第1章 人間とダスト

第1話 生物を拒む蒼穹


 カメラのレンズを通して観る世界は幻想。自らの眼で見る世界こそが現実。それこそ何度地上が荒廃しようとも、大地を包む蒼穹だけは万物を見守り続ける。どれだけ眼下に広がる大地が赤砂に覆われ、礫大地と化していようとも。大空だけは万物を見捨てずに居てくれる。


 度重なる天変地異や自然崩壊を受けて、人類は総力を結集して巨大な都市を築き上げた。それは時として地上の楽園、聖母の真珠貝などと称され、未だ人の文明が成長し続けている事を明確に示していた。それは壊れ行く大地で生きる人間が紡ぐ儚き夢か、もしくは他者を踏み躙っても己だけが生き抜こうとする強欲の為せる業か。…それでも蒼穹は大地を包む。たとえ大地が人間の為だけに存在しようとも。蒼穹は変わらず在り続ける。永遠に変わらず。


 現在では人と称される者の中に更なる枠が設けられ、正しい意味での人間と呼べる者は半数にも満たなかった。人間とは一部の者にのみ与えられた特別な称号。それも都市に住む一部の者にのみ与えられた特別な称号であった。人の中に人以下が存在する。何とも歪な話である。…同じ人である筈なのに、人では無い者が人という枠内に存在するのだから。


 現にと、大空を行く大型旅客機の中で学生達は小窓の外を眺めていた。そこに見えるのは二頭のペガサス。高度三万メートルを超高速で移動する旅客機に並行して飛び、ペガサスは右へ左へと移動しながら接近して来る物体を叩き落としている。その背中に跨るのは十代半ばと思われる年若い少年少女。彼らは合成キメラと呼ばれる存在、様々な種族の遺伝子を混在させて作られた特殊なペガサスに跨って、ずっと学生達の旅行を護衛してくれていた。


 …そんな光景を興味津々に眺めながら、学生達は今更に納得して思っていた。


 彼らを間近で見るのは初めてだが、成程、彼らは間違いなく人間とは異なる存在だ。彼らは腰に下げた武器を振るい、不法に野へ放たれたキメラや機械生物を始末するのが役目だ。


 人間を守る為だけに存在すると聞くが、確かにこれでは人とは呼べない。外見こそ人間と何も違わないが、人間である筈は絶対に無い。…何せ彼らは超高速で移動している旅客機と並行して飛んで、その身に何も覆わず一般的な服を着て移動しているのだから。当然ながら酸素ボンベ等なく、平静とした顔で武器だけを手に接近して来る物体を払い除けている。


 成程、これは人間である筈が無い。確実に人とは違う生き物だ。その前に生物と呼べるかどうかも疑問だ。彼らは薄い大気の中で超低温も物ともせず、超高速で移動する大型旅客機と並んでペガサスに跨って翔けているのだから。…彼ら「ダスト」の事は当然知っているが、こうして間近で見て初めてその異常さが分かる。余りの異常さに畏怖の念すら抱く程だ。


 彼ら二人の仕事は将来を約束されている学生達を護衛する事。近い将来人類を牽引する事になるだろう優秀な人材を護衛する事だ。今回、彼らは旅行の為だけに雇われたのだ。


 学生の一人はそれを窓越しに見つめながら、一体何故と小さく眉を顰めていた。護衛してくれているダストの一人に見覚えがあるのだ。少女の方では無い。少年の方に、である。


 いいや、有り得ない。そう学生は小さく頭を振る。もし彼なら自分達と同い年の筈。でも彼の風貌は明らかに十代半ば、もしくは後半に差し掛かったといった所だ。一体何故――。


 そう学生は一人驚愕しつつ、思わずと云った風に小さく漏らしていた。


「見た目の若さ、そして左腕。普通の人間なら老化は二十代から五十代で止められる筈だ。でもそうじゃないとするとやはり――。どうして君がダストなんかに。大学には居ないし、高等部でも途中で見かけなくなった。だから何処に居るのかと思っていたのに。一体何で」


 それだけが判らない。でも、間違いなく彼は幼等教育から一緒だったトウヤだ。現在では幼等教育から最終教育課程まで、特に問題が発生しなければ同じ施設で受ける事になっている。その為に施設の規模も通う子供の数も相当数に上るが、その代わりに一つの教育施設が一手に引き受けられるという利点を持っている。何よりも規模が大きい。万一何かしらの問題が発生しても、別のクラスに移してしまえば大抵の問題は解消出来てしまうのだ。


