第6話 ハイジャックその1


 ニューヨークの玄関口といわれ、アメリカを代表する国際空港の一つであるJFK国際空港から、ロサンゼルスへ旅立つ。

 搭乗したジェット旅客機は機内のディスプレイによれば百五十席あり、左右に三つずつ席が並んでいて現在すべての席が埋まっているように見える。

 シャーロットは機体後方部のエコノミークラスにちょうど列になるように左右の席を五つ購入していたようで、左翼側の窓際に一般の乗客がすでに座っている。

 「グリゴリ、私は貴方にどの程度の情報収集や調達ができるか詳細に聞きたいから隣に座りなさい」

 「なるほど、では失礼」

 そういってシャーロットは右翼側の窓際、グリゴリはその隣の右側中央の席に座る。

 「んじゃ、俺は寝るから…着いたら起こしてくれ」

 続いてレベッカがグリゴリの隣の通路側に座る。発言の通り目を閉じ席を少し傾け寝ようとしている。

 「はぁ…そういうことだから真ん中と通路、どっちがいい?」

 「えっと…じゃぁ真ん中で」

 残った左翼側、クルルは一般客の隣に座る。

 窓際に座るのは二十代後半の日に焼けたような褐色肌に黒い髪の男性で、読みかけていた本から目を離しこちらを見る。 

 「こんにちは、隣座りますね」

 「こんにちはお嬢さん。お友達と旅行ですか?」

 「そう…ですね。そんなところです」

 歯切れの悪い返答に少しきょとんとしたが、男は再び本に視線を移す。

 「あんた、飛行機で酔ったりする?」

 「大丈夫です、飛行機は何回か乗ったことがあるので」

 「そう。もし気分が悪くなったら言いなさい」

 「はい、ありがとうございます」

 「なにか、嫌な予感がするわね…」

 「? リリスさんこそ体調大丈夫ですか?」

 「今朝は何ともなかったんだけどね…」

 自分を気にかけてくれるし、悪い人たちではないんだろうなとクルルの中で徐々に彼女たちへの警戒心が解けていく。

 これから一緒に暮らして、一緒にその贋作というものを集める仲間なのだ。早く馴染まなければ。


 ◇


 ティターンズが搭乗している旅客機、機体前方ビジネスクラスにて。

 ビジネスクラスに用意された三十席のなか、白髪に褐色肌をしたビジネススーツを着込んだ壮年の男性はシートベルトサインの点灯を確認し姿勢を崩した。

 『こちらゴルゴンゾーラ、同期完了、いつでもいける』

 『カマンベール並びにエメンタールとラクレット、エコノミークラスで配置完了だ』

 『モッツァレラ、パルミジャーノ、ビジネスクラスで待機中』

 オーヴァード同士での意志疎通を可能とするエフェクトを介して脳内に送られてきた報告を受け、壮年の男は頷く。

 『それでは作戦を開始する』

 男の宣言と同時にビジネスクラス席から二人、同時に立ち上がり、一人は前方のコックピットへ、もう一人は後方のギャレーへ向かった。

 その様子を確認し男もコックピットへ向かう。

 レバトリーを通り過ぎて奥へ向かう男たちをみたクルーの一人が彼らの後を追い呼び止める。

 「お客様、この先は立ち入れません、座席へお戻りください」

 「ロックフォール、こいつどうします?」

 ロックフォールと呼ばれた壮年の男はクルーの肩に手を置き、彼の耳元で囁く。

 「君は何も見ていない」

 「……私は、何も見ていない」

 「席に戻りなさい」

 「……席に戻る」

 クルーは一瞬の間の後、先ほどまでの態度を一変させ、ロックフォールの言われるがままの行動をとるようになる。

 「これでいい。ゴルゴンゾーラ、今すぐコックピットのロックを解除しろ」

 『了解』

 短い返答ののち、コックピットの扉から電子音が鳴り扉が開錠された。

