第14話 権力者の頂


 …ここに立つと、まるで世界を手中に収めた様な気分になる。そうクライス・アリシア・ヴォグフォートは口元に笑みを浮かべながら思っていた。


 ここは世界十大都市であるイルフォート・シティの最上層、ごく一握りの者しか立ち入る事が出来ない二十階層であった。そこに立つ三百階建ての高層ビルの最上階にクライスは居た。ここは世界でも有数と名高いヴォグフォート・グループの本社、通称VF本社ビルだ。


 ヴォグフォート・グループは世界で初めて合成獣キメラの作成に成功。それ以来キメラに関しては高い市場占有率を誇り、現在はアゾロイド及びキメラ殲滅の為に貢献している。


 そしてクライスは、そのヴォグフォート・グループの副社長であった。確かにクライスはルヴェート学園に通う学生だが、社長である父から断っての願いを受けて先月副社長へと就任した。…ここはクライスの為に用意された執務室であった。


 まず木彫りの装飾が施された木製扉を正面として、左手の壁には各ジャンルの専門書が揃えられており、右手の壁には社内の書類などが大量に詰め込まれている。一時期こそ紙の資料を嫌った時期もあったようだが、結局無くなる事は無く、こうして現代でも残っている。


 扉の正面には大木を切り取って作られた高級机、そして床には既に絶滅した羊毛で作られた赤い織物の絨毯が敷き詰められている。そして机の後ろの壁は一面強化ガラス。


 その前にクライスは立ち、こうしてシティ最上層である二十階層を眺めているのである。眼下に見えるのは同様に建ち並ぶ高層ビル群、更に下には鮮麗で斬新な建造物の数々。


 今のクライスにとって、そのどれもが取るに足らない光景であり、また自分が次に座る事になっている地位を形作る為に存在している一要素であった。…その程度でしかなかった。


「さて、どうしようか」


 そんな疑問が漏れる。どうせ自分は何もしなくても社長に就任できる。ただ父が退くのを待っていればいいのだ。…でも、それでは味気ない。何かしたい。自分の手で何かが。


 そうクライスが思案していると、今まで黙ってクライスの傍に佇んでいた秘書の女性が徐に口を開いてきて、手元に半透明なディスプレイを発生させながら言っていった。


「副社長。先日お会いになったというダストの御友人ですが、その御友人は今月ランクSに昇級しております。…その為、二十階層に住む有権者には彼へと様々な依頼を出す事が可能となっております。ただし、彼が特務に就いていない場合に限りますが」


「特務?」


 不思議そうにクライスが問うと、それに長い金髪を緩く束ねた黒いビジネス・スーツ姿の女性―ユリアードが頷きながら事務的に答えていく。


「ランクSのダストに課せられた特別任務の事です。大抵の場合がアゾロイドやキメラの討伐らしいのですが、中には公表できない後ろめたい任務もあるようでして。中身に関しては公表されておりません。我らヴォグフォート・グループの権力を持ってしても、その内容を知る事は出来ませんでした。まぁ役人どもの尻拭いか何かでしょう。特に気にする必要は無いかと思います。現在彼は都市の外で任務に就いているようです。そして契約者は――」


「なら、彼を呼び出してよ。暇潰しには持って来いだ」


 そうクライスから間髪を容れずに言われて、ユリアードは「しかし」と苦い顔で告げる。


「確かに副社長なら可能ですが――。彼と契約している相手も居ります。余り強硬な手段を取られると無駄に敵も作りましょう。せめて彼に…シズナール様に予定を確認された方が」


「必要ないよ。だって彼は幼い頃からの友達だ。きっと首を縦に振ってくれる。それに今の僕はこのヴォグフォート・グループの副社長だよ? そして今の彼はランクS。下の方なら仕方ないかなって思うけど、ランクSなら遠慮する必要なんて無いし。だから呼び出して」


「……」


 それにユリアードは短く沈黙した後「承知致しました」と、そう告げていた。そして彼女は手元のディスプレイを手早く操作し始めて、それを横目にクライスは眼下を眺める。


 するとユリアードが指を止めて、クライスへと静かに訊ねて来る。


「どのような用件で呼び出されますか? …流石に用件無しでは呼び出す事が――」


 そう弱り顔でユリアードが告げていくと、それにクライスは短く思考して言っていた。


「そうだな。久しぶりに会いたい。学園の皆で食事会を開く事になったから、君も是非出席して欲しいって言ってよ。…ああ、彼には僕から連絡を入れておくよ。君はダスト本部へと手続きを行って欲しい。じゃないと色々と面倒な事になるだろうし。お願いね」


「分かりました」


 そうユリアードは返していき、再び空中で指を動かし始める。そんなユリアードを横目に、クライスは手元に青白い掌サイズのディスプレイを発生させていき、そこへユリアードがトウヤの通信番号を転送して来て、クライスは迷いなくそこへと繋げて彼が出るのを待つ。


