第2話 臆病者と感情論
ティターンズのメンバーとの顔合わせをするため、シャーロット・ベラーターは指定されたFHの研究施設を訪れていた。
これから会い、チームを組む初対面の人たちに、リーダーとしてなんと声をかけようかと思案し、白い天井を見上げる。不安か、緊張からか、自身の黒いドレスを強く握っていた。
案内された待合室で待つことしばし、黒いキャスケットを目深に被った赤い髪の女がやってきた。黒いタートルネックのTシャツにトレンチコート、グローブをして肌の露出が殆ど無い。キャスケットの陰になっている目元には包帯が巻かれており素顔ははっきりとしない。
おそらく、彼女がリリス・フランケンシュタイン。FHから脱走しようとし、捕まっていたというエージェントだろう。
女はキャスケットのつばを少し上げ、包帯の隙間からこちらを覗く。包帯の隙間から光る眼は、帽子のつばの陰ということもあって不気味であった。
「あんたが、シャーロット?」
「ええ。よろしく、リリス」
リリスに手を差し出し握手を求める。しかし彼女はそれを拒むように無視し、手近な椅子に座る。
「資料であたしのこと知ってるんでしょ?」
「ええ、脱走しようとして捕まっていたとか」
そう言うとリリスは深い溜息をつく。
「ま、そういうことだから、あんまり関わらないほうがいいよ。あたしの評判最悪だから」
「それでも、コードウェル博士が選んだのなら。私は彼に従うわ」
「…ふん。あたしじゃなくて、コードウェル博士、ね。まーそっか」
リリスは、そっけなく言うと、再びキャスケットを深めにかぶり直す。
シャーロットは、この声音から目や眉が包帯に覆われていて表情がよく見えないながらも、彼女が少し不服そうな表情を浮かべているのがわかった。
私と彼女の間にはまだ、信頼と呼べるものも、仲間という関係も、構築できていないのだ。
「ところで、資料には監視がつくって聞いていたのだけど?」
シャーロットはリリスが入ってきた扉の向こうの廊下を覗いてみるも、それらしい人は見当たらない。その問に対しリリスははん、と鼻を鳴らし、不愉快そうに声を荒げだ。
「さぁね。あたしも資料もらって初めて知ったよ」
「あら、じゃぁここまでは監視なし?」
「そういうこと」
「じゃぁ、チームの誰かがその監視の役目を担うのかしら?」
「はんっ、不愉快極まりない」
「そうなるようなことをしたからよ」
「あたしは…。あたしの
リリスは口ごもる。
彼女が口にした
彼女の場合も、その欲望がなんであれ、達成しようとするために必要なことだったのだろう。
それが一体どんな欲望であるかは、他人であるシャーロットには全くわからない。
しかし、脱走というリスクの大きいことをしてまで叶えたい願いがある。願いのために今までの地位やなにもかもを捨てる、危険を顧みない気持ちには、少し理解できる。
シャーロットはアイスブレイクのつもりで、自らのバロールの能力によって創りだした異空間に収納していたティーセットと魔法瓶を取り出した。
「…深くは聞かないわ。言いたくもないだろうし。それより、お茶でも飲みながらあとの二人を待ちましょう?」
リリスは相変わらず、不満そうに鼻を鳴らす。
◇
お気に入りのクスミティーをリリスに振る舞い、ポツポツと断続的な会話をしながら気まずい時間を過ごしていると、廊下の方から騒がしい音が届いてきた。
「何かあったのかしら?」
まさかUGNの襲撃か、だとしたら手を貸す必要があるのだろうかと席を立つと、リリスがそれを制す。
「レベッカ・ヴァローネね」
その名前はティターンズのメンバーの名前であった。彼女はこの騒ぎを部屋越しで聞いただけで彼女の到着であると確信しているようだった。
「そうなの?」
「入り口に配置した従者から視覚情報を共有して確認したわ」
「従者を置いていたの?」
「あたしは用心深いの」
