第4話 アトラスの嘘


 一体少女はここに置かれて何日あの状態だったのだろう。

 身にまとうぼろは擦り切れ血や埃がこびりつき、髪は汗などでごわついている。

 シャワールームにて、シャーロットはクルルのぼろを脱がせながらその全身についた汚れや傷を改めて見つめていた。

 露になった胴や背中にはこれまでに受けてきたであろう傷やあざがまだ残っていた。

 リリスが彼女に対し回復能力を使っていたためじきに傷は癒え痛みも引くとは思うが、傷口にシャワーを当てるのは少し気の毒だ。

 「湯あみにしましょう。痛かったら言いなさい」

 「は、はい…」

 スカートが濡れないように気を付けながらタオルをお湯につけ、軽く絞って少女の体を拭いていく。

 クルルは見知らぬ者からの行為におびえるようにことあるごとに身体を強張らせていた。

 お互いに会話はなく、室内には時々汚れた湯を入れ替える音が嫌に大きく聞こえてくるような気まずさが支配していた。

 「……あ、あの」

 蒸したタオルが頭に巻き付けられているとき、ようやくクルルが口を開く。

 「なにかしら?」

 「さ、さっきの、炎とか、狼男、みたいなのって……なんなんですか?」

 「あぁ…そうよね。あなたはまだレネゲイドなんて全く知らないのよね」

 「ご、ごめんなさい…!」

 「謝る必要はないわ。当然だもの。私たちが異常に慣れすぎていただけ」

 資料からすると彼女はオーヴァードに覚醒してからまだそれほど時間も経っていないんじゃなかろうか。

 それも施設の中で外とも連絡が取れずジャームに怯えていた。きっとレネゲイドやオーヴァードの教育もまだ十分に施されていないのだろう。

 ならばと髪を洗うまでの間、その話をしよう。


 事の始まりはどこから説明すればいいのだろう。

 二十数年前のレネゲイド開放から世界にはレネゲイドウィルスという未知の存在に侵蝕されていったことは触れておこうか。

 私たちもレネゲイドのすべてを把握しているわけではないということははっきり伝えておかなければならない。

 レネゲイドウィルスに感染した人間は、超能力を使用できるようになるということと、現在その存在を知っている組織についてくらいは知っておく必要があるだろう。


 「…信じられません。だって、そんなのコミックの世界じゃないですか」

 ひとまずの説明を聞き終わると、どう反応したらいいのか。戸惑いを含んだ声があがる。

 「正直でいいわ。でもあなたもレネゲイドウィルスに感染している。あの化け物…ジャームっていう異形にも」

 「……人だな、って形が変わっていてもわかりました。だから余計怖かったです」

 「ジャーム。レネゲイドに感染した人間をオーヴァードと呼び、オーヴァードが暴走した姿がジャームよ」

 「…みんな、レネゲイドに感染するとああなるんですか?」

 「ジャームというのはね。人間をやめてしまったオーヴァードなの」

 「人間を、やめる?」

 「レベッカ…金髪の彼女が言っていたように、ジャームとはオーヴァードの行きつく先の一つよ。深い絶望に囚われるとか、力に溺れるとか。欲望のままに力を使うとか。人間としての理性を失ったなれの果て。かしら…」

 「よ、よくわかりません……」

 「そうよね…私も、オーヴァードとジャームの境界線って、わからないの。けど、私はあなたとそして仲間になる二人にも、そうなってほしくないから、もう少しこちらのことを教えるわね」


 自分の専門は研究だったから、誰かに何かを教えるという行為は得意ではない。

 それでも知っていること、教わること、よく用いられること、彼女が置かれている状況。

 自分が今でき、彼女が理解できる最低限のことを教えてみせる。

 すべてが本当だが、それを聞く少女はまるでフィクションでも聞いているかのように呆然としている。


 「理解には時間が必要よね。実際のものを見るのも重要でしょうけど…あぁ。そういえばまだ名乗っていなかったわね。私はシャーロット。シャーロット・ベラーター。貴方と一緒に、旅をする仲間よ」

