカーしている地点です。何か問題が生じている様であれば仰って下さい。わたくし共がそちらへ向かい、一掃させて頂きますので』


「っ! もう来たというのか。…馬鹿な、早すぎるっ! こちらはまだ――」


 あれから十数分程しか経っていない。それなのにもう来たというのか。冗談にしても性質が悪い。確かに今すぐ向かうとは言っていたが、これほど早いとは誰が予想できようか。


 そうトウヤが驚いていると、指令型は通信の向こうで短く沈黙した後、再び抑揚の無い声で「分かりました」と単調に言ってくる。そしてトウヤに対してこう言ってきたのだ。


『トウヤ様に重大な問題が発生していると判断。これより殲滅に向かいます。指令型十機。装備をSQ‐3へと移行。殲滅対象、障害物と成り得る全て。以上』


「…なっ! おい、冗談は止せ。そんな無茶苦茶なっ」


 それは余りにも非常識な対処法であり、装備の内容は何百単位のキメラやアゾロイドに対応出来るほど常識から外れた物だった。…この遺跡を焦土にでも変えるつもりだろうか。


 余りにも非常識で、しかし有り得ない話では無いとトウヤは戦慄を走らせる。だがその間にも刻一刻と過ぎていく。相手は通信を敢えて切らず、通信の向こうから不気味な機械音が聞こえ始める。…突入の準備をしているのだ。そう気付いた時、トウヤは慌てて叫んでいた。


「…ま、待てっ!」


 すると聞こえていた音はぴたりと止み、代わりに嫌な沈黙が流れ始める。こちらの返答を待っているのだ。そう気付いてもトウヤにはどうする事も出来ず、止む無く「…分かった。今からそちらへ向かう。だからそこで待機してくれっ」と告げるしかなかった。


 トウヤからの返答に、指令型は「了解しました」と不気味な笑みを滲ませて返してくる。そして今度は何事も無かったかのように通信を切ってしまった。しかしトウヤは一人動揺するばかりで、思わず弾かれた様に顔を上げて周囲を見回していた。そして小さく漏らす。


「いま俺がここを離れて…それを彼らはどう思う? でも説明をしている暇も無い。俺の事を逃げたと、そう思うだろうか。それとも裏切ったと思うだろうか。…もし俺がこのままこの場に留まったら、それこそ彼らの身に危険が及ぶ。俺はダストだ。そんな事は――」


 絶対にしたくない。彼らに危険が及ぶのであれば、自分は喜んでこの場を離れるべきだ。そうすべきなのだ。でも何故だろう。足が動かない。動きたくないと自分の足が言っている。


 しかしとトウヤは小さく頭を振っていき、アゾロイドの攻撃を避けながら漏らしていた。


「ダストになって、初めて一緒に居たいと思った。…まだ彼らと一緒に居たかったのにっ」


 初めて一緒に居たいと思えた人間。それが彼らだったのに。こんな形で離れなければならないのか。たとえ再び戻って来られたとしても、もう彼らは自分の事を信用しないだろう。


 作戦の最中に居なくなるようなダストだ。信用などされる筈が無い。そんな事は分かっている。でも命令には従わなければ。そうしなければ彼らまでもが――。


「…っ」


 トウヤは強く唇を噛み締めていき、構えていた電光棒を下ろして腰へと戻していく。だがそれに傍で戦っていたシスが気付き、様々な戦闘音が入り混じる中で「トウヤ、どうしたっ」と危機迫った表情で叫んでくる。しかしトウヤはそれを無視して、二本の指を口内に入れて甲高い音を発していき、その音に従って降りてきたペガサスに飛び乗って行く。


 そんな余りにも突然なトウヤの行動に、シスはアゾロイドを蹴散らしながら叫んだ。


「トウヤ、一体どうしたんだっ! …まだ作戦は終わってねぇぞ。どうしてペガサスにっ」


「…、すまない」


 トウヤはそれに詫びる事しか出来ず、そんなシスを置いてペガサスで大空へと飛び立つしかなかった。そんな最中にもう一つの指笛が響いてきて、もう一頭のペガサスが地上へと降り立って行く。そして自らの主を乗せて大空へと飛び立って来て、先に飛び立ったトウヤのペガサスを追う様に急接近しながら叫んでくる。