従者。血液を操るブラム=ストーカーの能力を持つものには、自身の血液を媒介に擬似生命を作り出せる。その用途は様々だが、彼女のように偵察などにも使用できる。
「あ…」
唐突にリリスが声を上げる。その後顔を両手で覆った。
「どうしたの?」
「燃やされた…」
そう忌々しげに舌打ちをする。おそらく視覚を共有している間に燃やされ、眼前に迫る炎を見たのだろう。
ドアが乱暴に開けられ、長い金髪を後ろで一つにまとめた、レベッカ・ヴァローネがやってきた。資料に添付されていた写真のような溌剌とした笑顔はどこにもなく、不快感ありありの険しい表情でこちらを睨みつけている。
「何見てんだよ?」
ぎろりと狼のように鋭い視線が刺さる。
リリスは従者が燃やされたこともあって舌打ちをする。ここに来てからの不快感に拍車がかかったようだった。
「誰もあんたなんか見てないわよ」
そっぽを向きながら呟くリリス。それを睨みつけるレベッカ。初対面の二人は一触即発の状態で、今すぐにでも殺し合いを始めてしまいそうだった。
ところで、私はこんな二人を率いらないといけないの?とシャーロットは胃を擦りながら思うのだった。
「レ、レベッカ・ヴァローネね。私はシャーロット。よろしく」
「おう、コードウェル博士に呼ばれたらしいが、何するチームなんだ?」
「資料はもらってないの?」
「あー。もらったけど読んでない」
「そう、私たちもまだ大雑把な説明しか受けてないから問題無いわ。要は遺産専門のチームってことよ」
「なるほど、ナイトフォールか」
「その理解であっているわ」
レベッカは、にやりと笑う。ナイトフォールを知っているということは、もしかしたら以前の大規模作戦で関わったか、もしくは遺産絡みで交戦したのだろうか。どちらにしても、色んなセルを巡ってきたということはいろんな経験をしているのだろう。チームに役立つものであればいいなと思う。
それにさっきは不機嫌に当たり散らしているようであったけども、話してみると好意的だ。相変わらず目つきは鋭いが。それに、従者を燃やされたらしいリリスとの印象は最悪なのだけれど。
「とりあえず、このチームは何人構成なんだ? 確かナイトフォールは五人くらいいた気がするぜ?」
「資料には四人と書いてあったわね。待ってる間に資料に目を通してちょうだい」
「はいよ。リーダーはお前でいいんだな、シャーロット」
「ええ。あっちはリリス。さっき貴方が燃やしたらしい従者の製作者よ」
「ほう、そいつは悪かったな」
「ふん」
できることなら、仲良くしてほしいものだ。
そう願っていると、扉をノックする音が聞こえる。四人目のクルル・ハグラーの登場かと視線を向けると、先程レベッカによって乱暴に開け放たれたままの扉によりかかるように立っている燕尾服を着こなし、ドミノマスクを着けた男だった。
男は両手を広げ、口元を目一杯に釣り上げ、笑顔を作りながらこちらに歩み寄ってくる。
「いやー。楽しそうですねー!」
仰々しく、わざとらしい。飄々とした調子で心にもないことを語る。まるで舞台で道化を演じているような振る舞いと言動だった。
「皆さん仲がよろしいようで何よりでございます! これならチームの活動もうまくいくでしょうね、はい!」
「…はぁ?」
思わず威圧の篭った声を上げてしまったのは、シャーロットだった。この状況を見て仲がいいと思うのなら、きっとこの人物は。
「おい、こいつ節穴ってやつだろ」
「あのマスク、目の部分に穴があいてないんじゃない?」
「おーっと、わたくしとしたことが。名乗らず失礼しました!」
「無視すんなよ!やりづれぇ!」
「わたくし、あなた方ティターンズの活動をサポートする、“グリゴリ”と申します。以後お見知り置きを」
“グリゴリ”と自ら名乗った男は、大げさな動作をしながら、こちらに向かって一礼する。まるで舞台の役者や道化のようなわざとらしい身振り手振り口振りをし、いかにも胡散臭い男である。