 「旅…?」

 「ええ。世界に散らばった貴重なものを回収するエージェントチームよ」

 「私もその中に…?」

 「大丈夫、それが終わればあなたは帰れるわ。だから、勝手で申し訳ないのだけど、私たちと一緒に来て欲しいの」

 「………どうして、私なんでしょうか…。私、この前までただの学生だったのに…!」

 口に出してすぐに、はっとして口をつぐんだ。また痛い思いをすると思っての自衛だろうか、目元にはうっすらと涙が滲んでいた。

 シャーロットにはその問いの答えを持っていない。

 コードウェル博士はこの少女をなぜ贋作の回収するこのチームに加えたのだろう。

 そして、その問いは自分も。他の二人にも突き刺さる。

 なぜ自分たちが選ばれたのだろう。

 「……。その質問に納得のいく答えを、私は持っていないわ。ごめんなさい」

 「……」

 「けれど。今できることをやってほしい。きっとこの任務には、貴方の力が必要だと思われて選ばれたはずだから」

 それはコードウェルという人物に対する信頼と、彼女をこれ以上不安にさせないために必死に絞り出した言葉だった。

 「全てが終われば、帰れるわ」

 「拒否は、できるんですか…?」

 「今はないわ。少なくとも、逃げられるほど強く。レネゲイドをコントロールできるまではね」

 少女は日常への帰還を欲望と定め、あのとき前を向いた。とっさに迫られた選択だったが、その大いなる選択を後悔させないよう支えたい。

 不安が晴れない潤んだ瞳がシャーロットを見る。

 その目はどんなに鋭利な刃物よりも彼女の良心を貫いた。

 少女の両親はジャーム化しており、おそらく処分か回収されている。

 つまり、彼女の帰る日常は、もうどこにもないのだ。

 その嘘をどう貫き通そう。考えろ。

 この少女が壊れてしまわないように。


 ◇


 「さてさて、これでメンバーは全員。揃い次第改めて任務の説明を始めたいところですねぇ」

 グリゴリと名乗るドミノマスクの男は、腕時計を眺めつつ飽きたという声音で同室のリリスとレベッカに告げる。

 今のところ施設の破壊に文句を言ってくる輩は現れず、会話もないまま二人は携帯端末をそれぞれ弄っていた。

 「あの子、使い物になるのかしら?」

 携帯端末から目を離し、レベッカは声の方を向く。深く被ったキャスケットからは確かに視線を感じる。

 「使うって言い方は嫌いだな。このチームがナイトフォールみたいに遺産を回収したり壊したりするなら、最低限戦えないといけないが…」

 「あの様子じゃ難しいでしょうね」

 「ま、戸惑ってはいたがよく俺たちを見ていた。覚醒したばかりにしては才能があるほうだと思うぜ」

 レベッカは携帯端末に視線を戻し、ゲームをしながら彼女の問いに答えていく。

 「グリゴリ。貴方はリストに載っていなかったけど、戦えるの?」

 「先ほども言いましたが、わたくしは監視役。協力はしますがほぼほぼサポートがメインなもので。役に立つことといえば情報収集や物資調達に少ーし手伝えるくらいでしょうか?」

