第16話 急襲、そして食事会
…何かが変だと、そう気付くのに時間は要さなかった。トウヤは遺跡の傍まで迎えに来ていたジェット機にペガサスと共に乗り込み、そのままイルフォート・シティへと向かった。
しかし、機内には何かおかしな空気が漂っていた。副社長であるクライス…財閥の御曹司から命じられただけにしては明らかにおかしかった。機内はジェット機にしては広く、迎えに来た指令型が十二名程乗り込んでいた。何故か彼らの表情は険しく強張り、ゴーグル型のディスプレイで目元が覆われているにも拘らず、双眸が厳しく釣り上がっているのが判る。
そして操縦桿を握っている指令型と話していた指令型が振り返って来て、そんな機内の様子に困惑しているトウヤに向かって話し掛けて来た。
「トウヤ様。…いいや、シズナール。通信をオフにしろ」
「?」
それは違反行為ではないのか。そうは思ったが、トウヤは命じられるままに体に内蔵された通信システムの全てを遮断していく。それを指令型に頷いて見せると、指令型は「よし」と短く頷いて言葉を続けて来た。
「これより先、全てのシステムを信用するな。自分に内蔵されたシステムは然る事ながら、都市のシステムの一切を信用してはならない。…ふっ、内々で外に出る方法を模索していた時に良い話を貰えた。時には権力者の我儘もいいものだな。今回は助かったよ」
「…何だと?」
驚くべき事を言われて、トウヤは眼を見開いていた。…よく見れば、何故かジェット機を手動で操縦している。中にはディスプレイであるゴーグルを着けていない指令型まで居り、その異様さに今更に気付かされた瞬間だった。クライスの命令は口実。そう言っているのだ。
何故誰かの命令を口実にする必要があったのか。何故一切のシステムを信用してはならないのか。そう考えている内に、トウヤは背中に冷たい汗が流れるのを感じた。そして叫ぶ。
「誰かの侵入を受けたのか。システム内に。都市のシステムにっ」
「……」
悲鳴染みたトウヤの問いに指令型は答えない。代わりに操縦桿を握っていた指令型から絶叫にも等しい声が上がって来て、全員がそちらを見ると操縦者の指令型が叫んで来る。
「敵影在りっ! …数は千、いいえそれ以上です。発見されました。こちらに来ますっ!」
「数は特定不能だと? …馬鹿な、もうこんな近くまで来ているのかっ!」
そう指令型は動揺混じりに叫び、直後にジェット機は大きく機体を傾けて旋回を始める。すぐに尾翼、左翼と何者かの攻撃を受けて機体が大きく揺れて、そんな中で指令型は叫ぶ。
「全員降下準備っ! 生き残ろうなど考えるな。一匹でも多く足留めしろっ! いいなっ」
非情とも言える命令に全員が「了解っ」と応え、そして底部の扉を大きく開けて飛び降りて行く。当然その背中にパラシュートなどなく、誰もが電光棒だけを持って飛び出して行く。
トウヤは機体の後部へと向かい、すぐさまペガサスに跨って機体から飛び出す。その直後にジェット機は大爆発を起こし、赤い炎と黒煙に包まれながら地上へと落ちて行った。
そこに広がっていたのは黒い空だった。一面を黒い鉄の塊が埋め尽くし、歪な機械の翼を羽ばたかせて幾多の赤い瞳でこちらを見つめている。巨鳥だ。鳥の姿をしたアゾロイドだ。
「…っ」
ぞっとする光景だった。トウヤは恐怖を振り切る様に頭を振って行き、地上へと降下して行った指令型の後を追うべく自らもまた降下して行く。それに従って巨鳥達もまた動いて、トウヤの後を追う様に地上に向かって降りて来る。…赤い大地の上では指令型が既に乱闘を繰り広げていた。僅か十二人の指令型は鋼鉄の竜巻と化した巨鳥達に囲まれて、それでも怖じ気付く事無く電光棒を振るい続けている。青白い閃光が鋼鉄の竜巻の中から光る。
戦っている。あの絶望的な中で彼らは戦っているのだ。そんな中で聞こえた一つの声。
「行け、シズナール! お前はシティに戻って報告しろ! この場は我らが引き受けた!」
「っ!」
最早嫌だとは言えず、トウヤはすぐに手綱を弾いて飛び立って行く。後ろから追って来る巨鳥を何匹か切り裂きながら、トウヤは只管とシティを目指して飛び続ける。