 「さすがだ。引き続き頼むぞ。カマンベール、私のアナウンスの後にコックピット以外のエリアでワーディングを展開しろ」

 「ロックフォール、これを」

 一緒にコックピットまでついてきた男が懐から拳銃を取り出す。

 「ありがとうパルミジャーノ。おそらく一人以上はクルーにオーヴァードがいるはずだ。カマンベールがそいつを見つけ次第始末しろ」

 拳銃を受け取り、ロックフォールはコックピットの中へ入っていく。


 ◇


 時を同じくして、コックピットにて。

 今回機長を務める男は、隣に座る壮年の副操縦士をちらりと見てから計器を確認する。

 彼は訓練生の頃から指導をしてくれた恩師のような存在であり、今回一緒に飛べることを嬉しく思う反面、いつも以上に緊張していた。

 「巡航高度到達、計器異常なし。自動操縦に切り替えます」

 確認に対し副操縦士は了解。と短い返答をし、安心して、コントロールを切り替える。

 「……ロサンゼルス国際空港には予定通りに到着できそうですね」

 「そうだな。君も大分実践に慣れてきたようだな。あとは何事もなく着陸できるかだ」

 「残り5時間ほどですが、よろしくお願いします」

 「…ん?」

 「どうかしましたか?」

 副操縦士が計器類に注視していることに気付き、機長も改めて計器の方を見る。 

 「計器の数値が変わっている…。登録していないルートを取ろうとしているぞ」

 「なんですって!? すぐに手動に切り替えます!」

 指摘を受け慌てて飛行ルートを再入力しようとするも、何度操作してもルートが切り替わることはなかった。

 「コントロールが切り替わりません…機器の異常でしょうか!?」

 「機器類に異常がないことは搭乗前に確認したはず…!管制室へ連絡を!」

 管制室へと通信を試みるも、どうしてだろう。一向に向こうからの返信が来ない。

 「連絡が取れない…。どういうことだ?」

 二人が現状の不可解さに狼狽を見せ始めた頃。コックピット後方から扉が開錠され開かれる電子音が聞こえた。

 コックピットの扉とは、本来テロに備え内側からロックされているものなのだが、なぜ開いたのだろう。二人は開けられた扉へ視線を送る。

 「誰だ、勝手に入ってきて…!」

 そこにいたのは白髪に褐色肌、スーツ姿の壮年の男だった。クルーであるわけもなく、ましてや二人と面識があるわけでもない。

 男は拳銃を構え、余裕の声音で挨拶をする。

 「こんにちは機長、副操縦士。我々はテロリスト、FH(ファルスハーツ)です。この乗客すべてを頂くため、急で申し訳ありませんが進路を変更させていただきました」


 ◇


 「ん?」

 今朝シャーロットからもらった資料も読み終わり、気晴らしに音楽を聴きながら機内誌を読んでいたクルルがふと窓の方を見て首をかしげる。

 「どうかした?」

 「いえ…海が近いなぁって」

 「海…?あぁ、メキシコ湾ね。私もこうしてみるのは初めてだけど…ん?」

 リリスも彼女と同じような違和感を感じだようで、確認を取るように隣の三人の方へ訪ねる。

 「シャーロット」

 「今の話、聞いていたわ。ロスに向かうのにメキシコ湾方向には飛ばないわ。明らかに進路が違うわ」

 「乗客の何人かと、フライアテンダントたちも気づいているようね」

 「何かあったみたいね、レベッカ起きなさい」

 シャーロットはフライアテンダントからもらったブランケットを被って寝息を立てているレベッカを揺するが、一向に起きる気配がない。

 乗客たちのざわめきを見計らったかのように機内アナウンスが流れ始める。

 『あー、あー。乗客の皆さんこんにちは。機長に代わりまして皆様にお知らせがございます。我々はFH、テロリストです。これよりあなたたちを我が研究施設までご案内いたします』