「馬鹿っ、何やってんだよ! まだ掃除は終わってねぇだろ。何処へ行く気だ、馬鹿!」


「…マックス」


 それはマックスだった。トウヤの異常を察して追ってきたのだ。そんな彼女を見てトウヤは思う。…彼女は自分の相棒だ。彼女にだけでも説明しておくべきだ。でも――。


 もう時間が無い。それに彼女を説得出来るかも分からない。何よりも今回の件は私事にも等しい。彼女を巻き込む訳にはいかない。相手はクライスだ。なら自分一人で赴くべきだ。


 そうトウヤは心中で思い、表情は敢えて嘲笑うような顔をして見せながら言っていた。


「お前は知っているだろう? …俺はな、こんな泥臭い仕事をするような人間じゃないんだよ。咲耶グループ。世間に疎いお前でも聞き覚えくらいはある筈だ。…俺が本来立つべき場所が俺を呼んでいる。だから俺は戻る。お前はここで機械掃除でもしていろ」


「っ!」


 それを聞いて、彼女の顔が青ざめるのが見えた。そして今にも泣きそうなほど双眸を潤ませていき、まるで縋り付く様な眼をしてトウヤを見上げながら叫んでくる。


「冗談…だろ? だってお前、今の自分はダストだって言っていたじゃないか。出身なんて関係ない。今の自分は俺と同じダストなんだって、そう言ってたじゃないか! それなのに今更なんだよ。今になってそれを言うのかよ。生まれの違いを言うのかよっ! 今更――」


「……」


 悲しげに彼女から叫ばれて、トウヤは知らず苦渋を浮かべていた。だが時間が無いのだと己に言い聞かせていき、追い縋る彼女を振り切る様に冷眼を向けて告げていく。


「お前はこのままスオウ達と一緒に居ればいい。だが俺は本来在るべき場所へと戻る。俺とお前。初めから何もかも違い過ぎたんだ。…だから」


「…え?」


 その瞬間、マックスには己の身に何が起きたのか理解出来なかった。ペガサスの左翼から血が吹き出る。背中から放り出されて体が宙を舞う。一体何故? 一体何が起きたんだ?


「マックスーーっ!」


 その時、遥か地上からシスが叫んでくる。涙で前が見えない。トウヤのペガサスが遠い空へと消えて行く。…追わなければ。いま追わなければ二度と彼に逢えなくなってしまうっ!


「…トウ、ヤ」


 伸ばした手が空を切る。思考が止まる。何も考えられない。…何も、何も、何も――。


 シスはそんなマックスの体を空中で受け止めていき、ダンッと重々しい音を立てて地面へと着地していく。ペガサスの方はと見ると、ペガサスはどうにか体勢を立て直して地上に降り立つ所だった。それを見てシスは安堵して、続けて自らが受け止めたマックスを見る。


「おい、マックス。マックスッ!」


 マックスは大量の涙を浮かべたまま意識を手放していた。そんな彼女を受け止めたシスの元にスオウとジュナが駆け付けて来て、上空を見上げながらスオウが怒鳴り込んで来る。


「一体何があったんだっ! …これは一体何事だ。トウヤは何処に行ったんだっ!」


「そんなの俺が知るかよっ! 俺だって聞きたいくらいだ。あいつ突然こんな――っ」


 シスにはそう怒鳴り返すしか出来なかった。だがシスはそう言えばと思い出し、もしやとそれを必死に思い出しながらスオウとジュナへと言っていた。


「…あいつ、誰かと話してるみたいだった。それにあいつ、飛び立つ直前に俺に謝ったんだ。すまないって。でもそれ以上は分からない。俺にも分からないんだよっ!」


「……」


 そう叫ばれてスオウは沈黙していき、改めて空を見上げながら小さく呟いていた。


「こんな遣り方をして彼女の手を振り払って、何かありますって言ってるようなものじゃないか。彼女を僕らの元に残して自分だけが去って、それほどにも彼女が大切なんだね」


「…え」


 それを聞いてシスは眼を瞬かせていき、自らが抱いているマックスを見る。そんなシスの反応にジュナは呆れ顔をしていって、周囲の状況を確認しながら言っていった。


「作戦は無事終了。…あんたね、その鈍感さは最早罪よ。何の前触れも無く突然掌を返して、彼女を守りたい一心が表れてたじゃない。…まぁ尤も、当人が自分の行動の意味に気付いているかは物凄く疑問だけど? あの子、不器用だから。多分気付いてないでしょうね」