一体何が起きているのか。何者かに侵入されたという都市システム。そして凄まじい数で強襲して来たアゾロイドの群れ。クライスの命令に託けて出て来たという指令型達。
何もかもが異常だった。恐怖を感じている暇すら無く、与えられた時間を一秒でも無駄にしまいとトウヤは大空を翔る。…この時、トウヤはふと空を見上げて思っていた。
今は夕方だったのだな、と。いつの間にか時刻は夕方になっていたのだ。こんな時に思い出すのは何故かマックスの事で、いま彼女はどうしているだろうかと思考の片隅で思う。
無事だといい。あの場に彼女を残してきて良かった。連れて来なくて本当に良かった。
そんな想いを刹那に抱いた後、トウヤは一度だけ瞼を伏せて表情を引き締めて行く。だが巨鳥達は容赦せず、何度も行く手を遮られては電光棒を振るって払い除けるのを繰り返す。
やがてトウヤはシティへと辿り着き、転がり込む様に空港に降り立ってペガサスを預け、自らは傷付いた体を隠しもせず大急ぎで最上層である二十階層をエレベーターで目指す。
だが行く先々で「何だ、その姿はっ」と怒鳴り付けられて、トウヤはその全てを無視して只管と歩く。…通常であれば、索敵型のダストが最上層に足を踏み入れる事は無い。
スオウ達の様に外部から契約者が現れた場合のみ。それ以外は全て通信で済ませる事になっている。でも今は通信を繋げる事は出来ない。一体何が起きるか判らないからだ。
そうして二十階層に在るダスト本部へと辿り着いて、まるで全ての富を集約させたかのような幾何学的な高層ビルに囲まれたダスト本部に殺意を滲ませる。
無駄に豪華な正面玄関から中へと入り、真っ直ぐにカウンターへと向かったトウヤではあったが、何度説明してもランクSの指令型には会わせて貰えず、カウンターのロボットに口頭で報告した後「報告を受理。送信いたしました」と言われてしまった。
それでは意味が無いではないか。何の為にこんな場所まで足を運んだと思っているのか。所詮相手はロボット。単調労働だけを目的として作られたロボットという事か。
でも索敵型のトウヤではロボットに文句をぶつけるのが精々で、結局は「警備システムを作動しますよ」と脅されて引き下がるしかなかった。…そうしてトウヤはダスト本部を後にして、「くそっ!」と悔しげに吐き捨てて拳を震わせる以外に無かった。
どんな非常事態でも索敵型は索敵型。ランクSになってもそれは変わらないという事か。
「……」
それにしてもと、トウヤは改めて周りを見回して思っていた。幾何学的な超高層建造物が建ち並び、各所に植えられた街路樹が見事なコントラストを成していた。その下を行く人々に憂いは無く、誰もが余裕の表情を浮かべて武器一つ持たず優々と歩いている。
そんなごく日常の光景に殺意を覚えたのは初めてだ。…元々トウヤは十九階層の出身だ。十九階層は都市でも一握り以下と言われる超裕福層が集まる層。ここより遥かに絢爛豪華な建造物が建ち並び、人々の姿もまた際立って華やかだった。でも今はそれを不快に思う。
「二十時。確かクライスは食事会がどうとか言っていたな」
場所はリリーナ・ケティ・ホテル。確かダスト本部から然程離れていない筈だ。開催日時は今日の十九時。今から行けば間に合う筈だ。…その時、ダスト本部から全ダストに向けて厳戒態勢が発令される。だが現段階では下位のブロンズだけの様で、シルバー、ゴールドは待機と街中の各所に設置された電子掲示板には記されていた。何とも悠長な事だ。
そうトウヤは唇を噛み締めた後、自らは超高級ホテルと有名なリリーナ・ケティ・ホテルを目指す。その道すがら二十階層で働く人々は「…何て野蛮な」と、塵埃に塗れて傷だらけのトウヤを見て煙たい視線を向けてくる。それらの視線を無視してトウヤは只管と歩く。
街の各所ではレトロなデザインの街灯が灯り、高層ビルの明かりと店の明かりが美しい夜景を作り出す。その中を行く人々は軽やかな足取りで街を行くばかり。
そうして辿り着いたホテル。…過去に一度ここで開かれたパーティーに参加した覚えはあるが、やはり記憶通り無駄に豪勢で、そして中世の王城を模したような形のホテルだった。