 肩をすくめ仰々しく首を横に振るこのマスクの男は確かに言う通り、あまり戦闘に慣れているような印象を持てないほど武器もなく、細い身体をしている。

 「チームとして活動するなら必要な力だが、どうも攻撃が俺一人だとなぁ…」

 「まぁまぁ、まだどんな贋作から集めるかやら相談も調査もしていませんし見えない先を心配するのはしんどいだけですよ?」

 「簡単に言ってくれるぜ…」

 やれやれとため息を交えて呟いたと同時に、シャーロットが室内に戻ってきた。

 「おかえり。あのチビは?」

 「少し外で待ってもらっているわ」

 レベッカの問いに答えながら入ってきた扉にロックを掛け、これ以上誰かの侵入ができないようにパネルを操作している。

 「おんや?なにか内緒話でも?」

 その行動から察したのかグリゴリが大げさに口を歪めて笑いかける。

 ロックが完了したことを確認するとシャーロットはその場にいる全員を見て、口を開く。

 「その通り。これから貴方たちにかん口令を下します」


 ◇


 先ほどのシャーロットと名乗った女性から、部屋の前で待つように言われて数分。

 用意された衣服のサイズがやや大きくて、動きづらい。

 クルル・ハグラーはただ一人、施設の廊下でなにをするでもなく壁に背を預けて孤独と不安を考えていた。

 あのあとされるがままにあててくれたドライヤーのぬくもりがかすかに頭部や肩に感じる。

 感じるということは、まだ自分が生きているのだと実感する。


 どうして生きてしまったんだろう。

 両親との出かけ先での事故、覚えているのは痛みと悲鳴だけで両親がどうなったかは覚えていない。

 私と同じようにここへ連れてこられているのだろうか。

 それとも病院へ搬送されたのだろうか。

 …後者だと、うれしいな。

 正直先ほど聞かされた話がうまく受け止められない。

 異形による暴力を受けてなお、今までの人生とはかけ離れた世界観だったのだ。

 できることなら両親にはこの世界の恐怖を知らないでいてほしい。


 床を凝視しながら考えを巡らせていると、目の前の扉が開かれシャーロットが現れる。

 「お待たせ。こちらへいらっしゃい」

 そう言いクルルを招く。室内には先ほど自分をジャームという異形から助けてくれた人たちが自分を見ていた。

 その視線が鋭く感じ、シャーロットの手を思わず握ってしまった。

 「……大丈夫よ、紹介するわ。私たちのチーム、ティターンズのメンバー」

 シャーロットは握られた手を握り返し、空いた手でメンバーを指して少女に自己紹介するように促す。

 「よぉチビ。綺麗になったな。俺はレベッカ・ヴァローネ。よろしくな!」

 金色の髪を後ろで一つにまとめた、炎の剣を操っていた女性はにっと笑いかける。

 「……私はリリス・フランケンシュタイン。そうね、わかりやすく能力を教えるなら匂いや化学物質に精通した能力と、血液を操作するオーヴァードよ」

 赤い髪の女性は確かその能力で自分の傷を治療してくれたと聞く。

 「わたくしはグリゴリ。もちろん本名じゃぁございません。コードネームってやつですよ」

 仮面をした人は、さっきこの部屋から私たちを見ていた人。仮面と口調が相まって道化のような不気味さを感じる。この人も同じチームなんだ…。

 「そして改めて。リーダーのシャーロット・ベラーターよ。能力は重力と振動を操るオーヴァードよ」

 そういって彼女は人差し指をグリゴリへ向け、彼が持っていたカップを空中に浮かしてみせる。カップと中に入っていた紅茶がふわふわとしばらく浮遊したのち、何事もなかったかのようにテーブルに着地する。

 「あ…。えっと、く、クルル・ハグラーといいます…」

 「今日から私たちはティターンズというチームとして遺産の収集、そして遺産の失敗作、贋作の回収及び破壊を行います。グリゴリ」

 後の説明を頼む、という意味を含んだ名指しに対し、頷いて彼は言葉を続ける。

 「ようやく全員がそろったので、改めて目的と方針を説明いたしましょう。我々はコードウェル博士より贋作の回収あるいは破壊を目的としたチームを結成することとなりました。遺産の収集はあくまでついでとお考え下さい。そして、わたしくが把握しております贋作は十三個。そのうち所在が判明しているのは三つ。中国、アメリカ、フランス」

 「結構遠くにあるのね」

 「ええ、なにやら世界中から技術者を集めたプロジェクトだったようで。博士から頂いた資料にもう少し詳細が載っていますが……あー。資料は不備があったので後日配布ということでしたね」

 歯切れ悪く言うグレゴリがシャーロットの方を向く。

 「……ええ。申し訳ないけど明日改めて集合し、資料を配るわ。今日はこの判明している三つから最初のターゲットを決めて解散しようと思います」

 「…では、説明しましょうかね。贋作についてですが、ギリシャ神話のオリュンポス十二神をモチーフにしたアイテムということしかわかっておりません。なのでどんな形状で能力なのかは不明です」

