第5話 エピメテウス

 『おはようございます。朝のニュースです。NASAが発表している有人月面開拓計画、通称セレーネプロジェクトは月面基地建設を目的としており、第一陣の打ち上げの来年を前に今回建築プランが公開され…』


 ぼぅと。ホテルに備え付けられたテレビから流れるニュースを、クルル・ハグラーは起き抜けの眠い目を擦りながら聞き流していた。

 あの後、リリスと数着の衣類を購入してから彼女の宿泊するホテルで傷の手当てをしてもらった。

 彼女たちと出会う前には確かにあった膿んだ傷口も、痣も、折れたように痛かった腕も、今は何ともなく動くし痕も残っていない。

 彼女曰く、今の自分はナイフが刺されたり銃弾が腹部を貫通してもすぐに治癒できるほどの再生能力を持っているらしい。

 どうやら本当に人間を超越してしまったようだ…。

 昨日彼女は日常の裏側に暗躍するテロリストの正体と、レネゲイドという未知の存在を知らされた。

 今家に帰れないのは、この非日常に巻き込まれたからである。しかし今生きているのもまたこの非日常のおかげである。

 複雑な想いと、今後何が起こるのかという不安で最悪の朝である。


 「起きた?」

 視線を声のするほうに向けると隣のベッドで荷造りをしていた赤い髪の女性、リリス・フランケンシュラインと目が合う。

 初めて会ったときからずっとキャスケットを深く被って目元が良く見えなかったが、今は外しており目元を覆うように巻いた包帯の隙間から見える琥珀色の瞳が覗いている。

 「…はい。もう出発なんでしょうか?」

 「集合場所に移動するわ、朝食もそこで取りましょう。あなたも準備なさい」

 「わかりました」

 小さくあくびをして起き上がる。準備も何も、荷物は昨日買ってもらった鞄と数着に衣類しかないため身支度を整えながらリリスの準備が終わるのを待つ。

 顔を洗い、鏡に映る自分の顔を見ると曇った表情をしていた。


 ◇


 リリスとクルルはチェックアウトを済ませるとニューヨーク、クィーンズの街をしばらく歩き別のホテルに入る。

 クィーンズの高速道路近くにあるそのホテルは、空港が近いためか多くの外国人がロビーにいた。その中のレストランエリアにレベッカ・ヴァローネとシャーロット・ベラーターの姿もある。

 二人は共に朝食をとっていたようで、彼女たちの待つテーブル席へ移動する。

 「よう。先に食べてるぜ」

 「おはよう二人とも。朝食は食べてきた?」

 「いいえ、まだよ」

 「よかった。三人分用意させてあるから持ってこさせるわね」

 シャーロットは目についたスタッフに合図を送ると二人分のモーニングが運ばれる。

 「ひとまず、食べながら聞いてちょうだい」

 「は、はい…!」

 監禁されてから初めて口にするまともな食事に胃を驚かせつつもクルルはシャーロットの話に耳を傾ける。

 「昨日、第一の目標をラスベガスにしたでしょう? だから今日は近くまで行って調査の準備をしようと思うの」

 「必要かぁ? 殴りこんで奪うだけだろ?」

パンを頬張りながら尋ねるレベッカの様子にシャーロットは不快そうな表情をしながらも応える。

 「誰が持っているかはわかってもどこにあるかは不明よ。不必要に暴れればUGNや他のセルに邪魔されるかもしれないわ。できれば無暗に敵は増やしたくない。交渉ができる相手ならするし、できないなら奪いましょう。でも戦うにしても相手の戦力や贋作の能力は知る必要があるわ」