「資料には、あなたのことは書かれていなかったけど? まさかリリスの監視役?」
「チェンジで!」
リリスは、自らの立場を考えず、大声で拒否の意を即答した。
「リリス・フランケンシュタインさんの監視役はクルル・ハグラーに任せるつもりなのでご安心を。まぁ、サポートといいましても、わたくしのできることは情報提供だけなので、省略されたのかと。ささ、座ってくださいな。説明を始めますよー」
グリゴリは、おちゃらけた調子でシャーロット達三人をそれぞれ待合室に備えられている椅子に座るよう促す。
「さて、今回はー。まずティターンズの活動についてでございすねー。シャーロットさんは聞いてると思いますけど」
「ええ。遺産を回収するチームだとか」
「その通り。昨今、UGNのナイトフォールやゼノスとの遺産の奪い合いは熾烈を極めています。遺産の力は強大です。組織間のパワーバランスの維持にもなりますし、その遺産を使いこなせれば、それぞれの欲望を叶える手助けにきっとなるでしょう。ティターンズにはこれら世界に散らばる遺産を回収していただきます…。が、しかし、ティターンズの目的はそれだけではありません!」
「ほう?」
「実は現在。遺産には、『贋作』というものが存在します」
「贋作?」
「はい、遺産を再現しようとした遺産未満、EXレネゲイド以上のシロモノです」
その言葉を聞いた三人がお互いを見て、首を傾げる。そしてレベッカが、代表するように疑問をグリゴリに投げた。
「ちょっと待て、遺産っていうのは、現在の技術じゃ再現できないからこんなに必死こいて集めてんだろ? 贋作がそう簡単に作れるわけ無いだろ?」
「確かに、遺産は再現できない。だからといって作れないわけではない」
「はぁ?」
「たとえば、プライメートオーヴァードとか。幾つものエネルギーを一つの個体に集中させることで強力な個体が生まれるような、あるいは中国の呪術でいう蠱毒とか。そういう研究が、FHでは日夜行われています」
「日下部仁の日本での実験ね。賢者の石によるオーヴァードを超えた存在への進化…つまり、同じレネゲイドならEXレネゲイドにも同じことをすれば遺産相当の力を生み出すことができるのではないか、と考えた人がいるわけね」
「その通り。さすがリーダーさん。そして実験の結果は失敗。贋作といった強力な成果ができましたが、遺産ほどではない不完全なアイテムが生まれました」
「たとえ贋作でも、EXレネゲイド以上のものができれば、成功と呼べるんじゃねえのか?」
「いやいや。リボルバーがどんなに威力を上げようとも、核兵器には勝てないっしょ? それとおんなじっすよ」
レベッカの問に、グリゴリはやれやれっといったようなしぐさをしながら答える。
「贋作は全部で十三本。テーマはギリシャ神話のオリュンポス十二神。神々の力を再現しようとしたんですね。神の力ですから、成功すれば大儲け! の、はずでした。この贋作という成果を失敗と呼ぶのは、遺産ほどの威力を持たないから。そして、制御が非常に困難であるから。実験中何度も暴走したそうです。そして出来上がった贋作に、暴走や所有権の争いなどが起こりまして…」
「待って、贋作を取り合ったの?」
リリスが待ったをかける。このグリゴリという男。どこで仕入れたのかは分からないが相当詳しい事情を知っている。
「はい、さようでございます。失敗作といえど、EXレネゲイドよりは強大でしたからね。戦力としては申し分ない結果です。暴走も使いみちによっては武器になりますからね。ま、結果、その研究を行っていたチームはそれぞれ贋作を奪い合い解散。贋作の所在地をわたくし、調べあげました」
「それで、私達に贋作を回収しろと?」
「ご名答。まぁ回収じゃなくて破壊でも構いませんけどね」
「遺産ほどでもねーなら、あの博士のことだから放置するかと思ってたぜ」
「さぁ。そこはあの博士に直接聞いてくださいな。私見ですが、まぁ技術漏洩を防ぐためでしょうな。そういう考えがあったかと、敵に思わせないため、とか」