 だから大抵の者が成人まで同じスクールに通って、卒業した後は一般企業に就職するか、もしくは公職の道を進むかを選ぶのだ。そしてこの場に居る学生達はその中でも際立って有能な部類に属する。その為に彼らには多くの選択肢が存在する。選り取り見取りなのだ。


 だがしかしと、外を見ていた青年―クライス・アリシアは頭を振って思考を振り払う。


 それはあくまでも最終教育まで辿り着いた者の話だ。定期的に行われるクラス替え。その工程でクラス数は何故か減って行くのだ。…一クラス、また一クラスといった具合に。


 そうして気が付けば半数以下となっている。それがスクールの担っている役割であった。篩にかけられた子供達の行く末など、残った子供達が気にする筈も無い。…それこそが、


「ダスト…か。間近で見て初めて実感するなんて。こういう事だったのか。こんな――」


 知識として知ってはいたが、改めて現実を見せ付けられて戦慄を覚える。間違いなく彼はトウヤだ。彼はスクールに通っていた頃とは違って後ろ髪を伸ばしており、その黒髪を一つに束ねて風に靡かせている。何よりも彼特有とも言えるルビーのような瞳。あれほど似ているのだ。彼以外に有り得ないではないか。だがそうすると、やはりあそこに居るのは――。


 それでも信じられない。そう苦い顔をし続けるクライスの目の前では、彼らの武器が青い閃光を迸らせて接近して来る巨鳥の群れを追い払っている所だった。どうやら命まで奪うつもりはないらしく、最低限の動きで斬り付けては追い払うのを繰り返している。


 おそらく旅客機の護衛が任務だからだろう。無理をしてまで殺す必要は無いという事か。


 そう学生達が物珍しげに眺める中、眺められているダスト二人としては苦々しく溜息を漏らすばかりだった。まるでテーマ・パークの珍獣にでもなった気分だ。見世物ではないぞ。


 彼らは二十センチ程の短い鉄棒―電光棒から青白い閃光を迸らせながら、時には棒状に、時には蜘蛛の巣状に発生させつつ、襲い来る巨鳥達を短い棒から電光を発して退けている。だが、その度に右へ左へと動いている旅客機内からの奇異な眼差しには溜息が出る。そして遂に耐え切れなくなったのか、彼ら二人は巨鳥の群れを粗方退けてしまうと、肩ほどまでの金髪をした少女―マックスが、少女とは思えない荒い口調で不平を並べ始めるのだった。


「…ちっ、これだから人間ってのは。移動中は大人しく座ってろって習わなかったのか? 移動先では馬鹿騒ぎするし、彼方此方で迷惑を掛けてるのに本人達は気付く素振りも無い。ホテルマンが可哀想でならなかったぜ。同情するね。こんな阿呆共を毎回受け入れてるかと思うと哀れ過ぎる。こいつらの旅行先が変更された喜ぶ奴はさぞ多かろうな。…俺だったら手放しで喜ぶね。どんだけの奴がこいつらの陰で泣いてるか。簡単に想像出来るってもんだ」


 マックスは大気の薄い低温の中で、普段と変わらず白いタンクトップに黄土色のベスト。そしてサスペンダーで釣った短いデニム生地のショート・パンツという出で立ちだった。


 確かに彼女は混じり気の無い見事な金髪に空色の瞳と、その見た目こそ一級品だが性格は御覧の通りだ。可憐な少女とは余りに遠い。むしろ性別から疑いたくなる性格である。


 しかし彼女の不満は尤もで、その傍らで電光棒を振るっていた少年もまた呆れ顔を禁じ得なかった。少年は一つに束ねた長い黒髪を突風に靡かせながら彼女に言葉を返していく。


「まぁ否定はしないな。口が裂けても良い振る舞いとは言えなかったからな。それにしても俺達ダストはそんなに珍しいのか? …確か人間より多かった筈だが。あぁでも教育施設が集中している十階層に一般のダストは入れないのか。何よりも俺達は外回りを担当する索敵型だからな。おそらく都市の中で見かける事は少ないのだろう。…だがそれを引いても珍獣扱いの酷さは無いな。最低でも指令型くらいは見た事があるだろうに。困ったものだ」