「「……」」


 確かに。そうシスとスオウは思わず呆れ顔をしていた。しかし、ならばとシスは苦い顔を浮かべていき、スオウとジュナに視線を向けながら言っていた。


「あいつはマックスを俺達の元に残していった。しかもあんな方法でだ。…あいつ、戻ってくるかな。俺達の元に。マックスの元にさ」


「「……」」


 それに二人は答えられず、苦い顔をして押し黙るしかなかった。でも何故だろう。何故か嫌な予感がしてならない。何か嫌な空気がトウヤから漂っていた。おそらく本人も気付いていないだろう。本人も無意識だったに違いない。その為にマックスを残して行ったのだ。


 本人さえ気付いていない、不吉な予感に駆られての行動。…そうとしか思えなかった。


 ずっと戦いの中で生きて来た者の勘。その勘は高い確率で当たり、大切な者をこの手から奪い取って行く。そんな予感を誰ともなく感じ取り、彼らは何も言う事が出来なかった。


 そんな時、闘技場の中央からゲイボルグの猛々しい声が聴こえてくる。続けて彼は叫んだ。


「撤退だ! 次の戦に備えろっ! …気を抜くな。次はデカいぞっ!」


「「「っ!」」」


 驚くべき言葉に全員が弾かれた様に顔を上げていって、発言者であるゲイボルグを見る。だが彼の表情は引き締まっており、とても冗談を言う様な表情では無かった。


 そんな隊員達の反応を真剣な面持ちで受け止めていき、ゲイボルグは話を続けた。


「お前らだって何となく感じてるだろ。…現にダストの坊ちゃんが出て行ったじゃねぇか。ゴールドのダストが動いた。その意味を絶対に楽観視するな。ゴールドは都市を守る要だ。そんなゴールドが俺達との契約を無視してまで動いたんだ。何かある。そう見るべきだ」


「「「……」」」


 そう言われて、全員が表情を引き締めていた。そうして彼らは闘技場を後にする。未だに目覚めないマックスを連れて。次の戦いに備える為に。新たな戦いへと赴く為に。


 彼らは第一一〇プレハブへと戻って、次の戦いに備えるべく武器の手入れを始めていく。そんな中で目覚めたマックスはペガサスの傷を手当てして、彼らを傍観するしかなかった。


 本当は体の調整をしようと都市に戻ろうとした。…でも、それをゲイボルグが止めたのだ。いま戻るべきではない。どうしても調整が必要なら別の都市で調整して貰え、と。


 一体何故と、そうマックスは不安を隠せない。慌ただしく戦の準備をする彼らの様子を、マックスは傷付いたペガサスに寄り添って遠目にするしかなかった。そして一人思う。


 …トウヤは自分を巻き込まない為に残して行ったのだろうか。その為に自分を――。


 彼は不器用だ。そして誰よりも優しかった。そんな彼の事だ。有り得ないとは決して言えないだろう。でもと、マックスは思う。自分は相棒ではないのか。それなのに何故、と。


「俺も連れて行って欲しかったな。危険でもいい。大変でも構わない。だって俺はあいつの相棒なんだから。一緒に居るべきなんだ。その為に俺達はバディを組んでるのにっ」


 そうマックスは緋色に染まった夕焼けの中で一人漏らす。そんな彼女を心配するようにペガサスが頭を摺り寄せて来る。そんなペガサスの頭を撫でてやりながら、マックスは声も無く泣き続けた。戦の足音が近づいて来る。…ヒタリ、ヒタリと静かに近づいて来る。


 嫌だと、マックスは一人泣き続ける。そんなマックスを慰める者は居ない。周囲は慌ただしく戦の準備に追われており、そんな彼女を気遣う余裕のある者は誰一人居なかった。


 戦の足音が近づいて来る。ゆっくりと、そして確実に近づいて来る。その足音を止める事は出来ず、誰もが時間の流れに身を任せるばかり。絶望が彼らを覆い尽くそうとしていた。


 すぐ傍まで来ている。絶望が間近まで迫っている。分かっていてもどうする事も出来ず、今のマックスはただ泣き続けるしかなかったのだった。

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