「あの博士がそんなこと思うかねぇ…」
レベッカはそう言うと椅子の背もたれに背を預ける。アルフレッド・J・コードウェルは、謎の多い人物だ。しかし、このチームでの活動が彼の目的に近づくためになるというのなら、その彼に憧れて追ってきたシャーロットはやるしか無い。
「ともかく、コードウェル博士直々の命令ならやるしかないでしょう」
「そうね。あたしも、博士には救ってもらったわけだし。借りをこれで返せるなら…」
同調するようにリリスが頷く。レベッカも複雑な表情を浮かべつつもチームとしての活動に同意した。
「ま、結局のところ、遺産とその、贋作ってのを回収したりぶっ壊せばいいってことか」
「はい、その通りでございます!」
相変わらずわざとらしい手振りで返答するグリゴリに眉をひそめながら、シャーロットは部屋を見渡す。
「ところで、あとの一人はどこかしら?」
この部屋にはシャーロット、リリス、レベッカ。そしてグリゴリの四名が存在している。しかし資料によると、あと一人…クルル・ハグラーという少女が、このティターンズというチームに加わることとなっているはずであった。
それを聞いたグリゴリは、思い出したかのように手のひらを叩く。
「あぁ、クルルさんは…あちらですねー」
壁に設置してあったパネルをグリゴリが操作すると、待合室の一角の壁が迫り上がり、強化ガラス越しに別の部屋が現れた。
そこには血に染まり、ボロボロの病衣のような服を被り、銀色の長髪がぐしゃぐしゃになり、ボロ雑巾のような傷だらけの細い体が部屋の片隅に放置されていた。
横たわる体は、寝ているのか、死んでいるのかわからないほど、動きがない。
資料の写真からでは想像がつかなかった。しかし、写真に映る銀色の髪が、その少女が、クルル・ハグラーであると教えていた。
「なに…、これ?」
シャーロットは、そのあまりにも酷い光景に、目眩と震えを覚えた。私はこんな部屋の隣で、のんきにお茶を飲んでいたというのか。
「あらら?大丈夫ですか、リーダーさん。保護したセルに戦いに使えるようお願いしてあったんですが、今から彼女の調整を行うらしいので、どうぞご覧になってください」
グリゴリは、先ほどと変わらぬ口調、大げさな動作をしながらこのセルの研究員達と連絡をとっている。そこには、この残酷な行為に対する罪悪感が微塵にも感じられない。
シャーロットは視線をグリゴリからリリスに移す。リリスは、キャスケットを目深にかぶり直し視界を塞いでいた。シャーロットのような恐れや、震えはないように見える。これが、当たり前の光景なのだろうか。これがFHという組織なのだろうか。
「保護されたセルが悪かっただけよ」
視線に気づいているのか、リリスはシャーロットに一言言った。
「FHはUGNとは違う。レネゲイド知識とかの教育とかは一緒って聞くけどね。それでも、訓練とかはだいぶ違うだろうし、それもセルによって大きく違う」
「これが訓練だというの?」
「さぁね。もしくは、欲望を引き出すためにやってるのかもよ」
「欲望…?」
「その通り! UGNではレネゲイドコントロールをまず最初に覚えますが、FHはそんなことはしません! レネゲイドをより強く、より大きく引き出すことを重視しています。そのためにまず、彼女には欲望を引き出していただかないといけないんですがねぇ…困ったことに彼女、ただ殴られるだけなんですよ。せめて闘争心か生存欲くらい出してもらわなきゃ、死んじゃうんですけどねぇ」
「そんな…。チームに必要な人材なんでしょ? 死んだら元も子もないわ。やめなさい!」
「いえいえ。ここで欲望もなく戦わないのなら足手まといなだけ、ここで死んだほうがいいでしょ。おやおやぁ? もしかして正義の味方だった頃の正義感が疼いちゃったんですか? シャーロットさん」