 機内に響くのは機長の声ではなく、FHを名乗る男の声。テロリストという言葉を聞いた乗客の一部がパニックを起こし立ち上がっている。

 『皆様には到着までの数時間、お休みいただこうと思います。日常に別れを告げるよう、よい眠りを』

 機内アナウンスが途切れると同時に、機内に甘い匂いが漂いだしたかと思うと、それを吸い込んだ乗客が次々と倒れていく。

 その匂いに形容しがたい違和感を感じ、クルルは思わず隣のリリスに掴まる。

 「え、なに…この感じ…?」

 「静かに。ワーディングよ」

 「な、なんですかそれ?」

 「オーヴァードじゃない一般人を無力化させる能力よ」

 「ええっ!? そんな能力もあるんですか?」

 「しっ、オーヴァードなら誰でもできるわ。個人差はあるけど……皆眠っているわね」

 リリスはクルルの隣にいた男の目や脈を測り、慣れたように状況を分析する。

 「少なくともソラリスは一人いるわ。こんなに大勢拉致して何をするつもりなのかしら?」

 「私たちには関係のない話、と言いたいけれど。巻き込まれた以上無視できないわ。この飛行機を奪取して、ロサンゼルスへ向かいましょう」

 シャーロットの声に頷くとリリスはクルルの方を向き、彼女の頭の上からブランケットを被せる。

 「あんたは黙って気絶したフリをしてなさい、そうすれば余計なことに巻き込こま…」

 ブランケットを覆いかぶせている瞬間、客席の前方からこちらに向かって二つの人影が急接近しているのを、クルルとシャーロットは捉えた。

 「リリス、後ろ!」

 人影の一つは腕を鋭い刃物の様に変形させた男で、リリスの背後を取り峰の部分で彼女を殴打し、リリスはその衝撃でクルルに覆いかぶさるように倒れる。

 「がっ!!?」

 「リリスさん!」

 いきなりの攻撃に動揺しリリスを起こそうと手をかけるも、刃の腕を眼前に突きつけられ、硬直してしまう。

 「おっと、動くなよお嬢ちゃん」

 「ひっ…!」

 もう一人はシャーロットの頭部に拳銃を突き付けており、身動きが取れない。

 「オーヴァードが二人…いや、ガキも合わせて三人か。お前らはUGNか?」

 このワーディングの状況下で動けている様子を見た拳銃の男が、銃口をシャーロットに押し付け問う。

 彼女の隣にはもう二人、グリゴリとレベッカがいるのだが、グリゴリはワーディングによって無力化された一般人のふりを決め込み狸寝入りをしている。レベッカは同じく寝てはいるのだが寝息や身じろぎなどからして普通に寝ていることがバレているだろう。