 「確かに、回収するのは十三種あるのだから戦闘ばかりは嫌ね」

 「見極めるためにも調査が必要ってことか。ま、どぎつい交渉なら任せな」

 「どぎつい交渉?」

 「こいつを使った交渉ってことさ」

 そういってレベッカは腰に携えた銀色の柄を見せる。

 それは先日、炎の剣となりジャームを焼き殺した彼女の武器だ。

 相変わらず外見は映画に登場する光の剣のようである。

 「あぁ…。そうね、期待しているわね。それで…、このあと飛行機で西海岸へ移動する予定なのだけど、グリゴリに頼んだものがあるので彼を待ちましょう」

 「あいつ、あんな仮面なんてつけて街中歩けるのか?」

 「確かに。さすがにあの姿は目立つわね」

 「メールを送った時に特になにも言ってなかったから、来ると思うんだけど…」

 四人がそれぞれレストランから外を見る。あの仮面の男が見えるか、もしかしたらホテルの警備員に止められ、人だかりができているのではないかと。

 しかしそのような異常はどこにもないようで、ホテル内は朝から利用者の賑やかな声が聞こえるだけだ。


 「ま、もう少し待ちましょう。最悪集合場所を昨日の施設にしてゲートで合流するわ」

 「ゲート?」

 ため息交じりのシャーロットの言葉に、聞きなれない言葉があり思わずクルルは聞き返す。

 「私の能力…バロールという重力使いは、空間を捻じ曲げることができて、それを使って移動距離を短くするゲートという能力が使えるのよ」

 「すごい…じゃぁニューヨークからワシントンも一瞬なんですか?」

 「座標とか位置のイメージがしっかりわかっていればね。それにかなり時間が必要だし、疲れるの」

 「すごい…。やっぱり超能力なんですね…!ドラマとかゲームでそういう能力は観たことあります」

 クルルは少し興奮気味にシャーロットを見る。元からコミックやSFのドラマを愛していたクルルは、こんな状況だからこそ異能を好意的に捉え気を紛らわせようとする。

 「そう…まぁ便利ではあるけどね…」

 ドラマとかゲームの話はシャーロットにはわからないが、彼女の緊張や恐怖心が少し和らいだのならよかったと、誤魔化すようにコーヒーを飲んだ。



 「いやいや。みなさまお待たせしました」

 しばらくして突然四人の前に見覚えのない女性が立って、声を掛けられた。

 ウェーブのかかった長いブロンドの髪にカジュアルな服装、黒いボストンバッグを携えた20代前後の女性だが、見覚えがない。

 全員に心当たりがないようで、お互い顔を見合わせた。

 「どなたかと勘違いされていますか?」

 「いえいえ、とんでもない。間違いなくあなたたちとの待ち合わせですよ」

 女性はテーブルの上に見覚えのある仮面を置く。それはグリゴリが身に着けていたドミノマスクであった。

 「グリゴリ!?あなた女性だったの?」

 「いえいえ。私はエグザイルシンドロームを持っておりまして、自然に溶け込めるよう今回はこの姿をしているわけですよ」

 「なるほどな。クルル、エグザイルってのは肉体変化の能力者だ。腕を伸ばして攻撃したり、臓器を増やして致命傷を避けたりするのが主な使われ方だが、どうやらこいつはその応用で性別を自由に変えられるらしい」

 「本当に昨日のあの人なんですか…。まるで別人じゃないですか?」

 「すごいでしょ?」

 グリゴリらしき女は仮面を仕舞い直して席に着き、ボストンバッグを漁り始める。

 「わたくしが最後だったようで、申し訳ない。この身体では荷物が重くてですね…。あぁ、わたくしも朝食を頂いてよろしいですか?」

 シャーロットは頷きスタッフに合図を送る。食事が運ばれる前にバッグの中から取り出されたのは人数分のスマートフォンと、クルルのパスポートと身分証だった。

 「ひとまずこちらが必要とのことで用意しておきました。ご確認ください。スマートフォンにはすでに必要なアプリとそれぞれの連絡先を登録してあります」

 「これ、私のID…!?」

 自分の写真が写る身分証を手に取り、確認していく。生年月日、血液型。記載されている情報に間違えはなくまるで家から取ってきたものと思えるが渡航歴などは白紙で、それが明らかに新規で作られたものと証明している。

 「ええ、ひとまず今回は国内を移動するだけなので最低限身分を証明できるものだけ入手しておきました」

 「どうやって…?再発行って時間かかりますよね…?」

 本人は写真もサインもしていないのになぜこうも簡単に自分の身分証を入手できたのか、恐怖を覚える。

 グリゴリは昨日と同じような笑みを浮かべ、内緒。と口元に人差し指を当てる。

 マスクを取って女性の顔をして別人のように見えたが、この笑い方は紛れもなく昨日の仮面の男だ。

 「からかうのもそれぐらいにしておきなさい」

 それぞれ自分に割り当てられたスマートフォンを確認し終わると、ちょうどグリゴリの食事も運ばれて、以降スタッフが近づくこともなくなったその様子を確かめてシャーロットが話始める。

 「これから私たちは第一の目的地、ネバダ州ラスベガスのカジノオーナーから贋作を奪取、もしくは破壊します。ただ、まだ贋作がどういったものかも判明していないし、どんな状態で保管されているかもわからない。回収できるものか、破壊すべきものなのかもね。なのでまずは現地での情報収集が必要です」