グリゴリは口を歪めて笑う。ドミノマスクの形も相まって、その笑顔からは狂気じみたものを感じ取る。リリスのような、慣れや諦観といったものよりも、この男からは愉悦を感じた。
「まぁもし、部位欠損しても、彼女はブラックドッグシンドロームの持ち主なので、義体にしても問題無いでしょう。むしろ通常の四肢以上に動かせるでしょうね!」
「そうか…」
レベッカは、短く息をつくついでのように言った。シャーロットは彼女の方へ視線を移す。彼女は、プロジェクト・パンドラという実験を経て今に至る。きっと今のクルルと同じような境遇を生き残ってきたのではないだろうか。ならば、リリスのような諦めや、グリゴリのような狂気とは違った、シャーロットと同じ感情を抱いてくれるのではないかと、期待していた。
「気に入らねえっ!」
レベッカは、強く吐き捨てると、待合室と実験フロアを隔てる強化ガラスに触れる。触れた指先から凄まじい熱気と火の粉が上がり、緋色をしながらガラスがドロドロと溶け始める。
大きく円を描くようになぞり、人が一人は入れそうな大きな穴を作ると、レベッカはそこからガラスをくぐり、クルルのいるフロアの中に入っていった。
「レベッカさん、危ないですよー。戦闘用に捕獲してあるジャームがそちらのフロアに移動中らしいので」
「うるせぇ!」
「レベッカ!」
シャーロットは熱で溶けるガラスをくぐり、レベッカの後を追う。リリスもそれに続く。
「気に入らねぇ…。弱ってるガキがいたぶられんのを見るのは趣味じゃねえんだよ!」
ツカツカとレベッカは歩みを進め、横たわるクルルの前に立つ。
「よぅ、ガキ。随分ボロボロじゃねえか?」
「…ひっ」
問いかけに対して、横たわる少女は、体を震わせる。怯えた様子の少女を前に、レベッカは困ったように、煩わしいように、頭をかく。
「あー。俺は敵じゃねーよ。同じチームの仲間だよ」
「…チーム? 仲間?」
「何も知らない感じか」
「何分保護してまだ二週間ですからねー」
「そんな奴にジャームと戦えとか言ってんのか。気に入らねえな」
代わりに答えたグリゴリを、レベッカはきっと睨む。レベッカに続いたシャーロットとリリスは、クルルに駆け寄る。シャーロットは彼女の耳元で歌を囁き、リリスは自らの血を飲ませようとする。
シャーロットは、重力を操るバロールシンドロームの他に、速度や音などの波を操るハヌマーンのシンドロームを有している。これにより彼女は歌をうたうことでレネゲイドを操作し、様々な支援を行う。その支援の一つには、体力の回復がある。
耳元で歌を歌い、ダメージや疲労を回復させる。
同じように支援を得意とするリリスも、ソラリスという薬品を体内で生成できる特殊なシンドロームを持っている。それをもう一つのシンドロームであるブラム=ストーカーの血液を通じて相手に癒やしの力を与えているのだ。
「あなたはそればっかりですねぇ。なにがお気に召さないんですか?」
「俺はな、別にこんくらいのガキがジャームと戦うことを批判したいわけじゃねえ。俺だって五歳の頃にはもう戦っていた。だがな、それは俺に欲望があったからだ。成就のために戦う。それしか方法がなかったからだ」
「だからこそ、彼女には欲望を持ってもらわなければ。そのための調整ですよ」
「いいや、こんなのは欲望とは言わない。こんなのは押し付けだ…。自分から望まなければ、欲望とは言わない!」
レベッカは毅然とした態度で言う。彼女は視線を治療を受けているクルルに移した。
「ガキ。お前は今、何がしたい?」
「…私は…戦いたくないです。痛いの、嫌です。傷つけるの、嫌です。お家に返してください!」
レベッカの問に対し、クルルは弱々しく答える。レベッカの迫力に押されたのか、この、彼女がレネゲイドに関わる一連の状況をまだ理解できずにいるのかはわからない。
「帰りたいか。傷を負いたくないか」
「は、はい…」
「でもなガキ。お前がここで無抵抗のままだと、そのどちらも叶わないまま、お前は死ぬ」