 グリゴリは室内に世界地図のホログラムを投影させ、先ほど挙げた三か国にマーカーと詳細を表示させる。

 「それでは三つの所在及び所有者について、こちらが入手している情報をご覧ください」

 

 中国

 名前:王 明峰

 所属:FH香港セル所属、レネゲイドウィルス研究者

 能力:ノイマンピュアブリード

 所有:アレスの贋作


 アメリカ

 名前:ハロルド・ギース

 所属:ネバダ州ラスベガスのカジノホテルオーナー

 能力:非オーヴァード

 所有:ヘスティアの贋作


 フランス

 名前:アラン・モンテ

 所属:パリ在住、オークショニア、鑑定士

 能力:非オーヴァード

 所有:ヘルメスの贋作


 「おい、このカジノのオーナーと鑑定士とかいう奴らはマーセナリーなのか?」

 名前と顔写真、職業などが表示されたウィンドウを指さす。グリゴリもその質問は想定していたようで追加の詳細を表示する。

 「ハロルドはそうです。ラスベガスはUGNとの抗争がギャンブルだったりするのでその場所や資金を提供し、彼はオーヴァードのボディガードや警備員をFHから雇っているようです」

 ハロルドが所有するカジノの資金の流れや関わりの深いセルの構成員、ボディガードとして雇っているというオーヴァードの名簿を眺めるとレベッカはなるほど。と短くいってウィンドウを視界の端に寄せた。彼女からすれば、マーセナリーという事実さえわかればよかったのだろう。

 「じゃぁこのアランという人物は?」

 「そちらは一般人でした。経歴もふっつーでしたね」

 「なぜそんな人物が贋作を持っているの?」

 シャーロットは興味深く、アランという初老が映った写真を見る。FH関係者でもなく、UGN関係者でもなく、オーヴァードでもない彼が、一体どのような経緯でそれを手に入れたのだろう。

 「ま、おそらく両名ともプロジェクトに関わった人物から譲り受けたか購入したものと思います」

 「プロジェクトの詳細も調べる必要がありそうね…、他の贋作の所在も調べないといけないし…」

 なにせあと十も所在が分からないのだ。ナイトフォールのように遺産による事件に急行というわけにもいかないため、情報収集も必要になってくるだろう。

 「香港は大方贋作を自分の支部の戦力にするために持ち帰ったか手に入れたものかと」

 「アレスは戦いの神といわれているし、香港はUGNとの交戦が盛んと聞くから納得ね」

 「んで、ここから最初の獲物を決めるのか」

 一通りの詳細を見た後、レベッカが切り出す。

 「ひとまず、レベッカ、リリス。あなたたちの意見を聞いて判断しましょう」

 「俺は中国だな。どんな代物かはわからないが、戦闘が激化すると予想して、一般人に被害が出ない内に回収したい」

 「私はフランスかしら、あそこはUGNの遺産研究が盛んでもあるし、万が一UGNが気づく前に回収したいわね」

 「私の意見としてはアメリカね。お金で手に入れたものならお金でどこかへ行く可能性がある。所在が分かっている内に確保したいわ。……意見が割れたから彼女にも聞いてみましょう」

 シャーロットはそういうと今まで黙ってホログラムを見ていたクルルの方を向く。場の全員の視線が向いたことに気付いたクルルは、不意打ちをくらったように硬直する。

 「え。え、えと…」

 「どこも問題がまだ起こってないなら優先順位なんてないし、勘でいいぜ?」

 「………。じゃぁ…。ラスベガスで」

 シャーロットたちの話を聞いて、中国やフランスではもしかしたら戦闘があるかもしれない。ラスベガスの組織間での争いはギャンブルで行われる。そういうことならと戦闘がない地域を選択した。