だがトウヤが玄関から入ろうとすると、案の定と言うべきか入口のボーイが飛んで来て、全身埃塗れで傷だらけのトウヤに眉間を寄せながら、不快感を隠しもせず言ってきた。
「お客様、招待状はお持ちでしょうか? そしてお客様、当ホテルでそのような姿は――」
ボーイは丁寧な口調ではあるが、その視線は明らかにトウヤを蔑み、金色に輝く左腕へと注がれていた。…人間専用で、しかも裕福層専用ホテルに何の用だ。そう言っているのだ。
でも、そんな態度にトウヤが怯む事は無かった。トウヤはそんなボーイを一瞥して告げる。
「ならば帰らせて貰おうか。…しかしな、その時は貴様に門前払いを受けたからだと先方に伝えるからな。俺は咲耶グループのマサツグ・咲耶社長の長子、トウヤ・シズナール・咲耶。常日頃から親しくさせて貰っているヴォグフォート・グループの副社長より招待を受けた。改めて言わせて貰おうか。貴様が止めるのなら俺は帰る。それでいいな?」
「…っ」
さっとボーイの表情が青ざめたのが見えた。しかしボーイは尚も立ちはだかり、トウヤの身分を判断し兼ねているようだった。有名な咲耶グループの息子がダストな筈が無いとか、どうせそんな風に考えているのだろう。万一ダストだったとしても様子がおかしい。
裕福層出身者であるダストなら現場には出ない。だから埃塗れになる事も無ければ怪我を負う事も無い。でも万一トウヤの言っている事が本当だったら。そう考えているのだ。
だがトウヤはそれを待ってやるほど寛容では無かった。トウヤは険しい顔をして告げる。
「もう俺は行くぞ。…見ての通り立て込んでいるのでな。悠長な貴様に付き合ってやるほど時間を持ち合わせていない。クライスに伝えろ。…貴様の馬鹿さ加減には呆れ果てたとな」
「…お、お待ち下さいっ!」
そこでようやくボーイが声を上げる。そして弱り顔を浮かべながら「ご案内いたします」とトウヤに告げてくる。それを受けてトウヤは暫し考えた後に頷いていって、中へと入っていくボーイの後に従って歩き始めた。…内部は異常なまでに絢爛豪華な様相をしていた。
各所に置かれた様々なアンティーク、そして有名な絵画の数々。エントランス・ホールの正面には芸術とも言える一枚板の大理石が嵌められており、その中央には黄金の壁時計が飾られている。本当に中世の王城にでも来たようだと、そうトウヤは眉間を寄せていく。
ボーイはそんなトウヤに何も言わず、怖々とした表情をしてエレベーターへと案内する。そして先にトウヤを乗せて自らも乗り込み、最上階である十五階のボタンを押していった。
そうして扉が開いて行くと「こちらで御座います」とトウヤに告げてくる。だがボーイはエレベーターを降りず、そのままエレベーターで一階へと降りて行ってしまった。
残されたトウヤはやれやれと溜息を付くしかなく、人気の無い廊下を緩やかに歩き出す。その途中で警備ロボットに阻まれては下がらせて、ようやくトウヤは会場へと辿り着く。
「……」
僅かに逡巡した後、トウヤは目の前にある木製の大扉を開いていた。中から差し込む無駄な明かりが眼に痛い。そう顔を顰めながら入って行くと、真っ先にトウヤを迎えたのは何とクライスだった。クライスは相変わらずの格好をしており、嬉々とトウヤに話し掛けて来る。
「トウヤ、来てくれたんだ! …でも、一体どうしたんだ。酷い格好じゃないか」
「……」
それにトウヤは怒りを覚え、思い切りクライスを睨み付けていた。だがその際視界の端に不快な人物の姿も映り、何故ここにと更なる怒りを覚えながら言うのだった。
「今の俺はダストだ。こんな場とは無縁な存在の筈だぞ。それを分かっていて、何故お前は俺をこの場に招待した。それも俺が外の仕事に就いている時にだ。一体何故だっ! その時俺が何をしていたか。お前に教えてやるっ! …俺はアゾロイドと戦っていたんだぞ。一つ二つのアゾロイドじゃない。数百にも上るアゾロイドを相手にしていたんだっ! それを邪魔してまで俺を呼び寄せた理由、お前の口から直接説明しろ。これは一体どういう事だ!」
「…どういう事って」