 心底と云った風に少年―トウヤが漏らしていくと、マックスも呆れ顔をしながら頻りに頷いている。そして徐に旅客機へと目を向けていって、顎でしゃくりながら言ってきた。


「全くだ。それに見ろよ。まだ窓に張り付いて俺達を眺めてるぜ。何か楽しいのかねぇ」


「…、やれやれ」


 彼女から言われてそれを見て、トウヤは再び溜息を余儀無くされた。そして手綱を取って弾いていき、ボタンを留めていないダーク・スーツの上着を風に翻して移動し始める。因みにネクタイは着けていない。スーツだと色々と楽で良いが、流石にネクタイは窮屈だからだ。


 …一見すると普通の人間とはさして違いない二人だが、彼らには人間とは異なる決定的な個所が存在した。それは左腕である。肘から下がコンピュータを内蔵した機械の腕に変えられており、腕の甲には赤い太文字で「DUST」と書かれている。…それは人間という枠から外されたダストである証であり、人間以下である事を示す為に左腕だけを人工筋肉等で覆わず、わざと機械を剥き出しにして晒されていた。しかしと、ダストなら大抵が思う。


 この肉体の大半が機械に変えられているというのに。わざわざ左腕だけを無骨な機械に変えるとは、何とも嫌みな遣り方だ。そうまでして人間と差を付けたかったのだろうか。


 左腕は服などで覆わずに、一目でダストだと分かる様に剥き出しにする事が義務付けられている。だからトウヤも左腕の裾は捲し上げて、肘から下が見える様にしていた。そして彼らが人間ではないからこそ、こうして高度三万メートルの中でも平然と会話が出来るし、特別な装備が無くても体を保つ事が出来る。…もう少し高度が高ければそこは宇宙だ。


 ここは蒼穹と星の海の狭間。頭上には星の海が広がっており、下にはそれを明るく照らす穹窿が何処までも続いている。彼らにはその光景がまるで自分達ダストの様だと、そんな風に思えてならなかった。我らは既に人間ではなく、それでも完全に機械という訳でもない。


 こんな中途半端な存在を誰が創ったのか。そして一体誰が現在の様な世界を創り上げたのか。その答えは人間。人間が人間を作り変え、そして世界すらも造り替えてしまった。


 だが、文明の成長を願うのは人類共通の願望と云えよう。今よりも更に利便性の高い物を。病魔の撲滅を。老いによって生じる問題の解決を。上に到達すれば更に上へ。それは当然の願望と云えた。そんな中で生み出されていった利便性を追求した有りと有らゆる技術。


 現在ダスト達が移動手段として使用しているキメラもまた、そんな技術のうちの一つだ。合成獣キメラ。人間以上に進化した自律型のロボット。次第に人類はそれらを制御できなくなり、観賞用として生み出されたキメラは違法飼育の末に不法投棄、そしてロボットは自動生産されるようになっていった。…そして遂に起きてしまったロボットの反乱。


 その時、大半の仕事がロボットに取って代わられており、そして著しく開いていた貧富の差もあって人類は一切の抵抗も出来ず大敗。ロボットから逃げる様に新たな都市を各地に建設して、我が身を守る為に人間をダストへと、そして生活を楽にする為に人工知能を備えない作業用ロボットの拡充に専念して行った。それが現在へと続く人類の基盤である。


 人工知能の技術は完全凍結。その為に自己判断が可能なロボットは全て廃止される事になった。だがその時、人類は既に自律型ロボットに経済・私生活共に頼り切りとなっていた。だが自律型ロボットを廃止された事により、その穴埋めは自らしなければならなくなった。それこそがダストの始まりである。ロボットは頼れない。自力も不可能。究極の選択だった。


 危険な作業や重労働など、様々な困難を抱えた作業を余っている人間にさせる。その為に人間の体を機械化して自律型ロボットと同等の存在を生み出し、問題を解消したのである。


 同時に人類は様々な問題を解消する事にも成功した。余りにも開き過ぎていた貧富の差。その為に生まれた大量の失業者。…彼らに困難な仕事をさせる事によって、それらに関わる様々な問題が解消したのである。世界はこうして一部の者にのみ優しい世界へと変わった。