 「旅行者よ、子供に手荒なことはしないで」

 拳銃の男の問いにシャーロットは両手を挙げながら答える。

 「それはお前ら次第だ。妙な真似はするな」

 剣の腕をした男は、剣先をクルルに向けたままうずくまるリリスを無理やり立たせる。

 反対の銃を持った男はシャーロットを通路に立たせようとするが、寝息をたてているレベッカが邪魔で通路に出れない。

 「おい。邪魔だ、どけ!」

 語気を荒げた男はレベッカの頬を銃床で殴り無理やりどかしにかかる。

 「やめなさい!」

 「こいつもお前らの仲間か?まだ起きないならもう一発殴るぞ!」

 拳銃をレベッカの頭に突きつけて怒鳴る男を制止しようと立ち上がる。

 しかしその瞬間、レベッカが頭に付きつけられた銃を掴むとそのまま男を手前に引き込み、バランスを崩し顔面に鋭い拳が叩き込む。

 押さえられた手が離れず、続けて三発の殴打をくらい、とどめの様に握っていた銃を溶解し、銃を握っていた手を一瞬で焼き落とした。

 「ぐっ、ごあぁぁ!?」

 不意を突かれた一連の攻撃に全く対応できなかった男は手首から先を落とされた腕を押さえ、苦悶する。

 「うるせえなぁ!寝てるんだよ、ぶっ殺すぞ!」

 不快に起き上がったレベッカはそのまま男に襲い掛かる。

 「ラクレット!?貴様ら!」

 剣を持った男が掴んでいたリリスを人質とするように、彼女の首に剣を突きつける。

 しかしリリスはその突き立てられた刃に自ら触れ、首に傷をつける。

 「何してんだてめぇ! まさか…!?」

 「殺せ、パトロクロス…」

 首から流れ出る出血は、その傷口にしては以上に多く溢れ出て、それが人の形に凝縮する。

 隣からその様子を見ていたクルルは、先ほど読み終えた資料を思い出す。

 リリス・フランケンシュライン。

 血液を操るオーヴァードであり、その血から生み出される従者という人形を操ることに長けている。

 彼女から生み出された従者は人間大の大きさになり主人を拘束する男を殴りつける。

 一撃を浴び男は通路に叩きつけられるように吹き飛びリリスは解放される。

 従者は命令を実行するため男が起き上がるより前に追撃を行う。

 「ぐっ…。エメンタール!」

 「まだ生きてんのか、おい!」

 片手を失ったラクレットに追い打ちとばかりに蹴りを入れ、エメンタールと呼ばれた男と同じように床に叩きつけ、従者と共に相手が反応しなくなるまで攻撃を続けた。

 襲撃してきた二名が再起不能になるのを確認したシャーロットはレベッカを制し、リリスは従者を引き寄せる。

 「り、リリスさん。血が…」

 「大丈夫よ。今治療するわ」

 心配するクルルをよそに慣れた手つきでハンカチを自身の傷口に当てる。

 しばらくするとオーヴァードの治癒能力なのか、それともソラリスというもう一つの能力のおかげか、首筋の出血も傷もなくなった。

 「ほら、慣れたもんでしょ。あなたこそけがはない?」

 「大丈夫です…。シャーロットさんたちは?」

 「こっちはレベッカのおかげで無傷よ。リリス、従者でこの二人を拘束して」

 「…わかったわ」

 「んで、これはいったいどういう状況だ?」

 冷静になったレベッカは周囲の眠る乗客と襲撃してきたオーヴァードを確認し全員に尋ねる。

 「どうやら他のセルの計画に巻き込まれたみたいね。このままではロスには行けないわ。目的地はたぶんメキシコとかだと思うんだけど…」

 「あぁ?俺はお前の買った家見るの楽しみにしてたし、ハリウッドとか観光してえと思って楽しみにしてたんだぞ。遠回りなんてしてられるか。今、離陸してどれくらい経つ?」

 「九十分くらいね」

 「さっさとこのセルぶっ潰して進路を元に戻してもらえば修正できないのか?」

 「このセルを潰すというのには異論はないけれど…そう簡単なことなのかしら…?」

 行先は分からないが、メキシコ方面へ飛んでいる機体をロサンゼルスへ軌道修正して果たして燃料は持つのだろうか。この場には専門知識を持つものがいないため答えは出ず、機体奪取後に機長たちに聞くことになるだろう。

 「あの…。同じ組織の仲間なら話し合いで解決できないんですか…?」

 三人の話を黙って聞いていたクルルが、おずおずと口を開くが、レベッカは冗談でも聞いたかのように軽く笑う。

 「ははは、面白い。FHってのは利己的な奴らばっかりだ、命令だったりあれがしたいこれがしたいってのが顔を合わせりゃ、そりゃ衝突は避けられねえわな」

 「…セルという組織体制についてはまたあとで説明しましょう。今は話し合いは無意味、相手は敵。それくらいの認識でいいわ。それに乗客百五十名とクルーの命もかかっているわ。彼らを解放するためにも戦闘は避けられないわ」

 「あ、で、でも皆さん強いからすぐにやっつけちゃえますよね…? そんなに危なくないですよね?」

 「あー、この前のジャームなんてのは雑魚みたいなものだ。オーヴァードのチームと戦うってのはかなりめんどくさい」

 「だ、大丈夫なんですか…?」

 「ま、なんとかなるだろ。指示をくれ、リーダー」

 「…わかったわ。少し考えるから周囲の警戒をしておいて」

 グレゴリの方をちらりと覗く。彼は周囲から見えないように手をひらひらさせて拒否の意を伝えている。

 「……グレゴリ。監視役といってもメンバーなら協力してもらうわよ」

 「だー!呼ばないでくださいよ、せっかく一般人を演じていたのにまったく!」

 名前を呼ばれたため観念したようにグレゴリは起き上がり、不服そうにこちらを見る。

 「どうせ大人しくしてても着陸した後にバレて攻撃されているわよ、協力しなさい。さっきのアナウンスとこの二人だけとは考えにくいわ、相手は少なくとも私たちと同数かそれ以上よ」

 「やれやれ、できてまだ一日のチームがやるもんじゃないですよ、こんなの」

 「やってやれないことはないだろ」

 大袈裟に肩をすくめるグリゴリにレベッカは笑って見せる。果たして自信や勝算はあるのだろうか。

 高度一万メートルの密室。敵の能力や総員は不明。乗客百五十名の命。

 目的地に向かうため、障害を払う。

 

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