 先ほどの異能を用いてまた戦闘を見るのも、それに参加するのもまだ、怖かった。

 「決まりね」

 クルルの意図を読み取ったかはさておき、多数決という形で目的地が決まった。

 グリゴリはそれを聞くと映像を終了し片づけを始める。

 「ではまずアメリカから始めて、フランス、中国という順で回収していきましょう。グリゴリ、その間他の贋作の情報収集を頼むわね」

 「かしこまりました」

 「今日はこれで解散しましょう。明日の集合場所は追って連絡します」

 「俺は近くでホテル取ってるけど、クルルはどうするんだ?」

 不安そうに辺りを見回すクルルを見かねて、レベッカが口を開く。

 「そうね、ここで泊るっていうのも嫌でしょうし…」

 「それなら私の宿泊先に泊めるわ。傷の具合を確認したいし。いいかしら」

 リリスの提案にシャーロットは頷く。彼女の傷は湯あみをしたときはまだ完全には治っていなかった。安全なところでもう一度見てもらったほうがいいだろう。

 「お願いするわ」

 「聞いた?そういうことだから一緒に来なさい」

 「わ、わかりました」

 「あ。せっかくだから途中で彼女の服も買っておいて」

 クルルが動きにくそうにリリスの後を追う姿を見てひらめいたように、魔眼の中の収納スペースから数枚の紙幣を巻いたものを3つほど取り出しリリスに投げ渡す。

 受け取ったリリスは指先で金額を確認し眉間にしわを寄せる。

 「ずいぶん渡すのね」

 「移動用の鞄も買っておいて」

 「なるほど。了解」

 札巻きをしまうとリリスはクルルを連れ外に出る。

 「んじゃ、俺も戻るわ」

 「わたくしはあの少女の身分証明書とかでも作っておきましょうかね」

 「お願いするわ、必要な物をいくつか連絡するから用意を始めて」

 「畏まりました」

 レベッカ、グリゴリを先に見送り、自分もその施設を後にする。



 ◇


 シャーロットは施設からほどなく歩いた場所、アメリカ、ニューヨーク内のホテルの一室に入った途端、深く息をついた。

 切り替えるように深呼吸をし、魔眼に収納していたノートパソコンとプリンターを取り出し、起動させる。

 文書作成ファイルに先日もらったティターンズの資料を写していく。


 そして、クルル・ハグラーの両親に関する一文を意図的に省いた。


 ◇


 「まず、事前に配られて資料を回収します。一部修正をし明日改めて再配布します」

 クルルを外で待たせていた時、シャーロットはあることを決めていた。

 彼女の両親の死を秘密にすること。

 「おやぁ。一応これには贋作の所在地も掲載してまして。本日の顔合わせでどこから手を付けるか相談したかったのですが」

 「ま、それはリーダーに任せるよ。んでなにを内緒にしておきたいんだ?」

 「……彼女の両親については伏せるように」

 「それに何の意味が?」

 不思議なことを言い出したと思ったリリスは、帽子の奥で眉をひそめるかのような不機嫌な声を出す。

 「彼女は生きて日常に還ることを望んでいる。希望を失わせてはいけない」

 「それは残酷なことだ。伝えても事実を隠しても」

 レベッカはシャーロットの目を見て問う。あまりにまっすぐな目に気おされるが、かぶりを振って応える。

 「彼女はまだこの世界を受けきれていない、せめて落ち着くまで時間をかけたいの」

 「わたくしは、どちらでも?」

 「優しい嘘ってやつ?どうでもいいわ。貴方の命令なら、それに従うまでよ」

 「俺も従おう。だがそれは深い絶望を招きかねない行為だ。後悔はするなよ」

 「……大丈夫。彼女が落ち着いたら。話すわ」


 ◇


 プリンターから修正された資料が吐き出される。

 クルル・ハグラーの両親については、一切記載していない。

 「……これでいいわ」

 これで彼女が余計なストレスを負うのは避けられる。

 徐々にオーヴァードとしてレネゲイドコントロールの訓練をしていけば、本当のことを知っても彼女のレネゲイドは暴走しないだろう。

 すべては早々にチームメンバーがジャーム化したり使い物にならなくなるのを防ぐため。

 自分の行動を正当化させるため、屁理屈を頭の中でたくさん並べる。

 どれもこれも、あの怯える少女に事実を言いたくなかった自分の心の弱さの現れだ。


 私は、優しくない。

 私は、嘘つきだ。



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