 優秀では無い人間をダストと呼ばれる存在へと変える事によって。一部の偏った主観を持つ者達が布いた基準により、平均以下というレッテルを貼られた者達だけを犠牲にする事によって。基準から零れ落ちた者達こそダスト。人間以下とされた狭間に立つ者達だった。


 地上は不法投棄の末に増殖したキメラで埋め尽くされて、本来の種である動植物は絶滅。機械生物と呼ばれるロボットは世界の各地に身を潜め、人類に取って代わる機会を狙ってその牙を研ぎ続けている。何とも皮肉な世界であった。全ては人類が招いた事なのだから。


 機械生物もまた生物と同じ様に増殖する。元来彼らは自身を生産する能力を持っているからだ。…こうしてダストは、機械生物とキメラ双方を相手にするのが日課となった。


 人間が都市の外へ出る時はダストを護衛に付けるのが常識となり、人間と呼ばれる者達は自力で外に出られなくなった。だからこそ現在トウヤ達は学生を護衛しているのである。


 トウヤはそんな中で電光棒を只管と振るいながら、現在護衛している学生達の顔ぶれに気が付いていた。…間違いない。彼らは嘗て自分が通っていたスクールの同級生だ、と。


 でも、今の自分はダスト。人間である彼らに容易く話し掛けられる身分では無い。元よりそんなつもりもない。それでもと、トウヤはマックスに気取られないよう溜息を付く。


「これが世の常か。優秀な者は人間として残り、基準を満たせなかった者はダストに落ちる。分かっていた筈なのに。こんなにも堪えるものなのだな。自分の手から零れ落ちた未来、か。いいや、元々俺にはそんなもの用意されていなかった。それだけの話だ。だから俺は――」


 余りにも懸け離れた現実を見てしまい、トウヤは一人寂しげに呟いていた。そしてダストとして旅客機を守るべくペガサスを操って大空を翔る。彼らを守る為に電光棒を振るう。


 何とも虚しいものだ。嘗ての友人達は人間として豪勢な旅客機へと乗り、ダストとなった自分は裸も同然の装備で戦う事を強制されている。…余りにも辛く、惨めな瞬間だった。


 でも、これが現実だ。そんな時、相棒のマックスから「次、来るぞ!」と鋭い声が飛んでくる。トウヤはそれに合わせて手綱を取り、遣る瀬無い気持ちで只管と空を翔け続けた。


 …そんなトウヤの姿を、クライスは苦い想いで旅客機の中から見つめていた。彼は丁寧に整えた癖のある短い赤毛を寂しげに揺らし、碧玉の双眸を僅かに伏せて顔を歪めていく。


 自分は乳白色をした高級スーツに身を包み、こうして最高品質のシートに腰掛けているというのに。しかし相手がダストになっている以上、それも仕方の無い話だ。…でも、


 まさかトウヤだったとは。何故もっと早く気付かなかったのか。彼らとは旅行の間ずっと一緒に居たというのに。気にも留めなかった。…せめてもう少し早く気付いていれば。


 少しくらいは話が出来たかも知れないのに。そうクライスは後悔しながら見つめ続ける。所詮自分も物見遊山で眺める面々と何も違いは無い。だって彼とは違って人間なのだから。


 懐かしいとは思う。でもそれだけだ。確かに親友と呼べる仲ではあったが、相手がダストになっている以上その関係も消えただろう。それでもと、クライスはトウヤを見つめ続ける。


 自分の親友がダストになっていようとは。そうクライスは驚きを隠せず、物見遊山の者達に雑じって彼を見つめ続けた。…旅客機が空港へと辿り着き、着陸するその瞬間まで。


 やがてトウヤの姿が見えなくなると、クライスはぽつりと己の感情を吐露するのだった。


「せめて一言でも教えて欲しかった。でもまさか、君がダストにだなんて――」


 人とダストの差は余りにも大きく、嘗ての仲を容易に引き裂く程のものであった。トウヤはダスト。そして自分は人間だ。…つまり彼は、人間である自分の下になったという事だ。


 何とも複雑な感情であり、そして僅かに優越感が芽生えた瞬間でもあった。今後彼が自分と肩を並べる日は二度と来ない。だって彼はダストなのだから。…だから彼は、僕とは――。

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