 呼び出し音は数秒で終わった。だがクライスは直後に聞こえてきた騒音を訝しく思ったが気に留めず、笑いながら彼へと告げていった。


「もしもし、トウヤかい? …僕だよ、クライスだ。いま良いかい?」


『っ! …クライス、何の用だ。いま俺は――』


 それにトウヤは息を呑んでいき、苛立ち混じりにそう返してくる。彼の声に雑じって聞こえるのは吹き荒れる突風、そして轟音に誰かの咆哮。…どうやらトウヤは現在何かと戦っているらしい。でもそんな事はクライスには何の関係も無い。だからとクライスは続ける。


「まぁ聞いてよ。あのね――」


 嬉しそうにクライスは喋り、通信の向こうから聞こえてくる爆音に笑みを浮かべていた。やがてクライスが話し終わると、それを見計らった様に一際大きな爆音と怒号が聞こえてくる。直後に音を立てて切られる通信。それにクライスは呆れ顔をして漏らすのだった。


「…トウヤったら。僕の話、ちゃんと聞こえてたのかな。声が届いてたかも疑問なんだけど。まぁいいや。どうせすぐに会えるんだし。そうだ。皆にも連絡しないと」


 何せ食事会を急遽決めてしまったのだ。早く連絡しないと出席者が集まらない。食事会の日時は明日。午後七時にリリーナ・ケティ・ホテルの最上階。あそこなら問題ないだろう。


 同じ二十階層にあるし、何よりも格式を重んじるホテルだ。十八階層から上に住居を置く超裕福層しか入る事は出来ない。その点ルヴェート学園に通う学生なら何の問題も無い。


 当然それはトウヤとて同じ事。本来彼は十九階層の住民だ。都市でも一握り以下の裕福層しか住めない階層の出身なのだ。彼がダストだからと遠慮する事は無い。彼は何一つ自分と違わないのだから。本来の彼の身分なら、この都市で入れない場所がある筈は無いのだ。


 そうクライスがほくそ笑んでいると、ユリアードがディスプレイを消して報告してくる。


「対応可能な索敵型の上位ダストが不足している為、今回は指令型が対応するとの事です。指令型から副社長へと言伝です。…ヴォグフォート・グループには日頃からお世話になっております。今後ともどうぞ宜しくお願いしますとの事です」


「…宜しく、ねぇ。引き続き資金提供しろって意味だろ? …全く、何と言うか」


 動いてやるから今後も金を出せ。早い話がそういう事である。しかしグループが定期的に都市へ資金提供しているお陰で、連絡一本で指令型を顎で使えるのだから楽なものだ。


 親しい友人へと一通り連絡し終わると、クライスは改めて外へと目を向けていき、遥か下に見える地上を見下ろしていった。そしてほくそ笑みながら小さく漏らす。


「トウヤも分かってるじゃないか。やっぱりあいつには僕と同じ世界に居て貰わないとね。ダストでも数十人と言われるランクS。しかも僕と再会した後になんて話が分かる奴だよ。あいつは初めから戻って来るつもりだったんだ。…ここへ、この都市の頂へ」


「……」


 それにユリアードは何も言わず、眉一つ動かさずクライスの傍に立ち続けた。ユリアードは見てしまった。トウヤの素性を。彼はこのヴォグフォート・グループと並ぶ巨大グループの御曹司。咲耶グループの人間だったのだ。咲耶グループは農業プラント等を主として展開しており、その市場占有率は百%を誇るとさえ言われている。まさかそんな巨大グループの御曹司がダストに転落しているとは。…グループにとっては隠したい事柄だろうなと、そうユリアードは思考の片隅で思っていた。ダストに転落する原因は教育課程で受ける選別だ。


 クライスやトウヤが通うルヴェート学園の子供は、たとえ選別を受けても別の教育機関に移動される事が殆どだ。偏差値の低い教育機関へと移動して貰って、選別対象から外して貰うのである。でもトウヤはそれでもダストへと転落している。おそらく彼の両親が手助けしなかったのだろう。彼の出身からすれば、そうとしか考えられない状況である。


 しかしと、ユリアードはこうも思う。…確かに現在は成績一つで何もかも決まってしまう。でも一つ間違えば、あそこに立っていたのは自分だったかも知れないのだ。成績で何もかも決まっていると考え、遥か遠い地上で起きている現実を見ようともしない。


 このような頂から見える筈が無いのだ。そうユリアードは少しだけ思う。結局真実が何処にあるかなど誰も知りようがなく、自らが見える範囲内で生きるしかない。そういうものだ。


 それの何が悪いのだ。自分の見える視野の中で生きて何が悪い。所詮ユリアードも裕福層の人間でしかなく、自ら痛みを伴わない頂の人間であった。でも、それが生きるという事だ。


 頂で生きる者が一々地上を省みていては何も出来ない。だからこそ、私達は――。

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