 「それで近くまで行って準備するって話をさっきしてたな」

 「昨日、拠点として使う家を購入しておいたので、今日はそこへ向かうわ」

 シャーロットはタブレットを取り出し、購入したという家の外観や内装の写真や地図、図面を見せてくる。

 その家はロサンゼルスのウェストウッドにある住宅で、一通りの生活設備がそろっているのに加え、個室が十部屋、駐車場や庭、ジムや多目的室など部屋数や余計な設備が異様に多い。

 「これどうみてもアパートメントだろ」

 「学生のシェアハウスとして個人が購入していたみたいだけど、入居者がいないみたいだったから買い取ったの」

 いい買い物をした、というようなすまし顔で答えるシャーロットに対し、リリスはこの物件の価格を数えて青ざめている。

 「昨日の衣装代といい、あなた金銭感覚おかしくない?」

 「そうなの?財産が多いだけよ」

 「はえー、わたくしも言ってみたいですねぇ、そんなセリフ」

 「てかロスだとベガスまで遠いじゃねえか」

 「でも空港は近いから、ラスベガス以降にも使えるわ」

 「あー…、確かに最低でもヨーロッパと中国にはいくし、荷物も増えるだろうから拠点はあってもいいかもな」

 「それに一回目的地にいけばあとはゲートで移動できるわ」

 「ま、確かにそうか…」

 「ロサンゼルスのウェストウッドって…かなりの高級住宅地でしたよね?」

 「聞いた話だと大学が近いからかいろんな国の人が住んでいるらしいわ。私たちもうまく溶け込めると思うわ。それに治安もいい」

 「じゃ、カリフォルニア州とネバダ州の運転ができるように手配しておきますね」

 「お願いするわ。家まではタクシーを予約してもらっているからすぐに対応しなくても大丈夫よ」

 「なるほど。手際のよい協力者をお持ちで」

 「着いたらみんなに紹介するわね」

 他に誰も発言がないことを確認したシャーロットは、続けてプリントアウトされた資料を全員に配る。

 「それと昨日渡しそびれた資料よ。どうせ移動中の六時間暇になるんだから目を通しておきなさい」

 「へいへい…。あ、そうだシャーロット。荷物を預けていいか?」

 「ええ、いいわよ。ホテルを出る前に一回全員の荷物を預かるわね」

 「シャーロットさん一人に持たせるんですか?」

 「バロールは空間を捻じ曲げて拡張できるの。だからバックの中にトランクルーム並みの広い空間を用意しているわ」

 「そうなんですね…」

 試しに覗いてみるかというようにバックを広げクルルの前に見せ、彼女もおっかなびっくりとした様子でそれを覗き込み驚いている。

 「…それじゃ、食べ終わったら空港に向かいましょうか」

 「了解だ。チビ、飯はちゃんと食えたか?」

 「だ、大丈夫です…」

 皆食事を終えたころ、資料を何気なくめくっていたリリスがふと。

 「そういえば、この子にはまだコードネームがないのね」

 「あぁ…。そうね、まだ覚醒したばかりだし、シンドロームは分かっていてもどんな能力かはちゃんとわかってないからつけようがなかったのかもしれないわね。まぁでも作戦行動中はコードネームで呼び合うから必要ね」

 「なら俺にいい案があるぜ。やっぱティターンズというチームだし、俺たちのコードネームに因んだものがいい」

 「コードネーム…?雷神とか?」

 「ニューヨークにいたなそんな奴。まぁ通り名にも使われてる呼び名さ。シャーロットはアトラス、俺はプロメテウスでリリスはメノイティオス、グリゴリはグリゴリ。みんなそういうコードネームを持っている」

 「へぇ…ギリシャ神話、でしたっけ?」

 「そうそう。んで、お前は今日からエピメテウスだ」

 「エピメ、テウス…」

 「今はオンオフの切り替わり程度に覚えておけばいいわ。あなたはまず拠点で能力の特定とコントロールの訓練よ」

 「は、はい…」

 「あぁ、そういえば。クルルさんを保護したセルから一応の武装を預かってきています。ここで広げるわけにもいかないのでぜひその拠点で見てもらってもいいですか?」

 「あそこから? わかったわ」

 あっさりとクルルのコードネームを決め、これでようやく行動に移る。皆それぞれレストランを出てロビーへ向かおうとしているとき、クルルがシャーロットに耳打ちをしてきた。

 「シャーロットさん」

 「なにかしら?」

 「わ、私の能力も。あなたのような便利な能力を使うことができるんですか?」

 「……ええ。能力を理解し、柔軟な発想と正しく使おうと思えば、きっとね」

 「…そうなんだ…!」

 「だからちゃんと訓練しなさい」

 前向きにオーヴァードの能力を捉えてくれているようでシャーロットは少し安心した。

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