「助けて、くれないんですか…?」
「甘えんな。お前が心から望むことを、お前が果たさなくてどうする。他人にすべてを任せちまったら、欲望は、望まない方向に向かうことだってある」
今だって、欲望を押し付けられた結果なのだから。レベッカは、クルルの本当の欲望を引き出そうと語りかける。険しい表情で、その瞳はまっすぐクルルを捉えていた。
「なら、どうしたら…、いいんですか?」
「方法は、自分で見つけるしかない。俺は闘いながら生きることを選んだ。逃げながらコソコソと、暗がりを這いずって生きるより、堂々と、降りかかってくる火の粉を払う生き方を選んだ」
「わ、私は…」
「『生きろ。お前にも、叶えたい“望み”があるはずだ』。困ったら手伝ってやる。俺は、お前の仲間なんだぜ?」
「私も…戦わなければ、家に帰れないんですか?」
「わからない。俺には戦うか、戦わないかの二択しか見えないが、お前にならまだ選択肢があるかもしれない。でも、この世界では、綺麗なままの奴なんて、誰もいねーんだ。みんなどっか汚れてる。そうまでして成し遂げたいことがある。それが欲望だ。お前が心から望むものってなんだ?」
「……帰りたい」
クルルは、震えながら、小さく言った。彼女は、自身の欲望を確認しながら、噛みしめるように、言う。
「私は、おうちに帰りたいです…!」
日常への帰還。何かがほしいとか、何かから逃げたいとか、戦いたいとか、そういったものではなく、彼女は、ただただ、還りたかった。自分が元いた場所に。
シャーロットは、資料を読んで知っている。彼女の家族はジャーム化していることに。彼女の帰った先がいつもどおりの日常ではもうないということに。しかし、それでも彼女が戦えるのならば、この状況から脱却し、前を進むのならば。その事実を、伏せることにした。
「だから、だから……。すごく恐いけど、すごく嫌だけど。…戦います。ここで、ここで死にたくないです…!」
その言葉を聞き、レベッカは納得したように頷く。そしてクルルの頭に手をのせ、雑に撫でる。険しい表情を解き、屈託ない笑顔を見せた。
「おう、それがお前の欲望だ。その気持ち、ウソにするんじゃねえぞ」
クルルが頷いた後、フロアへ続く廊下からジャームの叫び声が聞こえた。それを聞いたリリスは、治療のために流した血液を操り、鳥の形に凝固させる。形を得た血液は生を得たかのように羽ばたきだし、室内を飛び回る。これが、リリスの従者である。
「ご高説は終わったかしら?」
リリスは治療を終えるとレベッカをキャスケットの陰から覗く。
「とんだ感情論ね」
シャーロットは、思わず笑う。いや、安堵した。レベッカの行動に救われた気がして。
レベッカは、シャーロットの言った言葉に少し驚いた表情を見せた。
「……。うるせぇよ」
そう短く言って、表情を曇らせる。
何か彼女の地雷を踏んでしまったのか、シャーロットにはまだわからない。しかし今は目の前に近づいてきているジャームを対処することが優先だ。
「ジャームと戦うわよ」
どうせ隣の部屋に逃げたところで、隔てるガラスは溶けてしまっている。それならばここで戦い、全員の戦闘を直に見ておくほうが、今後のチームとして有効だろう。
「いいね。ここのセルの対応は、ちょっとムカついてたんだ」
レベッカが頷き、腰に隠していたらしい剣の柄のような形状の棒を取り出す。
リリスは既に戦闘をするつもりで、従者を放っており、クルルを支えながら立たせていた。
クルルは、エフェクトによる回復をしたといっても、相変わらず弱々しい足取りをしていた。それでも、レベッカの言葉が効いているのか、覚悟を決めた目をしているのを確認した。
「では、ティターンズの最初の戦闘をはじめましょうか」
シャーロットは、ティターンズのリーダーとして初めての号令をかけた。
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