だって君はダストじゃないか。そうクライスは困惑顔でそう思い、何故トウヤはそんなに怒っているのか理解出来なかった。その権力が自分には在るからだ。それ以上でも以下でも無い。それを行使して何が悪いのか。それがクライスには何一つ理解出来なかった。
そうクライスが困惑していると、先ほどトウヤの視界に映った人物が二人の元へと歩み寄って来て、クライスへと淡く微笑んだ後、汚らわしい物を見る様にトウヤを見て言う。
「これはこれは。…兄さん、お久しぶりです。お元気そうで何より。兄さん、時間はきちんと守らないと駄目ですよ。一時間も遅刻しているじゃないですか。そんなだからマクミラに叱られるんですよ。今日は僕が代理で出席していて良かったですね。じゃなかったら大変だ」
「…マサキ」
それは弟のマサキだった。マサキはトウヤとは違って黒髪を短く整えており、光沢を放つダーク・スーツに身を包んでいる。だが眼の色はトウヤと同じ赤。そして二つ下のマサキの方が優に頭一つ身長が高い。その為トウヤを見下ろす様な形となっており、傍目から見ると遅刻した弟を叱る兄の図柄となっていた。しかしと、トウヤはマサキを睨んで告げる。
「もう俺はグループの人間じゃない。…人間ですらないんだ。今更家付きの執事の顔色など窺ったりするものか。でも貴様も居るという事は、何を話しても無駄という事だな。貴様と俺は昔から意見が合わなかったからな。今は時間が惜しい。だから手短に説明するぞ」
「おやおや、釣れないですね」
マサキはそう軽口を叩き、しかし次に発せられるであろうトウヤの言葉を待つ。そんな弟の視線を受けて、トウヤはマサキ、続いてクライスと睨み付けて怒り混じりに言っていた。
「これは未だ公表前されていない話だがな、特別に貴様達には教えてやる。…現在、都市は夥しい数のアゾロイドによる襲撃を受けようとしている。その前兆を捉えて指令型が動いていたんだ。…クライス、お前はそれに上手く利用されたんだよ。既に様々なシステムへと侵入を受け、彼らはシステムを信用するなと言っていた。これは嘘や冗談なんかじゃない。現実の話なんだ。俺にはお前達と一緒に飲み食いしている暇などない。分かったかっ!」
トウヤは会場内に居た全員を睨み付けていき、声の許す限りで怒鳴り付けた。だがそこへマサキが苦い顔をしてきて、あの尊大不遜だった弟とは思えない顔をして訊ねてくる。
「兄さん、待って下さい。…すると、あなたはこれから現場へと戻るのですか?」
「愚問だ。今の俺はダスト。索敵型のダストである以上当然だろう」
そうトウヤがにべも無く返していくと、マサキの表情が曇って更に言い募って来る。
「一体何を考えているんですか! 数すら把握出来ていないのでしょう。そんな中に戻ると言うのですか。態々あなたが戻らなくてもダストなど幾らでも居るっ! あなたが戻る必要など無い筈だ。父さんと母さん、それにお爺様とお婆様も心からあなたの事を心配されてらっしゃるのですよ。僕達家族を悲しませるつもりですか。そんなだからあなたはっ」
「俺はダストだ! お前に止められる謂れなど無い! お前は会社に戻って父親の手伝いでもしていろ。何れは廃棄処分にされる身だ。今更自分の命など惜しくは無いっ!」
「…兄さんっ!」
マサキらしからぬ制止にもトウヤは怯まず、怒りを滲ませながら怒鳴り返すだけだ。だがマサキはまだ納得が行かないのか、悔しげに顔を歪めて更に声を荒げてくる。
「あなたは何も分かっていないっ! 父さんと母さんがあなたを見捨てたと、本当にそう思っているのですか。跡取りを僕にして長子であるあなたを見捨てたと、そんな風に考えて自らの命を軽んじているのですかっ! …馬鹿だ、兄さんは馬鹿だ! 先日あなたは深刻な損傷を負ってプラントに担ぎ込まれたでしょう。何もかも知っていますよ。父さんの元に報告が来ましたからね。父さんはあなたに何かあれば知らせるようにと、事前に手を回しておいたんですよ。…その意味が判らないほど愚かではないでしょう。その時、父さんと僕がどれほど心配したか分かりますか。母さんには伝えられず、伏せておくしかなかった理由が今のあなたに分かりますかっ! 分かりはしないでしょう。自分に注がれていた愛にすら気付かない愚か者だ。分かる筈が無いっ! どうすれば分かってくれるんですか。今ここで僕が土下座でもすれば分かってくれますか。…なら幾らでもしますよ。どうなんですかっ」
「…っ」
そんな絶叫ともいえるマサキの告白を聞いて、トウヤは小さく驚愕した後に悲痛に顔を歪めるしかなかった。何故今になってそれを言うのか。遅きに失した今になって何故――。
余りにも今更で、取り返しのつかない今になって教えらえる。…父さんがそんな根回しをしていたなんて知らなかった。そんな風に気に掛けてくれていたなんて知らなかった。
しかしと、トウヤは顔を歪めたまま彼らへと背を向けていき、静かに言うしかなかった。
「今の俺はダスト。…その事実だけは絶対に変わらない。現在命令が下りているのは下位のダストだけだ。でも何れは中位、上位と命令が上がって行くだろう。そうなれば――」
「関係ありません。ならダスト本部に圧力を掛けます。それで問題は解消する筈だっ」
「マサキ、我儘を言うな。…でも、ありがとう。俺にはその言葉だけで十分だ」
そうトウヤは寂しげに微笑んだ後、緩やかに木製の大扉を開いて会場を後にしていった。そんなトウヤの後ろ姿を彼らは黙って見送るしかなく、だが彼らは各々が身に付けていたアクセサリー型のデバイスが光っている事に気が付いて、慌てて目の前に半透明な青白いディスプレイを表示させていく。そして彼らは一瞬にして青ざめて慌て始める。
…それは市民全員に発令された避難命令だったのだ。しかし裕福層が住む十六階層から上はその限りではなく、各人の職場へと急行するよう指示が下りていた。
下位ダストは既に交戦状態にあり、中位、上位ダストもすぐさま前線へと向かうよう指示が出されていた。一般市民は各所に設けられた避難シェルターへと退避。まだ危険が迫っていない十六階層から上の住民は職場へと向かって現状対応。そう知らせが来ていたのだ。
最早権力を行使できるような状況ではないのだと、そう察するのに時間は要さなかった。彼らは大慌てでホテルを後にして、各々の職場へと向かう。だが有事と化した現在で、彼らの居場所がある筈も無かった。何も出来ず後ろに佇み、忙しなく動く社員を見つめるばかり。
何も出来ない。彼らはこの日、それを強く痛感させられる日となった。誰もが差し迫った危険を少しでも回避しようと動いているのに何も出来ない。…そう落ち込んでいる彼らに、彼らの親は陣頭指揮を執りながら彼らへと言っていくのだった。
今はまだ良い。これからゆっくり覚えればいいのだ。お前の役目は見ている事なのだと。
そう優しく諭されると、彼らは「ならば自分は間違っていない」と思う様になり、次第に忙しなく動き回る社員達を使えない駒として蔑視する様になった。…そして彼らは笑う。
おそらく彼らには何一つ関係ないのだろう。目の前で誰かが必死になって働いていても、見えない場所で多くの者が死んで逝ったとしても。彼らには何の関係も無い。
だって住む世界が違うのだから。それこそが彼らの世界に対する認識であり、違える事の無い絶対的な観念であった。…こうして世界は回って行く。多くの者を踏み台にしながら。
踏み台とされた者達が流す涙を、果たして誰が拭ってくれるのだろう。…いいや、拭ってくれなくても構わない。新たな涙が流されないように、都市だけは絶対に守って見せる。
ここには私達を産んでくれた両親が、幼い頃より共に育った兄弟が、楽しく笑い合った友が居るのだ。誰かに褒められたい訳じゃ無い。ただ守りたい。それだけだった。
この身から血の代わりにオイルが流れ出て、内臓の代わりに機械が飛び散ろうとも。最期まで都市を守る為に戦い抜こう。それだけが自らが存在したと証明出来る手段なのだから。
その為だけにダストは存在する。それ故に人間以下というレッテルを貼られて、その為に肉体の大半を機械へと変えられたのだから。その為だけに存在する。…その為だけに。
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